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晴れ間のペトリコール
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私は左腕を失った。絶望し、どうやって生きていけばいいのか分からなくなった。けれども同時に、利き手を失わなくて良かったと、安堵もした。病院のベッドから街並みを観察していると、ラーメン屋さんに沢山の人が並んでいた。行ってみたいと思った。先程まで左腕を失ったことに絶望し、憂鬱としていた自分が、もうすでにそのことを忘れ、行列のできているラーメン屋さんに行ってみたいという気持ちに駆られていることを思うと、私は案外ポジティブなのかもしれない。気を確かに持ってかかれば、すぐに稼ぎもできて、どうにかなるだろうと自信が湧いてきた。
或る朝、退院が決まった。医者と看護婦に感謝を伝え病院を出た。どうも、天気が私の退院を祝っているような快晴で気分が良かった。まだ、左腕には痛みが残っている。どうという事はない。生きているのだ。
私は、病院のベッドから見たあのラーメン屋さんへ行こうと思った。その道のりで、通行人は私の左腕がないのをチラチラとすれ違い様に見ている。気には障らなかった。人はそれぞれ、人と違うところがある。ただ、私の場合、それが外見にあるだけの事だと気を強く持った。失った左腕を通行人に見られ気が滅入るようではいけない。歩くことすら儘ならない。
ラーメン屋に着いた。今日は、あの時のように行列はできていなかった。木製の引き戸の引き手に右手を引っ掛け、ガラガラと開けた。いらっしゃいませ、と凛々しい声が店内に響いた。
お客が数組と、店員が二人。私は、カウンターの席に腰掛け、塩ラーメンを頼んだ。
お待たせいたしました、と店員が塩ラーメンを運んできてくれた。私は小さく頭を下げ、ラーメンに手をつけた。あの時見たような行列ができる理由が分かるほど美味しかった。美味しいものを食べている間は、自分の左腕がないことも気にせずに済んだ。それが良かった。美味しいものを食べてまわりたくなった。だから、早く職を見つけて稼ぎたいと思った。
或る日。
少し前に簡単なライン工のアルバイトを始めた。その帰り道に和食を食べたくなった。
古めかしい建物で、雰囲気の出ている店を見つけた。少し高くても良いと思った。給料はカバンに持っている。のれんを潜った。窓の外に庭園が見える席についた。風流だ。店員の持ってきたお冷も、心なしか上品に感じる。
一汁三菜。焼き鮭の定食を頼んだ。家で焼く鮭はまるで平凡であるのに、この店で見ると、随分な贅沢だ。こりゃいい。
鮭を一切れ口に運び、白ごはんを食べようとした。茶碗を持ち上げて、と思ったが、そうだ、私は左腕を失っていた。虚しくなった。反射でやろうとしたことができないのだ。不意に現実を突きつけられたように感じた。
行儀は悪いが、どうしようもないので、茶碗は机に置いたままで、顔を茶碗に近づけ、箸で口元まで白ごはんを運んだ。
半分ぐらい食べた。また一切れの鮭と、茶碗に顔を近づけて白ごはんを食べる。
あら、行儀がなってないわ。
ほんと。
近くの席で女性が二人で話しているのが聞こえた。
私のことだと思ってどきどきとした。
いやね、犬みたいよ。
茶碗が持てないのだもの、犬よ。
女性二人は言った。
私のことを言っているに違いない。急に食欲が失せてしまった。席を立ち、お会計をしてもらうことにした。
お残しよ、お残し。
犬でもご飯は残さないわ。
女性二人は言う。
お会計を済ませて店を出た。片腕で稼いだお金を払って、片腕がないことを馬鹿にされた。
なんて惨めだろうか。
あくる朝。どうも寝起きが悪い。昨日の和食屋での一件が尾を引いている。それにより眠る前に思い詰めることを余儀なくされた。
私は生まれつき左腕がないわけではない。だが、生まれつき左腕のない者もいれば、見ることのできない者、嗅ぐことのできない者、歩くことのできない者もいる。それらは罪ではない。にも関わらず、多きか少なきか困難を強いられる。
人はそれを、五体満足者よりもしたたかになるための試練だと言ったり、背景にある理由が元気付けることだけなのに、あなたは強い子だと言ったりする。
私はそれを聞いて思う。世の中は残酷だと。
世間は言う。障害は不幸せに等号ではないと言う。何もわからず、ただ、言う。
私はそれを聞いて思う。やはり、世の中は残酷な現実の押し付けだと。
障害を本当に、心の底から、不幸せでないと思うなら、わざわざ「障害を持っていることは不幸せであることに紐づかない」なんて言わなくてよい。
