74 / 78
73.初めて会った場所、冬の惑星
しおりを挟む
然るべき制裁処置、ね。彼はこの声の主が以前に言ったことを思い出す。
お前が誰であろうが、もしお前が、Mを、我らが盟主を裏切る様なことがあったら、俺が、お前を殺すからね。
本気だな、とGは思う。本気でなくてはならない、とも思う。奴の立場なら当然だろう、と。
MMそのものには未練は無い。自分の役割はそこには無いのだから。
ただ。
放送は続く。自分の名前、偽名、容姿の特徴などが次々と挙げられて行く。これは確かに本気だ、と彼は思う。
しかし。
『……』
それは、それまでの威嚇的な声音とは別人の様な、囁く様な声だった。
幾つもの数字が、さらさらと並べ立てられていく。ちょっと待て、と彼は思わずその部分を巻き戻そうとする。
「数字だったら、こっちにあるよ」
イアサムが、既に書き取ってあったのだろう、ぎっしりと数字が書かれているメモを彼に手渡した。
憮然とした、あの連絡員の表情が目に浮かぶ。気がかりなのは、あのレプリカントのことだけだった。
GはMM幹部の独特の乱数表を頭に思い浮かべる。キムは自分がどの程度それを熟知していたのか、良く知っているはずだった。
呆れる程の数字は、たった一行のセンテンスに要約される。
『初めて会った場所を覚えているか?』
**
冬の惑星だった、と記憶している。
マレエフ、という名の惑星だった、と記憶している。
彼は長い間、その場所に座っていた。
壊れ掛けたコンクリートの壁の上で、コートのポケットに手を突っ込んで、ぼんやりと空を見ていた。
青いなあ。
ふと思う。雲が立ちこめた空から、ほんの時々かいま見える空は、遠く、高く、高く、ひたすら青い。
雨が降るのだろうか。雪ではなく。確かに、雪が降る程寒くはない。
もっと、寒いものだと思っていたのに。
記憶の中では、ここは冬の惑星だった。……違ったのだろうか。
違う、とキムはふと顔を上げる。確かに冬の惑星だけど、冬でない季節だってあったんだ。
上空の風が、たっぷりとした雲を動かす。ゆったりとした動きをずっと見ていると、何となく、時間の感覚を忘れてしまいそうだった。
ファクトリィ全体を囲う、コントリートの塀。高かったはずの壁は、これでもかとばかりに仕掛けられたトラップによって、背丈を半分にしていた。
そんな高さのまちまちな塀に器用に腰掛けながら、彼はずっと見続けていた。
ずっとここには足を踏み入れていなかった。
避けていた訳ではない。ただ仕事がここには無かっただけだ。
そう彼は思っていた。
この地についてから、何度か、この場所を歩き回った。
その昔、攻撃を受け、破壊されたファクトリィは、直されることもなく、それ以上壊されることもなく、その地にあった。
いや、その惑星自体が見放されていたと言ってもいい。かつてはそれでも人が住んでいたはずなのに、戦争の終結後は、置き忘れられた様になっていると言う。
レプリカントの生産が産業の中心だった惑星なのだから、その産業が動かないのだから、当然なのかもしれない。
戦争の後、帝国となった天使種は、自分達の惑星を捨て、古くからの植民星を帝都とし、新たな植民星を次々に作り出した。
こんな、人が住みにくい、冬の惑星ではなく、もっと、暖かく、住み易い惑星。
皆寒いのは嫌いなんだよ。
キムは口の中でつぶやく。
彼は待っていた。
ただ、その待ち人に対してはいつ、と指定もしていない。だから、ここへやってきてから数日が経っていた。
その間、ずっと、このファクトリィの中をさまよっていた。
さびた鉄骨、崩れ落ちたレンガ、一階の木の床の隙間からは細い長い草がここぞとばかりに手を伸ばしている。
その生命力が、あの遠い惑星にのびのび暮らしているだろう疑似植物のそれを思わせる。
故郷にしてもいい、と言われたけれど、どうしてもする気になれなかった場所。人間の支配から自由になった惑星。
レプリカントのHLMを持った者もまだそこには残っている。だけどそこは「故郷」とはとうてい思えない。
彼の記憶が戻って行くのは、いつでもこの惑星だった。
決していい記憶がある訳ではない。むしろ辛い記憶ばかりだ。
だがここが、自分の始まりだったのだ、とキムは思う。
ガラスが割れた廊下を歩くと、腐りかけた木の床がぎしぎしと今にも崩れそうな音を立てる。
そう、確かこの戸の向こうで。
その頃自分達はここに住んでいた。決して長い時間ではなかったが、レプリカントだけが集結して、一つのコミュニティを作っていた。
……いや、コミュニティと言うにはややニュアンスが違う。キムはそんな自分の考えに首をひねる。
たった一人の、人間の心を持つレプリカントをリーダーに、彼らは一度滅びるために、集結したのだ。
……それから……
そこで彼は考えに行き詰まる。
どうした、の、だった?
