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第二章
第二十二話 敬愛すべき人
「薫さん、新しくお茶とお菓子を取りに行くからお手伝いしてくれる?」
蛇歌との会話が一段落した所で、立ち上がった史が薫子に声をかける。よく見ると机に置いてある湯呑の茶は全て、既に冷めきってしまっていた。
「はい、お供します」
薫子はそう返事をし、蛇歌に一言声を掛けてから史と共に居間を離れる。台所に二人で立ちながら何気ない話をしつつ、茶の用意をしていると、湯を沸かしていた史がふと口を開いた。
「……何も、聞かないのね」
「え?」
薫子は茶葉を測っていた手を止める。
「私の素性とか、色々と」
史は少し言いづらそうに答えた。薫子は社が襲撃された時の事を思い出す。
クナイを構え、老婆とは思えぬ身のこなしで地獄の番兵と渡り合っていた史。その姿はまるで、忍のようだった。
(史さんが只者でない事は知っていたけど、まさか本当に只者じゃないとは)
予感がこうも的中すると、逆に驚きは薄い。薫子は止めていた手を再び動かした。
「……無理やり聞くつもりなかったので聞きませんでした。私がここに居る経緯が複雑なように、史さんにも史さんなりの事情がお有りなのでしょう」
そう言うと、すべての急須に茶葉を入れ終わった薫子は振り返る。
「それに私にとって史さんは史さんです。今更貴女が何者かなんて、私にはどうだっていい」
「薫さん…」
薫子の発言に史は一瞬目を見開いたが、どこかホッとしたように微笑んだ。その姿を見て薫子も微笑みを浮かべる。シワだらけの凛々しく強い老婆が、初めて年相応の小さな女性に見えた。
「私はね、神来社の家の長女だったの」
「えっ」
暫しの無言の末、手分けして茶の支度をしていると、史は突然とんでもない事を言い始めた。薫子驚いてはピタリと動きを止める。
「神来社って、三大神族の神来社家ですよね」
「ええ。その通りよ」
史はコロコロと笑いながら肯定した。
(ということは、伊吹の血縁だったのか)
歳的には叔母、もしくはそれに準ずる位置に二人が居るのかもしれない。
「とはいっても、私が家を出たのは七百年ほど前の事。今の神来社家とは、殆ど繋がりが切れているわ」
「………なんですって?」
(七百年っていったか、この人)
史はポカンとしていたが、薫子が何に驚いているのか察したらしく、口元に手を置いて笑った。
「ごめんなさい、ここについての説明をまだ全部話していなかったわね」
老婆はすっかり抜けていたと言わんばかりに謝ると、湯を入れた急須を盆に乗せる。
「この社全体には防壁の為の結界だけじゃなくて、他にも特殊な膜が何層も貼られているの」
「結界、ですか」
薫子が知っているのは、茜鶴覇の結晶を持たねば通れぬ結界のみである。
「その結界の影響で、外界との時間に差が生まれるの」
「差……?時の進み方が違うのですか?」
「ここが少し難しい所でね…。私も詳しく仕組みを聞いたわけではないから憶測も入るのだけど、恐らく時間の進み方が違うというより、結界内にいる人間の老いが急激に遅くなるみたいなの」
(老いが遅くなる?そんな事が本当に起きるのか…?)
