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伝説の終焉

Ⅶ:思い出の残滓

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 飛びかかる。それにクッタは、聖剣の護拳にて受けるが――耐え切れず、後方に弾き飛ばされる。もはや発端のスペルの特性すら使う必要がないほど、消耗しきっていた。それはオルビナも同様のようで、顔面蒼白にしながら詠唱を続けるが、
「【omita biar(流槍群)】!?……【kina railas(炎の牢獄)】! 【egidemint poala(灼光の矢)】!!」
 もはや魔法を練るだけの魔力も、残されていなかった。
 それでも二人は、立ち向かう。その脇には、死体のように突っ伏したまま動かないマダスカ。その手は前に伸ばされ、そこには描かれた巨大魔法陣。それこそ前のめりに、マダスカは死力を尽くしたのだろう。
 ――なら、俺は?
「アヴァア!」
 ヘルフィアの単純な右の蹄の蹴りに、オルビナが10メートルは吹っ飛んでいった。まるで子供が、路傍の石を蹴り上げたかのよう。
 ――俺はなんのために、ここに来たのか?
 ヘルフィアの全身からは、気味の悪い緑色の体液が流れ出していた。先のオディアスとの戦いで負った傷だろう。そのせいか、その瞳はさらに好戦的な色合いを帯びていた。
 その視線が、近くに横たわるマダスカに向けられる。
「あ…………」
 それはダメだ。初めてエリューの胸に、波紋が作られた。マダスカは、気を失っている。つまりは警戒も、そして筋肉の緊張も何もない。そんな無防備な状態で、あんな無茶苦茶な攻撃を受けたら――
 だけど足は、前には出てくれなかった。
 もう、下手に前に出たら――死ぬから。
「あ……あ、あ……っ」
 体がガタガタと、震える。今度蹄で蹴られたり、ブレス攻撃をまともにもらえば――助からない。火傷で済むこともなく、そのまま倒れ、二度と起き上がることはできないだろう。
「ぐ、りゅりゅ……」
 ヘルフィアがその右の竜頭を、マダスカに向けた。それにエリューは、真っ青になる。そんな攻撃受けたら、骨だって残らない――それでもなお、身体は金縛りにあったように動かなかった。そしてヘルフィアの竜頭の口が輝き――
「この、バチあたりめが!」

 ヘルフィアの頭が、何者かの――水晶によって、"叩(はた)かれた"。

「な――――」
 思わず、言葉を失う。それは、それほど信じがたい光景だった。あれだけ高度な攻防でもダメージを与えられなかった魔王を――それも水晶で、叩くだなんて。
「……誰だ、貴様」
 ヘルフィアが、振り返る。そこに立っていたのは――深いしわが刻まれた顔に渋い表情を浮かべ、頭にターバンを巻き、黒のローブを纏いし老婆――
「ベ、ベーデ婆ちゃん……?」
「エリューや、よく聞くんじゃ」
 どく、どく、と信じられないくらい速く心臓が脈打った。ベーデ婆ちゃん。自分たちの――このコーンクールの村で占い師をやっていて、あの日、唯一人魔物の襲来を予見し、自分たち兄妹に逃げるように促した占い師。
 それがなぜ、今、ここで?
「べ、ベーデ婆ちゃん……ダメだ、逃げなきゃ! それが、それが魔族の王、ヘルフィア……!!」
「――すべては、終わりが来ることを知りながら何の対策も練らなかったわしの、責任じゃ」
 心臓が、止まる心地がした。
 ヘルフィアが、振り返る。そしてその右足を、振りかぶる。蹴った。瞬間、エリューは寒気がした。ベーデ婆ちゃんの臓腑が、ぶちまけられる絵を想像して。
 しかしベーデ婆ちゃんはヘルフィアの攻撃にも、微動だにしなかった。
 その身体は仄かに白銀色に、輝いていた。
「……ベーデ婆ちゃん?」
「神聖術をレッセルに教えたのは、このわしじゃ。そしてレッセルが村にまい戻り、日々をお前とミレナの三人で平和に過ごす一方で、村の外では魔物たちの動きが活発化し――ヘルフィアが王となり決起したということも、水晶によりわしだけが、知っておった」
 ベーデ婆ちゃんがエリューに語りかける間も、ヘルフィアは蹄による超重攻撃を繰り返していた。しかしそれは、効果を及ぼさない。魔を遮り、そして消し去る聖なる輝きのその、恩恵により。
「しかしわしは、何もせんかった。神聖術師と、勇者の息子がいるこの村が狙われることはわかっておったが……隠れるようにこの辺境の地で息を潜めておれば大丈夫だと、自分で自分を騙しておった。それほどこの村は、居心地が良かった……」
「…………」
 繰り広げられる光景が、語られる言葉が、信じられなかった。ただエリューは、じっと凝視し、耳を傾けることしか出来なかった。
「散々偉そうなことを言っておいての、わしは、わし自身が零れる砂を諦めきれなかったのじゃ……その責任は、すべてわしにある。だからこの機会に、わしは……その清算を、しようと思うての」
 言って、ベーデ婆ちゃんは攻撃を加え続けるヘルフィアの頭を、掴んだ。
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