銀の花嫁

くじらと空の猫

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7.契約龍

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 ああ、なんてことをしてしまったのかしら…
 いつのまにか運ばれていた別の部屋で目を覚ましたファリアは、自分のやったことを思い出し一人で自己嫌悪に陥っていた。

 …よりにもよって天井に穴をあけるなんて…いくら動転していたとはいえ、城に穴を開けてしまうなんて…ああ自分が恨めしい…
 ファリアは知らないが、そのとき城は一時騒然となった。なにかの攻撃を受けたと思った者もいたようだが、王や王妃などは無事だったし、それ以上聞くなとあの王にはめずらしく、疲れた笑顔でいわれ、それ以上追求する者はいなかった。 
 大きくため息をつくと、ファリアはよろよろと窓を開けた。


 フワリ…
 風がゆっくりとファリアの頬をさわっていく。まだ自己嫌悪からは立ち直っていないものの、少しだけ気分が晴れる。目の前には、多分この国の龍が住んでいるのだろう大きな湖が広がっていた。

 あの人は…龍だったのだわ…
 その湖をみながら、先ほど現れた青い髪のレウシスと呼ばれていた青年を思い浮かべる。不機嫌そうな顔で、自分を見ていたあの龍を。そして、彼の目を思い出すとふと頭のすみで何かが引っかかる。

 …?なんだろう。
 そう言えば、私あの人の名前をどこかで聞いたことがあるような気がする…でも、ほとんど龍などとかかわらないようにしてきたはずなのに、どうしてそう思うんだろう?しかし、いくら考えてもそれ以上思い出すことはなく、ファリアは諦めて目を湖にもどす。風がフワリと舞ったような気がして、それにつられるように視線を遠くに移すと、小さいながらも切り立った山が見えた。頂上が白く、見えるのは標高が高く寒いために夏でも解けない雪なのだろう。

 「雪…」

  雪を眺めるファリアの目には悲しみがあった。
 幼いころのあの記憶。彼女の中で、ある決別となったきっかけのひとつ。この国にきたのも、最近その夢を頻繁にみるようになったために、雪が見たくなったせいでもあった。

 …まさかそれで、ロイズと会うことになるとは、思いもよらなかったけど…
 彼のことを思い出すと、自然と笑みがこぼれる。しかしそんな穏やかな心を切り裂くような声が部屋の中に響き渡った。

 「全くとんでもないことをしてくれたな。」

  はっと後ろを振り向くと、相変わらず不機嫌そうな顔のレウシスが立っていた。

 いつのまに…
 一人で笑っていたところを見られたと思い、なんとなく恥ずかしさを感じそっぽを向く。だが彼はその様子を気にもとめず、ファリアと一定の距離を保ちながら用件を話す。

 「今夜あの湖へ戻れ。」
 「え…?」

  突然かけられた言葉に驚きながらも、その意味を計りかねる。その様子を知ってか知らずか、彼は言い続けた。

 「多分今日一日は、王子が離さないだろう。後でごねられてもこまるのでな。夜まで相手をしてもらう。」

  有無をいわせないような 一方的な言葉に、いささかファリアは気分を害し皮肉を呟いた。

 「…貴方が、本当の事を言っていればいいのですけど。」
 「…どういう意味だ。私がお前を騙すとでも言いたいのか?」
 「…」

 沈黙の答えにレウシスの眉が顰められる。だがファリアもそれに負けじと睨み付け、しばらくの間2人は無言で睨み続けるという不毛な時間を過ごしていた。しかしそれも時間の無駄とようやく悟ったファリアが先に口を開く。

 「私は龍の言葉など…特に人に力だけを分け与え、満足している契約龍の言葉など信じられませんから。」
 「力だけだと…?」
 「ええ。」

  彼の突き刺すような 瞳が冷たくファリアを睨む。内心少し怯えながらも表にそれを見せず、気丈にも睨み返す。
 負けるものですか…!

