桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第三十一話 蛇歌の来訪




 「では行ってくる」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、茜鶴覇様、圓月様、風牙様」
日が昇る直前の早朝、茜鶴覇達は桜の木の下に来ていた。史と薫子、そして十六夜は見送るために寝間着のまま外に出てきている。
 茜鶴覇が史と挨拶を交わすと、薫子を見た。
「念の為、私達が戻るまで結界から外には出るな。何かあればすぐに式神を飛ばせ。よいな」
「承知しました」
薫子が頷くと、茜鶴覇は十六夜と向き合う。
やしろは頼んだ」
「あい分かった」
袖の中で腕を組み、素直に返事をする十六夜。
 風牙はそれを一瞥いちべつすると、口を開いた。
「天界への扉を開く」
「おー、頼むわ」
圓月が頷くと、風牙は片腕を目の前に突き出す。そして良く通る声で言霊ことだま詠唱えいしょうした。
「風牙の名の元に、天現てんげんを結び給え。開門せよ」
そう唱えた瞬間、朱塗しゅぬりの鳥居が現れる。社の鳥居の様に向こう側が幕が掛ったように白く輝いていて見えない。
「んじゃ、行ってくる」
圓月は適当に手を振りながら鳥居の向こう側へ入って行く。
「俺達も行こう」
「ああ」
風牙は茜鶴覇に声を掛け、圓月の後を追った。
「……茜鶴覇様」
「すぐに戻る」
薫子と一瞬目を合わせると、それだけ言い残して鳥居の向こうへ消える。
 そして光の粒となって鳥居が消えると、朝日が社に降り注ぎ、そよそよと桜の花弁が揺れ始めた。

 「薫さん、今日は桜のお掃除の後、屋敷の中を手伝ってくれないかしら」
朝食後。いつもの様に掃除をしようと掃除道具入れの置いてある庭へ向かっていた所、廊下で呼び止められた。
「構いませんが、何かやる事でも…?」
「今ここはかなり無防備な状態だからねぇ…少しでも外に出てる時間を減らそうと思って」
史はそう言うと、寝癖がぴょんと跳ねた薫子の毛先を撫でつける。
「いいわね」
「承知しました」
薫子は毛先を見て少し頬を赤くした。朝はバタバタしていたせいでちゃんと直ってなかったらしい。
 史が去って行った後、薫子は台所へ向かう。裏の戸口を出ると、相変わらず鶏達が呑気に餌を突きながら鳴いていた。鶏小屋を横目に見ながら、その隣にある掃除道具入れから竹箒と手箕てみを取り出す。ふと空を見上げると、青空が広がっていた。快晴である。
 社の中は基本的に春の気候だが、外の世界はそろそろ梅雨が始まる頃だ。その内雨が続くだろう。薫子は気持ちよく晴れた空を見上げた後、桜の大樹へ向かった。

 半刻一時間程経った頃。
社の鳥居が白く一瞬光った。薫子が桜の木から顔を覗かせると、見覚えのある姿が立っている。向こうも薫子に気が付いたようだった。
「蛇歌様…?」
「おや、お前は……確か薫子、だったか」
そう言うと、髪をなびかせる蛇歌。薫子は箒を木に立てかけ、彼女の元へ走り寄った。
「どうされたのですか?」
「どうされたもこうされたも、呼び出したのは茜鶴覇だよ。…あやつはどこだ」
蛇歌は眉間にシワを寄せて腕を組む。
「茜鶴覇なら今天界へ出向いておる」
その時、何処からともなく少年の声が聞こえた。すっと蛇歌の後ろから現れたのは十六夜である。
「なんだい、もうそんな時期か」
「ああ、今回は長くなるぞ」
十六夜が言うと、蛇歌は「なるほどねぇ」と目を細めた。
現世うつしよが久方ぶりに騒がしいのは知っていたが…」
どこか苛立ちを含んだ声音で呟く。どうやら蛇歌も現世で起こっている事は博しているようだ。
「……全く、人使いの荒い男だこと」
口元に袖を当てて、蛇歌はケッと吐き捨てる様に言う。それを見た十六夜は「まあまあ」と適当になだめた。
 「……あの、茜鶴覇様はなぜ蛇歌様を呼んだのでしょうか」
薫子が話を掴めずにいると、蛇歌は呆れたように片眉を上げる。
「様なんて要らないよ、堅苦しい。茜鶴覇と違ってアタシはそんな高貴こうきな身分じゃないんだ」
「え、でも…」
「そうさねぇ、蛇歌ねえさんとでもお呼び」
少し楽しそうな蛇歌を目の前に、薫子は一気に断りづらくなった。仕方なく了承する。
 「……で、やつがアタシをここに呼んだ理由だったね」
蛇歌はくるくると自分の髪を指に巻き付けた。
「簡単さ。あいつが現世に戻ってくるまでの、社の護衛だよ」
「護衛…ですか?」
「そう。……アタシは護衛に向くような力はないつもりなんだけどねぇ。藁にもすがる状況なんだろう」
指に絡ませた黒い髪をパッと解いて言うと、十六夜が肩をすくめる。
「実際そうじゃからな」
蛇歌は少年を見て「…まあいいさ」と言ってのけた。
 「それより、良い茶を持って来たんだ。史に茶菓子でも出させな」
「お主も例に漏れず人使いが荒いのぅ、蛇歌」
ここでは十六夜の自由奔放が目立つのだが、珍しく彼が振り回されている。薫子は心の中で少し笑ってしまった。
「薫子もおいで。茶にしよう」
「あ、でも掃除があるのでわたしは遠慮します」
「なに?」
蛇歌は薫子の視線の先にある桜の花弁が落ちた庭を見る。
「……ならば私が手伝ってやろう」
そう言うと、蛇歌は指を一度鳴らした。その瞬間、水がひと固まりに集まり始める。蛇歌はある程度大きくなった所で、すいっと指を空中に滑らせた。指の動きに合わせて水の塊は質量を保ったまま、地面を這いずり回って花弁を取り込む。
(すごい…どんどん綺麗になっていく)
あちらこちらへ水の塊が転がり、次第にその色は桜の花弁で染まった。そして粗方綺麗になった後、蛇歌は置いてあった手箕の上で水を停止させ、もう一度指を鳴らす。バシャッと音を立てて水が崩壊すると、手箕の上には桜の花弁がどっさりと溜まった。
 「……これでよかろう」
腕を袖の中で組むと、少し自慢げに顎を上げる蛇歌。
「さあ行くぞ。案内あないせい十六夜」
満足げに笑う蛇歌に言われ、十六夜は呆れた顔でため息を吐きながら彼女を連れて屋敷へ入って行く。
 薫子は濡れた手箕を持って焼却炉へ向かった。張り付いた花弁を取るのは苦労したが、いつもの数倍早く終わったのは大きい。
(…茶を飲み終わったら史さんの手伝いをしよう)
薫子は手箕から最後の一枚を取り除くと、道具入れに箒と一緒に片付けた。薫子はそのまま、一旦前掛けを自室に置きに行くために屋敷の中へ入る。
 快晴だった空は、雲が掛かり始め、遠くには黒い雲が迫っていた。


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