銀の花嫁

くじらと空の猫

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2.水の女神

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 突然彼の目の前に現れた人に、王子の目は釘付けになった。 
 顔には涙の後がついていたが、あまりの驚きにあの大きな瞳からはもう涙はなかった。 


 それほど驚いたのだ、彼の前に現れた人に。言葉では言いあらわせられないほど、美しいその女性に。足下につくぐらい長く、滝を思わせるほど美しい青銀色の髪。瞳はまるで、海の輝きをすべて集めたような深い青。細く長い手足。暗い森の中にあって、そこだけ光り輝いているようにさえ見える。 

 水の…女神?
 小さな王子は、息もするのも忘れたようにただ見つめていた。夢ではないのかと思い、何度も目をこするが消えない所を見ると、現実のようだ。そのとき、その女性がゆっくりと微笑み王子は自分でも顔が真っ赤になるのがわかった。 

「どうしたの?」

 鈴がなるように綺麗に響く声に、王子は思わず聞き惚れてしまう。だか、女性の方は返事が返らないことに聞こえなかったと思い再度声をかける。 

「大丈夫?」

 それでも答えない王子を見て、女性は少し不安になったらしい。何か変なことをいっただろうか?と顔を少し曇らせる。

「…迷子になったの?」

 その言葉で王子は我にかえった。どうやらその女性に見とれていて、どうしてこんなところにいるはめになったのか思い出したらしい。途端にじわりと目にたくさんの涙が浮かぶ。女性がえっと言葉を発する前に…

「うあああん…」

 森にこだまするような大声で、王子は泣き始めた。女性は唖然としてそれを眺めていた。




*****************************



「そう…冒険をしにきたの。」
「うっ…う…そ…だって…ぼく…ダメだ…言われてたけど…ぐすぐす…」

 女性は、泣きながら話す王子の横に腰を下ろし、森に入ったわけを聞いていた。 
 場所は、森の中央にある湖のそばに移している。そこの方が涼しいし、暗い森の中にいるより、気分が落ち着くと思ったからだ。泣きべそをかきながら話すので、よく聞こえない部分もあったが、どうやら度胸試しに森に入り迷子になってしまったらしい。まあ、このくらいの男の子なら好奇心が勝って、禁じられた場所に足を踏み入れてしまったのも仕方がないと思うが…

「泣かないで大丈夫よ。森の出口までつれて行ってあげるから」

 その言葉に王子はパッと顔を上げ

「本当…?」
「本当よ。」

 すると王子はうれしそうに笑った。

「ありがとう!本当にありがとう!!と…あ僕の名前言ってなかった…僕ロイズ・ウェルドです。えとありがとうございます。水の女神様。」

 女性はびっくりした顔になり、そしてくすくすと笑い出した。

「水の女神なんて…そんなものではないわ。」 
「それでは何でしょう?精霊の方ですか?」

 人間以外のものと考えているらしいロイズに、女性は不思議そうに聞いた。

「どうして人間だと思わないの?」
「こんな森の中にですか?」
「あなたと同じ迷子かもしれないわよ?」
「えっ…!?」

 迷子という言葉に、一瞬色をなくしたロイズを見て、女性はいたずらをしでかし成功させた子供のようにころころと笑う。

「ごめんなさい。冗談よ。」 
「何だ…びっくりした」

 ほっとした顔で、視線を湖の方に移す。もう湖に鳥や動物達はいない。みんな自分のねぐらに帰ってしまったのだろう。そう思うとロイズは少し心細くなった。それを察したように女性は立ち上がる。

「さあロイズ、森の出口まで案内するわ。」

 そう言って右手を上げると、そこに真っ白い鳥が舞い降りる。

「この鳥の後についておいきなさい。この鳥が、出口まで導いてくれるでしょう。」 

 クルル…まかせておけというように、鳥が力づよく羽を羽ばたかせながら飛び立つ。

「さあお来なさい。」

 ロイズはあわてて鳥の後を追い走り始めた。

「ありがとう!このお礼は必ずします!」

 片手をあげて、森の中に消えていく小さな背中を見て、女性は微笑み見送った。すると、それを待っていたかのように湖の水面を打つ音が聞こえた。

「ファリア様」

 そこに現れたのは、足の代わりに魚の尾がある魚の一族の女性。 上半身は人と同じ姿をしているが、手には水かきがあり、髪は湖の色のように青い。彼女は揺れる自分の髪を触りながら、ロイズの消えた方をじっと見つめているファリアを見つめた。

「フレイユ」
「お礼ってどうするんでしょう。またここへ来るのでしょうか?」

 どうやらロイズの言っていたお礼が気になるらしい。不思議そうに考え込むフレイユを見て、考えるところはそこなのとファリアは楽しそうに言う。

「さあ?」
「お気に召しましたか?あの人間が。」
「…そうねフレイユ。少なくとも嫌いではないわ。」

 フレイユは、少し寂しそうに微笑むファリアを見て思わず息を止める。 つい思うがまま言葉に出してしまったが…ぬくもりの儚さを知っているファリアには失言だったとフレイユは落ち込んだ。なんとなく気まずくなってしまった二人の上を、赤い夕日が通り抜けていった。もうじき月が輝く夜が訪れる。

「さあ戻りましょう。」
「はい。」

その言葉にフレイユは思わずほっと息を吐き、ファリアが湖の中に足を踏み入れるのを待ち、そして二人は湖の中へと消えていった。 


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