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67.吉屋信子の戦前長編小説について(22)浮かび上がる作品傾向

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 ​​さてここで「長編小説について(2)」をちょっと参照お願いします。

 資料の中で「どう役立つか」の観点がいくつかありましたな。

・「女性の結婚と恋愛問題」→家庭小説には必需品
・「女性一般の文化教養問題」「働く女性の一般問題」「家庭婦人の問題」「母と子の問題」
→含まれてまれているけどB判定や評価外。

 ヒロインが「若い女性」。
 んで、彼女達にとって結婚が大きな比重を占めていることは変わらない。
 なのでよってA判定「女性の結婚と恋愛問題」はここでも当てはまるよな。
 で、共通する「結婚相手の選定の重要性」「妻として夫(決めた相手)への貞淑」というメッセージは、当時のモラルに照らしても有効なものだったんだと思う。

 けど
「婦人時局指導の一般問題」となると時代が異なり、
「女性一般の文化教養問題」は求められるレベルが曖昧であること、
「家庭婦人の問題」は「若い婦人」を中心とするこの時期の吉屋の物語の中心ではなく、
「農村婦人の問題」は舞台として存在しないので問題外だな。

 ということで。
 よく出てくるのに評価が低い「働く女性の一般問題」と「母と子の問題」に絞って考えてみた。

 ちょっと硬いけど論文から引用。(いや上の文章も論文を柔らかくしただけなんですが/以下のとこはやりにくいんですがな)面倒なひとは飛ばしていいです。

******

◎「働く女性の一般問題」
 吉屋作品に「働く女性」は比較的良く登場する。だがそれは当局の理想に即した姿だったろうか。まずA判定の女性五人から、当局の意向を推測してみる。

・阿部静枝……純粋評論家・歌人。
 夜学で教鞭をとった経験から「働く婦人」に関心を持つ。「此の人がもつと現実に女を向け、持ち前の詩的感情で歪められずに動いて呉れゝば幸甚である。いづれにせよ、此の人に新鮮さが感じられるのは、対象が若い女性である時、何よりも強みであろう」(五十七頁)
・奥むめを……実際運動家。
 「早くから『働く女性』の問題に心をひそめ、現に『働く婦人の家』の相談役としても、大きい功績を残してゐる。『働く婦人』が急激に増加し、又、それを必要としてゐる現今、之の適切な指導は婦人問題解決の一つのキイポイントであれば、此の人の存在は看過されてはならない」(五十六頁)
・羽仁説子……教育家・羽仁もと子の娘。自由学園・『婦人之友』・支那におけるセッツルメント、東北での実地指導においてはその可能性を認められている。だが羽仁もと子の使う「自由」の意味や、「宗教的偏見」に関して当局側の懸念が存在すること、既に老年であることから、新人としての説子の努力が期待されている。
・竹内茂代……医学博士。
 『婦人朝日』上で「優生結婚」についても執筆している。「彼女の取り扱う研究事項が、直接人間、殊に女性を対象とし、女性の肉体から精神の隅々に立ち入らざるを得ない領域にあり、言はゞ「魂の医者」と見なされている事に、求められるべきと思ふ」(六十九頁)
・河崎ナツ……文化学院教授・母性保護女子教育振興会委員。「母と子供」のために社会的諸施設の完備につとめる。
 「彼女は、日本の婦人の生活が極めて貧弱で、女子教育に於ても欠陥があり、母として、妻として、主婦として、社会人、職業人として、二重、三重の負担を荷ひ、而かも、母として、民族的に国家的に重責を完了するに無力である状態を嘆いている(……)年配からも、経験、学識から言つても、第一流の指導者として不足はないやうである。各方面の評言を聞くに、極めて好評である」(二十六頁)

 A群の五人はそれぞれ専門的「働く婦人」であると同時に、「働く婦人」に対する視線も広く、実際的に「働く婦人」を援助する活動や、教育に深く長く携わっていることから、「指導者」としての能力も高く評価していると思われる。

******

 引用ここまで。つまりこのくらいのレベルじゃないとA評価はあかんでー、ということです。
 んじゃ吉屋信子はどうか、なんですが。
 ここで先日までの作品の傾向を表にしてみました。細かかったりずれていてすまぬ。
 元々の資料がA4横なんだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/edogawab/diary/201806270000/

