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伝説の終焉

Ⅷ:覚醒

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「ぐるぅ!?」
「ベーデ婆ちゃん!?」
 ヘルフィアの抵抗とエリューの叫びにもベーデ婆ちゃんは落ち着き払った様子で、
「補助の最たる領域である神聖術には、回復魔法しかないと思われておると思うが、そうでもない。ただ一つ、行き過ぎた補助といわれる攻撃魔法が、存在する」
「ぐりゅ、る……き、貴様この老いぼれがああああああ!」
 ヘルフィアはその腕めがけて顔めがけて竜頭を向け、フレア・ブレスを照射――しかしベーデ婆ちゃんはそこから、何事もなかったように、
「それは……この命そのものを相手に送り込み、魂の要領を超えさせ、破裂させる……自己犠牲魔法」
 どくんっ、とエリューの心臓が脈打った。
「な! ……そ、そんなベーデ婆ちゃんっ!!」
「……すまなかったね、村のこと、レッセルのこと、そして、ミレナのこと。わしはお前に、深い深い心の傷を負わせてしまったよ。だからその罪、これで――」
 詠唱が、始まる。それにエリューの胸が、ばくんばくんと痛いほど強く鳴り出す。掌に汗がにじむ。全身から冷や汗が溢れだす。呼吸が乱れる。苦しい。苦しい。この感覚は、過去何度も味わったものだった。
 不意に、指の隙間から、砂がこぼれ落ちるイメージが湧いた。
 それをすくい取るすべは、自分には――
『負けるな、エリュー。私たちは、いつでもお前の傍にいるぞ』
 父は言った。負けるなと。いつでも傍にいると。
『エリュー……わたしの、大事な息子。わたしの愛する、わたしの、宝』
 母は言った。自分は大事な息子。宝なのだと。
『お兄ちゃんっ。負けたりしたら、ミレナ許さないんだからねっ』
 妹は言った。負けたら、許さないと――
「――――あ」
 炎が、心に灯った。それが血液を通り全身をめぐり、掌に結集した。それを、握り込む。そしてエリューは立ち上がり――前に、歩み出た。
【mikar tena antisimo sor kol qui wcu kisu siob……】
「ぐ、りゅうぅ……貴様、放せ放さんかああああああああああああああああああ!!」
 詠唱は進み、ヘルフィアは抵抗している。そこにエリューは、踏み込む。そしてその頬を――殴った。
 手応えは、重かった。
「…………なんだ、貴様」
 ヘルフィアは、微動だにしていない。破邪の魔力を纏った時のような劇的な変化は、既にない。しかしそれでもエリューは、その行動に呆然とし、詠唱を途中でやめたベーデ婆ちゃんの手を引き、自身の後ろに回らせ、
「……させない」
 心に、いつの間にかがんじがらめに縛りつけていた鎖を、引きちぎった。
「させないッ!! 仲間をこれ以上傷つけることも、ベーデ婆ちゃんを殺させることも……絶対に、させないッ! お前は、この場でこの手で、俺が……倒すッ!」
 その宣言と共に、破れた胸元の聖痕が、輝きだす。それは字体を変え――
「父さんの……勇者スクアートの息子である、エリュー=スクアート=オブザードの名に、おいてッ!!」
 burav(勇者)となった。
「グヴァアアアアアアアアアアアアア!」
 同時に、ヘルフィアは吠えた。右手の竜頭を突き出し、そこからフレア・ブレスを照射する。
「――ハッ!」
 それにエリューは――斜め前に飛び出す。それは特別なものではなく、武剣士としての特性と――勇者としての、勇気だった。
「らァ!」
 そしてエリューは再びその頬を、殴りつける。当然それに効果があるわけではないが――エリューは、怯まない。
「あァ、はッ、らァ!!」
 さらに、連打。サイのような頭だから急所は同じだかはわからなかったが、こめかみ、眉間、高い鼻の下を打ちつけた。
「……貴様ァ!」
 ヘルフィアはそれにイラだち、右足の蹄による蹴りあげを敢行するが――それをエリューは横に回り込み回避し、
「――らァ!」
 膝を、アゴに打ち込む。そして再び、後方に距離を開ける。この攻撃による限界は、エリューもわかっていた。所詮肉弾など、ヘルフィアにとっては蚊がまとわりつく程度にも通用しまい。
 剣が――
「エリュー……!」
 仲間の、クッタの声。振り返ると、壁にめり込んだクッタはこちらへと右手を振りかぶり――
「う、受け取れ……!」
「――おう!」
 投擲されたその"聖剣ルミナス"を、受け取った。
 鞘から、抜く。同時に魔力が、身体からルミナスへと流れ込む。聖剣ルミナスとは、魔力を伝導できる古代の魔導兵器だった。
「いくぞ――ヘルフィアァアアアアア!!」
「ぐりゅりゅ、る……来い、勇者ァアアアアアアアアアア!」
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