道化の世界探索記

黒石廉

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第2部2章 草原とヒト

097 戦い終わりて

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 おかしな夢だ。
 皆が俺を囲んでいるのを、俺は背後から見守っている。
 皆に囲まれて転がっているのは俺、ならば、見守る俺は誰だろう。
 なんか笑えてくる。

 後ろから声をかけようとしたが声がでない。
 まさか声帯でもやられたりしたのか。

 「治るよりもはやく毒が体中に回ります」
 「でも、毒に抵抗する力を上げてやれば……」
 「間に合わない」
 「よし、噛ませろ」
 「押さえておけ」

 見守る俺は囲まれている俺に吸い込まれる。
 闇の中にぼやけた光、ぼやけた光のなか、泣いている女子の顔。

 殴られるような衝撃が右腕に走る。
 そして暗闇。
 
 ◆◆◆
 
 右手の親指が痒い。

 蚊に刺されたような痒みに耐えられずに、俺はかきむしろうとする。
 かきむしろうとした左手が空をきる。

 片手にはまだ慣れていない。
 なくなった右手はたまに痛んだり痒くなったりする。
 
 草原の大決戦はソ・オーク連合側の辛勝に終わった。
 連合側の死者は232名、約3割の死者を出した。
 その多くは正面で騎士の突撃を受けた部隊であった。
 これだけの割合の死者を出しながらも戦線を維持したのは士気の高さとチュオじいさんの統率力によるものなのだろう。
 
 敵側の死者は300名を超えていたので、それよりは少ない。
 捕虜はとらず徒士の兵士に限りすべて逃した。
 騎士で最後まで戦場に残っていたものは、最後まで戦い抜いたので生きて捕まった者はすべて逃したともいえる。
 
 教会側は戦力のかなりの部分をなくし、しばらくは手をだすことはできないだろう。
 とはいえ、こちら側もカステの教会の目が届きそうな冬のキャンプ地を放棄することになった。
 新しいキャンプ地を探すことになるだろう。
 俺たちもカステの街には行きづらくなってしまった。

 「乳を飲め」
 小屋で体を拭いてもらっているときにチュオじいさんがウシの乳をいれているであろう皮袋を片手にたずねてきた。
 一番死傷率の高かった正面部隊で戦いながらも、彼は無事だった。
 俺たちのパーティーも俺が右手をなくした以外は全員無事であった。

 暗殺でもないのに、自分だけ毒を持ち込んでいたあたりにあの元審問官の狂気というか性格の悪さが垣間見える。そして、それを指揮官でもなんでもない俺に躊躇ちゅうちょなく使うあたりが彼の執念深いところだ。おかげで彼と同じ姿になってしまった。性格まで同じものになっていないことを祈るが、正直なところ自信がない。

 癒し手の力というのは本人の治癒能力を向上させることはできても、毒を消したりはできない。サチさんは泣きながら謝ったが、要するに俺の毒への抵抗能力がたりなさすぎるのが問題で彼女のせいではない。
 申し訳なさすぎてやるせなかったので、チュウジに「今すぐ彼女の悲しみを和らげろ、さもなければ俺が今この場でお前の唇を奪う。もちろん舌も入れる」と宣言したものだった。もちろん、大きく滑った。ただ場にしらけた空気が広がり泣くのもバカバカしいみたいな雰囲気になったのだから、俺のつまらない冗談にも少しくらいは意味があるだろう。

 そんなことをぼうっと考える俺の前でチュオじいさんはミカと談笑している。
 彼らにとっては勲章である新しい傷あとをミカに見せびらかしているようだ。
 
 「わしのじいさんも片手であったが、ウシの乳も搾れたし、女の乳ももめた。お前もはやくウシの乳をしぼり、この娘の乳をもめ」
 「おい、じいさん……」
 セクハラにあたる概念も言葉もソの言語にはなくて、俺は口ごもる。

 ミカは赤くなり、「おじいちゃんったら」とか言いながらも、じいさんの頭にチョップを決めている。
 おお、肉体言語、やはり俺よりコミュニケーション能力高いわ。
 不死身の長老は「騎士のメイスよりこたえるわ」とか言っている。

 じいさんが持ってきてくれた乳を使ってミカがわかしてくれたお茶を3人で飲んでしばらく雑談をする。
 彼は帰り際に俺の股間をぎゅっと握りしめて、「しっかりやれ」と言い残して去っていく。だから、何をしっかりやるんだってば、このセクハラじじい。
 
