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28.海の極みまで②こらあかんわ、のたぶん吉屋好みキャラ二名。

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> 本願寺へも行つた、田舎から上方見物らしい老人夫婦が、ありがたさうに本堂で礼拝して居るのを見て変な感じがした――青年達はどうしていゝのか、まごついて紅くなつた。寺院建築の用材を運ぶために女の信者の群が自分達の黒髪を断ち切って集めて綱にして献げたといふ髪の毛の太い綱のとぐろを巻いたやうに薄気味悪く置いてあるのを見て、黒髪の綱といふローマンチックな感じよりは、むしろ東洋風の濁つた陰惨な感じがした。風雨に曝されて赭ちやけたその太い毛綱を見ると亘は恐ろしかつた。



 綺麗なところはこれでもかとばかりに持ち上げるんだけど、その一方で、汚い(と登場人物もしくは作者が判断した)ものにはまた思いっきり下げる描写をする―― のが吉屋信子の特長の一つです。
 無意識かどうかは判らないんですが、大概それは吉屋信子的主張を代弁させてしまう様なキャラに多いやうな(笑)。
 で、今回はそういう二人。
 頭でっかちの亘《わたる》くんと環《たまき》さん。
 亘くんはヒロインの一人満智子さんのにーちゃん。理想主義っーより、今の感覚で言うと「お前暇過ぎて病んでねえか」という奴。
 ナポレオンは嫌いだ、と「むつゝりして」鳴尾少将に言ったあと、「自分に何が出来ると思つてゐるんかね」と問われたあとの台詞。



>「わからないんです、僕は今少し静かに考へて見たいんです。第一僕には――この頃自身の存在の価値が不可解なんです、僕は今まづ第一に僕自身の何が故に貴いかを認め得なければ前途は定められないんです。僕はこの頃暗い暗い懐疑で一杯です。人生を否定し人間を否定し、自分自身を否定してゐるんです。その迷える羊のやうな僕を鞭打つは実に残酷です。曰く成功、曰く名誉、曰く富、――僕はたゞその鞭に打たれて血を吐いてのたうちまはるのみです、僕は、僕は今あらゆる物を離れて真に孤独になつて考へたい――。」



 無論鳴尾少将は一笑に付します。
 ワタシも「けっ」と思います(笑)。いや別にいいんですよ、大正時代の高等学校生っちゅー位置にあるんですすから、悩める特権階級なのですから。単にワタシが「けっ」と思うぶんですから。「自分は人と違う」病だねえと。
 
 で、冒頭の部分なのですが、そんな高等学校の仲間(亘くん的には果たして友達と思っているか……)と関西へ旅行に行ったときの描写。
 この後宝塚へ行くんですが、まだ宝塚歌劇自体が駆け出しな頃ですな。



> 汚い調子の低い俗な感じのする建物の中に、たくさんの人々の礼儀の無い不快な雑音の中で折から開園されて居た少女歌劇を見た。
「アレは某だ。」
「あれは一番有名な某だ。」
 などゝ友達は興味を持つて見て居たが、亘には不愉快なものだつた。
 其処には亘の女性に求めている何ものゝ形も与えられなかつた。
 亘は耐へかねて、外へ出た、しかし外にも俗な商店がならんでゐた――毒々しい紅色を塗つた下等の日本製のセルロイドの玩具を見るやうな気がして寂しかつた。



 で、結局友達と別れて大阪へ戻るんですが。大阪市街の灯は「とろんとして何処か灯影の重く粘つた古い伝統的な街の灯を見ると、亘も惹きつけられた」わけです。
 まあ「地の果まで」の麟一くんと近いのですが、もっと刺々しいにーちゃんですね。
 当人の環さんに告げる自分評。



>「……さうです、さうです、僕はまつたく狂的にあらゆるものに反感を持つ悪癖があるんです、そして自分自身が常に重苦しい不平感に責められて居ないと安心が出来ない程変なんです。そしてたゞ徒に悲憤の口吻をもらすだけで、自分自身を鞭打つことはし得ないのです――要するに僕は弱者です、弱者のたは言を言つて、僅に自らを慰める低能児です。」