それを言うということは、前提に障害は不幸せの要素を含んでいるという認識がある。
私はそれが残酷な現実の押し付けだということを、当事者になり、よくよく理解した。
だが、障害が一概に不幸せだと結びつけることが適切ではない。重要なのは、その人自身の人生にどのような価値や意味が見出されているかを尊重することである。
外には出たくないような此の頃だが、家にいても塞いでしまう。逃げ場がないように思われる。社会とは、生きていれば一体そうである。
死ぬことは逃げることではない、死ぬとは終わることである。逃げるとはその先があっての逃げである。死んでしまえば現実にその先はなくなる。
やはり社会には逃げ場がない。たとえ辛さからいくら逃げようとも、逃げ切ったように思えても、最終人は死ぬのである。人生という単位に区切りをつければ、その場その場で何かから逃げ切るということは成立するかもしれないが。
だから私は、塞ぎ込んでしまい暗いことを考えてしまう家の中から一時的に逃げてみようと思う。
外を眺めると生憎の雨であった。雨粒が窓に当たり、コツコツと音を大きく立てている。強い。でもそれが今の私にとっては生憎ではないかもしれない。
傘を差して外へ出た。思った通りだ。休日の日の雨天。人通りは少ない。
外でご飯を食べることは億劫だが、人がいないのなら、また、あのラーメン屋さんに行きたい。
そう思うと、もうその腹になってしまった。強い雨で、傘を差していても、歩けば足元はびっしょりと濡れた。
ラーメン屋の前に着くと、濡れたのれんを潜った。
前は塩ラーメンを食べたので、他のものを食べようかと迷ったのだが、あの味をもう一度、ともよぎる。
結局塩ラーメンを選び、店員が運んできた。
一口スープを飲んだ。やはり美味しい。夢中でラーメンを食べた。水をぐいっと飲み干し席を立った。
またのお越しをお待ちしております、という店員の言葉が少し嬉しく感じた。
外に出ると雨は止んでいた。グレーの雲から光が差し込む晴れ間。雨上がりの独特の匂いがしている。
家に帰るために歩いていると、行きよりも、人通りが増えたように思う。雨が上がったので、遊びに出ようと待ち合わせをしているような人が多い。
よそ見をしながら歩いていると、段差に足を引っ掛けて躓いてしまった。人の多いところだったので恥ずかしかった。だが、一人の男性が声をかけてくれ、手を差し伸べてくれた。
私はありがとうございますと感謝し、その場から歩き始めた。
助けてくれた男性の方へ振り返ると、その男性も待ち合わせの友人と会えたようだった。
その男性は友人に、さっき俺の目の前で片腕ないやつが転けたから助けてやった、と話をしていた。
私は歩いた。家に早く帰ろうと。
五分ほど歩くと、またポツポツと雨が降り始めた。ペトリコールの匂いがした。
或る朝、退院が決まった。医者と看護婦に感謝を伝え病院を出た。どうも、天気が私の退院を祝っているような快晴で気分が良かった。まだ、左腕には痛みが残っている。どうという事はない。生きているのだ。
私は、病院のベッドから見たあのラーメン屋さんへ行こうと思った。その道のりで、通行人は私の左腕がないのをチラチラとすれ違い様に見ている。気には障らなかった。人はそれぞれ、人と違うところがある。ただ、私の場合、それが外見にあるだけの事だと気を強く持った。失った左腕を通行人に見られ気が滅入るようではいけない。歩くことすら儘ならない。
ラーメン屋に着いた。今日は、あの時のように行列はできていなかった。木製の引き戸の引き手に右手を引っ掛け、ガラガラと開けた。いらっしゃいませ、と凛々しい声が店内に響いた。
お客が数組と、店員が二人。私は、カウンターの席に腰掛け、塩ラーメンを頼んだ。
お待たせいたしました、と店員が塩ラーメンを運んできてくれた。私は小さく頭を下げ、ラーメンに手をつけた。あの時見たような行列ができる理由が分かるほど美味しかった。美味しいものを食べている間は、自分の左腕がないことも気にせずに済んだ。それが良かった。美味しいものを食べてまわりたくなった。だから、早く職を見つけて稼ぎたいと思った。
或る日。
少し前に簡単なライン工のアルバイトを始めた。その帰り道に和食を食べたくなった。
古めかしい建物で、雰囲気の出ている店を見つけた。少し高くても良いと思った。給料はカバンに持っている。のれんを潜った。窓の外に庭園が見える席についた。風流だ。店員の持ってきたお冷も、心なしか上品に感じる。
一汁三菜。焼き鮭の定食を頼んだ。家で焼く鮭はまるで平凡であるのに、この店で見ると、随分な贅沢だ。こりゃいい。
