桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第二十二話 三大神族


 突然話してきた青年は、衣で首周りを覆って鼻から下を隠していたが、身なりを見る限り金持ちの息子だと推測できた。金持ち息子は薫子が固まっているのを見ると「あ、あれ?」と冷や汗を垂らす。
「もしかして、これの事ではありませんでしたか?」
そう言って指さすのは薫子が見ていた簪だった。
「……いえ、そちらの商品です」
「よかったぁ」
青年はほっとしたような表情を浮かべた後、簪を見つめる。
「この花は月下美人と言うんですよ。たった数刻しか咲かない貴重な品種なんです」
「月下美人…」
(初めて聞く名前だ)
薫子はあまり草花の類には詳しくない。幼い弟達の面倒を見る上で、触らないほうが良い毒草を少し知っているくらいである。
「良くご存じですねぇ。流石は神来社からいと家のお世継ぎ様です」
「あ…!その名を今出さないでください!お願いします…‼」
焦りながら人差し指を口に当てる青年。神来社と言えばつくも家や黎明れいめい家と肩を並べる三大神族の一つだ。
 神と人が互いに無干渉だった遥か遠い昔。当時の神央国で、互いに手を取ろうという話を天界に持ち掛けた三つの一族が居た。
 最初は全く聞く耳を持たなかった天界だったが、懸命な三家の説得の末に、話し合いを設けたらしい。そして人間が貢物や祭事を行う代わりに、神はそれぞれの領地の平和を保つ契約が結ばれたのだ。
 その当時の一族が、現在の三大神族というわけである。位を分かりやすく表すと、神の次に絶対的な立場のやんごとなき身分の一族とでも言おうか。彼らには貴族ですら逆らえぬ程の圧倒的な権力が存在する。そんな身分であるこの男が自分よりも下だとわかりきっている薫子に何故話しかけるのか。
(というよりもまず、どうしてここに居る)
神とそのお付き自分達を棚に上げてそう思う薫子。神族となれば屋敷に仕立て屋を呼べば済むだろうに。わざわざこんな街中まで足を運ぶ理由はなんだろうか。
 「……急に名すら名乗らず、話しかけてしまって大変申し訳ありませんでした。僕は神来社からいと伊吹いぶきと言います」
「いえ、私こそご無礼をお許しください」
周りを確認した青年は衣をずらして顔を出し、胸に手を当てて丁寧に名乗った。薫子は条件反射で頭を下げる。神の次に身分の高い人間だ。変に刺激したくはない。
 「よろしければ、貴女のお名前を教えて頂けますか?」
伊吹はふわりと微笑む。その顔立ちはまさしく美青年と言わざるを得ない顔だった。優しい目元に綺麗で健康的な肌、高い鼻筋と血色の良いふっくらとした唇。
 こんな男が顔も隠さず街を歩いていたら、神族とは別にそれはそれで騒ぎになるだろう。衣で顔を隠していたのは正解だったと薫子は思う。
(どこぞの神にも見習ってほしいものだ)
ふと漆黒の美しい髪を靡かせるやんごとなき同行者が脳裏を過った。しかしそんな無自覚神様と、社に居る団子大好き美少年のおかげで、そろそろこの目に来るような顔面の眩しさに慣れてきていた。
「私は…」
薫子ですと名乗ろうとした瞬間、後ろから肩を引かれ、抱きしめられる形で誰かの胸板に後頭部がぶつかる。覚えのある香りに、薫子は血の気が引いた。
「薫子」
真上を見ると、黒く美しい髪が薫子の顔に掛かる。漆黒の目が薫子を見下ろしていた。
「あ、かね鶴覇様……」
茜鶴覇だった。直前まで考えていたことが考えていた事だけに、薫子は冷や汗が止まらない。
(私、顔に出やすいんだっけ)
流石に調子に乗りすぎたかもしれない。顔を青くする薫子をじっと見つめた後、視線を上げる茜鶴覇。
「……この娘に何用か」
伊吹は目を見開いていたが、すっと表情を正してお辞儀をする。その所作は三大神族と名乗るにふさわしい、気品溢れる雰囲気を纏っていた。
「いえ、わたくしがつまらぬ話を持ち掛けてしまっただけにございます。無礼をお許しください」
伊吹が頭を下げる様をみて、女店主はただ事ではないと言わんばかりに冷や汗を流しまくる。神の次に権力を持った人間がこうして深く謝罪をする場面は限られてくる。
 神聖な場所、もしくは自分よりも立場が上の場合だ。賢い店主は後者だと察したのだろう、青い顔で突っ立っている。
「私は神来社家がひとり、伊吹と申します。お会い出来て光栄です」
「よい、謝罪は要らぬ。顔を上げよ」
茜鶴覇は神来社の人間だとわかると、少し安心したように息を吐いた。
