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第一章
第十三話 少年
「荷物を置いたらお茶にしましょうね」
薫子に笑いかけ、暁の手綱を引く史。先に階段を登っていく彼女の背を追いかけた。整備された石階段は隅々まで綺麗にされている。
最上段に辿り着くと史は薫子を一瞥し、暁と共に結界の中へ姿を消した。薫子は胸元に入った結晶を、着物の上から握りしめる。石はほのかに温かい。
(よし)
覚悟を決めた薫子は、思い切って結界に飛び込む。すると、体に何が当たるでもなく、するりと境内に入っていた。
(本当に、結界をすり抜ける結晶なんだな)
別に疑っていたわけではないが、改めて結晶の力に感心してしまう。
(……あ)
ざぁっと吹き荒れる風に桜の花弁が身を乗せて踊る。数日前に見た風景と何ら変わりのない社は、やはりどこか懐かしい。
「薫子さん、手と口の浄化をした後、馬小屋に一緒に行きましょうか」
「はい。お供します」
暁の首筋をひと撫ですると、史は薫子に笑いかけた。
手水舎で一通り浄めた後、薫子は手ぬぐいで手を拭きながら傍らに聳え立つ巨大な桜の木を見上げる。相変わらず見事な満開ぶりだ。
(四千年、花を咲かせ続ける桜……か)
神の物に世の理が通用しないのは馬で理解したが、やはりこの桜が一番おかしい気もする。手ぬぐいを懐に入れ、歩き出した史を追いながらそう思った。
手水屋の奥に進んでいくと、大きく立派な馬小屋が見えてきた。下手したら実家よりも広いかもしれない。中を覗くと、毛並みが美しい白い馬が優雅に水を飲んでいる。
「ただいま、黄昏」
史はそう言って白馬を撫でた。どうやらこの馬の名は黄昏というらしい。
「暁と黄昏はね、この社の神獣なの。もうずっと昔から私達を乗せて走ってくれているわ」
史は暁から手綱や鞍を外しながら話してくれた。
神獣とは神ごとの領域内で指定した、一定の動物の事を示す。地域によってはその動物を神の遣いとして崇め奉る事もあるし、環境の問題で領域にしか存在しない幻の動物の場合もある。例えば龍や一角獣のような獣だ。
とはいえ例外も存在する。神の領域内、それも神の住まう神域のみで神獣扱いされる個体の場合だ。
(馬がここの神獣というのは初耳)
つまりこの麗しき毛並みの二頭は、その例外に含まれるというわけだ。
「…随分、大切に育てられているみたいですね」
すり寄ってきた黄昏の鼻筋を撫でながら薫子が言うと、史は自慢げに笑う。
「ええ、体調管理も毛艶管理も完璧よ。…それに神獣である前に、この子たちは私の子供のようなもの。大切にしないわけがないわ」
そう言って鞍を棚に戻す史。薫子は納得した面持ちで「だってさ、良かったね」と黄昏に呟く。心なしか黄昏は嬉しそうだ。
「さあ、そろそろ屋敷へ向かいましょ。荷物も重たいでしょうから」
史は薫子が背負っている風呂敷を見てそう言う。確かに着物やら生活用品やらが入っているのでそれなりに重い。
「はい」
薫子は見栄を張らずに頷く。史は「いらっしゃい」と声を掛けて屋敷に向かって歩き出した。来た道とは別の道を進んでいく老婆。四季が入り交じり、季節の概念が消え失せたここの風景は、絶景と言わざるを得ない。桜が舞い、向日葵が揺れ、紅葉が輝き、雪が踊る。
(美しい、本当に)
薫子は移り変わる風景を横目に、史の背を追った。
「じゃあ、お部屋はここを引き続き使ってね」
「……それは構わないのですが、なんだか以前より色々と変わっていませんか?」
屋敷に入って最初に通されたのは、数日前に泊まった部屋だった。しかし、なにやら物が増えたように思う。いや、増えただけじゃない。物自体も変わっている。
「…箪笥、こんなにありましたっけ。行灯、こんな華美でしたっけ」
元々あるものは一級品であったし、決して悪いものではなかった。むしろ上等すぎるくらいである。それが数日経ってみたらどうだ。質が何から何まで上げられ、華美になり、物の数も増えている。
「実は昨晩、茜鶴覇様が装飾し直されたのよ。箪笥は着物が入りきらなくなるだろうから、と言って別の部屋から持ってきていたわ」
コロコロと笑い、障子を開けて部屋に日光を入れる史。薫子は純粋な疑問をぶつけてみた。
「何故私にそこまで…」
「さあ…茜鶴覇様の考えてる事は私にもわからないわ」
史はそう言うと「でもね」と続ける。
「貴女を可愛がりたくなる気持ちは、よくわかる」
「え」
風呂敷を床に下ろしていた薫子の頭を、史は優しく撫でた。
「荷解きは後にして、先に茜鶴覇様のところに顔を出しましょうか」
「あ、そうですね」
薫子は頷いて答えると立ち上がる。部屋を出ようとしたその時だった。
「この娘か。史が言っていたのは」
背後から聞こえた少年の声に、薫子は驚愕のあまり尻もちをつく。振り向くとそこにはどこか儚げな空気を纏った少年が居た。
桜色の髪に金色の瞳。見た所、歳は十歳くらいだろうか。見た目と雰囲気が合わず、どこかちぐはぐな印象を受けた。
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