桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第三十六話 地獄へ

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 「茜鶴覇あかねづるはの名の元に、地獄の門を開門せよ」
庭に出た茜鶴覇達は、桜の木の下に来ていた。雨が降っているせいで、足元には先程から更に桜が散っている。辺りには湿気を多く含んだ空気に乗って、土の濡れた匂いが漂っていた。空には重く分厚い雲が雨を降らせ続けている。
 茜鶴覇の詠唱で地面から現れたのは、黒漆で塗られた鳥居だった。朱塗りの物とは逆に、黒い闇が奥に続いている。不気味な門だったが、誰も怖気おじけづいては居なかった。
「よし、いっちょ乗り込むとするか」
首の筋を伸ばしながらにやりと笑う圓月えんげつ。確かに地獄へ乗り込むのは良くない事だが、こうも愉快そうにされると完全にこちらが悪の様だ。
 風牙ふうがは若干引いたような目で見る。
「お前、楽しんでいるだろう…」
「そりゃまぁ、久々に暴れられるかもしれねぇからな」
圓月はニシシと笑ったが、すぐに口角を下げて真剣な目つきになった。
「……つっても、第一優先は薫子だな。心配だってのもあるが、もし十六夜の言う通り、やべぇ儀式やろうとしてんなら止める必要がある。下手すりゃ天界と地獄がピーピー言い争う程度じゃ済まねぇ。それこそ世界が滅んじまう」
「そうだな…」
圓月はいい加減に思われがちだが、実際の彼は思慮深く、冷静で頭が切れる。その分冷酷な判断をする時もあるが、その根底には周囲への優しさがある男だ。横暴で唯我独尊ゆいがどくそんの精神で生きているあやかしが多い中、このような人格者は稀である。間違いなく長たる器を持つ者だ。
 「…私が先頭を行く。ついてこい」
茜鶴覇は鳥居の向こうを見据えて声を掛けると、迷うことなく不気味な闇の中へ走っていく。純白の髪が一拍遅れてさらりと入って行った。
「ったく、本当に今の茜鶴覇ひとりで行かせなくて良かったぜ。あいつの目見たか?地獄を燃やし尽くしそうだったぜ」
「ああ、らしくないな」
二人はそう言ってはいるが、口元には笑みがあった。そして同時に鳥居をくぐって行く。最後に一人残された武静ウージンは、黒い不気味な鳥居を見上げ、三人を追って中に飛び込んだ。

