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2.連絡員との再会、休暇は終わりぬ
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昼の海を眺めに行く時には、必ず頭から布をかぶっていかなくてはならない。強い日差しは、昼時間が終わるまで安心できるものではない。
それは彼がこの惑星にやって来る時に仕入れた知識だった。来るのは初めてだった。
一体俺は、どれだけの場所を移動してきたことだろう。
彼は岩場に腰掛けて、ぼんやりと海を眺める。青い空を映したそれは、青より青い。波もなく、おだやかに、時々動いてゆくその音だけが耳に届く。
頭からかぶった布は、彼の視界に影を落として、その強い光を和らげてくれる。それでも彼はやや目を細める。遠くを見つめる。これだけ静かで、誰もいない海の側で過ごすのは、初めてだった。
生まれた惑星には、海は存在しなかった。見渡す限り、ごつごつとした岩場だった。土は硬く、植物は育ちにくく、寒暖の差は一日の中でも、季節の中でも激しく、およそ、人間の暮らす環境としては、最悪の部類だった。
しかし今はその惑星は無い。無いと聞いている。郷愁を覚えるような惑星ではなかったが、ここに来てから、妙に彼には強く思い出されていた。
そんな、住み心地の悪い惑星でも、彼らが生きていくには、そう不自由はなかった、という記憶もある。こうやって、あちこちの惑星を転々としてきた結果、あの惑星は住み難かったのではないか、と後になって思うだけである。そこに居るうちには、それなりに生きていた。だが今あの惑星に住み着け、と言われたら、正直言って、それができるかどうか、怪しい。
耳の中に、ざ…… と同じ高さの音が、延々響いている。繰り返されるその音で、何となく眠気がさしてきそうだった。
無論彼は眠らなかった。
眠る代わりに、ゆっくりと振り向いた。
波の音の合間に、微かにその音が、彼の耳には飛び込んできた。
足音を消すことなど、簡単だろう。
「やあ」
明るい声が、彼の耳に飛び込む。やあ、と彼は返した。
同じ様な、白い長い服に、布をかぶった男が、そこには立っていた。いつもなら、そんな風に立つのは、イェ・ホウだった。そしてそこで、またしばらく、ぼんやりと時間を過ごすのが常だった。
しかし違う。イェ・ホウは、今は淡い金色に色を替えた髪を短くしている。前の黒髪も良かったけれど、それもいいな、とGは思っている。短いのが似合うのだ。
少なくとも、こんな長い髪は、していない。
「久しぶり、じゃない。どぉ、元気だった?」
栗色の、背中の半分まである髪を微かな風に揺らせ、連絡員は口元に軽い笑みを浮かべて、彼に問いかけた。
「不元気、と言ったら?」
「仕事は待ってはくれないんだけどね」
それでいて、言うことの容赦無さは、変わりはしない。彼は苦笑する。
「何の仕事?」
「言ってしまえば、簡単なんだけど」
「言ってしまえよ」
「暗殺」
確かに簡単だ、と彼は思う。
「ふうん。それで、誰を?」
「それも簡単」
連絡員は短く答える。
「俺がさ、最近ずっと探してきた奴って、知ってるでしょ」
ああ、と彼はうなづく。
「我らが組織の活動に一番厄介な天使サマ方の、元締めの様な奴だよね」
何を今更、と彼は横に屈み込む盟友をちら、と見ながら思う。
「あれから俺、も少し追跡を続けたんだけどさ、そーんな奴って、全部で三人いるのね」
「三人?」
「そ。未だにどんな奴なのか、最初に見つけた一人以外、全然引っかかって来ないんだけどね」
「へえ」
彼はつとめて平静に答える。
「お前にしては、キム、なかなか困ってる方じゃないの?」
「ええ全くですよ」
キムと呼ばれた連絡員は、そう言いながら、落ちてくる長い髪を布をかきあげつつ耳に掛けた。
「だからね、とりあえず、判ってる奴を抹殺しちまおう、って算段なんだけど」
「それが、命令?」
「そう」
あっさりとキムは答える。
「我らが盟主からの、お前さんへの御命令、だよ。『お前の接触しているSeraph幹部の一人を殺せ』」
