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第二章
第二十六話 亜我津水尊
昼餉を取り、四方八方に散開していった神達を見送ると、薫子は自室へと戻った。社には今十六夜と夢幻八華、そして圓月達あやかしが残っている。少数で結界を貼りに行ったのは、恐らく社が無防備にならぬようにするためなのだろう。予想外の事が起きたとはいえ、前回十六夜と蛇歌の守護だけでは事を乗り切れなかった。それを踏まえてのこの人選らしい。
薫子は申し訳ない気持ちになりながら、今起きている事を自分なりに頭で整理することにした。そしてふと思う。
(地獄から戻ってすぐに行動を開始したけれど、はたして間に合うのか)
爪雷はもうずっと前から色々と準備していたのだろう。神器の事もそうだが、色々と計画されている。今から対策をしたとして、次の動きまでに間に合うのかは微妙な所である。
(とはいえ、本当に爪雷様が神器を盗んだかどうかはわからない)
三つ目の神器については結局話が流れてしまって聞けなかったが、一つ目と二つ目の神器の常識外れさを聞くに同等の物だろう。そんな神器が見張りも封印も無く保管してあるとは思えない。いくら雷神とはいえ、手にするのはそう簡単ではないはずだ。
(とりあえず、伊吹さんにこの事を伝えておくべきかも)
三大神族ともなれば神器について既に知っているかもしれないが、念の為情報を共有しておきたい。
薫子は文机に向かい、引き出しから紙を取り出す。その際、折りたたまれた紙がカサリと音を立てて膝の上に落ちた。薫子は大事そうに拾い上げて開く。そこには「薫子」と流麗な字で綴られていた。式神を出す手本を見せてもらった際に、茜鶴覇から送ってもらったものである。
(私には貴男に返せるものが少ない)
薫子はゆっくりと紙を撫で、瞼を伏せた。
(だけど、それでも貴方は私を求めてくれる)
桜の木の下で茜鶴覇は薫子を守ると、愛すると誓ってくれた。そして圓月も、己に素直になっても良いと背中を押してくれた。
(覚悟は決めてる。だけど今は言うべき時じゃない。目の前に集中しないと)
それはそれ、これはこれ。現世がめちゃくちゃになってしまえば、恋情を抱いている暇は無い。この社の者たちや家族、村の人々の為にも非力な力を有効的に使う方法を導き出すべきである。
薫子は新たな覚悟を決めて紙を丁寧に折り畳み、大切に引き出しへと仕舞い込んだ。
式神を飛ばし終えた薫子は障子を開けて部屋の空気を入れ替える。段々と太陽の位置が傾き始めた庭から、銀木犀の香りが室内へ流れ込んだ。状況の整理や文の内容を悶々と考えている内に、どうやら相当時間が立ってしまっていたらしい。橙色の日光で目が少し眩んだ。
(え?)
いつもの景色が広がる中に、ひとつ見覚えのないものが見える。薫子は硬直する体をなんとか障子の裏に隠して外を伺った。
夕日に反射する美しく長い金髪を高く結い上げ、シャランと揺れる簪を挿した人影が、静かに銀木犀を見上げている。女物の着物を着ているが、上背と肩幅を見る限りあれは男だ。側面に深く入った切れ込みが時折風に揺れ、白い足が見え隠れしている。なんだか見てはいけないものでも見ている気分だった。
「……」
(しまった)
視線を感じたのか、女装をした男は振り返る。薫子は思わず目を合わせてしまった。
「やだ、ごめんなさい。女の子の部屋の前ではしたなかったわね」
驚く薫子を見て、口を抑えつつ謝罪を入れた男。その仕草はその辺にいる女子よりも可愛らしい。
「…あら?貴女もしかして、最近社に来たのかしら。ここの氣が馴染んでないように見えるけど」
男はそう言うと縁側まで近寄り、美しい所作で腰を下ろして足を組む。あまりにも自然に接してくるので、警戒している薫子がおかしいのかと思い始めた。
「……少し前からここでお世話になっております」
「そうだったのねぇ。…あ、私は亜我津水尊って言うのよ。宜しくね。よければお嬢さんのお名前を聞かせて?」
亜我津水尊はまるで茶屋の娘のように薫子へ気さくに話しかける。
この男、人の姿をしてはいるが、そろそろ薫子にもある程度予想はついている。恐らく彼は、夢幻八華の時と同じくやんごとなき身分の人外である。
「薫子です」
ひとまず恭しく頭を下げて挨拶を交わした。亜我津水琴は笑って「やあね」と手をひらひら振る。
「そんなに堅苦しくしなくてもいいわよ。私のことは亜我津水って呼んでちょーだい」
(呼べるか)
天上の人を呼び捨てにするなどできるはずがない。
何を言ってんだという顔でニコニコとする亜我津水尊を見下ろしていると、廊下の曲がり角から火響が顔を出した。
「薫子さん」
そう呼んだ後で亜我津水尊の姿を見た火響は、わかりやすくその眉を寄せる。
「なんでもう居るんですか」
「あらあら、随分な言い草じゃない。子狐ちゃん」
火響はクスクスと笑う亜我津水尊を無視し、薫子の元へとやってきた。心底関わりたくないと顔に書き殴ってある。
「たった今、残りの守護神がここに到着したので呼びに来ました」
「い、今ですか?」
国での処理があるからまだ来れないと予想していたのだが、随分と早い到着である。
「居間で史さんが茶を用意しています。お早めに」
「承知しました。すぐに参ります」
薫子の返事に小さく頷いた火響は踵を翻した。しかし、振り返った先にはいつの間にか亜我津水尊立っており、至近距離でふたりの目がかち合う。
「なんのつもりですか?」
「簡単に後ろを取られちゃ駄目よ、火響」
相変わらず女性を思わせる淑やかな所作でクスクス笑う亜我津水尊。火響は呆れたような、うんざりしたような面持ちで舌打ちをする。
(おお、こわ)
綺麗な顔をしている分、凄むと恐ろしい。
火響はひとつため息をつくと、改めて亜我津水尊へ口を開く。
「……とりあえず、貴方も居間へ向かってくれませんか」
「わかってるわよ。今から行くわ」
そう言うと、くるりと背を向けて薫子の部屋の前から立ち去った。その背中を見送り、薫子は火響を見る。
「あの方が苦手なのですか?」
「そう見えますか?」
(顔に書いてあるんだってば)
ゲッソリとした顔色の火響にそう突っ込みそうだったが、なんとがぐっと耐え、薫子は「まあ…」とだけ答えた。
「一応苦手でも嫌いでもありません。ですがあの方はからかうのが生き甲斐な部分がありまして」
(十六夜様かよ)
他人を弄り回すことが生き甲斐とは、大変良い趣味である。やんごとなきお方達は似たような生態をしているのかと薫子は遠い目をした。
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