忘れている訳ではない。ただ、大切なことが、思い当たらなくなっている。
起こったことは、覚えている。自分だけが、別の場所に行く様に指示されて、その間に、全てが終わってしまっていたこと。そこで自分が、オーヴァヒートして、動けなくなってしまったこと。
……それだけだったよな。
記憶を巻き戻すたびに、僅かな疑問が残る。
何か、大切なことが出て来ない様な気がする。事実は、ちゃんと記憶されているというのに。
たてつけの悪い戸を開ける。凄いものだ、と彼は感心する。まだ戸車がちゃんと動いていたのか。
確かここで、首領が自分に何か言っていた。あのひとにしては、ひどく冷たい口調で。怖くて、思わず必要以上のことを口に出せなかった。
……そして確か。
廊下の向かい側の、少し離れた部屋に入る。割れたガラス窓から、砂ぼこりが入って積もり積もっている。だが棚のガラスは壊れていなかった。
中に何か入っている。キムはそのガラス扉をこじ開ける。
ぱりん、と音がして、ガラス扉はカケラを飛び散らせながら開いた。
服だ、と彼は思った。中にはくすんだ色の服が幾枚かあった。ああそうだ。思い出す。確かこの時、奴が。
寒い、と言ったのはGだった。
長い時間の間に、密閉された中にあったせいか、その服は未だに張りのある生地と、柔らかな綿を中に詰めていた。
くっ、と広げたそれを彼は抱きしめる。
「寒い」
彼はそっと口にしてみる。
そうだそう言ったんだ。
お前が誰であろうが、もしお前が、Mを、我らが盟主を裏切る様なことがあったら、俺が、お前を殺すからね。
本気だな、とGは思う。本気でなくてはならない、とも思う。奴の立場なら当然だろう、と。
MMそのものには未練は無い。自分の役割はそこには無いのだから。
ただ。
放送は続く。自分の名前、偽名、容姿の特徴などが次々と挙げられて行く。これは確かに本気だ、と彼は思う。
しかし。
『……』
それは、それまでの威嚇的な声音とは別人の様な、囁く様な声だった。
幾つもの数字が、さらさらと並べ立てられていく。ちょっと待て、と彼は思わずその部分を巻き戻そうとする。
「数字だったら、こっちにあるよ」
イアサムが、既に書き取ってあったのだろう、ぎっしりと数字が書かれているメモを彼に手渡した。
憮然とした、あの連絡員の表情が目に浮かぶ。気がかりなのは、あのレプリカントのことだけだった。
GはMM幹部の独特の乱数表を頭に思い浮かべる。キムは自分がどの程度それを熟知していたのか、良く知っているはずだった。
呆れる程の数字は、たった一行のセンテンスに要約される。
『初めて会った場所を覚えているか?』
**
冬の惑星だった、と記憶している。
マレエフ、という名の惑星だった、と記憶している。
彼は長い間、その場所に座っていた。
壊れ掛けたコンクリートの壁の上で、コートのポケットに手を突っ込んで、ぼんやりと空を見ていた。
青いなあ。
ふと思う。雲が立ちこめた空から、ほんの時々かいま見える空は、遠く、高く、高く、ひたすら青い。
雨が降るのだろうか。雪ではなく。確かに、雪が降る程寒くはない。
もっと、寒いものだと思っていたのに。
記憶の中では、ここは冬の惑星だった。……違ったのだろうか。
違う、とキムはふと顔を上げる。確かに冬の惑星だけど、冬でない季節だってあったんだ。
上空の風が、たっぷりとした雲を動かす。ゆったりとした動きをずっと見ていると、何となく、時間の感覚を忘れてしまいそうだった。
ファクトリィ全体を囲う、コントリートの塀。高かったはずの壁は、これでもかとばかりに仕掛けられたトラップによって、背丈を半分にしていた。
そんな高さのまちまちな塀に器用に腰掛けながら、彼はずっと見続けていた。
ずっとここには足を踏み入れていなかった。
避けていた訳ではない。ただ仕事がここには無かっただけだ。
そう彼は思っていた。
この地についてから、何度か、この場所を歩き回った。
