バンドRINGERを巡る話②ピアノとベースとわらう雨と、それを教えてくれたひと。

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
7 / 25

第7話 アルコールなどなくとも人間は酔える

しおりを挟む
 猫みたいだと。

 それは、ごくごくありふれた週末の、ライヴ後の食事を済ませた後だった。
 五月の半ば。
 俺はライヴ前に拉致されると、そのまま食事にまでひきずられて行くことが多かった。
 だから、その日も、ごくありふれたそんな日だと思っていたのだ。
 だいたい彼らがよく行っていた店は、11時には閉まる。
 彼らは「閉店を告げられるまでは居る!」をポリシーにしているのだが、たまたまその日は「いつもの店」が休みだった。
 そこで近くの別の店へ行ったのだが、やはり勝手が違う。そこが深夜二時までやっているということに誰も全く気付かなかったのだ。
 そしてまず、最初に時計を見て騒いだのはヴォーカルの能勢《ノセ》さんだった。あの妙に存在感のあるいい声で叫んだ。

「おおっ! やばいみんな、もうこんな時間だ!」

 おっ、と慌てて他の者も、ポケットに入れた時計(ステージに上がる際には時計は外しておくらしい)を取り出してみて、ヴォーカリストと似たかよったかの悲鳴を上げた。

「終電…… 行っちゃったな」

と奈島《ナシマ》さんは力無い目で俺の方を見た。ふう、と俺も肩で息を大きくついた。
 どうしたものやら。何やらずいぶん眠いなと思ったら身体は正直だ。やっぱり遅かったのか。

「じゃ、俺のとこ来る?」

 穏やかな声の方を向くと、視線の向こうには、煙草に火を点けかけたトモさんが居た。
 俺は即座にうなづいていた。
 実際、終電を逃すと始発まで行き場所はなかったので、困っていたのだ。



 初めて訪れた彼の部屋は、決して広くはなかったが、かと言って、とんでもなく狭くもなかった。彼の態度や物腰同様、そこは実に穏やかで、落ち着いた空間だった。
 不自然でない程度に、同じ系統の色でまとめられている。清潔感はあるが、何処もかしこも整っているという訳でもない。雑誌なんかが所々に置かれて、時にはページが広げっぱなしになっているものもあった。
 適当に座って、と言われたので、俺は部屋の真ん中に置かれた黒いテーブルの近くにあった、大きなマーブルのクッションにもたれた。それは下手すると、子供の布団じゃあないか、と思えてしまうくらいの大きさだった。

「何ですかこりゃ」

 上半身を埋めつつも、さすがにあきれて俺は彼に訊ねた。

「あ、これ? 友達が誕生日にくれたんだよ」
「誕生日に?」
「そう。学生の頃さ、友達と、お互いの誕生日にはどれだけ相手を驚かせることができるか、ってことをしてて」
「驚いたんですか?」
「まあ一応。だってなマキノ、学校から帰ってきたら、いきなり母親があんた一体何これ、だよ? 何だと思ったら」

「はあ…… ちなみにその時トモさんはその人に何あげたんですか?」
「ん? 高校の卒業旅行の時にアエロフロートからパクってきた食器セット」

 何ですかそれは、と俺は乾いた笑いを立てた。
 その大きなマーブルのクッションに身体を預けながら、俺は何となしに、出しっぱなしになっていた大きなグラフ誌を手にした。
 すると不思議とそれが、俺が知りたがっていた情報がよく載っているものだったりする。偶然と言えば偶然なのだが、何となくその偶然が妙に嬉しかった。

「何か面白い記事でも載ってる?」

 彼は片手にコーヒーのポット、片手にカップを二つ持って、隣にあるそう大きくもないキッチンから戻ってきた。うん、と俺はうなづいた。

「あまりこういう雑誌って見たことがなかったから」
「そう?」
「うん。俺の住んでたとこって田舎だから」
「そういうものかな」
「そういうものだよ。だってトモさん、ずっと東京でしょ?」

