銀の花嫁

くじらと空の猫

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29.過去の夢ー命を奪う扉

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 王女に導かれるまま、部屋をでたカシェーリアとファリアは、前を歩く王女の小さな背中を黙って見つめていた。父が染めた深い罪を自分は止められなくて、彼を愛しながらも怖くて。だけど…それ以上の罪におぼれて欲しくなくて。まだ、12、3歳の少女がこんなに心を痛めていることを父親は知っているのだろうか。

 フラリ。
 カシェーリアが思わず壁に手をつき、体を支える。

「お母さん!?」

 ファリアの声に前を 歩いていた王女はあわてて駆け戻る。

「大丈夫ですか?まだ、あの花の香りがのこっているのですね…」
「ええ、でもさっきよりは良くなったわ。頭を覆っていたあの香りは消えたし。けれど、体の方がまだ…魔力も吸われたように抜けてしまっているから。」
「お母さん。大丈夫?」
「大丈夫。ファリア。あなたはどうなの?」
「平気。ちゃんと歩ける。」

 ファリアの言う通り、彼女の体からはその香りはほとんど 抜け去っているようだ。

「私の肩に捕まってください。この場所もあの香りが満ちる道です。もう少しで外にでますし…そうしたら、どこかに隠れていてください。私がご主人を捜してきますから。」
「…あなたは大丈夫なの?見つかったら…」
「やっぱり…龍は優しいですね。人間よりもずっと、ずっと。他人のことを思いやれる…こんなことをしたのに…」
「だって、お姫様は私たちを助けてくれたもん!」

 ファリアが当然だと力説する。カシェーリアが笑いながらそうねと呟いた。

「ファリアの言うとおり。貴方のせいではないわ。こうやって、私たちを助けてくれたのだから…」
「…ありがとうございます…私…かならず父を説得します。こんなこと二度としないようにと。必ず…」

 カシェーリアが微笑みながら、王女を抱きしめる。
 暖かい。
 こうやって抱きしめられたのはいつのこと?
 王女の瞳からぽろりと涙がこぼれた。
 
 暖かくて。
 なつかしくて。
 死んだ母がいつも自分を抱きしめていたことを思い出して。

 カシェーリアは自分たちをこんな目に合わせた人間の子供とはいえ、この王女が哀れでならなかった。こんなに幼いのに、小さな胸で父のしたことを苦しんで。誰にも相談できずに一人で思いつめていたこの少女を。

「お母さん!!ファリアも!ファリアも!!」

 ところが何を勘違いしたのか、ファリアが仲間にはいるーと二人の間に無理矢理潜り込んでくる。ぴょこっと自分の側に顔をだし、笑うファリアに泣いていた王女から笑みがこぼれた。

