桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第二十五話 風神の勘


 (なんだかとんでもない事になって来たな)
夕餉を終え、風呂から上がった薫子は寝間着に着替えながらため息を吐く。
  空気を何とか明るく保とうと、圓月と十六夜が話題を出してくれていたおかげで、無言の食事にはならなかった。しかし流石に皆心ここにあらずである。中でも薫子が一番顔が強張っていたのだろう。史がいつも以上に薫子に気を掛けてくれていた。
 きゅっと帯を締めて羽織を着ると、一旦自室に戻り、荷物を置いて茜鶴覇の部屋へと向かう。
「失礼します。薫子です」
「入れ…」
薫子は襖の前で正座し、会話の聞こえる室内に声を掛けると、少し疲れたような声音の茜鶴覇が応じる。中に入ると、同じく風呂上がりの茜鶴覇達が座って話していた。
 圓月は背の関係で茜鶴覇の寝間着を拝借しているらしく、見覚えのある着物を着ている。どうやら今夜はここで泊まっていくらしい。先程まで結い上げられていた髪は、今は解いて下ろしている。
「随分後になってしまってごめんなさいね…。お湯加減は大丈夫だった?」
「はい、問題ありませんでした」
 いつもの流れで全員湯殿を使っていたのだが、薫子は立場的に最後になってしまう。こればっかりは仕方がない。それに毎日湯に浸からせてもらえる辺り、その辺の良家よりもいい暮らしをさせて貰っている。文句など特に思いつかなかった。
 史は「それならよかった」と笑う。いつもと雰囲気が違うと思ったら普段纏め上げている髪を、今は水気をしっかり拭き取り、下の方で括っているだけだった。新鮮だなと思いつつ、薫子は座布団を端から持ってくる。
 「薫子」
座ろうと身を屈めた時、机で肘をついて額を押さえていた茜鶴覇が顔を上げた。
「なんでしょうか」
薫子は何か用かと思い、彼の近くへ膝をつく。すると茜鶴覇の手が伸び、薫子の髪に指を通した。その瞬間、湿っていた髪は水気が飛んでさらりと乾いてしまう。
「風邪をひく。これからは念入りに水気を取れ」
「……ありがとうございます」
茜鶴覇に髪を乾かして貰うのはこれで二度目である。なんだか少し気恥ずかしい。
 その一連の流れを見ていた圓月は、にやにやと口角を上げながら口を開く。
「茜鶴覇ぁ、俺も乾かしてくれよぉ」
女が殿方に媚を売るように、裏声で強請りながら身をくねくねさせる圓月。片目を引くつかせて生ごみでも見るような目で十六夜が視線を送っていた。
「……お前は自分でやれ。それとその声を今すぐやめろ。悪寒がする」
茜鶴覇は湯呑みを啜りながら圓月と目も合わせずに言い返す。必要最低限しか話さない茜鶴覇にここまで言わせるのも、中々な才能だと薫子は思う。
「全く相変わらずだな。じゃあ薫子、俺の髪拭いてくれよ」
いたずら坊主の様に圓月はケタケタ笑った。この男、完全に遊んでいる。
「はいはい、代わりにこの老婆がお拭き致しますよ」
何処から取り出したのか、上質な生地の手ぬぐいを持った史が、音もなく圓月の背後に現れた。今はなんだか笑顔が少し恐ろしい。圓月も史には敵わないのか、複雑そうな顔で大人しくなった。
 (…ていうか、この人一応あやかしなんだよな)
濡れた大型犬のように大人しく髪を拭いてもらっている姿を見ながら薫子は改めて心の中で確認する。
(確か並大抵のあやかしではここの山に入れないんだっけ)
四日前、十六夜達が話していた内容を思い出した。あやかしの長ともなると、その辺はやはり負担は少ないのだろうか。
 薫子がジッと見つめていることに気が付いた圓月は、首を傾げる。
「どうしたよ、薫子。……あ、さっきの冗談なら悪かった」
「あ、いえ、その事ではないのですが…」
薫子は首を振った。
「じゃあなんだ、言ってみろ。答えられることならなんだって話すぞ」
そういって笑う圓月は豪快そのものである。薫子は「では…」と呟いて質問した。
「ここの山にはあやかしは入れないという話を少し前に聞いたのですが、圓月様はお体に支障は無いのでしょうか」
そう訊ねると、圓月は「あー」と声を漏らして湯呑を手に取る。
「まあ、その話は一部を除いて概ね合ってる。確かにここの山は俺達と真逆の力で満ちてるからな。その辺の奴らじゃあ消し飛んじまう」
ワハハと笑い飛ばすが、こちらとしては全く笑えない。
