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第一章
第四十一話 最悪の事態はすぐそこに
「こちらです」
閻魔は全員が廊下に出たことを確認すると、城の中を歩き始めた。石造りの壁に床は木材、光源は廊下に一定の間隔をあけて蝋燭台の棚が置かれている。薫子は城の中を見渡しながら最後尾を歩いた。居間に通された時も思ったが、やはり不思議な造りである。強いて言うならば、現世に存在する世界各国の特徴が組み込まれている感じだ。
薫子は壁の造りや時折ある異国情緒溢れる扉などを観察しつつ、足早に武静の一歩後ろを着いて行く。武静は何も言わないが、薫子が集団からはぐれない様に歩く速度を調節してくれているようだった。
(申し訳ない)
薫子は集団に置いていかれないように歩くことに集中する。
すると、先頭付近に居た茜鶴覇が肩越しに振り返った。
「薫子、私の隣へ」
「は、はい」
急に呼びつけられた薫子は、小走りで茜鶴覇の隣へ向かう。
「……懺禍が居る手前、何が起こるか分からぬ。集団から離れるな」
茜鶴覇はそう言って薫子を見下ろした。特に拒否する理由もないので、薫子は大人しく頷く。
閻魔の道案内に従って歩いていると、巨大な石造りの門がある部屋に辿り着いた。見張りの番兵が部屋の中に六体程いる。勿論部屋の前にも見張りが居た。
石の門は、茜鶴覇達が天界を行き来する時に通る鳥居のような造りをしていて、結界のような幕が張られている。その先は真っ暗で何も見えない。
「ここから先は地獄の最下層。業火の間です」
閻魔はそう一言挟むと先に入って行く。その後を追って入って行くと辺り一面火の海となった場所に出た。
「あっちーな…」
圓月は顔を歪める。薫子も外套で顔を覆った。
(確かに、熱い)
流石に神力や邪気を含んだ妖力を纏う茜鶴覇達と言えど、これだけの熱に囲われると辛そうである。薫子は外套を被っているので『熱い』程度で済んでいるが、もしこれを羽織っていなければ今頃体内の水分ごと蒸発しているかもしれない。
「ここの炎は、上にあった炎とは比べ物にならない火力を誇ります。悪事を働いた者は罪の大きさに応じて、気が遠くなる程長い時間この業火に焼かれ続けるのです」
閻魔はそう説明しながら炎の中に道を作り出し、先頭を歩いて行く。辺り一面業火に囲まれた空間は、時折刑罰を受けている者の叫び声が木霊していた。
暫く進んでいると、激しく燃え盛る業火が見えてくる。メラメラと燃える炎は、この空間の何処よりも大きく揺れていた。
「ここが、懺禍の業火です」
閻魔は火の元で足を止める。
「確かにこれはやべえな。中が見えねぇどころか、看守だって燃えちまうぞ」
圓月はそう言いながら、時折飛んでくる火の粉を翼で吹き飛ばした。
「そうなのです。元々監視をしていた番兵がその強大すぎる火力の前に灰となって以来、看守の番兵は少し離れた場所で見張らせていました」
閻魔と言えど流石にこの業火の勢いは辛いのか、汗が吹き出ている。だが逆に言えばこの程度で済んでいる辺り、地獄の番兵達との格の違いが計り知れる。
「こんな事なら蛇歌でも連れて来るべきだったな」
冗談交じりに圓月が呟くと、風牙は首を横に振った。
「名を己の中に封印しているという事は、それは即ち力の封印を意味する。今の彼女の力では一時的に炎の威力を落ち着かせる程度にしかなるまい。暫くすればきっと元に戻ってしまう」
「だよなぁ。炎には水って安直な考えは捨てるしかねぇか」
諦めたように圓月はため息を吐く。しかし圓月の言う通り、炎に水を掛けて消火するという方法は単純で強力だ。それが使えないとなると少々厳しい。雪女である六花も、流石に燃え盛る地獄の業火は凍結できないだろう。
「どーすんだ茜鶴覇。この炎、そんじょそこらの水じゃ蒸発して終わりだぞ」
「……」
茜鶴覇は薫子に向かって伸びた炎を風で吹き飛ばし、炎を見上げる。ゆらゆらと揺れながら火の粉を撒き散らすそれは、まるで何かの生き物の様だ。
「水が効かぬのならば、火で制す。それだけだ」
茜鶴覇はそう言いながら薫子を後ろへ下げる。圓月は意味が分からんとでも言いたげな顔で「はあ?」と声を漏らした。
「火で制すって……お前これ、地獄の業火だぞ」
「知っている」
茜鶴覇は淡々と答え、炎へ寄って行く。
「目には目を、歯には歯を。そして」
右の手のひらを炎に向け、茜鶴覇は己の火炎をその腕に纏わせた。
「炎には炎を」
そう言った瞬間、ゴオッという凄まじい音を立てて業火が揺れ動く。血のように赤く燃えていた炎が、茜鶴覇の炎に飲み込まれていった。
「あいつやりやがったなッ」
圓月は咄嗟に立ち尽くす薫子の腕を引き、自身の翼の後ろへ庇う。熱風が勢いよく走り抜け、近くの炎までもが激しく反応した。
(なんて熱……)
乾燥していた空気が更に湿度を失っていく。肌から水分が抜けているような感覚さえあった。他の者達もその熱の勢いに、体を硬直させて身構えているのが見える。
「茜鶴覇ァ!早くしろ…全員死んじまうぞ‼」