ふうっ、と彼の首すじに掛かっていた布が、風に動いた。視線を海から外すことなく、Gは連絡員に問いかける。
「嫌だ、と言ったら?」
「俺の役割って知ってる?」
「連絡員だろ?」
「そうだよ。でもそれは一つの顔。こっちは、お前に見せたことは無いよね」
「ふうん?」
「お前には、あまり見せたくはないけどね」
「俺だって、見たくないけどね」
彼はそばの石を一つ拾って、海に投げた。
「本気だよ」
キムは彼の顎を掴むと、くい、と自分の方を向かせた。
「お前が誰であろうが、もしお前が、Mを、我らが盟主を裏切る様なことがあったら、俺が、お前を殺すからね」
それは本気だ、と彼は理解した。
いや、判っていた。
この連絡員にとって、何よりも大切なものは。
Gは服のほこりを払いながら立ち上がると、つ、と顔を一瞬海の方へ向けた。残念だな、と彼は思う。結構この風景は好きだったから。
「仕事に、取りかかってくれよな」
連絡員はいつになく、強い口調になる。彼は曖昧にああ、と返事をする。そう答えておいて、その反面、どうしようか、と考える。連絡員は、彼が誰の所に居るのか、知っている。知らないはずが無いのだ。
だが連絡員が気付いているということは、逆に、イェ・ホウも連絡員の存在に気付いている、ということだ。彼はそれを期待した。
*
床まで続く窓を開けて中に入ると、既にそこには誰の姿もなかった。
Gはふっ、と視線を巡らす。誰かがほんの少し前まで、そこに居た気配はある。今朝羽織っていたシャツはベッドに掛けたままだし、銀色のワゴンの上には、昼前に取り替えたポットとジョッキがある。彼は近づくと、空いている方のジョッキを一つ取り、ポットの中にまだ残っている液体をその中に入れた。
仕事、か。
彼は口の中でつぶやく。確かに彼の立場としては、それは妥当な「仕事」だった。今までの行動の方が、おかしい。基本的に中立の姿勢をとっているあの内調局員とつきあうのとは意味が違うのだ。
敵対勢力における、自分と同じくらいの立場の者。イェ・ホウはそういう存在だった。だけど出会った時にはそうではなかった。少なくとも、自分にとっては。そして向こうにしても、そんなことはどっちでも良かっただろう。……本当の正体と、未来の正体を知っていたとしても、だ。
ごく、と彼はジョッキの中身を飲み干す。唇の端から、そのやや濃いめの白い液体が少しだけはみ出す。手の甲でぬぐうと、そのややべとつく様な感触が、いささかの記憶をかき立てる。
さて。
飲み干した彼は、一度目を閉じた。強くつぶり、大きく開く。
休暇は終わりだ。
とりあえずイェ・ホウがこの場から立ち去ってくれていたことに、安堵している自分に彼は気付いていた。この先自分がどう転ぶのかは、彼自身も判っていない。
ただ、判っているのは、いつかは自分がどちらかに傾くであろうことであり、それがそう遠いことではない、ということだった。
彼は白い長い服を脱ぎ捨て、ここにやってきた時に身につけていた服を取り出した。この地には、およそふさわしくない、黒いデニムのパンツと、上はやや緩やかなコットンのシャツ。もともと荷物は多くはなかった。ほとんど着の身着のままだった。必要なものは、上着の中に全て入れたはずだ。
使い慣れた偽名のサンド・リヨン名義のパスポート・カードを服の内側に指で探る。と、中で紙の感触がした。するりとそれを引っぱり出すと、ちぎられたニュースペイパーの端に、最近見慣れた文字が、こうつづられていた。
『ロゥベヤーガ、カッフェー・アーイシャ、夜時刻プラス三時間、マーシャイ』
彼はそれを指先で細くよると、再び内ポケットに入れた。
残されていた地上車に乗り込むと、彼は白い箱の建物を後にした。サングラスごしの視界は、布だけで日差しを避けていた時にくらべ、奇妙に鮮明だった。
背後で、爆発音がした。三回同じ音が続き、四回目には、明らかに建物そのものが破壊されたことを、音が語っていた。