「まさか貴男様のお連れ様だとは気づかず、お恥ずかしい限りです…」
(連れって言っても、下女だけどな)
薫子は顔を上げてそう言う伊吹に、心の中でひっそりと訂正する。
 茜鶴覇は薫子を腕の中から開放し、簪へ視線を向けた。
「……薫子、決まったか」
「は、はい。これにします」
薫子は月下美人の簪を指さす。すると茜鶴覇は少し目を細めた。
「月下美人か」
「ええ、史さんに良く似合うと思ったのですが…」
何やら考え込んでいるような様子の茜鶴覇。薫子が「だめでしょうか」と恐る恐る訊ねると、彼は首を振った。
「いや、お前の言う通り彼女に良く似合う」
それだけ言うと、冷や汗を垂らしながら硬直していた女店主に「これも頼む」と話しかける。店主は裏返った声で返事をすると、会計をする為に茜鶴覇を店の奥に誘導していった。
 (考えていた事がばれていないようで良かった)
薫子は小さく息を吐く。流石に心までは神といえど読めまい。伊吹の方を見ると薫子とは別の意味で緊張していたらしく、少し表情が硬かった。
「…まさか、ここで茜鶴覇様に会えるとは」
恐らくこの国で茜鶴覇を知らぬ者はいない。見目を変えているとはいえ、やはり分かる者にはわかってしまうらしい。
 冷や汗を拭い、胸を撫でおろしている姿を見ると、神族とはいえかなり緊張するようだ。薫子も少し前まで同じような感じだったので、非常に親近感を感じる。無礼極まりないが。
 息を付いた後、再び姿勢を正した伊吹は薫子に向き合うと口を開く。
「貴女は茜鶴覇様の神女しんじょ様だったのですね。改めて、私のご無礼をお許しください」
「し、神女…?」
(なんだ、神女って)
薫子は助けを求めるように暁を見るが、本人はなんだか複雑な顔をしていた。史ではないので暁の言いたい事が全く理解できない。
「神女様とは神のつがい。つまり人間でいう奥方という立場ですね」
あまりの爆弾発言に薫子は身を硬直させる。暁もそわそわしていた。
「違います。私はただの下女にすぎません。そんな恐れ多い立場の人間ではないのです」
「え、そうなんですか?」
なんだか凄まじい誤解をさせてしまっていたらしい。薫子は今までの経緯を簡単に話す。とは言っても、社に初めて行った時の事と、戻ってきた事くらいだが。
 「そんな事があったのですね…」
「ええ、なので私はただの村娘です。気になさらないでください」
大体声を掛けたくらいで、村の小娘に謝らなければいけないなんて理不尽すぎる。薫子が謝罪を断ると、伊吹は「うーん」と唸り、何かをひらめいた。
「そうだ、僕たち友人になりませんか?」
「…はい?」
「僕は今まで家の厳しい制限のせいで友人が二人しか居なくて…」
(だからって下民を友に選ぶか普通)
感覚が狂っているのか、そのあたり気にしない性格なのか分からないが、伊吹は目を輝かせている。とても断りづらい。
 伊吹は「だけど損はさせませんよ」と更に続ける。
「僕が知っている限りの知識や、神に関する歴史も貴女へ共有します。なので困ったことがあれば相談位は受けるくらいにはお力になれると思います」
勿論話せる限度はあるんですけどね、と頬を掻いて付け加える伊吹。
 だがそこに関しては非常に魅力的だと薫子は思う。こうして神の傍に身を置くとなると、知っておいた方がいい知識などもあるはずだ。利益不利益の話しから始まる友人というのは変な関係だと思うが、人が関わるキッカケはこの際なんだって良いのかもしれない。
「わかりました。謹んでお受けします」
「では決まりですね。これからよろしくお願いします、薫子さん」
先程茜鶴覇が名を呼んだので、その時に記憶したのだろうか。伊吹は裏表のない爽やかな笑顔を向ける。
「よろしくお願いします、伊吹様」
「様は他の貴族が見てないとこならなくて大丈夫です。元々伊吹様って呼ばれるの、好きじゃないので…」
飾らない性格がそう思わせるのか、微妙な面持ちをしていた。
「……では、このような場では伊吹さんと」
「はい、僕は伊吹さんです」
ころころと笑い、嬉しそうな伊吹。なんだか既視感のある笑顔だと思えば、社で留守を預かっている背筋の伸びたあの老女とそっくりだ。
(他の共通点と言えば、ある意味不思議な人ってことだな)
薫子は失礼にあたるので言わなかったが、心の中では声を大にして呟いていた。


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