桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第十一話 父の覚悟と願い



 村の男に急かされて表に飛び出すと、松明で昼間の様に明るくなった広場が見えた。村人達が膝をつき、こうべ垂れているその先には、二頭の馬が立っている。それぞれの白と焦げ茶の毛並みは息が漏れるほど美しい。
 そしてその傍らには、背筋の伸びた老婆と布の覆面を着けた純白の髪の男が立っている。やんごとなき身分のその御仁ごじんは、数日前薫子を送り出してくれたあの社の主、茜鶴覇だった。
 (なんで。こんなところに)
慌てて跪く両親を見て、見様見真似で頭を垂れる弟妹。薫子も同じように膝を着いた。
 「……薫子」
シャランと神楽鈴のように美しい声音が響く。薫子が顔を上げると、神が目の前に立ち、見下ろしていた。風に乗って桜とお香の香りが鼻を掠める。
「神様…」
(約束を守れなかった私に、天罰を与えに来たのだろうか)
理由がなんであれ、事実薫子は社に帰っていない。言い訳はしない方が身のためだろう。薫子は震える唇をぐっと噛みしめ、深く頭を下げた。
「申し訳、ありませんでした」
「何に対しての謝罪だ」
「約束の日にちはとうに過ぎてしまったのに、未だ帰れずにいる事に」
そういうと神は黙った。そして少し間を開けた後、その場に片膝をついて手を伸ばす。薫子の顎に指を掛けると、くいっと上に押し上げた。
「……社に、戻ろうとしていたのか?」
「え?はい…。約束しましたから」
薫子がそう答えると、神の指先が一瞬揺れる。再び静かになる村全体の空気に、薫子は生唾を飲み込んだ。
(早く両親を説得しなきゃいけなかったのに。私が悠長にしていたから……)
 お怒りかもしれないと身を固めたその時、薫子の視界に入った史の顔はとても優しかった。
「……お前達が、この娘の両親か」
薫子から手を引いた神は立ち上がり、隣で跪いていた父と母を見下ろす。こちらが座っているというのもあるが、やはり上背がとても高い。威圧感で押しつぶされそうだ。
「……はい、左様にございます」
母の代わりに父が答える。その頬には冷や汗が浮かんでいた。
「顔を上げよ」
神が告げると、一瞬肩を揺らした両親だったが、指示に従ってゆっくりと顔を上げる。その顔は文字通り顔面蒼白だった。
「……薫子が、娘が心配か」
「え…」
「生贄まがいの事を、愛娘にさせるのは酷か」
神の質問に反応したのは薫子だった。
「神様、私は生贄だなんて」
「よい。下がれ薫子」
こちらには目もくれずに制止をする神。いつの間にか近くに来ていた史が、ふんわりと微笑んだ。
 「……無礼を承知で申し上げます」
「なんだ」
父は唾を飲み込んだ後、恐怖をぐっと我慢して口を開く。
「娘から、貴男様やそちらのご婦人のお話は耳に入れておりました。この子を私達の元へ返して下さり、心から感謝しています。しかし、薫子は何にも替え難い私達の宝。……二度と会えなくなるのは、酷く悲しいのです」
涙を目に溜めながら、父は訴えを続けた。
「私の命が尽きるまで、娘の人生を、幸せを、苦楽を見届けていきたいのです。だからどうか、どうかお願いです。私達から薫子を奪わないでください。お願いいたします」
そう言いながら額を地面に擦り付ける父と母。神は二人の姿を見ながら黙っている。周囲にいる村人たちも緊張感を漂わせてじっと見守っていた。
(父さん、母さん……)
薫子は二人の姿を見て胸が痛くなる。土下座をする両親の背後では、弟妹たちも目に涙を浮かばせ、懇願するように神を見上げていた。
