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第12話 お産に付き添った典侍のよもやま批評、仲忠夫妻のじゃれつき
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彼女への贈り物は、まず正頼から、美しい絹が百匹。
それを携えて、兼雅夫婦が正頼の屋敷を出ようとする。
尚侍のお供には、前駆、兼雅の大将、仲忠中納言に続き、四位五位の人々が入り混じって大勢の者がついて行く。
兼雅が自宅へ着いた時、その行列の最後尾、女房の車はまだ正頼の屋敷の門に居たくらいである。
正頼邸と兼雅邸は遠くは無い。一町程度離れている程度である。
この一行がすっかり兼雅邸に入った後、正頼は馬と鷹を贈り物にした。
「これはお供の方にお持ち頂くはずでしたが、お急ぎでいらしたので」
そう文が付けられていた。
また、大宮からは蒔絵の御衣櫃が五掛。
担い棒を渡したその内訳としては、着物に二つ、唐綾の類を入れたものが二つ、そして最後の一つが、えび香と丁字香を入れたものだった。
大宮からは尚侍にこの様な文が付けられている。
「宮のお側に出産の時にいらっしゃった折にお目にかかりたく思いましたが、騒ぎばかりが続きましたので……
おいで頂いて大変嬉しく思いました。
あの折り、あなた様の御琴を耳にしましたこと、余命も短いと思ってあきらめておりましたのに、行先も延びる様な心地が致しました。
心にしみじみと感じ入るあの音、遙かに遠いと思っていた蓬莱という望ましい所も案外近かったのだと思いました。
この品は下々の方へ上げていただきたいと思いまして」
それを見た尚侍は、あの場で弾いたこともそう悪いことではなかったのだな、と改めて思った。
女一宮からは、后の宮から貰った衝重の中に入っていた物そのままと、また別に蒔絵の置口の衣箱を用意した。
その中には夏と冬の装束、それに夜の装束を二襲づつ入れる。
そしてまた、同じ様な蒔絵の置口の御髪箱を四つ用意し、それぞれに沈香、黄金、瑠璃の壺、合わせ薫き物を入れる。
もう一つ別の箱には、麝香が一つづつ入る黄金の壺が十。他に薬を入れたものもある。
それらは全て美しく包まれ、宮からの消息として陸奥紙に書かれた女御からの文が添えられた。
「母の代筆で申しわけございません。
私自身が直接書いた方がいいし、そうしたいのですが、今は手が震えて……
今まではずっとお傍においで下さり、たいへん頼りにお思い申し上げておりました。なのに今、お帰りになってしまわれたので、大変淋しゅうございます。
物も判らない程苦しかったあの時も、琴の音のおかげで嘘の様に落ち着きました。あの琴の音が忘れられません。今もお慕い申し上げております。
この品は、うちの子犬ちゃんのおしっこでお濡らしになったお召し物を、ぜひ脱ぎ換えていただきたいと―――」
さてその文が届いた時、仲忠もまだ見送りをしている所だった。
尚侍が女御の手になる一宮からの文を見ていると、彼はふとそれを見たくなった。
「僕もまだ見たことが無いんだ。母上、見せてもらえます?」
妻からのだからいいだろう、と彼女が渡すと、仲忠だけでなく、兼雅までがのぞきこんできた。
「女御さまの御手はさすがに素晴らしいな」
「昔から御手の見事なことは有名だったよ。藤壺の師にも劣らないんじゃないかな」
「藤壺の御方のもいつか見たことがあるけど、これよりも上手だったよ」
それを聞いた尚侍はそういうことか、とやや呆れた。
またずらりと並べられた献上品や馬を前に、兼雅がぽつりと言う。
「あんまりつきあいの無い間柄の人みたいだ、本当に面倒なほど手数をかけたものだな。ああ、勿体ないことに、后の宮からも頂いたのか。あのひとは仁寿殿女御とは決して仲が良い訳ではないのに、よくもまあ御祝いくださったものだな。まあ仲忠、そなたへの御祝いということなんだろうよ」
「ええまあ」
仲忠は苦笑しつつうなづく。
「僕の所には后の宮からは度々御消息があったし」
「全く面倒なことなのに、皆本当に色々な人々が祝ってくれて恐縮なことだ」
「本当に、たいそう鄭重に、儀式ばったことを色々としてくださったなあ。……そうそう、涼さんのところでも、来月あたりは同じ様におめでたいことがあるはずだから、また聞いてみなくてはね。あ、それはそうと父上」
