桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第二十三話 不測の来訪者


 日が傾き、空が橙色に染まり始めた頃。沢山の荷物を乗せた馬車が空を走っていた。
 車内には行き同様の席に着いた薫子と、髪と瞳の色を元に戻した茜鶴覇が居る。薫子は外を見つめながら呉服屋で出会った青年の事を思い出していた。
 (伊吹と名乗ったあの男。本当に神族かと思うくらい良い人だった)
何故三大神族である彼が呉服屋に来たのか訊ねた所、美しい着物や簪が好きなのだと言っていた。何年か前から定期的にお忍びで来ているらしい。女店主に色んな話を聞きながら、家で隠れて小物なども作っているようだ。
(神族である人間が、仕立て屋の真似事なんてきっと家が許さない)
だからこそ一人で、こっそりと自分の趣味を楽しんでいるのだろう。店で護衛が居なかったのも気付かれないための策だったらしい。
(変わってはいるが、悪い人じゃなかった)
良い関係を築いて行けそうである。
 その後伊吹は薫子に文を出すと約束し、茜鶴覇に挨拶して店を立ち去った。後から茜鶴覇に聞くと「三大神族は皆神に劣るものの、多少の神力は操れる」と説明してくれた。つまり式神も簡単な物なら作れるという事である。彼も例外ではないだろうから、近い内に文が届くだろう。
 薫子は軽く深呼吸をして窓から茜鶴覇に視線を移す。日の光に照らされた彼の顔は、やはり女神の様に整っていた。
「茜鶴覇様」
名を呼ぶと、茜鶴覇はスッと視線を流して薫子を見る。
「こんなにも沢山の着物をありがとうございます。大切にします」
薫子は着物が入った衣装箱や風呂敷を見た後、深くお辞儀をした。
「……ああ」
茜鶴覇は少しだけ目を細めると、再び空へと視線を流す。薫子も茜鶴覇とは逆の窓から外を見る。ふわふわと浮かんだ雲の中を数羽の鳥が飛んでいた。
 (なんだか長い一日だったな)
掃除をして、街に行って、蛇歌に会って、茜鶴覇の過去に初めて少し触れた気がした。驚きはあった、動揺もした。だけど恐怖は無い。それが今の薫子の応えであり、想いである。
 薫子はガタガタと木造りの馬車が揺れる音を聞きながら目を閉じた。風を切って空を駆ける馬車は、行きとは違い、焦げ茶の馬が元気に引いている。そしてその手綱を引くのは短い白髪の美青年だった。
 薫子は少し前の事を思い出す。北玄ペイシュアンから少し離れた所で馬車を停車させた暁は、黄昏と馬車を繋いでいた金具を外した。そして人間の姿へ変わる黄昏と、馬の姿へ戻る暁。一日の疲労があったのもあるが、薫子自身もう驚かなくなっていた。二頭の神獣たちが変化へんげする様子を馬車の中からまるで死んだ魚のような目で見つつ心の底から再度思った。考えるだけ無駄だと。
(常識なんてこの社では通じない)
薫子はある意味これが常識なのだと己に言い聞かせる事にしたのだった。

 ようやく社のある山が見えてきた時、外を見ていた茜鶴覇が頬杖をやめた。視線の先を見ると、見覚えのある式神が馬車めがけて飛んできている。
(あれは文か?)
茜鶴覇は式神を手に収めると、中を開いて確認した。
「……」
表情が全く変わらない茜鶴覇。
(どこから来た文なんだろうか)
薫子が見つめていると、ふいに顔を上げた茜鶴覇は黄昏に声を掛けた。
「黄昏、来客だ。早急に帰宅せよ」
「うっ」
茜鶴覇がそう指示を出した瞬間、馬車が大きく揺れる。突然の速度変化に、進行方向とは逆向きに座っていた薫子の体が軽く浮いた。
「薫子、私の隣へ」
手短に薫子に命令する茜鶴覇。薫子が揺れに耐えながら立ち上がると、その腕と腰を引き寄せ、自身の隣へ座らせた。
「着地で揺れる。私に掴まれ」
薫子は意味も分からず茜鶴覇にしがみつく。
(急いで帰らなければならない程の客…)
明らかに只者ではない。
 何が起きているかも理解できぬ恐怖の中、あれほど遠くに見えていた山に辿り着いた馬車は山肌やまはだを一目散に駆けあがっていく。視界の端に見える木々の先端がとんでもない速度で流れていくのが見えた。最早馬車は風すら置いて駆け上がる。薫子はぎゅっと目をつぶり、放り出されぬよう茜鶴覇に必死に掴まり続けた。

 社の結界に入り、大きな振動と共に馬車が着地する。馬車は勢いを殺すために庭を走りながら速度を落とし、ゆっくりと停車した。さわさわという桜の木々の音が聞こえてくる。
 「怪我は」
振動から守るため、着地の際茜鶴覇は薫子を自身へ抱き寄せていた。腕の中で縮こまっていた薫子に声を掛ける。
「ありません、大丈夫です」
薫子はそう言いながらしがみついていた体を離す。茜鶴覇も薫子に怪我がない事を視認で確認すると、静かに解放した。
 カタンと音を立てて開かれた戸から彼が下車するのを見送り、薫子も黄昏の手を借りて地に足を着ける。かなりの速度で突っ込んできたからか、庭には車輪の後が深く残っていた。
 「茜鶴覇様」
振り向くと、馬車を迎えるために歩いてくる史が居た。すっと伸びた背筋の老婆は、何やら神妙な面持ちである。
「文をお読みになりましたか?」
「ああ」
会話を聞くに、先程の式神を飛ばしたのはあの老婆のようだ。今日誰かが社に来るなんて薫子は聞いていないし、反応を見る限り茜鶴覇たちにとっても不測の事態らしい。薫子ピリッとした空気の中立ちすくむ。
 その時。
「珍しく史以外の人間の匂いがすると思ったら……お前か、女」
ギシリと気が軋む音と共に真上から聞こえた低い男の声。パッと見上げると闇の様に黒く大きな翼が視界に広がり、それの持ち主の男は馬車の上にしゃがんでいた。
 高く結い上げられた黒髪を三つ編みにし、沢山の飾りを耳に着けている。切れ長の青い三白眼の瞳は、ジッと薫子を見下ろしていた。明らかに人間ではない存在を目の当たりにし、薫子は生唾を飲み込んで冷や汗を頬に垂らす。まるで蛇に睨まれた蛙の様に固まってしまった。
 「……あ?お前その顔」
薫子を見下ろしていた男がそう口にした瞬間、茜鶴覇が間に割って入る。さらりと純白の髪が舞い、途切れていた息を思いっきり吸い込む薫子。茜鶴覇は男を見上げながら口を開いた。
圓月えんげつ、話がある」
茜鶴覇は男を圓月と呼ぶ。どうやら来客というのは彼の様だ。
「だろうな」
男は馬車の上から飛び降りる。その上背は大きく、茜鶴覇よりも少しだけ高かった。
「黄昏、暁。馬車を元の場所へ。荷物は玄関に置いてくれればいい」
茜鶴覇がそう指示すると黄昏は軽く頭を下げて御者台に乗り込み、馬車を走らせる。その姿を見送った史が茜鶴覇にお辞儀をする。
「茜鶴覇様、先に戻ってお茶の支度を致します」
「承知した。薫子も連れて行け。すぐに向かう」
薫子は茜鶴覇と圓月にお辞儀をした後、史と共にその場を後にする。状況が呑み込めぬまま、先を歩いて行く史の背を追いかけて屋敷へと帰宅した。



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