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第二章
第二十八 岩神と火神
しおりを挟むここよりも広い部屋は一つ存在する。だだっ広い正面玄関の眼の前の部屋だ。そこは板張りの空間で、上段の間があるだけの至って普通の謁見室である。とはいえ、一つ一つの装飾は見る者が見ればひっくり返るほどの高級品だ。そこは流石である。
薫子は史と共にその部屋にやってくると、人数分の座布団を出して並べ始めた。いつ帰ってくるかはわからないが、ひとまず蛇歌の分の座布団も並べておく。
「薫さん、もう大丈夫よ。みなさんを呼びに行きましょうか」
「はい」
軽く掃除し終わると、史は立ち上がって薫子を連れて部屋を出る。居間へ行く道すがら、史は色々と話題を出してくれた。
「亜我津水尊様と岳詠穿様が茜鶴覇様と同じ守護神だってことは教えたわよね」
「ええ。守護神は茜鶴覇様を含め三名。これで揃ったって事ですよね」
頷くと、史は「そうよ」と微笑みながら答える。
「本当なら守護神は現世で一箇所に集うべきではないの。力が集中してしまうと、どうしたってそれをよく思わない者や、逆に好機と捉える者が出てきてしまう」
(……力の均衡ってやつかな)
確かにこの世界には大きな大陸が四つ存在する。それぞれ巨大な都が有り、独自の文化があるらしい。文化とは天上人への認識だったり、意識も含めてだ。村の祭祀が言うには、薫子達が今いるこの大陸が一番神と人の距離が近いらしい。他の大陸や国では滅多に姿を人目に晒すことは無いということだろう。だから他国では神の存在は不確定なものとされている。やはりそれぞれの大陸で、神々の間の決まり事や暗黙の規則のようなものがあるようだ。
そんな中、大陸の謂わば統括者が一つの場所に集ってしまえば、力の均衡が崩れてしまうに決まっている。神だけではない。あやかしとて強者のいない時が一番の暴れ時なのである。
(だけど今はそんな事言っていられない状況)
懴禍は神央国のあるこの大陸を拠点としている。今に限っては背に腹は代えられないという感じだ。
「問題が起こらなければいいですけど…」
神殺しの実の影響がどこまで広がっているのかはわからない。もし他の国でも広がっているとしたら、それぞれの場所であやかしが暴走しているかもしれないのだ。
「それは大丈夫だと思うわよ」
「そう、なんですか?」
思ったよりも軽く答える史。薫子は首を傾げた。
「さっき後のことは任せてきたって二人共仰っていたでしょう?」
「はい、そうですね」
「それはね、暴れてるあやかしをひとまず叩き伏せて一時的に抑え込むっていう役割を任せてきたってことなのよ。場合によっては封印ね」
史はそう言いながらふわりと微笑む。
「暴走したあやかしを、神とはいえ抑え込むのは厳しい。だけど一部の上級神なら可能なの。それを任せられる相手といえば、かなり絞られてくる」
(あやかしを叩き伏せる…)
薫子は史の言葉を頭の中で復唱した。あやかしの妖力は神にとって毒になる。もし戦うとなれば、相当の力が必要なはずだ。
「そんなに不安な顔しなくても大丈夫よ。なんとなく、任せてきた相手は想像つくわ」
「……そうなんですか?」
まるで知っているかのようにクスクス笑う史に、薫子は首を傾げる。
「ええ。恐らくそれは伍将殿下でしょうね」
伍将殿下。つまり、社に居る風神や水神、そして現在逃亡中の雷神を除いたニ名ということだ。
「岩神様と火神様…ですか?」
「そうよ。あの方々ならちょっとやそっと強くなったあやかしなんて、なんの問題もなく片付けられる。もしかしたら今日で全員揃うかもしれないわねぇ」
夕食どうしましょう、と頬に手を当てて呑気に悩む史。薫子はまだ見ぬ岩神と火神を想像し、どんな人物なのかと考えを巡らした。
(変な人じゃなきゃいいけど)
ざっくりとその思考に終止符を打ち、史と共に居間の前までやってくる。まさか自分のこの考えが布石になるとは、この時の薫子は思いもしなかった。
広い部屋に移り、亜我津水尊と岳詠穿にこれまでの動向を詳しく話していると、茜鶴覇がふいに天井を見上げる。
「…どうかしました?」
現在上段の間には誰も座っておらず、皆で円になるように着座していた。丁度茜鶴覇の隣に座っていた飛竜が訊ねる。
「来たな」
茜鶴覇は呆れたような声音で立ち上がった。
(何が?)
