銀の花嫁

くじらと空の猫

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1.小さな王子

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 ウェルド国は、東の大陸の北方に位置する小さな国。 
 国の東側は深い森で覆われ、北には険しい山がある。冬になると一面雪で覆われるものの、それ以外の季節は人々にとって暖かく暮らしやすかった。作物も必ず順調に育ち、天災などもないのでこの国はいたって平和だ。 
 人々は、王に感謝することはもとより王とともにこの国を守り、安定した恵みを与えてくれる龍を尊敬していた。 

 そう、この国には龍がいる。王と契約をし共にこの国を守る美しい青色の龍、水龍が。 

 龍とは、どの生き物よりも強い魔力を持ち、この世界すべての生命の頂点にいるともいわれている圧倒的な存在。その姿は種族のよって色や若干の違う特徴があるものの、細長くすべらかな顔に人を超えた英知をもつ瞳。額には2本の角。光を浴び輝く鱗をもつ長い体。尾を合わせると、体長は数百メートルいやそれ以上にもなるだろうか。 その見目からも人とは全く違う存在と畏怖されるが、彼らが空に舞う姿をみれば誰もが感嘆のため息をこぼす。

 光が降りそそぐ空で、飛翔する姿はすべてを圧倒させるほど美しい。 

 龍の多くは、西にある大陸の龍の谷と呼ばれる所に集まり住んでいるといわれているが、この国の龍のように人と契約をして、住みなれた地を後にする龍もいる。だが、龍が人と契約を行うことは滅多にあることではない。なぜなら、龍の心を動かせるほどの人間はそう多くはいないからである。



 そのウェルド国のまだ幼い小さな王子は、王族の北の避暑地のそばにある小さな森に来ていた。 
 金色のふわふわした綿毛のような髪に、くりくりとした大きな茶色の瞳。誰からも愛されるだろうかわいらしい顔立ち。だが、その顔は今にも泣き出しそうだった。さっきからあたりを落ちつかなく見回し、おどおどした様子で歩いている。よく見ると目には涙をいっぱい浮かべていた。そう、彼は迷子だった。侍女達に、一人でこの森に入っては行けないよと言われたのにもかかわらず、言いつけを破り一人で森へ来てしまったのだ。 



「どうしよう…」

 小さな王子は、途方にくれて立ち止まった。 

 バサッ!

「うあっ!」

 鳥が飛び立つ音に驚き、悲鳴を上げる。そのとたん転んでしまったのだが、疲れと不安で限界を超えていた王子はもう立てなくなった。少し薄暗くなってきた森を見て恐怖がつのってくる。ここに入ったのは昼食が終わった後。もうあれから数時間はたっただろうか… 

「みんな探しているかな…」

 ぼそりとつぶやいた言葉は、そうであってほしいと願いがこめられていた。王子がたびたび城からぬけだすのは珍しいことではない。そのたびに回りは大騒ぎをして自分を探す。いつもは大げさだなとか、ほっといてほしいとか思うのだが今はそれが妙に懐かしい。 

「こんな森の中…探しにこないよ…」

 ここは、地元の人達もめったに足を踏み入れない。小さいながらも中はかなり入り組んでいるので、迷ってしまうことが多いからだ。まさかあれほど注意した森へ入っているとは誰も思っていないだろう。



こんな所に来るんじゃなかった…


 
「父上…母上…」

 王子は、不安と寂しさでとうとう泣き出してしまった。お腹も空いてきたし、少し寒くなってきたような気がする。もう言いつけを破ったりなんてしないから…王子は、みんなの所へ帰りたいと泣きながら願っていた。 




*************************



彼女は夢をみていた。幼い頃の自分の夢を。真っ白な雪の中で一人で泣いている夢を。

だれか…だれか…呼んでも呼んでも誰も来てくれない。
どうして誰も来てくれないのだろう。知っているはずなのに。わかっているはずなのに。寒くて寂しくて、泣いている自分の所に誰も来てくれないのだろう。やがて、雪は風とともに彼女を覆い尽くそうと激しさをましてくる。手も足ももう疲れ果てて動かない。 

だれか…だれか…彼女の意識は、雪の中に少しづつ埋もれてゆく。そして彼女はゆっくりと目を閉じていった…





 
 目覚めたとき、一瞬どこにいるのかわからなかった。しばらく呆然とあたりを見回すと、彼女のそばをゆっくりと魚達が泳いでいく。 


 ああ…そうかここは…
 彼女は、自分の寝ていた岩の上からゆっくりと起きあがる。



 そう…ここには一週間前からきていたんだっけ…
 まだうまく働かない頭をゆっくりと振り、覚醒を促す。そのとき彼女の耳に声が届いた。 



 …泣き声?それも人間の子供?
 彼女が耳を澄ますと、その声ははっきりと彼女に届く。

 あまり関わりたくなかったのもあって、最初彼女は放っておこうとした。少したてばきっと誰かが探しにくるだろうと思った…思っていたのだが、あまりにも悲しい泣き声に、彼女は今まで見ていた自分の夢と重ねてしまう。 さびしくて。不安で。たまらない気持ち。かつて自分も味わったことのある…するりと彼女の手が岩からはなれ、湖の上へと向かう。あとから考えても、どうしてそうしようと思ったのかわからない。ただそばにいってあげたかった。あの泣き声をとめてあげたかった…大丈夫だと言ってあげたかった…そんな想いにかられ、彼女は魚たちよりも早く湖面へと浮き上がっていった。
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