 判ってると言いつつ現実と向き合おうとしないと。とりあえず自分を責めて満足してると。現代でも居ますねー。ありがとうございます。何せ「強く暖かな女性の手によつて救つて貰いたかつた」んですから。
 まあ、亘くんのおかーさんが彼を甘やかしすぎた、というおとーさんの主張はあながち間違ってません。ちなみに満智子さんはおかーさんには割と放っておかれて、おとーさんの方が可愛がってます。
 しかしこのおかーさんはそれでは「強く暖かな女性」ではないということになりますが。やっぱり甘やかし方が問題があったんでは(笑)。
 で、環さんは亘が惹かれる女性だけあって、まあ質素で爽やかで頭が良くて静かで清純って感じの人ですが。「気高い」という表現も出てきちゃったりします。



>「いゝえ、神様は女性をけつして男子の奴隷として生命をお与え下さつたのではありません、女性は男性の遺伝的に粗野な霊魂を救ひ導いて、彼等が踏みはづしたがる道徳の行路の先導者となる聖い使命を持つて地に生れ出てだのです――ベリース先生は私の子供の頃からかうお教へになりましたの――私は先生のお言葉を信じ度うございます。そして自分をさうした貴い使命を帯びる資格を備へた者になり度いと祈つて居りますの……。」



 たぶん同類です。
 で、亘くんはこの後のおとーさんの収賄・自殺によって現実に直面せざるを得なかったことで、多少現実的に成長していきました。たぶん。
 いや描写が一気に減るんですよ(笑)。 
 ここからは満智子さんの「兄」としての役割が大きくなっていって、「悩める青年」をクローズアップすることが減ります。つか学費に困る事態に陥った時にゃさすがに目覚めるだろ。でも描写が少ない。このひとの変化を描きたくなかったんでしょうか(笑)。

 一方環さんは基本的に変わりません。
 ただ家庭教師を辞める羽目になる時、同僚である小間使いのおふさちゃんとのことでこのひとの限界が見えます。
 おふさちゃんは鳴尾さんとこで奉公していたんですが、セクハラに悩まされていたので、環さんが親身になってた子です。
 ところが彼女が邸を辞めた後、深川に戻ったら、親戚に売られてしまいます。
 そんな事情を知らなかった環さんが深川を訪ねる描写。



> 深川といふところは、たゞ環が想像したのでは、美しい夢の残された破片のやうに、ほろび行く江戸趣味の生活の面影を持つ処とのみ思はれてゐたのである。(……)
 けれども、その日環の双の瞳に映じた深川はその美しい想像をすつかり破つてしまつた。勿論環の歩いて行く目当が悪いのである。場末の裏町である。
 藁屑や木片が路傍に散らかつてゐる、白い埃がぱつぱつと立つ、ごとごとと荷車が通る、小さい鍛冶屋の暗い店、計り売りの炭屋、駄菓子屋、半分こはれたやうな煙突を型ばかりにつけた汚らしい銭湯、十古銭均一の洋食屋の汚い暖簾に染めた大正バアの布端を初冬の風がばたばたとひるがへす。飴屋の唄ふ八木節と太鼓の音に誘はれて、泥沼から引摺り出して天日に曝して乾つけたやうな子供の群がうろうろと――環の眼の前を過ぎた。
 「どん底」とは、ひとりロシアの小説にばかりあるのでは無く、東海のさくら咲く島の眼の前の隅々に黒いしみを残して点々とあるもの――環はしみじみうら悲しく寂しい気持ちに沈んだ。



 何つか、そういう「場末」での人間の営みそのものを汚らしい、とばかりに否定する様な描写ですな。
 想像と違ったから余計に失望して…… は、まあ、吉屋信子にはいい例がありましたが…… また今度。
 ともかく下げまくるんですよ。「汚い」と思った箇所は。そしてそれは大概「なまなましく生きてる」人々なんですね。
​ 途中で道を訊いたおかみさんは「よごれたネルの前掛で濡手をふきながら」、教えてくれて、目的の場所に立ったのだけど。​
​​​ 「割れ目を紙で張り止めた硝子戸を閉めた、みすぼらしい理髪店」で、おふさの伯母は「じろじろと環の風采を頭の上から足の先まで見おろした卑しい顔の女房風の者」で、「意地悪さう」だったりします。​​​
 で、引き取りたいと言った時におふさから既に処女でないことを聞く、と。
 ここで環さん、失望しておふさちゃんを連れ帰らないんですね。