「何だ?」
「今回はね、梨壺からもずいぶんと心が籠もった御祝いをしてもらったんだ。一体どうしたことかと思ったよ」
「ああ……」
兼雅はそうだったな、と贈り物の方を見る。東宮の梨壺の方は、彼自身の娘だった。ついそれを忘れそうになる。
「私もそれは見たよ。あちらではそなたのことは決して快くは思ってないだろうに、三宮は一体どういうおつもりで、ああも見事に指図をなさったのだろうな」
「僕は時々梨壺に行くことがあるけど、三宮さまは僕には決してその様な素振りはお見せにならないよ。とっても美しい態度でお迎えになって、お話もして下さる」
「まだ仕人は居るか? あのひとは私のことをどう思っているだろう」
「父上」
「あのひとには済まないとは思っているんだ。だからこそ、昨日はずいぶんと心打たれた」
ふう、と兼雅はそう言うと軽く肩を落とした。
*
やがて大宮の所へ、尚侍からの返事が届いた。
「御文をありがとうございました。畏まって受け取りました。
もう暫くお傍に居てお世話申し上げたいと思うのですが、うちの気難しい人、私をすぐにでも退出させようとする夫、兼雅が急がせましたので、どうしようもなく。
まあそれでも、私達の可愛い可愛い子犬ちゃんを見ずには居られないでしょうから、そのうちまた参ります。きっとそちらのご迷惑になるくらいお訪ねすることでしょう。
さて、こんなに色々頂いては、宿守を望む者が増えることでしょう。
本当に、『山近く』と仰られたのは、鹿の音なのでしょう」
「あらあらまあ、最後は綺麗にかわされたわね」
大宮はそう言って快活に笑う。
「私への御返りも見事なものでしたわ」
母への文を見た女御はそう感想を述べた。
*
また別の日のことである。
女御は梨壺から貰った黄金の甕の中身と、帝の召し上がり物とを入れ替え、そこに鯉、小鳥、ひぼしを餌袋に入れ、更に藤壺から貰った雉を添える。
帝宛に、と考えてのものだが、彼女はまず靱負の乳母という人のところへ文を出す。
「この頃は忙しくてご無沙汰したけど、どうしてそちらから訪ねてくれないの。
ところでこの品は、うちで最近お産をしたひとの召し上がった残り物だけど、これでも摂って風邪など引かない様にして下さいね。
ああ、この雉とかは帝へ差し上げて欲しいの。
交野の雉とどちらが美味しいのか比べて頂きたい、申し上げてね」
その様に書き、銀の小さな壺に黒方を、黄金の貝五個に蜜を、それに沈で鰹節の様に作ったものを青い紙に包み、五葉の松の枝にぶらさげて贈らせた。
受け取ったのは、ちょうど乳母達が台盤所に居た時だった。
靱負の乳母が受け取ると、ちょうどそこに集まっていた乳母達がそれを見て騒ぎ立てる。
「何なに、何処から来たの?」
「ずいぶんと素敵なものの様だけど」
「仁寿殿の女御さまの女一宮さまの御産屋の残り物だということで下さったんだけど」
へえ、と興味津々の眼差しのもと、包みを開け、またそこでうわ、と驚く。
「やっぱり素敵だわ」
「でもそれも当然よね。仲忠さまのところの産養ですもの。どうして立派でないことがありましょう!」
などと皆で言い合う。
靱負の乳母はその中から乾物を取り出した。
「あなた方、この鰹節を一切れづつ割って分けて頂戴な」
「後のものは?」
「他のものは風邪薬にしましょう」
なあんだ、という周囲の視線の中、彼女はそう言ってとっておく。
やがて彼女は帝のもとへ、仁寿殿女御から言付かったものと文を持ってお目にかける。
「ほぉ、念を入れて立派にした贈り物だな。そう言えばそなた達、先程ずいぶん騒がしかった様だが、何だったのだ?」
「あの方はまた、一つのことでも色々楽しめる様にお考えになる方ですかから。贈り物の中の鰹作りを頂かせて、小さく切って皆に分けたのでございます」
「成る程な、本当に色々と面白い贈り物だ」
そう言うと帝は、餌袋は后の宮に、鯉や雉は、先頃帝の御子を産んで寵愛されている更衣のところへと送った。
そして女御への返事は自分が書く、ということで。
「こちらからお便りしようとしているうちに、靱負のところへ来てしまったね。
もうそろそろ参内なさいな。
この頃世の中が何となく頼りなく淋しいと思うのも、御子達を度々見ないからです。参内する時には、皆を連れていらっしゃい。
そうそう、女一宮にもずいぶん会っていない。大人になったということが不思議で仕方がないよ。