圓月が叫ぶと、茜鶴覇は更に炎の勢いを上げた。右腕に纏っていた火炎は朱から青へと変わっていく。
やがて業火は激しく火の粉を吹き上げながら勢いを殺していき、完全に青に染まる。茜鶴覇はそれを目視で確認すると、手のひらをグッと握りしめた。
「やべぇ…ッ」
目を見開いた圓月は炎に背を向けて薫子を覆うように抱きしめる。その上から更に自分の翼で覆った。風牙は全員を守るように風の防壁を張り、辿李と六花は協力して巨大な氷の盾を出現させる。巨体の嶄と閻魔は、近くに居た者達を庇う様に立ちはだかった。
次の瞬間、巨大な破裂音と共に氷が水に戻る間もなく蒸発する音が薫子の耳に勢いよく飛び込んだ。キーンという耳鳴りが鳴り、思わず耳をふさぐ。信じられない程の熱風が嵐のように吹き荒れた。水蒸気と圓月の翼によって視界は完全に閉ざされ、薫子は目をぎゅっと瞑る。
暫く全員がそのままで硬直していたが、場が落ち着いたことを確認すると圓月は薫子を解放した。そして大きな翼で蒸気を翼で吹き飛ばす。白い霧が無くなった辺りを見て、薫子は驚愕した。
「……業火が、消えた」
さっきまで激しく燃え上がっていた業火は、黒い灰を残して消えていた。煙が立ち上り、プスプスと燃え残りが燻っている。
茜鶴覇を見ると、右腕の狩衣が燃え落ち、腕の皮膚が爛れていた。大怪我である。
(早く手当を…)
薫子は茜鶴覇に近づこうと一歩近づいた。
「来るな、薫子」
茜鶴覇は振り向くことなく声を掛け、何もない灰の中を歩き始める。
そう、何もない中を。
「……懺禍は、どこだ」
辿李が目を見開いて呟く。そこで薫子もハッとした。
(そうだ、あの中には懺禍も居たんだ)
混乱していた頭がやっと落ち着いてくる。もしかしたら今の炎で燃えてしまったのかもしれない。そうだとしたら、かなりまずい事態だ。第三者の手で地獄に落ちた者を殺すとなった場合、その魂は輪廻を外れる事になる。それに、今までの事件についての情報を聞き出せなくなってしまったのもかなり痛い。薫子は状況把握をして冷や汗を頬に垂らす。
「……」
茜鶴覇は灰の中央まで行くと、その場に片膝ついてしゃがんだ。そして灰を触る。
「……閻魔」
「はい」
閻魔は眉間にシワを寄せ、青い顔で返事をする。
「数日前から業火が燃え盛ったといったな」
「ええ、仰る通りです」
「高笑いが消えたのも、その時期と言ったな」
「……ええ、仰る通りです」
全員の頭に予期せぬ説が浮上した。それは絶対に在ってはならない事。起こさせてはならない事。しかしもう既に、事は起きてしまっている。
(そんな、まさか)
誰もが同じことを察し、血の気の引いた顔で立ち尽くした。茜鶴覇はゆっくりと立ち上がる。
「懺禍は、ここにはいない。もう既に地獄から脱獄している」
珍しく焦ったような声音でそう発言した茜鶴覇に、閻魔は口を開いた。
「そんな、そんな馬鹿な。ありえぬ…一体どうやって」
その答えを言わず、茜鶴覇は目を伏せる。その視線の先には燃えた灰が煙を出していた。
「……もうひとつ、懺禍とは別に何者かの力の痕跡がある。だがそれすらも業火が燃やし尽くしてしまい、あやかしの物か、それ以外の物かは判断ができぬ」
(ということはつまり)
脱走を手助けした何者かが居るという事だ。しかし、業火の炎と番兵の監視を回避しながらここまでたどり着くには、十中八九人間にはできない。そうなると、自然と人外に容疑が降りかかるだろう。燃えた肉片等が見当たらないという事は、恐らく懺禍と共に既に地獄を離れていると思った方がいい。
閻魔は血管が浮き出る程力んで拳を握りしめた。
「よりによってヤツを…‼最悪だ」
閻魔は怒りが滲む声音で呟く。
その時。
「風牙…?」
ふらふらとした足取りの風牙が灰の中へ足を踏み入れた。圓月が違和感を感じて呼びかけたが、瞳孔を開いて歩き続ける彼には全く聞こえていないようである。
「おい、風牙!」
圓月は薫子の傍を離れ、風牙に走り寄って肩を掴んだ。
「急にどうしたってんだ」
「……るんだ」
ぼそりと呟いた彼は、その場に膝から崩れ落ちる。
「分か……るんだ。俺達は、兄弟だから。弱くなろうと灰になろうと、俺はあいつの魂の気配を間違えたりしない」
灰を握りしめ、大量の汗を流す風牙。それを見下ろしていた圓月は、更に青ざめる。
「おい。待てよ、まさかお前……」
顔が強張った圓月は、風牙が言わんとしている事を察しているようだった。
「…嘘だと、嘘だと言ってくれ。頼むから、お願いだから……ッ」
汗と共にボタボタと大粒の涙が零れ落ち、灰が湿っていく。その涙の後すらも業火の間は蒸発させていった。
風牙は灰を力強く握りしめる。
「嘘だって言えよ‼爪雷ッ」
悲痛の声で叫んだその名前を、薫子は知っていた。それは風牙の兄弟であり、伍将殿下であり、茜鶴覇達の旧友である男の名である。
薫子は思わず口を手で覆った。そこに居た誰もが言葉を失う。聞こえるのは業火の燃える音と、罪人の叫び声だけだった。
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