「だが俺含めあやかしの上位共はこのくらいじゃ死なねぇし、体にも殆ど負担はねぇ。たまに社で長期間寝泊りしてるくらいだから気にすんな。まぁ、心配してくれてありがとな」
「そうなのですか…」
薫子はひとまずほっとする。
(…山には入れる事は分かったが、どうやって社に入って来たんだろうか)
次に浮かんできた疑問はそれだった。山はともかく、社に入るには誰であっても茜鶴覇の結晶が必要である。ここに彼が居るという事は、例外なく所持しているはずだ。
 薫子が考えていることが分かったのか、圓月は懐に手を忍ばせる。そして取り出したのは小さく古い袋だった。
「おらよ」
「えっ」
圓月はその袋を薫子に投げて寄越す。中を覗くと、透き通った赤の結晶が光を反射して光っていた。
「俺だけじゃねぇ。茜鶴覇は他の神やあやかし奴等にも結晶を渡してる」
(そうだったのか…)
てっきり社の者だけだと思っていたが、そうではなかったらしい。
「結晶が無い限り入れないめんどくせぇ場所だが、逆に関係者しか入れねぇ場所でもある。多分ここが現世で一番安全だ」
めんどくさいという発言に、十六夜が「なんじゃと小童」と吠えたが、見えていないかのように話を続ける圓月。
「あやかしは勿論、神や人間ですら出入り不可能の神域だからな。これから社ん中で知らねぇ顔に会っても心配すんな。どうせそいつの知り合いだ」
顎で茜鶴覇を指すと、「ほれ、戻せ」と薫子に手を広げて見せる。どうやら結晶を投げろと言いたいらしい。薫子は恐る恐る弧を描くようにして緩く投げて渡す。圓月は器用に受け止めると懐にしまい込んだ。
 「…あ、そういえば茜鶴覇」
圓月は何かを思い出したようにハッとする。
「そろそろあいつがここに来ると思うぜ」
「あいつ…?」
茜鶴覇も流石にあいつだけじゃ分からないのか、眉間にシワを寄せる。
「勿体ぶらずにさっさと申せ」
不服を漏らす十六夜に、圓月は「わかったわかった」と生返事を返した。
風牙ふうがだよ、風牙」
「風牙…?急ぎの用かのう」
「知らん。だが少し前に会った時、妙に焦った感じだった」
圓月がそう言うと、十六夜は片眉を上げる。
「珍しい。やつが焦りというものを顔に出すのは久方ぶりじゃのう」
「そうなんだよなぁ。気になったから取っ捕まえて聞いてみたんだが、確信が無いから答えられない、分かったら社へ向かうから落ち合おう……みてぇな事言って飛んでいきやがった」
それを聞いて茜鶴覇は目を伏せて考え込む。
(風牙……という人物、恐らくこの流れから行くと、神かあやかしのどちらかかな)
薫子は風牙とは誰ですかなんて質問で会話を中断したくなかったので、己の中で予測を立てる。
 「……なんじゃろうな。随分きな臭くなってきおったのぅ」
十六夜のため息混じりの発言に同感なのか、圓月も深刻そうな顔をした。あらかた水気を取り終えた史が手ぬぐいを畳んで薫子の隣に座り直す。
「とりあえず、今回の件にあいつが巻き込まれてない事を祈るしかねぇな」
圓月が髪を無造作に括りながら言うと、湯呑を手に取った茜鶴覇が口を開いた。
「……いや。直接では無いとは思うが今回の騒動、十中八九何かを察して行動しているんだろう」
目を見開く圓月。
「どういうこった」
「お前もよく知っているだろう。やつの勘は鋭い。我々が思うよりも早くに何かを感じ、飛び回っていると考えるのが自然だ」
茜鶴覇の話に思う節があるのか、圓月は押し黙る。
「圓月よ。風牙に会ったのはいつの話じゃ」
「大体……半月前だな。それからは会ってねぇ」
顎に手を置き、思い出しながら十六夜の質問に答える圓月。それ程前の話ではなさそうだ。
「やつは他に何か申しておったか」
「うーん」
圓月は十六夜の問いかけに、腕を組んで首を傾げる。そして「確か……」と呟いた。
「”探してくる”、とか何とか言ってたな」
「何をじゃ」
「知らねぇ。そこまで聞く前にあの野郎すっ飛んでいきやがったからな」
 二人の会話を聞きながら、茜鶴覇は湯呑を置いて史を見る。茶のお代わりが欲しいらしい。よく見ると、十六夜と圓月の湯呑も空に近かった。
「お茶を淹れてきますね」
史は一言断りを入れ、傍に置いてあった急須の乗った盆を持ちあげる。
「史さん、手伝います」
「あら、ありがとう。じゃあ一緒に行きましょうか」
相変わらず柔らかい笑顔を向けてくれる史に、薫子は実家のような安心感を覚えた。




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