「ぷ…」

 カシェーリアと王女は顔を合わせ大きな声で笑い出す。始めて見せた王女の笑顔だった。 

「あ…と、こんなことをしているひまはありませんね。ここを曲がればすぐです!急ぎま…」
「何をしている。」

 感情を押し殺した声に王女はギクリと歩みを止めた。

 かつん…
 この部屋の唯一の出口。この道を曲がればすぐに光が見えるというのに。その道をふさぐようにして現れた死に神に等しい二つの人影。

「困りますな。王女、こんな勝手なことをされては…」

 杖を持った魔術師が一歩前に出てくる。王女はとっさにファリア達をかばうように二人の前にでて、両手を広げ、 魔術師の後ろにいる父親に向かい叫ぶ。

「お父様!!もうこんなことはおやめ下さい!!偉大なる龍を…人が私利私欲のために使おうとするなど恥ずべき行為!!怒りを買うだけだとお気づき下さい!!」

 王は、娘の言葉に無表情で答え、彼女に近づいてきた。

「お父様!お願いです。こんなことはやめて…もとのお父様に戻って下さい…」

 弱くても、自分にはやさしかった父親。彼からいつも与えられた愛情。それを取り戻したいと必死だった。

「娘よ…」

 王はやんわりと 微笑み娘の頬へ手を伸ばす。

「お父様?」

 父のこんな笑顔を見たのは久しぶりだった。母が生きていた頃いつも見ていたなつかしい笑顔…

「お父様…」

 王女は、そっと自分の頬にふれようとする手を愛おしく見ていた。だが…彼女は気づかなかった。微笑みとは裏腹の、残酷なまでの狂気に包まれている瞳に…

「お姫様!!離れて!!」

その瞳に気づいたファリアが叫び声をあげる。

「え…がはっ…!!!」
「娘よ…そなたはいつから私に反抗するように なったのだ?」

 王は自分の娘の首を絞めながら、自分と同じ目の高さまでつり上げる。

「お…と…」
「誰がここまで育ててやったと思っているのだ?私だろう?私が生かしてやっていたのだろう?なのにその口の効き方はなんだ。何だと言っている!!」

 恐ろしい形相で娘の首を絞める王を見て、ファリアは震えた。

「か…あ…やめ…おと…」

 泡をふきながら、青白くなっていく王女にファリアは悲鳴をあげた!

「おやめなさい!!その子は自分の娘でしょう!?」

 カシェーリアが彼女を救おうと王に飛びついた!

「ばかめ!!」

 魔術師は王に飛びかかったカシェーリアを向け、あの花の粉を振りかける。途端に彼女の体は再び力が失われ始めた。

「あ…!!」
「お母さん!!」

 カシェーリアが倒れる寸前、彼女の手が王の手の甲をわずかに傷つけた。

「この…!!」

 王は娘の首から手を離し、床へ投げ捨てる。そして倒れたカシェーリアを蹴り飛ばした!

「よくも…実験動物のくせに…私を傷つけて…許さん!!」
「王よ。そう蹴り飛ばしては、価値が下がってしまいます。 どうですかな?もうひとつのこの花を使っては…」

 魔術師が差し出した黒い花を王は残酷な笑みを浮かべ受け取った。 




***************************




「あんな女…あんな女を!!」
『…』

 レウシスの母親も銀の花嫁だった。
 銀龍を生み出すことを己が使命と心に刻み、周りの期待を一心に背負った水龍の銀の花嫁。龍を導く銀龍の母になることを夢にみていた、誇り高い龍。
 だが、彼女が生んだのはただの水龍。女ならば、銀の花嫁となることはあっても彼女が生んだのは男。それを知ったとき彼女は怒りのあまり、生まれたばかりのレウシスの 首をしめた。驚いた回りのものにとめられたものの、彼女は半狂乱になった。
 そして、彼女は二度と子を宿すことはなかった。
 誇り高い彼女はそれをすべてレウシスのせいにした。
 お前がいるから、子を宿せないのだと。
 お前がいるから、銀龍の母になることができないのだと。
 彼女は何度も何度も彼を殺そうとした。彼がいなくなれば、ふたたび子を宿せる。 銀龍の母になれるのだと思いこんで…レウシスは実の母親に何度も殺されそうになって、心を閉ざしていった。そして、子供ににつかぬ冷たい瞳をもつ彼を、次第に同情していた龍達も彼から離れていった…異母兄のイージス以外は…

 なんで、今更こんなことを思い出すんだ…
 静かになった扉をみながら、疲れたように、ため息をはく。 

 きゃぁぁぁぁ!!

 そのとき耳を覆いたくなるような悲鳴が頭に響く。

「なに…!?」
『カシェーリア!!?』

 後から、後から頭に突き刺さる悲鳴に、まだあの香りが残っているレウシスは頭を押さえながら、扉によしかかった。

「なんだ…この声!」

 すさまじい絶叫のような声。恐怖と死を目の前にしたような、震えがくるような声だ。 

『レウシス!!この扉を…開けてくれ!!』
「開けられるならもうやっている!!」

 イージスの切羽詰った声に、思わず正直に答えてしまう。レプティを呼んでこなければ…銀の花嫁は嫌いだが、今はそんなことを思っている暇はない。すさまじい悲鳴に、彼女に尋常ならぬことが起きていることがわかる。

「今、この国の契約龍を呼んでくる! それまで…」

 どさ…

「!?」

 レウシスが倒れるような音に振り向くと、そこには苦しげな顔のレプティが胸を押さえながら倒れていた。

「レプティ!?」
「レウシス様…お願いです…王を…王を止めて…」

 レプティを起こしながらレウシスは扉を指差す。彼の願いの意味を聞き返すより、まずはこっちのほうが先決に感じたからだった。

「あれの開け方は!?」
「あれは…!そんな…こんなことに使うなん…」 
「御託はいい!!はやく開けろ!!」
「あれは…命と引き換えに開く扉です。」
「命?」
「ああ…王が…悪しき者を閉じ込めるために作れと…しかし、簡単に開いては困るから命をささげなければ開かぬようにしろと…」
「なんてものを…」