 「……お前たちの言い分は承知した」
すると、沈黙の後に出した神の答えは、否定の言葉でも、怒りの言葉でもない。ただ二人の言い分を理解したという事だけだった。
 意外な反応に戸惑ったのか、両親は顔を上げて口をあんぐりと開けている。てっきり無礼者と弾かれるものだと思っていた。
 「だが、お前達はひとつ勘違いをしている」
神はそう言うと、薫子の腕を引いて自分に抱き寄せた。桜とお香の香りが漂い、純白の絹糸の様に美しい髪が舞う。
「私はこの娘を閉じ込めておくつもりなど毛頭ない。勝手に社と家を行き来すれば良い」
「は?」
薫子は目を見開き、神を見上げた。史は「あらまぁ」という表情で見ている。
「私、二度と帰れないんじゃ……」
「そのような事、私は一言も言っていない。全てお前の考えすぎによって起こった勘違いだ」
「……いや、だって普通行き来できるなんて思いませんし」
「私の結晶を史から貰っただろう。何故なにゆえその時点で気が付かない」
「てっきり帰ったらすぐに返却する物とばかり…」
薫子がそう言うと、神は大きいため息を吐く。覆面がふわりと揺れた。
 神は動揺の眼差しで見上げる薫子を自身から離し、父を見下ろす。
「社に滞在する間、薫子にはこまめに文を書かせる。帰りたいと言えば家まで送り届ける。何か他に気がかりな事はあるか」
「…そ、それは…」
父は言い淀んで薫子を見る。
「……娘には、普通の幸せを手に入れて欲しかったのです。良い男に嫁ぎ、子を授かって、死ぬまで温かい家庭で生きて欲しかった…」
そこまで言うと、父は神を見上げた。その目は恐怖が滲んだ色ではない。ひたすらまっすぐで、誇りと覚悟が垣間見えた。
「ですが、先程この子に自分の幸せは自分で見つけると言われました」
「…父さん」
居間で言った事を思い出し、薫子は申し訳なさでいっぱいになる。父なりに一生懸命薫子の将来を考え、愛してくれていたのだ。
「私の娘が覚悟を決めて選んだ道です。今回の件、私共が折れましょう」
父がそう言うと、母も泣きながら薫子に微笑みかける。その姿に薫子は思わずボロボロと涙があふれ出た。拭っても拭っても止まらぬ涙に焦っていると、手ぬぐいが頬に優しく触れる。顔を上げると、史のしわだらけの笑顔が見えた。
「薫子さん、これで涙をお拭きなさいな」
「史さん…」
嗚呼ああ、だめだ。今は何見ても涙が出る)
子供の様に泣きじゃくる薫子の涙を手ぬぐいで拭く史。普段泣かぬ姉に釣られたのか、菊太達も一気に泣き始めた。
 神は薫子の頭をぽんと撫でる。
「今夜は家族と過ごせ」
「…はい」
嗚咽交じりの返事を聞いた神は、母の背を擦る父へ視線を流した。
「お前の娘は、とても温かく、美しい心を持った人間に育っている」
それを聞いて、父は消えかけの声で「ありがとうございます」と言い、地面に泣き崩れた。隣で泣いていた母は、いつの間にかくすくすと笑っている。一部始終を見守っていた村人たちも、各々が胸を撫でおろした。

 翌朝。
 身支度を済ませた薫子は玄関に居た。身に纏うのは、史がくれた美しい上物の着物である。母は薫子の着物の帯を整え直し、父は穏やかな顔でその姿を見つめていた。
「はい、終わったわよ」
「ありがとう、母さん」
背中をぽんと叩く母に礼を言いながら振り返る。薫子の帯には史から貰った簪が挿し込まれていた。
 「ねーちゃん…」
「菊太」
消えそうな声で薫子を呼ばれて廊下の方を見ると、そこには俯いて甚平の裾を握りしめている菊太がいた。その後ろには眉をハの字に寄せた藤助と菖蒲の姿もある。
「おいで」
薫子が膝を着き、腕を広げると涙目になりながら抱き着く菊太。それに続いて藤助たちも飛び込んできた。
