蛹のなかみ。

江戸川ばた散歩

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 昔から、虫の「話」が好きでした。

 ちなみに虫自体は駄目なんですよね。
 小学生の頃、「*年の科学」に釣り餌のアカムシが見開き大写しにされていたものを突きつけられた時にはマジで悲鳴を上げて逃げ回ったものです。
 なのに何故か虫の生態の「話」は読むのも聞くのも話すのも大好きだったんですよ。
 特に寄生系――― 蜂がいちばんわかりやすいですかね。
 蝶の幼虫に蜂が卵を産み付け、そのまま蛹になるんですけど、そこから出てくるのは蝶ではなく蜂だったという。
 何と言っても五つか六つの頃にそんな内容のマンガを読んだせいかもしれませんねえ。三つ子よりやや歳がいってましたが、焼き付き方は半端無いワケですよ。

 そもそもですよ。
 あのもぞもぞとした多足系の幼虫が、蛹の中で形を作り替えてしまうという事態そのものにまずぞくぞくと怖がりつつも惹かれていたのかもしれませんねえ。
 小学校低学年の時に、間違って潰してしまったモンシロチョウの蛹はただただ緑色の液を流しただけでした。
 一度その中でどろどろに溶けてしまうのか――― そんな体験がイメージを強化させていったでしょうか。

 その過程に割り込んでくる異物として、寄生蜂の卵~幼虫~繭~成虫というものがあったのかもしれません。
 彼等は孵化し、神経を殺した体内をわさわさと蠢き、肉を食い荒らしていきます。
 自身が空っぽになったことに気付けない宿主は、ある日突然――― その生涯を終えるんですよ。

 最初に知ったマンガにあったのは「アゲハヒメバチ」で、一匹に対し一匹だったんですね。羽化するとこ眺めていたら蜂が出てきてしまったということで。ヒロインは「何ていまいましい寄生バチ!」とたたき殺してました。
 これだけでも相当に強烈な印象だったんですが、後に青年誌でまた別のパタンを見かけたんですね。「アオムシコマユバチ」―――一匹のアオムシに大量の卵が産み付けられ、ある日表面上に小さな繭ができ、蜂達はそこから旅だって行くんですよ。
 興味深いのは、最初の話もその話も、途中から「変異して人間に寄生する」というパタンなんですね。
 前者はそのせいでヒロインは愛する少女の身体を傷つけるよりは綺麗なまま殺してしまうという展開となり、後者は「奴等は(人間の)天敵だ!」という不吉な予感と共に主人公の死で終わるという。
 それはまあ、怖いと言えば怖いですね。

 しかしその後、とあるぶ厚い小説を読んだんですよ。
 その中では、一つの悪意を持った神事の一つとして出てくるんですね。
 死んだ少女の魂を無理矢理憑依させられた少年を霊体の幼虫が襲い、内部を食い荒らし、やがては羽化し、羽根を持つ虫が多数、ぼうっとした全体として元の少女の形を取るんです。
 その時の贄とされた少年の苦しみ様は、悲痛であると同時に無性に「何かに成り代わられる」時の意識と肉体の二重性を持ち、実に悩ましいんですよ。
 すると何ですかね。
 つまりは蛹にせよ、寄生蜂にせよ、自らの意思とは反する変化というものに所詮はときめいているということなのでしょうか。

 おや、今何か首筋をちくりと刺したような。
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