色々と突っ込みたい所だが、神の住まう場所である以上、何が起こっていても不思議ではない。
「ざっくり話すとこういう理由ね。だから社にいると自然と長生きしてしまうのよ。特に私が特別な人間だとかそういうことではないわ」
「……なるほど」
結界仕組みは兎に角、これで史が長く生きていた理由はわかった。薫子は少し遠い目をしながら湯を注ぐ。
「当時の私は自由がとにかく恋しくて、家が大嫌いだった。だから逃げだしたの。逃げた先で保護された場所が、後に身を置く事になる忍びの里だった」
史はそう語りながら、薫子から渡された急須に蓋をした。そして美しい所作で盆の上に並べる。
「幸い才能には恵まれていてね。修行をつけてもらってそのまま忍になったの。……そして事の始まりは私が18になった歳の冬。殿を担っていた私は敵に捕らえられ、そのまま生贄の供物として捧げられてしまった」
それを聞いて薫子は目を見開いた。
「もしかして、その相手は…」
「ええ、茜鶴覇様よ」
史は話している内容とは逆に、明るくコロコロと少女のように笑う。
「私は薫さんと同じで、ここに生贄として捧げられてきたひとりなの」
(それは予想してなかった)
先程まで、どうして社に滞在することになったのだろうと思考を巡らせていた薫子だったが、流石にそんな予想はつかなかった。
「茜鶴覇様は外界へ帰してくれると言ってくださったけど、殿に失敗した私は恐らく死んだものとして扱われている。帰る場所なんてもう無かった。だからここに残ることにしたの」
最後の急須を薫子から受け取り、蓋を閉める。薫子は土瓶を鍋敷き板に置いて口を開いた。
「じゃあ皆さんとは長い間共に居たのですね」
「そうなるわね。茜鶴覇様方にとっては、短い時間かもしれないけれど」
盆を新しく出した史は、棚から羊羹と饅頭を取り出す。薫子は食器棚から小皿を取り出そうとしたが、史に「大きなお皿に乗せちゃいましょ」と言われ、別の皿を取り出した。
「でもこれだけ長く一緒に居るとね、なんとなく茜鶴覇様方が何を思っているのかわかるようになったの」
「何を思っているか…」
「ええ」
羊羹を軽い包丁さばきで切っている史。薫子は饅頭を皿に並べながら復唱する。
「例えば、どうして薫さんを皆大事にしたがるのか……とか」
「えっ」
思わず饅頭を落としかけ、間一髪のところで受け止めた。
「私、ですか」
「どうしてだと思う?」
クスクスと笑う史に、薫子は首を傾げる。
「さあ……。生まれ変わりなのに記憶がないのが珍しい、とか」
「貴女は自分を珍獣か何かだと思っているの?」
「言ってて私も虚しくなったので撤回します」
薫子はスッと遠い目をして無かったことにした。史は「あらあら」といって羊羹を皿に乗せる。
「理由はそんなに難しいことじゃない。皆が薫さんを大事にしたがる理由は、きっと貴女のその優しさと居心地の良さだと思うの」
「私の優しさ、ですか」
(特別優しいつもりは無かったんだけど)
納得できないと言わんばかりの顔の薫子。それを見て笑った史は、すっと暗い顔をする。
「……貴方は自分で思っている以上にお人好し。その優しさに、この世界は容赦なく牙を向ける」
急須から立ち登る湯気を見つめて、史は静かに呟いた。薫子は彼女を横目に見て饅頭をそっと並べる。
(牙…かぁ)
薫子は残りの饅頭を並べながら、史の言葉を心の中で呟く。
大して自身の優しさなど気にした事も無かったし、これが普通だと思っていたので、今更お人好しと言われてもピンとは来ない。もし薫子が知らぬ内に周囲に優しさなどというものを振りまいているのだとしたら、それはもう親譲りなのだろう。
(確かにうちの両親も村ではお人好しと言われていた)
見て育ってきた背中で人は決まるというが、薫子の場合は両親の色が濃く出ているらしい。
「……私は別に優しくしようと思ってしているわけではありません。強いて言うなら史さん達を大事にしたいと思って日々を過ごしているだけです」
綺麗に饅頭を並べ終えた薫子は、さっと手を洗って粉を落とす。
「もしもそれで世界とやらが私に牙を向くのなら、きっと私に嫉妬してるんでしょうね。私の周りには、敬愛すべき人が多すぎるから」
そう言うと史は驚いたような顔をしたが、やがてクスクスと口元を押さえて笑った。
「そういうところが私は大好きなのよ、薫さん」
「恐縮です…」
史はどこかすっきりとした表情で盆を持つ。薫子は饅頭と羊羹の乗った盆を持って軽く頭を下げた。
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