ああ全くあなたというひとは、私を蒲生/かまうの鳥の様に辛い思いをさせるのですね。
―――中途で停滞した淀川に余所ながら鯉/恋を一つ見つけて嬉しく思っています―――
本当に、早く参内なさいよ」
一方乳母の方では。
「つつしんでお受け取り致しました。
私自身参上してご祝辞を申し上げたいと存じましたが、私自身の忌々しいことにあやかる様なことがありましては、とその折を過ごしましたのでご無沙汰致しました。
頂いた風邪薬はちょうど欲しいと思っていたところです。
帝に御文のことを申し上げましたところ、折良く御覧になって、御返事の御文もございます。
全てはお目もじの上で」
*
女御はそれを見ると、ふむと少し考えた上で娘の所へと行く。
「帝がこう仰せですのよ」
そう言って文を一宮に渡す。
それを仲忠も一緒に見る。
「そうですね、どうにかしてそれはできる様にしましょう。一宮も、気分が良くなったらぜひ参内なさいな」
「でも父上は、何でもない時にも私のこと、じっと見てらっしゃるんですもの。こうして子持ちになった今では恥ずかしくて」
「それは別に宮が悪い訳じゃないもの。そう恥ずかしがるのも、ちょっと子供っぽいよ。帝は僕のことも、近くに行くとじっと御覧になるよ。何をお考えかは判らないし、ただにこにこと微笑まれていることが多いんだけど」
「まあ」
「ともかく僕は、平気でお相手することにしているよ」
「あなたは男ですもの。私は違うわ」
「でもその前に、宮は帝の可愛い女一宮なんだから」
一宮はそうかしら、とやや首を傾げながらも、参内ね、と次第にその気になる様だった。
ところでこの二人が居る御座所だが、産屋から戻り、美しく設えられたそこは、周囲を含めて照り輝いて見えるかの様である。
調度は無論。
一方、それまで使っていた産屋にしつらえていた一切のものは、皆仕人に下ろされた。
寝所の帷子や、一宮がその折にまとっていた衣類の中でも、良いものは典侍に、さほどでもないものは他の手助けをした仕人達に一品づつ下された。
ちなみにこの典侍は嵯峨院の大后に仕えている女房で、若い時から身分の高貴な方のお産に立ち会うひとだった。歳は六十くらいだろうか。
ちなみに仲忠はその頃、内裏にも滅多に参内せず、出歩きもせず、ただただ女一宮と犬宮と一緒に居る様な暮らしぶりである。
典侍はそんな彼らの前に居て、あらあらと思いつつ。
「いやもう、普通でしたら、この幼さでは有り難いとも何ともお思いになさらない様な稚いひとなのに、あなた様ときたら、お生まれになるとすぐに懐にお入れなさって、まるでお離しにならず、それこそお小水にお濡れになっても平気なお顔で、万事に立ったり座ったりして甲斐甲斐しくお世話申し上げていらっしゃるんですから。そんなあなた様を拝顔いたしますと、この赤さまを取り上げた私すら誠に身にしみる程有り難くお見上げ申します」
そんなことは無いよ、と言いながらも嬉しそうに笑う仲忠に、典侍は尚も続ける。
「私は長いこと御湯殿のことをばかりして、こういう所の宮仕えを致して参りました。御迎湯に参り、御湯殿の一切の儀式に立ち会って参りましたが、何と言っても今までで一番素晴らしかったのは、あの藤壺の御方がお生まれになった時に、ここの大殿が『今まで大勢女の子は生まれてきたが、これほど可愛い子は居なかった』と仰ったことでしょうかねえ。そのご縁で、御方のお産の時にも御産湯お仕えすることができました。そして今、この宮さまにも御迎湯のお勤めをさせていただきました」
それを聞くと仲忠は喜んだ。
「それなら御方や宮にしてくれた様に、これからうちの犬宮にもして欲しいな。女の子の可愛さは、湯浴みのさせよう一つだとも言われているよ」
「まあ殿、そんなことまで」
ほほほ、と典侍は笑う。
「いや本気だって。美しくなる様にお湯を使わせてくれたら、御祝いもお礼もするからね。あんまりこの子を多くの人の手にはかけたくないんだ」
とか言っているうちに、仲忠の着ているものがじんわりと熱くなる。
「あらあら」
「宮、ちょっと子犬ちゃんを抱いていて」
そう仲忠が犬宮を差し出すと。
「嫌ぁよ、おしっこだらけで汚いわ」
押し返して向こうをむいてしまう。やれやれ、と仲忠は苦笑すると、典侍に渡しながら「頼もしくない母君だね」とつぶやく。