 鳥居を潜ると上から押さえつけられているような重圧と、炎の中に居るかのような熱、そしてとてつもない濃度の邪気に武静は立ち止まった。背後にあった鳥居は闇に溶けて消える。
 邪気は神には有害だが、あやかしにとっては神にとっての神力のようなものだ。圓月からしてみれば居心地は良いだろう。
 武静は即座に己の神力を体内に濃く巡らせる。中級心以下の神や神族達は、恐らくこの中で息をするのも困難だろうが、上級神に属する階級であればほぼ影響は出ない。内側から結界を張ることで邪気に冒されなくて済むのである。
 武静はふと周りの景色を見渡した。薄暗く果てしない暗闇が続き、地面は岩で出来ていた。至る所で炎が噴き出しては燻っているのが見える。炎の光に照らされた岩肌は不気味なほどに赤黒い。
 少し先で茜鶴覇達が居るのを見つけ、武静はすぐに近寄る。
「……なんつー熱と邪気だ。こりゃ生身の人間はひとたまりもねぇわけだ」
武静が三人の元に着くと、茜鶴覇達は下を見下ろしている事に気が付いた。どうやら岩の地面だと思っていたのは、巨大な壁だったらしい。いや、壁というよりは崖と言った方がよさそうだ。
 圓月は顎に伝った汗を手の甲で拭いながら下を見ている。そこには白装束しろしょうぞくを着た人間があらゆる罰を受けている所だった。所々に激しく燃え盛る炎が火の粉を吹き、地獄の熱を上げるとともに光源の役割も果たしているらしい。
 茜鶴覇達はぐるりと地獄全体を見渡す。中央に巨大な岩の城があり、それを取り囲むように地獄の業火が覆っていた。地獄はそれを中心に、反対側の壁が見えぬ程広がっている。目で測っただけなので正確には分からないが、神央国しんおうこくと同等、もしくはそれ以上に広い。
 「それで、俺達はどこへ行く」
風牙が全員に問うと、圓月が答えた。
「地獄の統領、閻魔えんまを引きずり出す。それ一択だろ。責任者を出せっつってな」
「理不尽な理由で暴れまわる人間の輩と同じ様な事を言うんだな」
「うっせーな」
風牙の突っ込みに顔を歪ませた圓月。茜鶴覇は目を細めて建物を見つめる。
「……いや、圓月の言う通り、閻魔を出すのが一番早い。今回の件、あやつが関わっておらぬとは考えられぬ」
「うっし、つーことは中央の城あの中に行って閻魔の野郎を攫って来ればいいのか?」
肩を回しながら翼を広げる圓月を、武静が静かに止める。
「お待ちください。そんな事をしては、十六夜殿が言っていた最悪の事態になりかねません」
「うっ、ごもっとも」
圓月は遠い目をして羽を収めた。茜鶴覇は少し考える様に視線を下げたが、やがて高くそびえ立つ城を見据える。
「直接、あそこへ行く」
「はあ?」
思わず大きい声を出した圓月。その隣で風牙も目を見開いた。
「しかし……地獄の番兵達が侵入を許すとは思えん」
「だから、やつらを蹴散らしつつ閻魔に『茜鶴覇が来た』と報告させる。いくら天界の階級制度に地獄が関わっておらぬとはいえ、この私をないがしろにする程やつはおろかではない。必ず姿を現す」
風牙にそう答える茜鶴覇。その目は居間で一瞬見た時よりかは幾分かましだが、それでも酷い目つきをしている。肝っ玉の小さい者が見たら、失神しそうなくらいには圧を感じた。相当いかっている。
 「良いのか?騒ぎになるぜ?」
「どちらにせよ、隠密して乗り込むのも不可能だ。ならば真正面から乗り込む」
圓月がそう言ったが、茜鶴覇は首を振る。
「危険だ茜鶴覇。俺達の身の安全の事じゃない。今後の世界が危うくなる」
真剣な面持ちで風牙が反論した。視線を伏せた茜鶴覇は口を開く。
「事が済めばいくらでも対処すればいい」
そして風牙達へ視線を流した。
「そもそも、地獄側が生きている人間を冥界めいかいへ引き入れている時点で、天界とのちぎりを破っている。だから私たちがその処理をしに来た。……それだけだ」
茜鶴覇はそう言うと、再び城へと視線を移す。その横顔は地獄の業火に照らされ、美しい顔が余計に不気味に映った。
「それはそうだが…」
 風牙が言葉を濁したその時、崖下で地獄の番兵達が騒がしくなった。その視線の先に居るのは茜鶴覇達である。侵入に気が付いたようだ。
「あーあぁ、気づかれちまったな」
圓月はにやにやと笑いながら、騒ぎ立ててミツバチのように飛び回り始めた番兵達を見下ろす。
「こうなりゃもう隠密どころじゃねぇ。一気に城まで抜けんぞ、反論は?」
そう言って圓月は武静を見た。武静は少し冷や汗を掻いていたが、仕方ないという顔で「ありません」と応える。
 地獄の番兵は数を成すと、翼を羽ばたかせてけたましい鳴き声を発しながら襲い掛かってきた。
「無礼な」
茜鶴覇は目の前に飛び上がってきた番兵達に手のひらを向ける。
「どけ」
その瞬間火炎かえんが一直線に噴射され、地獄の番兵たちは黒い霧となって霧散した。
「我が名は茜鶴覇、さっさと出てこいと閻魔に伝えよ」
次々に下から飛び出してくる地獄の番兵に名乗ると、茜鶴覇は崖から飛び降りる。それに続いて圓月たちも各々飛び出したのだった。


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