 とんでもないものを生み出してくれたものだ。レウシスはそう思いながらもすぐに対処方法を考える。命をささげるということは誰かが死ななければあの扉は開かないのか?イージスの懇願の声を聞きながら、 どうすることもできない自分に唇をかみ締める。 

「しかし、龍なら…寿命の長い私達なら…」
「どういうことだ?」
「命を捧げるということは、何かを犠牲にすれば開いてしまうということです。ですから、私は限られた生き物しか持ち得ぬ100年という寿命と引き換えでなければ扉を開くことができるようにしたのです。」
「わかった。」
「え…待ってください!!これは私の責任です!私が…」 
「そんなぼろぼろで、何ができる!さっさとやり方を教えろ!時間がない!!」
「…わかりました。中央の丸い模様に触れながら、魔力を放出してください。」

 レプティは時間がないことと、彼の必死の様子にこれ以上何かを言うのをやめた。そして扉を開ける方法をレウシスに伝える。レウシスはレプティの言うまま扉の前に立つと、青い模様に手を近づけた。

『レウシス…』
「勘違いするな。お前を助けるわけじゃない。」

 自分を心配する声に素直ではない彼はそう伝える。
 そうだオレは助けるんじゃない。オレはお前を… 

「お前を殺すのはこのオレだ!そのためには、この中にいられては困るんだよ!!」

 レウシスはためらいもなく右手で、青い模様にふれると、それはぐにゃりとつるのようにレウシスに向かって伸びてきた。彼の手を捕らえ、まるで触手のように広がり、彼を包み込もうと彼を取り囲む。やがて、動きが止まったと思うと、その模様は赤く光り出した。 

「ーーー!!!」

 思わず開いている左手を扉につけ、体を支える。

 なんだこれは!!体中の力がすべてぬけてゆくようだ!!
 レウシスは必死で倒れそうになる体を支える。息が荒くなり、頭にはカシェーリアの悲鳴と、わけのわからない痛みが彼を襲う。青い…いや、赤い模様はレウシスの寿命を吸っていた。まるで、捕らえた獲物のように彼を取り囲む 模様に、レプティは自分の作り出した物が、改めてどんなものかを知った。

「レウシス様!!もう少しです!模様の色が…」

 レウシスの寿命を吸った模様は少しづつ白く変わっていった。まるで浄化されたように、白く輝き、消えて行く模様をレプティは食い入るように見る。

「もう少しです!!」

 …なんだ?なにかわめいている… 
もうろうとした意識で彼はレプティの声を聞いた気がした。

 くそ…力が…
 先ほどかけられた粉と違った意識を乗っ取られるような感覚。
 苦しくて。
 つらくて。
 もうやめたい。
 どうしてオレはこんなことをしているのだろう。嫌いなあいつのために。どうしてオレは…あいつを…
 …追い続けるのだろう… 

『レウシス!!』

 すべてを放棄してしまいたいと思った時、イージスの声が聞こえた。びくりと体が震え、一気に目が覚める。

 …なんで…なんでこいつの声で…
 レウシスは一時でも逃げ出したいと思ったことを後悔した。そして、イージスの声で目を覚ました自分も。

「たかが、こんな模様に…」

 寿命を取られる位で気絶なんてできるか!! 

「のろのろ取ってないで!!一気に奪い、そして消えろ!!!」

 カッ!!
 彼の声に答えたように、模様は一気に白く変わりそして、輝きを放ちながら、消え去る!

「レウシス様!!」

 グォォォオ!!!
 辺りの空気を震わせ、すさまじい魔力と共に、扉から出てきたのは、龍の姿になったレウシスだ。壊れた扉のそばに膝をついているレウシスを目に留め、彼と視線を合わせる。 

「カシェーリア!!ファリア!!」
「あっ…!!」

レプティが止めるひまもなく、イージスは問答無用で半壊している城に、魔力をたたきつけた!

ドォォォォン…

 踏みつけられたようにばらばらになった城をみながら、空に向けて咆哮する。

「私の妻と娘を返せ!!欲望に覆われたおろかなる人間よ!!これ以上の犠牲が惜しくば、今すぐ我のもとへ!!」




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