「だって臭いんですもの。それは仕方ないわ」
仲忠と典侍はそれを聞いて仕方ないね、と顔を見合わせる。
育ちが違うのだ。汚れ一つつけまいと育てられてきた彼女が、最初の子だからと言って、すぐに平気になる訳ではない。臭いものは臭いのだ。
一方、典侍は犬宮を受け取ると、ついつい言葉が滑り出してしまう様だった。
「まあまあ、それにしても綺麗な赤さまですこと。そうそう、藤壺の御方の生まれた時のお顔によく似てらっしゃります。ただあの方はもう少しお小さくあられたのですが、いやまあ、この犬宮さまは、こんなに大きく。丈夫にお育ちになりますよ」
「そうかなあ」
「そうですよ。帝や東宮さまにお仕えする様になる方というものは、生い育つうちに自然に美しさなども現れていらっしゃるものですが、藤壺さまの場合は、それこそ生まれた時から決まっていたかの様です。非常に珍しいことです」
けど、と少し典侍は声を低める。
「そういう格別に優れた方であるから、ついつい大勢の方を迷わせておしまいになったのですね。年を追う毎に素晴らしくおなりで、今はもう、指で突きでもしたら倒れておしまいになりそうなか弱いご様子で、それこそ手折った花の可憐さとでも言いましょうか。そういうものが勝ってきてらっしゃいます」
「気を持たせるねえ」
仲忠は止めどもなく続く典侍の言葉を興味深く聞く。
「こう言っては何ですが、東宮さまが藤壺さまとお並びになると、花の傍らの常磐木の様に感じてしまいます」
「それはまた失礼な」
「仕方が無いことですよ。その位あの方のご様子は見事なものでした。そうそう、先日参内致しましたところ、お二人のご様子は非常にお宜しく、宮仕えというよりは、まるで普通のご夫婦の間柄の様でございましたよ」
「それは良かった」
「……まあその分、周りが怖いと言えば怖いのですが…… 藤壺さまの所へ東宮さまがおいでになりまして、何かしらお話になったのでございます。すると何やら御方さまはご機嫌が悪くなられて、御自分の御髪を前の方へ差し出して、御座の側にお置きになりました」
「それは一体どういうことだろう」
「存じ上げません。しかし、その髪の見事なことときたら! 磨いた様につやつやとして、髪の筋も見えない程隙間なく一面に広がって波打っているご様子に、私などもう、あまりの美しさに何もかも忘れて、寿命が伸びる思いでしたよ」
「しかし何をまた」
「おそらくまたご懐妊中だからでしょう。あの方でもさすがにその間は心穏やかにはいられないのではないでしょうか」
ふうん、と仲忠は首を傾げる。
と、ふと思いついた様に一宮の髪を取る。
「ねえ典侍、御方のそれと、宮のとはどっちが長い? どっちが素敵?」
「同じくらいでございましょう」
典侍は即座に答える。
「そんなことは無いわ」
一宮も即座に反対する。
「あて宮のは全然違ったわよ。金の漆の様だったもの。一緒に暮らしていた時、良く比べてみたけど、あのひとの髪は色と筋が全然私のものとは違ったわ」
「宮さまも御方さまと同じくらいでございますよ」
典侍は笑う。
「私は嘘など申し上げません。まあ強いて申し上げるなら、あの方が恐ろしくお美しく見えるのは、お隣に居る方の違いでしょう」
「隣?」
一宮は訝しげに典侍を見る。
「ええ。こう申しては何ですが、藤壺さまが恐ろしい程美しく感じるのは、東宮さまとご一緒だからと私は思います。宮さまも同じくらいお美しいのですが、何と言ってもこの仲忠さまご自身が美しいので、宮さまが際だって見えなくなってしまうのでしょう」
「……さりげなく東宮のお兄さまにも、私にも失礼ねえ」
一宮は聞こえない程度の声でつぶやく。仲忠はそれを耳にし、くく、と笑う。
「まあでも、仲忠さまが幾らお美しいと言っても、藤壺さまにはさすがに」
「勿体ない。勿論向こうの方が素晴らしいに決まってるさ」
「いいえ、そこまでとは。―――そうですね、当代最もお美しいのは、殿の母君、尚侍さまでございましょう。藤壺さまがその次、そしてその次が宮さまではないかと。そして男君では、あなた様」
「またまた良く言うね。言い過ぎだよ」
「いえいえそんなことはございません。ともかく色々見てきてしまうので、ついつい比べてしまうのでしょう。ああお気に触りなさったなら申しわけございません。媼の口が滑っただけだとお思い下さいませ」
一宮は軽く肩をすくめる。