鮭を一切れ口に運び、白ごはんを食べようとした。茶碗を持ち上げて、と思ったが、そうだ、私は左腕を失っていた。虚しくなった。反射でやろうとしたことができないのだ。不意に現実を突きつけられたように感じた。
行儀は悪いが、どうしようもないので、茶碗は机に置いたままで、顔を茶碗に近づけ、箸で口元まで白ごはんを運んだ。
半分ぐらい食べた。また一切れの鮭と、茶碗に顔を近づけて白ごはんを食べる。
あら、行儀がなってないわ。
ほんと。
近くの席で女性が二人で話しているのが聞こえた。
私のことだと思ってどきどきとした。
いやね、犬みたいよ。
茶碗が持てないのだもの、犬よ。
女性二人は言った。
私のことを言っているに違いない。急に食欲が失せてしまった。席を立ち、お会計をしてもらうことにした。
お残しよ、お残し。
犬でもご飯は残さないわ。
女性二人は言う。
お会計を済ませて店を出た。片腕で稼いだお金を払って、片腕がないことを馬鹿にされた。
なんて惨めだろうか。
あくる朝。どうも寝起きが悪い。昨日の和食屋での一件が尾を引いている。それにより眠る前に思い詰めることを余儀なくされた。
私は生まれつき左腕がないわけではない。だが、生まれつき左腕のない者もいれば、見ることのできない者、嗅ぐことのできない者、歩くことのできない者もいる。それらは罪ではない。にも関わらず、多きか少なきか困難を強いられる。
人はそれを、五体満足者よりもしたたかになるための試練だと言ったり、背景にある理由が元気付けることだけなのに、あなたは強い子だと言ったりする。
私はそれを聞いて思う。世の中は残酷だと。
世間は言う。障害は不幸せに等号ではないと言う。何もわからず、ただ、言う。
私はそれを聞いて思う。やはり、世の中は残酷な現実の押し付けだと。
障害を本当に、心の底から、不幸せでないと思うなら、わざわざ「障害を持っていることは不幸せであることに紐づかない」なんて言わなくてよい。
それを言うということは、前提に障害は不幸せの要素を含んでいるという認識がある。
私はそれが残酷な現実の押し付けだということを、当事者になり、よくよく理解した。
だが、障害が一概に不幸せだと結びつけることが適切ではない。重要なのは、その人自身の人生にどのような価値や意味が見出されているかを尊重することである。
外には出たくないような此の頃だが、家にいても塞いでしまう。逃げ場がないように思われる。社会とは、生きていれば一体そうである。
死ぬことは逃げることではない、死ぬとは終わることである。逃げるとはその先があっての逃げである。死んでしまえば現実にその先はなくなる。
やはり社会には逃げ場がない。たとえ辛さからいくら逃げようとも、逃げ切ったように思えても、最終人は死ぬのである。人生という単位に区切りをつければ、その場その場で何かから逃げ切るということは成立するかもしれないが。
だから私は、塞ぎ込んでしまい暗いことを考えてしまう家の中から一時的に逃げてみようと思う。
外を眺めると生憎の雨であった。雨粒が窓に当たり、コツコツと音を大きく立てている。強い。でもそれが今の私にとっては生憎ではないかもしれない。
傘を差して外へ出た。思った通りだ。休日の日の雨天。人通りは少ない。
外でご飯を食べることは億劫だが、人がいないのなら、また、あのラーメン屋さんに行きたい。
そう思うと、もうその腹になってしまった。強い雨で、傘を差していても、歩けば足元はびっしょりと濡れた。
ラーメン屋の前に着くと、濡れたのれんを潜った。
前は塩ラーメンを食べたので、他のものを食べようかと迷ったのだが、あの味をもう一度、ともよぎる。
結局塩ラーメンを選び、店員が運んできた。
一口スープを飲んだ。やはり美味しい。夢中でラーメンを食べた。水をぐいっと飲み干し席を立った。
またのお越しをお待ちしております、という店員の言葉が少し嬉しく感じた。
外に出ると雨は止んでいた。グレーの雲から光が差し込む晴れ間。雨上がりの独特の匂いがしている。
家に帰るために歩いていると、行きよりも、人通りが増えたように思う。雨が上がったので、遊びに出ようと待ち合わせをしているような人が多い。
よそ見をしながら歩いていると、段差に足を引っ掛けて躓いてしまった。人の多いところだったので恥ずかしかった。だが、一人の男性が声をかけてくれ、手を差し伸べてくれた。
私はありがとうございますと感謝し、その場から歩き始めた。
助けてくれた男性の方へ振り返ると、その男性も待ち合わせの友人と会えたようだった。
その男性は友人に、さっき俺の目の前で片腕ないやつが転けたから助けてやった、と話をしていた。
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