Eclipse/月蝕症候群

ひろい

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脅威、狂気、恐怖

その12

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 つんのめり、そのまま引きずり込まれる。自分の七十一キロの体重を、片手でだ。信じられない力。そのまま、覆い被さられた。生気のない白目の、その頭は半分齧られたあとがあった。その向こうで、ヤンキーの金属バットが吹っ飛ばされ、その首が捻じ曲げられるのが見えた。それと同じように、自分に覆いかぶさっている頭半分の右手が、自分の首に伸ばされる。強烈な悪寒。そんな臭い手で、触れられたくない。あんなにあっさりと死にたくなんて、なかった。
 死にたくないから――――殺そうと、思った。
「――――ハ」
 自分の胸元に手を入れ、隠し持っていた武器を、抜く。
 カッターナイフ。
 長さ十五センチ足らず。某有名レジャーランドで購入した、聖剣を模したもの。おあつらえ向きだ。いつだって魔を滅するのは、聖なる剣と相場は決まっている。
 それを頭半分の眼に――刺し込んだ。
「ぎぎゃっ……!」
 頭半分は痛みに伸ばしていた手を留め、怯む。しかし、まだ喚いている。これじゃあ、死なないか。
 さらに奥に、ねじ込む。その先には、脳がある筈だ。頭半分吹っ飛んでいるのが気になるところだが、急所には違いないだろう?
「お……きゃっ」
 とどめ。脳内で、カッターナイフを掻き回す。
「ぎ」
 一声鳴き、頭半分は動きを止めた。開けた穴から大量の――腐った血液と脳髄が、右腕と胸と顔に、降り注いだ。それにより視界が、赤黒く変色する。
 視界が赤く、鳴動している。
「あ"……あ、は、は」
 笑っているのか泣いているのか鳴いているのか怒っているのか狂っているのか、それすらもよくわからない。謙一は仰向けの姿勢のまま右手でカッターナイフを掲げ、それで頭半分の右目を刺し貫きその体を支えたまま、しばらく固まっていた。
「あれー。謙一くん、はどこかなァ?」
 遊月の声に、再起動する。
 ――呆然としている場合じゃない。
 体を動かし、右手に逸らし、それで頭半分の体は落ちた。機能停止していた脳みそを再び動かす。頭から上半身腐った血でびっちょりだった。腐臭に、鼻がひん曲がっていた。目には火花が散っていた。震える体を制し、首を回す。どこか、脱出口は? 巡らせた視線の先、天井付近に、通気口が見えた。今までは恐怖で見えていなかったものだ。
 そこを目指した。今までと同じように四つん這いで、机の間を這うように進む。出来るだけ静かに、素早く。途中、二つの死体が転がっていた。感情の方は、既に死んでいた。なんとか壁際まで辿り着き、伝っているパイプを蜘蛛のようによじ登る。通気口に潜り込み、一息ついてそこから全体を見つめ――
 背筋が、ゾクリと震えた。

 もう、真っ当なヤツは一人もいなかった

「…………」
 職員室を上から見ると、それは区画整理された平安京のようだった。その、平安京でいったら建物にあたるデスクの傍に、ぎっしりと白目の化け物たちが詰まっていた。目眩がする光景だった。本当にこの学校は、化け物の巣窟になってしまったんだと実感した。そしてその随所に見られる、体が欠けた死体の数々。もうどこにも、ここまで一緒に歩いてきた僅かな間の仲間の姿は、見受けられなかった。そしてこの化け物の数と、今までの教室の様子を鑑みるに、たぶん、みんな――
 たった一人になったのだと、思った。 
「――――」
 そのまま通気口の中に潜り込み、パイプを伝って、謙一は逃げた。パイプの中は想像以上に視界が利かない世界だった。真っ暗だ。しかも頭も肩もこする。幅ギリギリいっぱいだった。もう少しでも太っているか背が高かったら、潜り込めなかっただろう。身長172センチ体重71キロであったことに、生まれて初めて感謝した。
 カサカサ、という音。
「!?」
 死ぬ思いで、振り返る。目を凝らして見えたのは――小さい影。
 ネズミ。
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