 まあね、と彼はうなづいた。

「田舎って損だよ。そこにいるだけでペナルティあるって思うもん」
「そうかな?」
「そうだよ」
「でも田舎はのんびりしていいと思うけどな」

 ぶんぶん、と俺は手を振る。

「田舎には田舎のせせこましさってのあるよ。だってさ、俺ピアノやってたでしょ? そうすると、俺がどういうレッスンやって、どういうコンクールにどういうふうに行って、どういう結果だったか、っての、結構一日で町中広がっちゃうんだよ」
「へえ? ピアノ」
「あ、俺言わなかったっけ?」
「初耳」
「やってたんだ。今もやってるよ。一応音大志望だもん。……でね、だけどさ、そういう噂広がるんだけど、結局、俺が誰の何の曲弾いたか、なんて誰も知らないんだから。片手落ちだよね」
「なるほどね。今度聴かせてくれよ」

 うん、と俺は即座にうなづいた。
 初夏の夜は、何故かそれから眠くならなかった。
 それまでは確かに眠かったのだ。ところが、俺の中の何かがマヒしてしまったのだろうか? この部屋に入ってから、全然眠くなくなってしまったのだ。
 週末という安心感もあったのだろう。俺と彼は、とりとめの無い話をそれからも延々としていた。
 それでも三時を越える頃には、俺も頭の中が次第に朦朧としてきていた。
 眠いとは決して思っていないのに、だ。妙に陽気になる。そして口の方も。勝手にべらべら回る。深く考えずに言葉を出してしまうものらしい。

「……そう言えば、あん時って、すごく偶然だったですよねー」
「あん時?」

 眠気は起こらなかった。起こっていると考えられなかった。コーヒーのせいかな、とも思った。眠くはないのだ。
 だが、思考はおかしくなってくる。考えがとりとめなくなり、あっちこっちへと飛び始める。

「俺がトモさん達と、ベルファストの皆さんと初めて会ったとき。もしあん時、ちょうどベルファストさん達が出てこなかったら、俺どーなってたかわかんないし」
「ベルファストじゃなくて」

 トモさんは全く平気なようだった。さすがに大人はこういう夜に慣れているんだか。だけど俺は基本的に昼型のただの高校生なのだ。それもど田舎出身の。

「はいはいベルファーストでしょ? あん時も言われましたもん、よく知ってますよ」
「マキノ…… お前酔ってない?」
「酔ってませんよ。だってトモさんは俺に飲ませないじゃないですか。どーして俺酔えるんですか」

 そして俺は彼に詰め寄った。それは半分嘘である。言っておくが、アルコールなどなくとも人間は酔えるのだ。状況というものに。
 頭の表面だけが妙にかりかりとせわしなく動いているような感触があった。半ば座った目で、俺は彼に近付くと、平然としている穏やかな顔を上目づかいに見据えた。

「だから、あん時俺が無事だったのは、ベルファストのおかげでトモさんのおかげなんですからあ」
「ベルファストじゃなくて」
「どっちだっていーですよ」

 どうしてそう言っているのか、俺は自分でもよく判らなくなっていた。

「確かにあの時通りかからなかったら、大変だったね」
「そーですよ。俺絶対にこまされてたもん」
「……」

 さすがに彼は言葉を失った。そして逆に俺は言葉を飛ばす。

「本当ですって。だってあの連中言ってたもの。聞こえたもん。野郎でも綺麗さんだからいいって。ねえトモさん、俺綺麗さんですかねえ」
「綺麗だと思うよ」
「本当に?」
「うん。猫みたいで、可愛い」
「じゃあトモさんも、俺をそぉしたいと思う?」

 俺は手を伸ばした。彼の顔を下からのぞきこむ。視線が絡む。

「おい」

 何を言っているのか俺はよく判らなかった。そして自分が何をしたがっているのか、何をさせたがっているのか。理性の俺はもうすっかり眠っていた。
 そして俺は知っていた。理性が眠っている時に勝手に出る言葉は。

「好きなんです」

 どうしてそんなことを言ってしまったのか、さっぱり判らないのだけど。

「嫌いですか?」

 距離という奴は。
 そして成り行きという奴は。
 ものごとは、紙一重なのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...