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第二章
第二十四話 垣間見る日常
薫子が居間に戻ると、夢幻八華と十六夜が菓子に夢中になっている間に、史が無駄のない所作で茶を淹れはじめた。いつの間にか夢幻八華と十六夜の騒がしさに雀梅と辿李が混じっている。
「ほれほれ食わねば大きくなれぬぞ」
「うるッッせぇ!!もう十分俺はでかい!つーか雀梅テメェ肩押さえてんじゃねぇ離せ!!」
「まあそういうなよ土蜘蛛、食えって」
「それてめーの食べかけッ、フゴッ」
「辿李、雀梅のも分けてやる」
「フガッフゴフゴッ!!ンンンッ……ンーーッ」
何が始まっているかというと、饅頭をひたすら口に詰め込まれている。辿李が。
「いい年して餓鬼イジメてんじゃないよ」
「フゴフゴッ…!!フガッフガッフンガァッ」
茶を啜りながらそう言った蛇歌に、辿李は指を指しながら何やら怒っている。どうやら餓鬼という単語に反応したようだった。
「食いながら口を開けるのは行儀が悪いぞ辿李」
「まずそれ以前の話では?」
どこか抜けた注意をする風牙に、火響が思わず突っ込んだ。その下りを聞いていた虎文が思わず吹き出して盛大に笑い転げる。その直後ちゃぶ台に脛をぶつけたらしく、屍のように静かになった。あまりにも間抜けな一部始終を見ていた嶄は、まるでナメクジでも見るかのような視線を送っている。
「威厳ってなんでしたっけ」
薫子がそう呟くと、隣に座っていた武静が面目ないと言わんばかりにげっそりとして呟いた。
「…少なくとも、今ここには存在しないものですね」
「…重症ですね、それは」
「言わないでください。自覚したくないので」
すると、面倒くさそうに喧騒から離れてきた飛竜が武静の隣に座り込む。
(参ってるんだな。この人達も)
これじゃあ本当にどちらが主なのかわからない。
「しかし、これはいつも通りといえばいつも通りの状況なのです。懴禍の騒動がなければ、これが延々続いていたはずですから」
そう言いながら傍らに膝を着き、懐紙に乗せた饅頭と羊羹を薫子に差し出す六花。薫子はありがたく羊羹を頂く。
(そうか、そりゃそうだよな)
本来ならばこれが当たり前。その事実に薫子は改めて状況の悪さを実感した。
その夜。会議を中断させ、夕食と風呂を済まして各自散った後、薫子は縁側に腰を掛けていた。雲が多いのか、月が歪に欠けて見える。
(なんだか色々とあったな)
小さく溜息を零しながら、肩に掛けた上掛けを羽織り直す。
地獄から戻って己を知り、過去を知り、今を知った。そして史や圓月の話を聞いて、自分がいかに恵まれた立場であるかを思い知る。
(願わくば、皆が幸せにならん事を)
柄にもない願い事をしながら月を見上げたが、運悪く月光は完全に姿を隠してしまっていた。真っ暗な空に、ぼんやりとした光だけが広がっている。
(縁起でもない)
ムッとしながら空を見上げていると、優しい老女の声が聞こえた。
「薫さん?」
「あ、史さん…」
薫子が庭を見ると、湯殿に繋がる道に寝間着に上掛けを掛けた史の姿がある。
「どうされたのですか?」
「脱衣所に忘れ物をしてしまって…」
物忘れが最近ちょっと出てきてねぇ、と笑って見せる史。彼女の記憶力は常人のそれを超えているので、多少物忘れがあった方が人として丁度良いのではと薫子は静かに思う。
(絶対言わないが)
「薫さんこそ、眠らないの?」
史は薫子の隣に腰を掛けると、優しく訊ねた。
「地獄から戻ってまともに休んでいなかったでしょう?眠らないと体力だって回復しないわ」
「ええ、一度布団に入ったんですけど…」
(色々考えてたら眠れなくなったんだよなぁ)
待てども待てども寝付けなかったので、こうして夜風に当たっているのである。
「眠れなかったのね」