その昔、攻撃を受け、破壊されたファクトリィは、直されることもなく、それ以上壊されることもなく、その地にあった。
いや、その惑星自体が見放されていたと言ってもいい。かつてはそれでも人が住んでいたはずなのに、戦争の終結後は、置き忘れられた様になっていると言う。
レプリカントの生産が産業の中心だった惑星なのだから、その産業が動かないのだから、当然なのかもしれない。
戦争の後、帝国となった天使種は、自分達の惑星を捨て、古くからの植民星を帝都とし、新たな植民星を次々に作り出した。
こんな、人が住みにくい、冬の惑星ではなく、もっと、暖かく、住み易い惑星。
皆寒いのは嫌いなんだよ。
キムは口の中でつぶやく。
彼は待っていた。
ただ、その待ち人に対してはいつ、と指定もしていない。だから、ここへやってきてから数日が経っていた。
その間、ずっと、このファクトリィの中をさまよっていた。
さびた鉄骨、崩れ落ちたレンガ、一階の木の床の隙間からは細い長い草がここぞとばかりに手を伸ばしている。
その生命力が、あの遠い惑星にのびのび暮らしているだろう疑似植物のそれを思わせる。
故郷にしてもいい、と言われたけれど、どうしてもする気になれなかった場所。人間の支配から自由になった惑星。
レプリカントのHLMを持った者もまだそこには残っている。だけどそこは「故郷」とはとうてい思えない。
彼の記憶が戻って行くのは、いつでもこの惑星だった。
決していい記憶がある訳ではない。むしろ辛い記憶ばかりだ。
だがここが、自分の始まりだったのだ、とキムは思う。
ガラスが割れた廊下を歩くと、腐りかけた木の床がぎしぎしと今にも崩れそうな音を立てる。
そう、確かこの戸の向こうで。
その頃自分達はここに住んでいた。決して長い時間ではなかったが、レプリカントだけが集結して、一つのコミュニティを作っていた。
……いや、コミュニティと言うにはややニュアンスが違う。キムはそんな自分の考えに首をひねる。
たった一人の、人間の心を持つレプリカントをリーダーに、彼らは一度滅びるために、集結したのだ。
……それから……
そこで彼は考えに行き詰まる。
どうした、の、だった?
忘れている訳ではない。ただ、大切なことが、思い当たらなくなっている。
起こったことは、覚えている。自分だけが、別の場所に行く様に指示されて、その間に、全てが終わってしまっていたこと。そこで自分が、オーヴァヒートして、動けなくなってしまったこと。
……それだけだったよな。
記憶を巻き戻すたびに、僅かな疑問が残る。
何か、大切なことが出て来ない様な気がする。事実は、ちゃんと記憶されているというのに。
たてつけの悪い戸を開ける。凄いものだ、と彼は感心する。まだ戸車がちゃんと動いていたのか。
確かここで、首領が自分に何か言っていた。あのひとにしては、ひどく冷たい口調で。怖くて、思わず必要以上のことを口に出せなかった。
……そして確か。
廊下の向かい側の、少し離れた部屋に入る。割れたガラス窓から、砂ぼこりが入って積もり積もっている。だが棚のガラスは壊れていなかった。
中に何か入っている。キムはそのガラス扉をこじ開ける。
ぱりん、と音がして、ガラス扉はカケラを飛び散らせながら開いた。
服だ、と彼は思った。中にはくすんだ色の服が幾枚かあった。ああそうだ。思い出す。確かこの時、奴が。
寒い、と言ったのはGだった。
長い時間の間に、密閉された中にあったせいか、その服は未だに張りのある生地と、柔らかな綿を中に詰めていた。
くっ、と広げたそれを彼は抱きしめる。
「寒い」
彼はそっと口にしてみる。
そうだそう言ったんだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私たちの離婚幸福論
桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる