六代目は最後の皇太后

江戸川ばた散歩

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第1話 カラシュ混乱しつつ初夜に挑む

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 かなりあたしは混乱していると思う。
 絶対混乱していると思う。
 混乱の原因ははっきりしてる。彼だ。
 目の前の彼は、腕組みをして何やら考え込むあたしを不思議そうにのぞき込む。
 ついさっきまでずいぶん眠そうだったくせに、半開きだったまぶたが今では全開。だからその黒い瞳がまともにあたしの視線とぶつかってしまう。慌ててあたしは視線をそらす。
 そらした視線の先には、大きな窓。
 こんな大きな窓見たことがない。天井がこんな高い部屋なんて入ったことはない。そして天井や窓に似合った広さ。数時間まえに、この部屋に連れられて入った瞬間目が回ったもの。
 あたしの実家ももちろん、本家でもこんな所見たことがなかった。
 本家は本家で大きかったんだけど、置かれている家具や調度品の質が違うわ。美しい、とか豪華、だけでないのよ。歴史の重みまで感じてしまう。つくり細やかでいて、それでどっしりとしたあれこれ。

「…おい、大丈夫か?」

 彼は低い声で、心配しているのか面白がっているのか判らないような口調で訊ねる。
 ああだからだから、そういきなり接近しないでっ。
 あたしは後ずさる。するとその分彼は近付く。また下がる。また近付く。
 とうとう端まで追いつめられてしまった。
 それも寝台の上。豪華な部屋の、奥に据えられた――― もう逃げられない。
 別に逃げる気なんてないのよ。初めっから覚悟はあったのよ。だけど、混乱してる。当初の予定と、違いすぎてるのよ。
 細身だけど筋肉はしっかり鍛えられている腕がまともに視界に入る。
 心臓がばくばく言ってる。
 この人に会う羽目になるなんて、つい一か月前までは想像だにしてなかったのに!

 ここは、「後宮」と呼ばれるところだった。
  一ヶ月前までは、本当に噂でしか聞いたことがない所だった。それはこの帝国の首都であり、皇帝陛下のお膝下である帝都の真ん中にある、皇宮の一角を指す。
 皇宮自体が一つの都市とでも言える程大きいので、その一角と言ったところで決して狭い訳ではない。
 帝都は政治の都市。この帝国の臣民、十六歳未満の子供にとっては立入禁止の政治の場所。それは例え皇女の方々であっても同じ。
 歳の面から言えば、あたしは二年前に都市に足を踏み入れる権利は手に入れたことになる。だけど基本的に庶民にはその権利を行使する機会はない。

 だけどその「機会」ができてしまったからあたしはここにいる訳で。
 それが「政治」のおもむきかどうかはたかが十八の小娘には実に判断しかねるのだけど。たかが庶民のあたしには。
 あたしの家は一応「貴族」の肩書きはある。
 だけど、所詮は「貴族」なんて名ばかりの、非常に慎ましい生活を送る家庭だし、あたしだってその跡取りなんかではなく、ただの四人きょうだいの末っ子なのだ。
 本家は伯爵。ちゃんと皇室から認められた名家クドゥル家。
 だけどうちはその分家の分家の分家、という、本家からはもう何代も前に分かれ分かれになってしまった家。
 確かにお祖母様やお母様には多少なりとも貴族さまさまの本来の気品だの何だのきちんと残されているんだけど――― あたしに至ってはそんなもの、跡形もない。
 あたしが生まれてしばらくしてお父様が亡くなって、家督はその頃もう成人してた兄様が継いだし、上の姉様も数年前に嫁いでしまった。下の姉様も婚約が決まったから、と家でその支度に一生懸命。
 まあその程度の余裕はあるのよ。その程度にはね。
 でも、それでも、あたしは決して我が家が裕福なんて考えたことはない。
 「貴族」でも爵位のあるそれじゃないし、そうなれるとも思ってない。
 そんな大した家でもないのに、嫁ぎ先に迷惑かけないように、なんてきちんとしたもの娘二人に揃えてやったりするから、三人目にはもうその余裕はないことくらいあたしにだって判るのよ。
 だから家には迷惑かけないよう独立したくて学都で勉強していたというのに。
 その程度の家なのよ。庶民よ庶民。
 だから大貴族さまだの財閥の当主だのがごろごろしている帝都なんて来れるなんて誰が来れるなんて思うのよっ!
 なのに何よ。
 一体あたしは何処に居るっていうのよ。

「なあ、いつまでそうやって拗ねているつもりなんだよ?」

 低い声が重ねて言う。あまりにもあたしが逃げるんで、とりあえず接近するのは止したらしい。
 それでも寝台の上という事実は変わらない。
 彼はあたしの前に座り込んで、やはり鍛えていそうな長い足を組んだまま、このあまり明るくない部屋でもはっきり判る、瞳と同じ色のやや長めの髪をうるさそうにかき回す。
 ベッドカバーだの枕だののカバーや、天蓋から流れるように降りてくる幕の色が色はともかく淡いだけに、黒い髪がとても浮き立つ。
 おそるおそる視線を彼の方へ戻すと、濃い眉がやや寄せられてる。ちょっとやせ気味かも。多少いかついかもしれないけれど、それでも端正な方とでも言うのかしら、―――それだけに変化が分かりやすい!
 ああ、だんだん苛々してるんだわ。そして二言めが耳に飛び込む。

「あのなあ…… お前一体何しにきたの?」

 絶対にその声は、呆れ果ててる。

「何しにって」
「ここは後宮で、俺はここのあるじで、お前はここに送り込まれてきた女。そのことちゃんと理解してる?」
「してる、とは思うんですが」

 してるからこそ、混乱してるんじゃないですか。
 目の前のこの人が言う通り、ここは帝都の、皇宮の、そのさらに奥の後宮。
 本宮よりは小さめの建物一つ一つに、皇帝陛下の御夫人方一人一人が暮らしていらっしゃる――― そういう地区。
 それであたしが今居るのは、その「小さめの建物」の一つ。
 だから、まあ、何のために今ここに居るのかも、半時くらい前に眠そうな顔して入ってきた「ここのあるじ」である彼の正体も判っているつもりなんだけど。

「何が納得できない訳なんだ?」

 そこで聞く方も聞く方だと思う。

「―――何かごちゃごちゃといろいろあり過ぎて…」

 すると彼はふう、と一つため息をつくと、仕方ねえな、とつぶやいた。そしてあらためて組んだ足の上にひじを立てた。

「それじゃあな、一つ一つ言ってみな。全部聞いてやるから」
「全部」
「全部聞くまでは、お前をどうもしない。それで夜が明けたって、俺は文句言わないから」
「本当に?」
「本当。ここで嘘ついたって大したもんでもない」
「…じゃあいいですか?」

 お言葉に甘えてしまおう。悩んでいる疑問は晴らさなくては気が済まないのよ。

「何?」
「ものすごく不敬罪に当たってしまうと思うんですけど」
「とっくの昔にそうだとは思うぞ。二代の方なら首が飛んでる」
「皇帝陛下って、確か御歳二十五で即位されまして、それから三十数年経っていると――― 私は聞きましたが」
「正しい知識だなあ」
「どうしても私の目の前の方は、その二十五程度にしか見えないんですが。私の目が節穴とでも言うんでしょうか?」
「いやいや」

 彼は首を横に振る。

「二十五に見えて正解」
「すると私の目の前の方は果たして本当に皇帝陛下なんでしょうか?」
「何だったら証言させようか? 国務大臣でも、軍務大臣でも、文化大臣でも」

 政治におけるお三方を引き合いに出されたら引き下がるしかない。
 別にいいです、とあたしは思わず脱力してうつむいて、手をひらひらと振った。すると彼はふと気付いたように、ぽんと手を一つ鳴らす。

「お前学生だった? 最近まで」
「……え? はい。どうしてですか?」
「中等の高等科の女っては結構そういう言い方するの多いからなあ」
「そうですか?」

 その通りである。
  あたしはつい三ヶ月前まで、研究都市である学都で学生をしていた。つい十年くらい前にやっとできた、女子中等学校高等科である。
 帝国で女子の義務教育は初等学校の初等科高等科六年だけで、それ以上の学問は女子には必要ない、と言われている。
 それが現在の六代の皇帝陛下のおかげで、十年前、テストケースとして、学都に四つの中等学校と、一つの高等専門学校が置かれた。全国から学生は来るので、寄宿舎に全員が暮らしている。
 あたしはその中等学校で、究理関係学科で二年半首席だった。
 究理関係が好きだったのよ。一見ごちゃごちゃに見える自然界のものごとに一つ一つ筋道つけよう、という態度が。
 もともとそうなのよ。筋道の通らない物事には苛々することが多い。説明の付かない物事にはどうしてもこだわってしまう。
 どうしても物事が頭の中で上手くつながらないと、次の行動に出られないのよ。
 だから今もそう。
 いくら目の前の彼が現在の、六代の皇帝陛下と言われたからって、いまいちその事実を納得できないままで抱かれる訳にはいかないのよ。

「それはそれとして!」
「俺がどう見ても二十五程度に見えないってのがそんなに不思議? お前、学校の国史政経の授業、さぼってなかったか?」

 しまった。図星。
 内国史は特につまらなかったんで、他の教科ができることをいいことに、力の限り手を抜いていた。同室の友人が得意中の得意だったので、お互いに協力しあって。