>「いゝえ、先生、おふささんの死は精神的にです、私はだから、よけい悲しくて仕方がありません」(……)
「先生、おふささんは、もう……この清い先生のホームに入つて勉強し神にに仕へる資格のない女性になつてしまつたのです。」(……)
「先生、おふささんはもう聖い処女ではありません」(……)
「(……)それでお邸からさがると毎日家で攻責めいて、自分の食料位は毎月稼げといぢめるのです、そして、あの気の弱いおふささんをとうとう再び浮かぶことの出来ない邪路へ落とし入れて、処女の生命をうばつてしまつたのです――もう、さうなつては、先生、あの人をこのホームへ救うことは出来ません、又当人も忍べぬことでせうから、私すごすご一人で泣きながら帰つてまゐりました。」(……)
「……でも、もうおふささんは汚れた女ですわ」
 環はやや不平らしく、つぶやいた。



​​ そしたら女宣教師ベリース先生、怒る怒る。「さういふ立場に落ちたひとこそ、一日も早く私のホームへ」と必死で言う訳です。だけど環さん、まだ「でも先生、……処女ではもう無い人を……」とまだ不平そう。​​
 ベリース先生は肉体でなくハートだ、自分に置き換えて考えてみろ、と環さんに説きます。
 そこまで言ってよーやく環さんは「私が悪うございました」となり、「明日にでも」連れてくると約束するんですが。
 おふさちゃんは既に川に飛び込んで死んでました。
 やれやれ。
 誰のせいですか。

 で、この二人ですが。
 亘くんは環さんが好きです。満智子さんも、元婚約者の靖子さんも、彼女に亘とくっついて欲しいと勧めます。ですがこのひとは​​「一生を同性救済に捧げてしまいたい」「一生を処女のまゝ捧げて世を去りたい」おふさへの「お詫びに一生独身でおふささん同様の不幸な立場に泣き虐げられる女性のために身を捧げて神の助けを祈りつゝ働かうと決心して誓ひを立てましたの」と拒否。​​

 ついでに言うと、家を出る直前の満智子さんは、この時既に堕胎していて、自分はもうどうなってもいい、まあでも兄は、家族は、という感じだったんですが、​環さんはそんな満智子さんを「荒んだ、汚れた、恐ろしい……」「毒草の花」って思ってしまうんですね。​
 ワタシからすると、満智子さんのひたすら現実と向き合ってあがいている姿勢の方がよっぽど好きなのですがねえ。

 で、満智子さん失踪、数年後、北海道で再会するんですが、亘くんはまあおにーさんらしい言葉を云います。相変わらず真面目ですが、妹に対する愛情はよく判ります。
 だけど環さんの描写が一箇所だけ。



>​ 環は少し気味悪さうにして、そうつとおづおづ自分の手をさしのべた。​



 環さんはその後の騒動には全く出てきません。モブの一人として引っ込んでます。
 で、エピローグはベリース先生と本国へ渡る環さん。修道女になるということで。
 で、成長した亘くんに対して



>「それでこそ私が幾年もの間貴方のために日毎に泣いて祈りを捧げた甲斐がありましたの――私、感謝いたします……四年前のあの亘様を、あのやうに様々の苦しき試練の火の中より、遂に今日のやうな亘様に鍛へ上げられた神の深い御恩寵を……私……感謝いたします……」



 祈ってただけですか。
 
 ということで環さんは「変わらない女」なんですね。
 ワタシは亘くんの「救って欲しい」は作者の気持ちで、環さんは「作者の建前もしくは主張」だと思ってます。
 でもその「建前もしくは主張」ってのは、「変わらない」ことなんですよねー。
 環さんは何だかんだ言って、「処女でない人」=「可哀想な人」と思っている。だから「救いたい」。あくまで上から目線で、「自分は違う」。だから「一生処女」。
 で、亘に関してはあくまで「祈り」、彼の努力とかは評価せず、あくまで「神のおかげ」になる。
 
 という訳で、この話の中のヒロインBであるはずの環さんですが、一番嫌いなキャラです。ワタシ滅多に「嫌い」と言い切れるキャラって居ないんですが、このひとは嫌いですね。うわはははは。

 亘くんも嫌いな方ですが、最終的には妹のことを心配できる程には成長したんでよし。​​​​​​​​​​​​​​​​​​
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