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第一章
第九話 故郷
「あ、そうだ。ひとつ伝えなければならない事があるの」
ハッとした史は手綱を握りながらそう言う。薫子は「なんですか?」と首を傾げた。
「あの社全体に掛かってる結界は、内から外は簡単に出られるけど、外から内へは入れない造りになってるの」
「そういえば…」
(言ってたなそんなこと)
薫子は急に突き付けられた現実に動揺する。一度あの社に入ったら、普通に行き来可能だと思っていたのだが、そう単純な話ではないらしい。
「安心して。今から社に入るための結晶を渡すわ」
「結晶?」
史は懐から小さな袋を取り出し、それを薫子の手に乗せた。手のひらに収まる大きさの藤色が美しい巾着には中に石のように固い物が入っている。薫子は史を見上げた。
「これは?」
「茜鶴覇様の神力の結晶よ。それがあれば結界の中へ行き来することが出来るわ」
薫子が袋の中身を見ると、透き通った美しい赤の結晶が陽光に照らされ、きらきらと輝いている。薫子は袋の口をきゅっと閉め、大切に懐へ仕舞う。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それじゃあ本当にもう行くわね。どうか家族との時間を有意義に過ごせますように」
史はそう言うと、薫子に微笑みかけて「はっ」と暁の手綱を引いて走らせる。薫子はお辞儀をして、その背中を見送った。
(家族との時間……)
薫子は史の言葉を思い出し、視線を伏せる。もしかしたら、これが家族に会う最後の機会になるかもしれない。ぐっとこぶしを握り、足元に置いてあった風呂敷をもう一度背負う。
(そう思うと、とても寂しい気持ちになる)
後悔はしていないが、家族を捨てるに値する行為。どうしても心が痛む。だがもう後には引けない。
俯いていた視線を活気のある故郷へ流し、薫子は帰路を辿る。
(神様と史さんの事、家族に話さなきゃな)
川に掛かった橋を渡りながら、優しい史の笑顔と、寂しげな神の背中を思い出した。
きっと弟妹は嫌だと駄々をこねるだろう。最近生意気になってきた長男ですら泣いて首を振るかもしれない。だが慈悲深い神のことだ。手紙のやり取りくらいなら、ぎりぎり許してくれるかもしれない。史を味方につけて掛け合ってみようと、薫子は思う。
橋を渡ると、薫子は慣れ親しんだ村の門をくぐった。傍を通り過ぎた村人たちが驚いた顔で皆走り寄ってくる。薫子は身の安全を開示するように笑顔で接しながら、改めて自分がここに帰ってきた事を実感した。それと同時にこれからここが帰る場所でなくなることもまた現実なのだと思い知る。
泣いて喜ぶ近所の村人への対応をしていると、村長がやってきた。皺だらけの老爺は無言で薫子の傍までやって来ると、顔と同じ様に皺の寄った手で頭をポンポンと撫でる。
思わず涙腺が緩むが、村長の後ろで控えていた彼の娘が「早く家族の元へ行きなさい」と腰に片手を当てて笑うので、薫子はその場を二人に任せて家路を急ぐのだった。
だがその翌日。
薫子があの社へ戻ることはなかった。
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