「まあその記述は高等科まで行かなくても出てるぜ。国定教科書『国史』初等学校高等科第三学年第七章!ちゃんと書いてあったはずだがなあ?」
「初等高等の第七章……」

と言えば、確かに「皇帝陛下」についての記述だったような…… 気もする。気もする…… 程度だ。

「『皇帝陛下は唯一不可侵の存在であり、何よりも強靭な肉体と、一定の御年齢をもって帝国全土に君臨する』今いち語呂が悪いな――― 今度教育庁に言っておくか」
「はあ」

 その部分は確かに聞いたことはあるような気が。

「つまりな、エファ・カラシェイナ」

 彼はあたしの名を「親しき仲の礼儀」通りに呼ぶ。
 礼儀なしならただのカラシュだ。
 全く親しくない人ならフルネームのエファ・カラシェイナ・クドゥルを呼ぶだろう。

「俺は即位してからずっと二十五のままなんだよ」
「はあ。と、おっしゃいますと」
「それ以上の理由を聞きたい? 俺が皇帝だって、何度言えば判る訳?」

 あたしは一気に脱力した。
 そりゃ判っているのよ。その部分に根本的に疑問が残ろうと、あたしを案内してきたこの館の女官長も彼をそう扱っていたもの。きっとこの館の誰に聞いても同じだし、それこそ彼が言うところの大臣お三方だって同じ。
 だけど。
 だけど、「後宮に」「二十五プラス三十うん歳の皇帝陛下のもとへ」あたしは覚悟決めて来た訳よ。普通はご老体と思うわよ!
 仕方ないと思ったじゃない。決めたのは本家の当主様で、あたしが行くこと決めれば、残された母様の暮らしは保障するって言うし、兄様の将来も約束しようって言われては。
 上の姉様は驚く前に失神したし、下の姉様は、これから嫁ぐひとだっていうのに、「あんた幸運よ!羨ましい!」とわめく始末。
 だけどあたしには本意じゃないんだってば!

「だからって」
「だからって?」
「あたしもっと勉強したかったのに」

 ふっと彼の表情と眉間が緩む。険しそうな表情、それが。

「学校に、もっと行きたかった?」

 あたしは黙ってうなづく。

「それは気の毒に。でもお前、かなり珍しいって言われない?」
「言われました」

 昔から言われてきたのよ。理系の勉強好きってこともそうだったし、十八の今日のこの日まで、女の子らしい趣味も服装も髪型も何も興味なくて、だから、よく虫や動物を追いかけて野っ原走り回ったから髪だって焼けてただ長いだけで全然綺麗じゃないし、肌の色だって白くはないし、手だってしなやかじゃあない。実験のせいで所どころ染みができているもの。顔だって十人並みのくせにそれ以上綺麗に見せようとかの努力は放棄してたし。
 確かに珍しいとは思うわよ。だけどあたしはそんな自分が好きだったのに。
 どうして。

「お前の気は知れないって、母様まで言いました。だけど」

 ああやだ。さっきの、ほんの少し優しそうに見えた表情のせいで、何となく涙腺がゆるんできてしまったではないの。

「大抵いの女はここに来ると喜んで、俺の機嫌取ったり何だりするんだけどな?」
「だってそれは大抵の女、であって、私じゃないですもの! 私変わってるんですもの! 別にいいじゃないですか!」

 開き直ってしまう。

「でもその大抵の女、と同じ事態に今お前、居るんだよ?」
 
 う。

 言葉に詰まる。その原因の半分は、胸の奥から突き上げてくるこの泣きそうな気分のせいだ。

「そんなこと言われたって…」

 そこで泣きたくはないのに。こんなことで泣くのはあたしじゃない! こんな―――
 だけど涙腺はあたしの意志など見事に無視してくれた。
 うつむいた拍子に、あたし達が向き合って座っている寝台の、綺麗な淡い色のシーツの上に丸い染みを作った。

「おい泣くなよ」

 とても皇帝陛下なんて思えない口調で、彼はあたしをなだめにかかる。肩に手がかかる。逃げたいとは思わなくもない。けれど、逃げられない。何かがあたしの身体を止める。肩から背中へ。

「いい加減覚悟決めな。俺だって決めてるんだ」
「…」

 あたしは力を抜いた。ゆっくりと自分の身体が倒れ込むのを感じる。
 なだめられるのは嫌。どうしてここで反論の一つも言えないの。力に負けた訳じゃない。だってこのひとは全然力入れていない。腕どころか、指先一つ一つにいたるまで、全然。
 ううん、それより何より、あたしが許せないのはあたし自身だ。
 だって、最初に感じた混乱の理由は判っているんだもの。
 彼が入って来た時、頭の中が一気にかき回されたのよ。
 目の前に現れた彼はあまりにもあたしの好みの異性だったのだもの。
 「皇帝陛下」じゃなかったら、一目で恋に落ちてたわ。

 ううん、そうじゃない。「皇帝陛下」でも恋に落ちたのよ。
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