察したのか、史はそう呟いて薫子と同じように月を見上げた。
「疲労が一周回って覚醒してしまっているようです」
体は疲れているのだが、脳みそがはっきりとしている。とても変な気分だった。
史は「あらあら」と笑い、薫子の頭を少し撫でる。その穏やかな顔を見て薫子は圓月を思い出した。
「……史さんは」
「あら、なにかしら」
首を傾げて応える史。薫子は少し視線をずらした。
「史さんは、前世の記憶…ありますか?」
そういうと、ピタリと彼女の動きが止まる。そして薫子の頭を撫でていた手を降ろした。
「圓月様に聞いたのね」
「……はい」
史は薫子の返事を聞くと空を見上げる。相変わらず雲がかかり、薄暗い月光がぼんやりと発光していた。
「私の記憶はとても断片的な上に、曖昧な物が多いの。きっと人によるのでしょうけど、私の場合霧が掛かっているようにしか記憶が無いわ」
「じゃあ殆ど覚えていないのですか?」
体を史に向けて訊ねるが、老婆は困ったように微笑んで見せる。
「…ええ、残念だけれど」
「そうですか…」
(やはりそう上手くはいかないか)
頭の良い史のことだ。圓月に関わる事を覚えているのなら、何かしら行動しているはずである。それが無いという事は、もう言うまでもないだろう。
「だけど、一つだけ。ぼやけているし断片的ではあるけれど、とても心が穏やかになる記憶があるの」
史は膝の上に重ねて置いていた手を見つめた。シワシワで骨ばった手の甲をゆっくりと擦る。
「これだけは歳を重ねても覚えているわ」
「大事な思い出とかですか?」
薫子が訊ねると、史は少し笑って頷く。
「名前も匂いも声も。何一つ鮮明に思い出せない。それでも胸がぽかぽか暖かくなるの。そんな人が居た。……きっと私はその人を愛していたのね。霧の掛かった記憶の中で、満月のように温かく優しい笑顔。それだけが私の中に残っている」
それを聞いて薫子は目を見開いた。
(もしかするとそれは圓月様なのではないだろうか…)
記憶はなくとも、想いは受け継がれているかもしれない。
しかしこれを圓月に伝えた所で、きっと彼は身を引くのだろう。薫子がそうであるように、史もまた、今を生きる別の人間なのだから。圓月はそういった他人の心の在り様を読み取るのが得意である。彼はガサツに見えて、本当はとても繊細で心優しい男なのだ。薫子から見ても、一般的なあやかしとは似ても似つかない人格だと言える。
(圓月様は多分史さんの生き方を尊重する。あの様子じゃこの人が死ぬまで何も言わない)
モヤモヤとした感情を胸に押し込め、薫子は口を開いた。
「その想い、とても大事なものなんですね」
「ええ。唯一私に残った、幸せだと言える前世の記憶だからねぇ」
少し照れたように笑う史は、少女のように見える。
薫子は本当のことを言えぬもどかしさと悔しさで目線を下げてしまった。
「どうかしたの…?」
笑みを消し、心配そうに顔を覗き込んだ史と目が合う。
「…いえ、なんでもありません」
薫子は首を振って視線を上げた。
「夜遅くに引き止めてしまってすいませんでした。そろそろ床に着きます」
「いいえ。話しかけたのは私だから気にしないで。私もそろそろ部屋に戻るわ」
よいしょと声をかけて立ち上がると、自身が履いていた草履を持って縁側に上がり、薫子と向き合う。
「じゃあ、また明日」
「はい、おやすみなさい。良い夜を」
史はふわりと笑って薫子の頬をひと撫ですると、そのまま自室へ向かっていった。その後ろ姿を見送り、薫子は再び歪な形の月を見上げる。
雲の間から僅かに見える月の肌。差し込む月光は、季節の概念が消えた庭に降り注ぐ。心地よい春の風が、葉の間を滑るように潜り抜け、薫子の髪をさらりと揺らしていった。
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