だが彼は振り向かずに、ハンドルを握ったままだった。限定爆破は連絡員の得意な方法だ。自分が脱出したことを知っているのかどうかは判らない。しかし彼らが居た痕跡を消すことは大切だろう。
ロゥベヤーガ、と書かれた青い標識が彼の視界に入る。彼は進路を北北東に向けた。
それは彼がこの惑星にやって来る時に仕入れた知識だった。来るのは初めてだった。
一体俺は、どれだけの場所を移動してきたことだろう。
彼は岩場に腰掛けて、ぼんやりと海を眺める。青い空を映したそれは、青より青い。波もなく、おだやかに、時々動いてゆくその音だけが耳に届く。
頭からかぶった布は、彼の視界に影を落として、その強い光を和らげてくれる。それでも彼はやや目を細める。遠くを見つめる。これだけ静かで、誰もいない海の側で過ごすのは、初めてだった。
生まれた惑星には、海は存在しなかった。見渡す限り、ごつごつとした岩場だった。土は硬く、植物は育ちにくく、寒暖の差は一日の中でも、季節の中でも激しく、およそ、人間の暮らす環境としては、最悪の部類だった。
しかし今はその惑星は無い。無いと聞いている。郷愁を覚えるような惑星ではなかったが、ここに来てから、妙に彼には強く思い出されていた。
そんな、住み心地の悪い惑星でも、彼らが生きていくには、そう不自由はなかった、という記憶もある。こうやって、あちこちの惑星を転々としてきた結果、あの惑星は住み難かったのではないか、と後になって思うだけである。そこに居るうちには、それなりに生きていた。だが今あの惑星に住み着け、と言われたら、正直言って、それができるかどうか、怪しい。
耳の中に、ざ…… と同じ高さの音が、延々響いている。繰り返されるその音で、何となく眠気がさしてきそうだった。
無論彼は眠らなかった。
眠る代わりに、ゆっくりと振り向いた。
波の音の合間に、微かにその音が、彼の耳には飛び込んできた。
足音を消すことなど、簡単だろう。
「やあ」
明るい声が、彼の耳に飛び込む。やあ、と彼は返した。
同じ様な、白い長い服に、布をかぶった男が、そこには立っていた。いつもなら、そんな風に立つのは、イェ・ホウだった。そしてそこで、またしばらく、ぼんやりと時間を過ごすのが常だった。
しかし違う。イェ・ホウは、今は淡い金色に色を替えた髪を短くしている。前の黒髪も良かったけれど、それもいいな、とGは思っている。短いのが似合うのだ。
少なくとも、こんな長い髪は、していない。
「久しぶり、じゃない。どぉ、元気だった?」
栗色の、背中の半分まである髪を微かな風に揺らせ、連絡員は口元に軽い笑みを浮かべて、彼に問いかけた。
「不元気、と言ったら?」
「仕事は待ってはくれないんだけどね」
それでいて、言うことの容赦無さは、変わりはしない。彼は苦笑する。
「何の仕事?」
「言ってしまえば、簡単なんだけど」
「言ってしまえよ」
「暗殺」
確かに簡単だ、と彼は思う。
「ふうん。それで、誰を?」
「それも簡単」
連絡員は短く答える。
「俺がさ、最近ずっと探してきた奴って、知ってるでしょ」
ああ、と彼はうなづく。
「我らが組織の活動に一番厄介な天使サマ方の、元締めの様な奴だよね」
何を今更、と彼は横に屈み込む盟友をちら、と見ながら思う。
「あれから俺、も少し追跡を続けたんだけどさ、そーんな奴って、全部で三人いるのね」
「三人?」
「そ。未だにどんな奴なのか、最初に見つけた一人以外、全然引っかかって来ないんだけどね」
「へえ」
彼はつとめて平静に答える。
「お前にしては、キム、なかなか困ってる方じゃないの?」
「ええ全くですよ」
キムと呼ばれた連絡員は、そう言いながら、落ちてくる長い髪を布をかきあげつつ耳に掛けた。
「だからね、とりあえず、判ってる奴を抹殺しちまおう、って算段なんだけど」
「それが、命令?」
「そう」
あっさりとキムは答える。
「我らが盟主からの、お前さんへの御命令、だよ。『お前の接触しているSeraph幹部の一人を殺せ』」
ふうっ、と彼の首すじに掛かっていた布が、風に動いた。視線を海から外すことなく、Gは連絡員に問いかける。
「嫌だ、と言ったら?」
「俺の役割って知ってる?」