薫子は片眉を潜める。周りの神たちも茜鶴覇の行動を見て気配を探った後、同じようにやれやれといった顔をしていた。
ひとり分からぬ薫子だったが、その直後庭にドンッという何かが着地する音が聞こえ、身を硬直させる。何事かと膝立ちになると、薫子の左隣に居た雀梅が肩をポンと叩いた。
「大丈夫。雀梅達今来たヤツ知ってる。薫子殿、落ち着け」
どうどうと薫子をなだめ、雀梅は説明をした。
「あれは雀梅達の味方。亜我津水様が呼んだヤツ」
「亜我津水様が…」
(ということは、岩神様か火神様のどちらか)
薫子がそう予想を立てると同時に、締め切られた部屋の扉を開いて外へ出ていく茜鶴覇。
「おもしれーもん見れるぞ薫子。来いよ」
薫子の右側に座っていた圓月は、ニヤニヤと面白がるように言うと、彼の後ろをついて行った。
薫子は立ち上がると、部屋の外へと出ていく十六夜達と共に屋敷から出る。そこには桜の大樹の下で茜鶴覇に挑んでいる少年の姿が見えた。
「今日こそは俺が勝ぁつ!!」
ウオオオ、と勝手に燃え上がって殴りかかりにいく少年。ピョンピョンと跳ねた長い黒髪が毛先に行くに連れて朱殷色に染まり、頭部には獣のような耳が生えている。尻には尾が生え、その口元には牙が見えた。
「くたばれ茜鶴覇ァ!」
手に炎を纏った拳を茜鶴覇に向かって振り上げるが、茜鶴覇は同じように手のひらに炎を纏い、片手で止める。
「くっっっそ」
ぎりぎりと歯を噛み締めていたが、茜鶴覇の回し蹴りを食らって飛んでいった。
「ギャッ!」
ゴロゴロと転がり、木に後頭部を強打してのたうち回る様を見て、圓月は腹を抱えて笑っている。
「……あの…彼が…」
薫子はドン引きという顔をしながら近くに居た辿李に訊ねた。
「あいつが火神、獅伯。見てわかるように頭が幼稚なクソガキだ」
トントンとこめかみを指で叩く辿李。薫子は再び獅伯へ視線を戻した。
(なんというか、想像してたのとだいぶ違うのが来たな)
変わった神が来るのは何となく予想していたのだが、考えていた人物とはかなり違うように見える。
「なんで勝てないッ!!」
「それはお主が馬鹿だからじゃよ」
「ゲッ。十六夜のじじぃ」
「わしがはっ倒してもいいんじゃぞ獅伯」
青筋を立てながら十六夜が言うと、パンパンと手を叩く音が聞こえた。
「ほら、来て早々そっちで盛り上がらないの。獅伯、挨拶なさいな」
亜我津水尊が腕を組んでムッとしている。獅伯は自身に着いた土埃を払うと、不機嫌な顔で「…わかった」とだけ答えた。
「久しぶりだ……デス。獅伯だ……デス。こんにちはゴキゲンヨウ……デス」
慣れなさそうに言葉を紡ぐ。圓月は腹を捩って笑いつつ口を開いた。
「あいっかわらずお前亜我津水の所で修行してんのな。最近は礼儀作法も学び始めたか?ん?」
「うるせーぞ圓月!いつか茜鶴覇も圓月もみんなみんな俺がぶっ飛ばしてやるからな!そうやって上から目線でいられるのも今のうちだぞッ」
「だって俺のほうが背たけぇからなぁ。どーしたって上から目線になっちまう。仕方ねぇ、しゃがんでやろうか」
その場にしゃがんで子猫でも相手するように馬鹿にする圓月。ガルルと喉を鳴らして威嚇する獅伯だったが、ふと奥にいる薫子に気がついたのかスッと目を細めた。
「おい、誰だお前。…人間か?」
スンと鼻を鳴らして言い当てる。薫子が「えっと…」と言葉を濁らせていると、獅伯の視線を遮るように茜鶴覇が彼の前に立ちはだかった。
「獅伯、状況は聞いているな」
「聞いてるさ。舐めんな。それに亜我津水があやかし片したら茜鶴覇んとこ来いって言ったから来てやったんだ。感謝しろよな茜鶴覇」
ムッとした顔のまま答えると、茜鶴覇は「そうか」とだけ答える。
「あんたもうあやかしをのしてきたの?」
「俺を誰だと思ってんだ?あんな奴ら一瞬だったぞ。……まあ、いつもよりは多少凶暴だったけど、話で聞いてた程じゃなかった。中級神でも十分対応可能だ」
獅伯は割と真面目に事後報告を亜我津水尊に伝えた。それを聞いた夢幻八華は「ふーん」とつぶやく。
「じゃあもうそろそろ集まるかもな。意外と事態は俺たちが思っていたより進行を進めてなさそうだ。とりあえず無駄に気を張る必要は無ぇな」
「なんだ、夢幻八華のじじぃも居んのか」
「てめぇホントに減らず口だな」
口角をひくつかせて拳を握った夢幻八華。
「話進まないからやめて頂戴」
「馬鹿は黙ってろー」
「…日が暮れそうだな」
亜我津水尊に続いて圓月が茶々を入れる。そんな状況を見て風牙がため息を吐いた。
その直後。
上から何かが落ちてきて、綺麗に着地する。全員がその場から後ろに飛んで下がった。
(びっくりした…)
辿李の脇に抱えられた薫子は目を見開いて砂埃を見つめる。一体何事だろうか。
「しまったな。もっと可憐に着地しようと思ったのに…。砂埃が美しくない」
透き通った声が砂埃の中から聞こえる。モヤモヤとする視界の中に見えたのは、鹿の胴体に人間の腰から上の半身が繋がっている青年だった
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