 ここで感じられたのが、ヒロインは決して「独身職業婦人」にはならない、ということ。

「暴風雨の薔薇」「彼女の道」「鳩笛を吹く女」では皆既婚者。
「愛情の価値」「お嬢さん」はブルジョワ令嬢の一過性のものであり、結婚前に辞めている。

 一方で脇役に、自立した「独身職業婦人」が多いんですね。
 その代わりと言っちゃ何ですが、彼女達は物語の中で男と縁を切って行くんですな。
 顕著なのが「理想の良人」の馨と「女の階級」の真澄。
 馨は好きな男に思いを告げず、彼と結婚することが決まっているヒロインにのみ手紙で本心を明かし海外へ旅立つ。
 真澄は自分を弄んだ男を鮮やかに振り切って仕事に打ち込んで行く。
 「追憶の薔薇」の曙生は仕事に打ち込むけなげな姿に男が絆されて、恋が実りそうになる……んだけど、最終的には相手のために他の男と出て行く。
 例外は「三聯花」のみどりだけど、心中覚悟の駆け落ち相手が誠実で明るいブルジョワ青年であり、かつ終盤においてその仲がやや明るい見通しのため、ダンサーを廃業する未来が見て取れると。

 この自立した「独身職業婦人」を脇役に置いといて、地の文=作者の声では非常に綺麗に描いているのね。
 ……で、それって裏側から見ると「妻」「母」といった役割を負わせようとしないってことじゃなかろーかと。
 それが、この時期の当局の目指すものとは異なるということではないかなと。

 次に「母と子の問題」なんだけど。
 また引用。

***

 前項同様にこの問題でA判定であり、上記と重ならない者を挙げる。

・伊福部敬子……児童学会員。
「児童問題に優れた見識と、実際運動から得た強い信念を持つてゐる人である。此の人の良さは世の児童研究家にある偏見を女性的な温かさで巧みに補つてゐる事である。何よりも誠実で、真剣なるは買ふべく、専門の領域で活動して欲しい人である」(五十六頁)
・村岡花子 ……東京中央放送局嘱託。
「恐しく人附合の良い常識の発達した人である。(……)心して、有名に堕することなく、地味に動いて呉れれば、誰よりも好ましい人であらう」(五十八頁)
・平塚らいてふ……新婦人協会主宰。
「既に老年に達し、時代去れりの観はあるが、過去に残した功績は大きい」(五十八頁)
・大平ヱツ……東京少年審判所少年保護局員。
「<傾向>実地に携る者の立場から少年不良化の問題を取り扱つてゐる」(十八頁)
・波多野勤子……児童心理学者・児童学会員

 前項で重なる者も含め、それぞれ児童・少年に関する専門家である。なお平塚は母性保護論争で「母と子の問題」の先駆者、村岡はその性格と放送局嘱託の立場が有効と思われる。興味深いのは伊福部の例として出されている感想に「国家の必要とする子供の家庭教育法」である。ここでは「母親の訓練で責任感を持たし、小さい時から、国家観念を適度に植へ、自己中心、家庭中心から国家中心に移るべきである」と積極的な国家への協力姿勢が伺える。

***

 やっぱりこのレベルなのね。
 で、吉屋信子ですよ。

 作品内に「母と子」は多数登場するよな。
 「母性愛」についてもしばしば地の文や登場人物の口から出てるわけだ。
 んで、これもまとめてみた。
 あああああずれまくっていてすまぬ。

 で、するとここで一つの傾向が見えてくるんですな。
 つまり、吉屋作品においては、

「愛する男の」
「子供を産んで」
「その子を愛しみ」
「幸せになる」

という所謂ロマンチック・ラブの典型的ハッピーエンドを迎える女性(ヒロイン) が居ないということなのだわ。
 細かく見てみると以下のパターン。

​ A「愛する男と結ばれて」いるが子供はできない。 ​
​ B「愛する男の子供を(物語中で)持った」場合、子供とは別れることとなる。​
  ①当人が死ぬ 
  ②子供が死ぬ 
  ③子供を手放す
​ C 子供そのものを作る気がない。​
​​ D「愛していない」男の子供を産む(愛していない男の子供だから「こそ」愛しい)。​​

 この「独身職業婦人」への賛美、「ロマンチック・ラブのハッピーエンド否定」パターンに必ず嵌っているということ、そこに吉屋の一つの意図が浮かび上がっては来るんじゃないかな、と思ったわけだ。
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