「連絡員だろ?」
「そうだよ。でもそれは一つの顔。こっちは、お前に見せたことは無いよね」
「ふうん?」
「お前には、あまり見せたくはないけどね」
「俺だって、見たくないけどね」
彼はそばの石を一つ拾って、海に投げた。
「本気だよ」
キムは彼の顎を掴むと、くい、と自分の方を向かせた。
「お前が誰であろうが、もしお前が、Mを、我らが盟主を裏切る様なことがあったら、俺が、お前を殺すからね」
それは本気だ、と彼は理解した。
いや、判っていた。
この連絡員にとって、何よりも大切なものは。
Gは服のほこりを払いながら立ち上がると、つ、と顔を一瞬海の方へ向けた。残念だな、と彼は思う。結構この風景は好きだったから。
「仕事に、取りかかってくれよな」
連絡員はいつになく、強い口調になる。彼は曖昧にああ、と返事をする。そう答えておいて、その反面、どうしようか、と考える。連絡員は、彼が誰の所に居るのか、知っている。知らないはずが無いのだ。
だが連絡員が気付いているということは、逆に、イェ・ホウも連絡員の存在に気付いている、ということだ。彼はそれを期待した。
*
床まで続く窓を開けて中に入ると、既にそこには誰の姿もなかった。
Gはふっ、と視線を巡らす。誰かがほんの少し前まで、そこに居た気配はある。今朝羽織っていたシャツはベッドに掛けたままだし、銀色のワゴンの上には、昼前に取り替えたポットとジョッキがある。彼は近づくと、空いている方のジョッキを一つ取り、ポットの中にまだ残っている液体をその中に入れた。
仕事、か。
彼は口の中でつぶやく。確かに彼の立場としては、それは妥当な「仕事」だった。今までの行動の方が、おかしい。基本的に中立の姿勢をとっているあの内調局員とつきあうのとは意味が違うのだ。
敵対勢力における、自分と同じくらいの立場の者。イェ・ホウはそういう存在だった。だけど出会った時にはそうではなかった。少なくとも、自分にとっては。そして向こうにしても、そんなことはどっちでも良かっただろう。……本当の正体と、未来の正体を知っていたとしても、だ。
ごく、と彼はジョッキの中身を飲み干す。唇の端から、そのやや濃いめの白い液体が少しだけはみ出す。手の甲でぬぐうと、そのややべとつく様な感触が、いささかの記憶をかき立てる。
さて。
飲み干した彼は、一度目を閉じた。強くつぶり、大きく開く。
休暇は終わりだ。
とりあえずイェ・ホウがこの場から立ち去ってくれていたことに、安堵している自分に彼は気付いていた。この先自分がどう転ぶのかは、彼自身も判っていない。
ただ、判っているのは、いつかは自分がどちらかに傾くであろうことであり、それがそう遠いことではない、ということだった。
彼は白い長い服を脱ぎ捨て、ここにやってきた時に身につけていた服を取り出した。この地には、およそふさわしくない、黒いデニムのパンツと、上はやや緩やかなコットンのシャツ。もともと荷物は多くはなかった。ほとんど着の身着のままだった。必要なものは、上着の中に全て入れたはずだ。
使い慣れた偽名のサンド・リヨン名義のパスポート・カードを服の内側に指で探る。と、中で紙の感触がした。するりとそれを引っぱり出すと、ちぎられたニュースペイパーの端に、最近見慣れた文字が、こうつづられていた。
『ロゥベヤーガ、カッフェー・アーイシャ、夜時刻プラス三時間、マーシャイ』
彼はそれを指先で細くよると、再び内ポケットに入れた。
残されていた地上車に乗り込むと、彼は白い箱の建物を後にした。サングラスごしの視界は、布だけで日差しを避けていた時にくらべ、奇妙に鮮明だった。
背後で、爆発音がした。三回同じ音が続き、四回目には、明らかに建物そのものが破壊されたことを、音が語っていた。
だが彼は振り向かずに、ハンドルを握ったままだった。限定爆破は連絡員の得意な方法だ。自分が脱出したことを知っているのかどうかは判らない。しかし彼らが居た痕跡を消すことは大切だろう。
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