 「…今の言葉は、私だけでなく他にも契約を行っている龍に対しても、侮辱している言葉だとわかっているのか。」

  龍と人との契約。それは契約を行う龍にとって神聖なもの絶対のもの。自分の心をとらえた人間に対し人で言えば最高の愛情の示し方ともいえるほどの彼らの思いの示し方。そして誓う。命あるかぎり私のすべてで貴方の思いに答えると。その思いを否定するような発言をするファリアをレウシスは許せなかった。

 「おまえが、契約をした龍をどのように思っていようと勝手だ。だが、その思いを私にぶつけるな。不愉快だ!」

  彼には珍しく声を荒げ、来たときと同じように音もなく姿を消し去った。しばらくファリアは、レウシスの消えた宙を睨み付けていたが、大きく息を吐き肩の力を抜く。


 …いいすぎた…
 本当はこんなことを言うつもりなどまったくなかった。だが、彼の有無を言わせぬような言葉や契約しているというカシュア達に対する言葉の冷たさに、思わず反発してしまった。しかし、そんな言葉を口に出してしまったのは、それだけが原因ではない。それは彼の態度だ。彼が自分を見逃すといった言葉。龍の間では、自分を連れもどそうとしているはずなのに、彼はそれはしないと言ったのだ。ファリアにとって、それは信じられなかった。うそだと思った。 都合の良い言葉を使い、また自分をだまそうとしているのだと。そんな彼がロイズの国を守っているなど……

 だけど…彼の目には、自分を欺く感じは見えなかった。もしかしたら、本当にあの人は…自分は先走ってしまったのかもしれない。少しばかり後悔し始めた時、彼女の気持ちを明るくしてくれるロイズが扉を開け勢いよく入ってきた。

 「ファリア!遊びに行こうよ!」

  楽しそうに言うロイズに、思わずこわばっていた顔をゆるめる。その様子を変に思ったのか、ロイズは尋ねる。

 「どうしたの?ファリア?」

 なんでもないといいながら、様子がおかしいファリアに、ロイズはピントきた。

 「もしかして…レウシスになんか言われた?」
 「え…別に…」
 「なんか言ったんだね!」

 少し言いよどんだのをロイズは敏感に感じ取ってしまった。とっちめてくると、恐ろしいことをいいながら、出ていこうとするロイズを、ファリアはあわてて止める。

 「本当になんでもないのよ、ロイズ!どちらかと言えば…私の方が悪いのだから。」

  彼を最初から疑っている自分が。彼の言葉を素直に信じる事のできない自分が悪いのだから…そういわれると、何も言えなくなったロイズは、困った顔で彼女を見上げてくる。それを見たファリアは、自分の気持ちにロイズを巻き込んではいけないといつものように笑いかけた。

 「それよりもどこへつれていってくれるの?」

 彼女の言葉に嬉々としてロイズが案内した先は、見事な庭園だった。夏に咲く色とりどりの花が、まるで彼女を歓迎するように甘い香りを放ちながら、競いあうように咲き乱れていた。

 「うわ…」
 「この国自慢の庭園なんだ!」

 まるで花の絨毯のような光景に、ファリアは圧倒され言葉もでない。 代々王妃が管理するこの庭園は、別名王妃の花園といわれ、年に一度開かれる建国祭の時だけ、一般にも公開されると言う。ファリアが庭園に見ほれていると、ふとちらちらと人の視線が向けられていることに気づいた。

 …?
 庭で手入れをしている人や、この城の侍女と思われる女達が、仕事をしながらこちらを眺めているのだ。だが、ファリアが顔を向けると、あわてたように休めていた手を動かし仕事に戻ったりする。


  何…?
 その様子に気づいたロイズは、いたずらっぽそうに笑う。

 「ファリアを見に来ているんだよ。」
 「私…?」

 それを聞いてファリアの顔が曇る。やはり恐れられているの…?多分自分が龍だと言うことは、もうレウシスが王に言って、知れ渡っているのだろう。そして、恐れながらも怖いもの見たさで、自分を見に来ているのだ…

「ファリア?」
「ロイズ…やっぱり私が怖い?」
「は?」

  彼がこうやって側にいてくれるのは、レウシスという契約龍が彼を守っているから大丈夫だと思っているからだろう。そうでなくては、ロイズがいくら自分のことを友達と言っても、王や王妃が自分の側にいることを許しなどしない。私がたとえ何かしても、この国の龍にかなわないのを知っているから…ファリアは、自分のその考えに胸が苦しくなる。私は…

「なんでファリアが怖いの?全然こわくなんてないよ。」
「だって私は龍なのよ…人は龍を畏怖の目で見るのでしょう?」

 いつかどこかで聞いたことがある。人は龍を美しいと褒め称えても、その裏では圧倒的力を恐れていると。龍の機嫌を損なわないように人は龍の顔色をうかがいながら生きているのだと。