「ねーちゃん、俺、寂しいよ」
「うん、ねーちゃんも寂しい」
「毎日帰ってきて」
「無茶言うなよ。…でも、手紙は沢山書く」
弟妹たちの頭を撫でていると、母が後ろから、父が前から抱きしめる。あまりの父の力強さに藤助が悲鳴を上げた。
「うっ、おとーちゃん!苦しい!!」
「良いだろう?とーちゃんの力強い抱擁も」
「やだ!おかーちゃんのだっこがいい!」
あっさり振られた父を見て鼻を啜りながら菊太が笑うと「笑ったな~」と次は菊太を締める父。嫌よ嫌よも好きの内というが、まさにこの事だと薫子は思う。なんだかんだで菊太も藤助も嬉しそうだ。
 「まぁ、お前たちがねーちゃん離れするいい機会かもしれないな」
一通り締め上げた後、笑いながら父が言う。菊太達は急に眉間にしわを寄せた。
「やだー!」
「やぁーだ!」
「やだぁ!」
菊太と藤助の真似をして菖蒲も頬を膨らませる。薫子の背後から抱きしめていた母はケラケラと笑っていた。
「もう、薫が困っちゃうでしょ」
「本当だよ。私の分も菊太に遊んでもらいな」
薫子は藤助の頬を掴んで中の空気を押し出す。まぬけな音が響いた。
「えー、にーちゃんじゃやだ!つまんない!」
「はぁ!?なんだと藤助!」
自分の腕の中でケンカし始めた二人を見て、薫子は笑う。菊太と藤助は薫子が笑っている事に気が付き、釣られてまた笑い始めた。まだ状況が呑み込めていない菖蒲だけが首を傾げてきょとんとしている。薫子は菖蒲の頬を撫でて呟いた。
「お兄ちゃんたちをよろしく、菖蒲」
意味が分かっているのかどうかは分からないが、菖蒲は太陽のような笑顔で頷いた。

 暫く抱き合った後、母が立ち上がる。
「そろそろ約束の場所に行きましょうか」
「見送り、玄関まででいいのに…」
薫子が草履を履きながら言うと父が口を開いた。
「暫く会えなくなるんだろう。寂しい事言うな、薫」
下駄を履き始める父の横顔を見て薫子は昨夜の事を思い出す。
 結局あの後、神は村長と少しだけ話をすると、社へ帰る際に「明日の朝、史が迎えに行く」とだけ告げた。それ以外に言葉はなく、そのまま馬に跨って空を駆けて帰って行った。馬が空を駆けるのかと訊ねるのは愚問だろう。
 勿論神が立ち去った後は大変だった。村人たちからの質問の嵐が吹き荒れ、場が落ち着くまでに一刻二時間はかかった。何もかもを済ませて家族全員で布団に横になったのは、日を跨いだ後だった気がする。
 外に出ると通りかかった村の人たちが寄ってきたので、挨拶しながら正門へ向かった。史が合流場所として指定してきたのは、村の大きな正門前。正確に言うと、その前にある河原だ。
 正門を抜け、河原へ到着すると、焦げ茶の毛並みが美しい暁と袴姿の史が待っていた。
「史さん」
「おはよう、薫子さん。そして皆様もおはようございます」
史は薫子に微笑んだ後、見送りに来た父達にもお辞儀をする。
「おはようございます、史さん」
両親もお辞儀を返す。弟妹達は昨日神と一緒にいた人という認識なので、少し緊張しながら「おはようございます」と挨拶していた。
 「…娘を、よろしくお願いします」
「はい、承りました」
美しい仕草で再びお辞儀をする史。傍で暁がご機嫌そうに首を振っている。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ、行ってらっしゃい。薫子」
力強く頷いて笑ってくれた父を見て、薫子はニッと笑って見せた。


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