 「まぁ、しっかりと自分で何でもできるようにならないとなぁ」
  今は片手ではヒモを結ぶことすらできないので、必死に練習をしている。
 武器は片手で振れるにしても、バランス感覚がまったく違ってしまっていてなかなか大変だ。
 チュウジは以前タダミから聞いた無くした器官も再生できるという秘宝を探そうと言ってくれているが、それを探すにももう少し動けるようにしておきたい。

 「仕事しようにもウシの乳も搾れないしな」
 チュオじいさんのセクハラジョークのせいで、俺の視線は彼女の胸元に吸い付いてしまう。
 俺が悪いのではなく、あのセクハラじじいがいけないんだ。

 「どうして君はあたしの胸を見ながら、そういうこと言うのかな?」
 案の定ばれる。

 「すみません。欲望がダダ漏れしまして」
 俺は素直に謝る。
 
 「素直でよろしい」
 ミカは俺の背中を布で拭きながら言う。
 そして、耳元でささやく。

 「なんだってしてあげるんだよ……」
 今頼めば本当になんでもしてくれるのだろう。
 でも、それは好意だけではなくて同情も混じっているだろう。
 できることならば、同情の部分は抜きでいろいろなことを体験したい。

 「それはもはや介護だよね。老後の楽しみにとっておくよ」
 俺は無理やり欲望をねじ伏せて笑う。
 
 「ばあさんや、わしはばあさんの乳をもんだかのう?」

 「おじいさん、今朝もみほぐしたばかりでしょう? って、シカタくん、あたしに何言わせんのよっ!」

 おどける俺に彼女はちゃんとのってくれる。

 「『雪国』ってあるじゃん?」
 
 「え? ああ川端康成の?」
 俺の唐突なふりに彼女は一瞬かたまったが、それでも答えてくれる。
 理系なのにへんなところで文学少年だよね、君。そういうミカに国語の先生が「エロい」って言ってたからさと答えると彼女は少し呆れた顔で俺の額を弾く。

 「君の頭の中にはやらしいことしか入っていないのかなー?」

 「空飛ぶギロチン!」
 いえいえ、エロだけじゃなくてカンフー映画に関する半可通レベルの知識も入ってますから。
 訂正を求める俺に彼女が笑う。
 俺は彼女の笑う顔が好きで、それを見たくて冗談を言うのだが、結構な割合で呆れ顔にさせてしまうことが多い。
 つまらない冗談を言い続けるサゴさんを笑えたレベルではない。
 
 「で、昼休み、すぐに図書室に駆け込んで借りてみたらさ、冒頭がすごいエロくてさ……」

 俺は左手の人差しでミカの唇をおさえながら言う。

 「『この指だけが』『なまなましく覚えている』とか、『この指だけは女の触感で今も濡れてい』るとかさ、読んだ後すごいドキドキしちゃってさ……」
 俺はそう言うと、彼女の唇に当てていた人差し指を自分のところに持っていく。

 「恥ずかしいからやめて」
 そう小声で彼女はつぶやく。

 「人差し指を『鼻につけて匂いを嗅』ぐ。こんな描写もあったんだよ。エロいでしょ」

 「彼女に向かって、エロい連呼はどうかなー?」
 ミカは顔を赤らめながらちいさめの抗議をする。

 「じゃあさ、俺がチュウジの唇に人差し指を当てて、それを自分の鼻に持っていったとしたら?」

 「エロい!あっ! じゃなくてエモい!」
 ミカは言い間違いを訂正するように言う。
 彼氏を生モノ対象にするのものどうかな。俺もささやかな抵抗をしてみる。
 もちろん形だけだ。
 俺たちの日常はこういうくだらないやり取りで少しずつ回復する。

 「俺の右手の指は君を覚える前に旅に出てしまったから、左手の指に頑張ってもらう方向でね」
 そうおどけて、俺は再びミカの顔を手で撫でる。
 自分と同じ生き物なのか疑うくらいに彼女の肌はしっとりしている。

 彼女は俺に顔を撫でられるまま懐から何かを取り出す。
 そして、俺の左手を両手で包む。

 「これ渡そうと思っていてなかなか渡せなかったんだ」
 彼女はそう言うと、俺の薬指に指輪をはめる。
 もともと右手にはめられていたやつだ。

 「なんか逆プロポーズみたいじゃん?」
 ドキドキした内心を無理に作ったニヤケ笑いで隠していると、彼女は自分の右手から指輪をはずすと、俺の手のひらに握らせる。

 「この子は何を言ってるのかなっ! 続きがあるんだから、さっさとひざまずきなさい!」
 俺は片膝をついて手のひらを開く。
 そして、彼女が差し出す左手の薬指に指輪をはめる。
 ひんやりとした彼女の指の感触を自分の指におぼえこませる。

 第2部完
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