 ところが、はあ?とロイズはわけがわかんないという顔をする。いや、はっきりいってファリアの言っている意味がロイズにはわからなかった。何を心配しているのだと言いたかったが、ファリアの顔は何を考えているのか暗くなるばかり。これはまずいなぁとロイズは小さいながらも何か言わなくてはと頭をかきながら考える。

 「えとさ。ファリア、この国に龍を怖がっている人なんていないと思うよ。」
 「でも…」
 「あのね。たしかにレウシスが…龍が、この国の契約龍となってまだ50年たらずだけど、この国の人は龍が来て得られたものを決して忘れてないよ。もともと、ウェルド国は豊かな土地じゃなかった。夏は冷害。冬は大雪でとれる作物も限られていたし、人々も貧しかったんだって。だけど2代前の…僕の祖父が、彼を連れてきてからこの国は変わった。気候は穏やかになり、毎年訪れる 天災はなくなった。安定した作物がとれるようになったし、冬も雪は降っても人を苦しめるほど降ることは無くなった。それは、レウシスがこの土地に、安定した魔力を与えてくれているから。この土地を形成する精霊達に、力を与えることによって、この土地は力を得て穏やかな息をし始めたんだ。」

  誇らしげに語るロイズを眺めながら、ファリアはそういえば契約龍の役割を、考えたことが無いことにきづいた。
 
 「人々は忘れていないよ。 自分たちが苦しんだ記憶を。代々、子供達に伝え語りとして聞かせているんだ。龍が来たことで、自分達がどれほど豊かになったことを決して忘れないように。そして、あらためて感謝するんだよ。龍がいることに。人間だけじゃない。この土地で暮らすすべてのものは、決してそのことを忘れたりしないよ。だからかな…元から豊かな国には、龍はいないでしょ?それは、その土地が本当の意味で龍を必要としていないことを知っているからなんだって。レウシスが、言っていたよ。」

  ファリアは初めて契約龍と人間の深いつながりを知った。ただ、人間に心を奪われ、ただ力を与えるだけの存在なのだと思っていた。だから契約龍を嫌った。契約龍であるレウシスを非難した。しかしそれはただ自分が無知だと知らしめるだけだった。

 だけど…それなら何故…
 レウシスの人に対する真摯な思いはわかった。だけど、ファリアにとってやはり契約龍は信じられない相手だった。同じではないとわかりたくてもかつて、自分と親を騙した契約龍のことが頭から離れない…

「だからさ!怖がってなんかいないんだよ。むしろ その逆なんだから!」
「逆…?」
「そう!この国に別の龍が訪れたことをみんな喜んでいるんだよ!」

 龍は自分たちに恵と幸せをもたらしてくれた存在なのだ。だから人々は龍の来訪を歓迎する。自分たちに幸せを与えてくれた龍に感謝している。

 だから、部屋を壊した事なんてみんな気にしてないから!といわれ、ファリアはうっと言葉に詰まる。
 …それってなぐさめになってないよ、ロイズ…というファリアの気持ちはまだ小さな王子には届いていないようだった。

「それにねみんなが見に来るのは、やっぱり龍をみたいからだね。レウシスは面倒くさがって姿を見せないから、城で働いていてもあまり見ることはないんだよ。だから、ここぞとばかりに見に来てるんだ!」

  得意げにいうロイズを、唖然とした顔でファリアは見た。ここぞって…

「しかも、それがすごい美人となれば、仕事を手を休めても見に来るよ!」

 といってくるりとふりむくと、そこには先ほどより倍以上の人がこちらを眺めていた。

 「げ…」

 こんな人数にはなってるとは思って見なかったロイズは絶句する。ファリアと言えば、それを見て半ば放心状態となり、思わず 座り混んでしまっていた。




 「すごいもんだな。」

 その様子を3階にあるテラスから、王妃と共に眺めていたカシュアは、思わず口笛を吹きそうになる。

 「本当に。そうそう陛下。今日の城の機能は、ほぼ止まってしまっているらしいですわよ。」
 「ふわーすごいな。ファリア効果は。」

  城の機能が止まっていると聞いても、のんびりとした様子の王にレウシスは、いつものことながらあきれかえる。

 これでいいのか…?
 いつも胃にささる疑問を押し込め、つかれた顔で楽しそうに眺めている2人をぼんやりと眺めていた。それが、平和ということかもな…半ば投げやり気味になったこの国の契約龍は、これ以上の騒ぎにかかわらないようにと、早々と自分が住む湖に向かった。たとえ誰かが呼びに来ても、眠ってる振りをすることを心に決めて。 


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