七代目は「帝国」最後の皇后

江戸川ばた散歩

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第17話 「命まで取るつもりは無い!」 「信じられるか!」

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 急に、身体が軽くなるのを彼は感じた。慌てて上体を起こす。
 キン、と金属同士のぶつかる音が耳に飛び込み、音のする方へ顔を向ける。
 あまり明るくない部屋の、空気がそれまでとやや異なっていた。
 風は、上から吹き込んでいた。彼はそれに気がついて見上げる。天井に四角い穴が空いていた。
 彼は目を見張った。
 何度も、金属同士のぶつかりあい、こすれあう、涼やかな――― 時には背筋を凍らせる音が耳に飛び込む。
 その音を出しているのは、彼女だった。

「ナギ!」
「近付くな!」

 途端彼は、足が見えない鎖で地面に縛り付けられたような感触を覚えた。
 さほど大きな声でも、響く声でもなかった。だがその声は、確かに強い力でもって彼の動きを奪ったのだ。

「お覚悟!」

 別の声が金属音に重なった。女の声だ、と彼は思った。高くて、甘い声だった。
 目をこらす。薄暗い室内で、何処にいるのかよく判らないような色の服は、彼が今まで実際には見たことのないような形をしていた。
 彼は自分の頭の中の知識をひっくり返す。
 確かに実際に見たことはない。だが何かで!
 袖はふくらんでいるように見える。
 だが連合の服のような作られた大きな膨らみではない。前開きの衣服のせいで、動くたびに空気をはらんで大きく膨らんでいるように見えるだけだ。
 その袖が動くたびに、弱い光を反射して金属が何やらぎらりと光る。ナギはあの短剣でもって応戦しているように見えた。
 彼女は上半身が白の胸当てだけになっていた。
 もとよりそう大きくない胸は揺れることもなく、彼女に切りかかろうとする切っ先をすれすれのところで避けている。
 よく避けている、と思う。だが相手の方が上手だ。
 彼女を助けなければならない。
 そうは思う。
 そうは思うのに、どういうことか、足が動かない。
 恐怖ではない。恐怖で足が動かない時だったら、もっと心の中は動揺している筈なのに、頭は混乱しているはずなのに……

「命まで取るつもりは無い!」
「信じられるか!」

 ナギは短剣を相手に投げつけた。

「う!」

 相手の声が聞こえる。短剣が相手の肩に刺さったのだ。

「わざわざここまで来させるとは、あの方の命令か!」
「言わねばならぬ義理はない!」

 ぎらり、と光が残像をともなって流線を描く。刺客の少女は、傷ついていない方の手で、大きく長剣を振り回した。

「!」

 白い胸当てが、赤く染まる。シルベスタは一瞬目を細める。

「私の役目はここまで!」

 刺客の少女は鋭く言い放つと、二、三歩飛び上がり、天井に空いた穴に飛び込んだ。穴は少女が入ると同時に塞がれ、薄暗い室内では跡すらも見えなくなった。

「ナギ!」

 彼は胸を押さえてうずくまるナギに近寄る。足が地から自由になることを感じる。

「大丈夫だ」
「大丈夫って君……」
「本当に、大丈夫なんだ。それより浴室からタオルを持ってきてくれないか?血がジュータンに落ちては困る」
「え?」

 それどころではないだろう、とは彼は思った。だか身体は勝手に浴室の方へ動き出していた。
 広い浴室の脱衣所には、淡い黄色のふわふわとした浴用タオルが数枚畳まれて棚に置かれている。彼はそれを全部抱えると、すぐさま彼女のもとへ舞い戻った。

「ありがとう」

 彼女は切られた所をタオルで押さえる。胸当てを真ん中から縦一文字に切られ、ぱっくりと前がはだけている。
 結構深い傷だったのか、白い下着にはずいぶんと血がその領土を広げていた。彼はやや目をそむける。血を直視するのには慣れていないのだ。

「今、救急箱を取ってくる」
「その必要はない」
「何?」

 彼女は胸の切りつけられた所を、軽くぽんぽんと叩く。

「そんなことしては……」

 彼は彼女の手からタオルを取る。
 血が大量ににじんだタオルを手にした瞬間、ぞわりとした感触が背中に走る。だが。
 ナギは仕方ないな、と言いたげな表情で軽く深呼吸をする。そして。

「どこに傷があるって?」
「え?」

 彼はナギの胸の真ん中に目をやる。彼の表情が変わる。
  ナギは一回り小振りなタオルを取ると、自分の額と首をぬぐった。彼女がずいぶんと脂汗をかいていたらしいことに彼はその時ようやく気付く。

「さすがに結構気力が要るな」
「気力?」
「かすり傷なら何もせんでも勝手になんとかなるが……」
「なんとかなる?」
「この類の傷を治すには結構」
「治す?」

 確かにそうだった。
 傷はつけられた。それは事実だ。手の中のタオルに染み込んだ血は、まだ乾いていない。触れるとややひんやりとして手を微かに赤に染める。
 だがその血の出た筈の傷口は、既にその口を閉ざしていた。
 白いなめらかな彼女の肌にその部分だけ、つやつやとしたピンクのラインが一文字に浮き出ていた。他の部分が白ければ白いだけ、そのラインは鮮明だった。
 彼女は汗をぬぐったタオルで、所々に散った血の跡をぬぐいさる。

「……君……」
「だから、大丈夫だと言ったろう?」
「本当に、切られたのか?」
「本当だ。私は別に好きでこんなことされる訳ではないし、芝居で血糊をぶっかけるような暇人でもない」 
「君は予測していた?」
「ある程度まではな。おかげで相手先が見えてきた」

 自分が深手を負うことも。
 彼はどう言っていいのか、どうしていいのか判らずに動けない自分に気付いていた。
 そんな彼の様子にはお構いなし、というように彼女はまっ二つに切れた胸当てを肩から外しはじめた。
 何とかそれまでは隠れていた胸が丸出しになってしまう。視界にそれが入った瞬間、彼ははっと気付いた。そしてベッドの上に放ってあった上着を彼女の頭からかぶせる。

「別に私はいいんだが」
「俺が恥ずかしいの!」
「せっかく服が汚れないで済むと思ったのに」
「服が――― ちょっと待てじゃあその為に」
「私は結構あの制服は気に入っているんだ。気分的に楽だ」

 彼は頭を抱える。服が気に入っているからと言って、わざわざ下着になって人に切らせるかあ?
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