「おお、そう言えばもうこんな時分。そろそろ退出させて頂きましょう。もう暫く居りましたら、また言い過ぎを致しまして、おとがめを受けそうでございますから」
そう言って典侍は犬宮を抱いてその場から立ち去った。
残された二人は、典侍の言葉のすさまじさにしばらくは何と言ったらいいのか判らない程に呆然としていた。
やがて仲忠が口を開く。
「……何ってお喋りなひとだ。ともかく僕や母上を褒めちぎるっていうのは贔屓目に過ぎるよ」
「でも尚侍さまがお美しいのは確かよ。私もこの目で見ているもの」
「うーん。ねえ一宮、藤壺の御方が退出してきたら、ぜひ僕にそっと姿を見させてよ」
「……典侍が言ったのは本当よ」
一宮は軽くふくれる。
「本当。あのひとは見れば見る程美しくなって。私ときたら、どんどん醜くなって行くわ」
「そんなこと言ったら、宮を好きな僕はどうしたらいいの。藤壺の御方がどうあれ、僕はあなたの顔は大好きだよ」
「じゃあどうしてそういうこと言うのよ」
「だって綺麗なものは見てみたい、って思うのは当然だろ。しかも宮が誉めるほどの」
「……意地悪」
「何とでも」
くすくす、と仲忠は笑う。
「あなたね、昔と違うんだから。もしそんなことして、変な噂でも立ったらどうするの」
「何を今更。それこそ今更だよ。昔でさえ何も起こらなかったじゃない。あの頃、あて宮を見たり何なりしていたら、公にも罰が加えられただろうし、そうそう、ここの大殿も怒って僕を殺してしまっていたかも」
「何言ってるの」
「それでも僕が琴の琴一つ弾けば、許してくれてしまったんじゃないかと、ちょっとは自惚れているんだけどね。そんな時にだって何もしなかったんだもの。今更、だよ」
「今更ねえ」
「まあそういう日頃の行いが良かったから、帝も愛娘を下さったのだし」
「それは私が大した子じゃないからよ。自分の子だと思いもせずに、そのまま捨ててしまうつもりだったんじゃないかしら? 昔は鬼にだって娘をやったって話よ」
「おやおや帝はそういうおつもりだったの? でも帝の御愛情はとっても深いものだと思うよ。そして宮のおかげで、僕の方にも目をかけてくれている。ありがたいなあ」
そう言いつつ、彼は妻の側に寄る。
そしてやや声を低める。
「実は、本当に怖いのは弾正宮なんだ」
「お兄様が? どうして」
一宮は間近に迫る夫に小さな、だが鋭い声で問いかける。
「あの方は無口で、決まった妻も居ない。年月を追う毎に、何を考えているのか判らなくなってきている。……そのうち何かを引き起こすかも」
「嫌なこと! 私からしたら、この東の対に居る東宮の若宮達が恐ろしいわ」
「若宮達?」
「どんな風にお育ちになるのかしら。将来帝におなりになるはずよ」
「……そう言えば、犬宮が生まれた折りに、宮の母君をお見かけしたよ。あなたととっても良く似てらした。それなのに典侍が無視するのがちょっとね」
そう言いつつ、だんだん仲忠は奥に一宮を引き入れる。
「際だって目立っていた訳ではないのだけど、何と言うか、こんな風にしたくなる―――」
きゅ、と。
仲忠は宮を抱きしめる。
「もう、何してるの」
「つまりまあ、あなたの母君に魅力があるから、帝は仁寿殿にばかり行かれるのではないかと思うんだ。……それで后宮は実はご機嫌が悪い、と」
「珍しいことではないとは思うけど。涼さまのところに居る今宮だってそういう感じだってことよ」
「でもそれは普通の家ならばのことで、内裏だとどうかな…… 悪いことが起こらなければいいけど……」
などと言いながら、そのまま帳が閉ざされた。
それを携えて、兼雅夫婦が正頼の屋敷を出ようとする。
尚侍のお供には、前駆、兼雅の大将、仲忠中納言に続き、四位五位の人々が入り混じって大勢の者がついて行く。
兼雅が自宅へ着いた時、その行列の最後尾、女房の車はまだ正頼の屋敷の門に居たくらいである。
正頼邸と兼雅邸は遠くは無い。一町程度離れている程度である。
この一行がすっかり兼雅邸に入った後、正頼は馬と鷹を贈り物にした。
「これはお供の方にお持ち頂くはずでしたが、お急ぎでいらしたので」
そう文が付けられていた。
また、大宮からは蒔絵の御衣櫃が五掛。
担い棒を渡したその内訳としては、着物に二つ、唐綾の類を入れたものが二つ、そして最後の一つが、えび香と丁字香を入れたものだった。
大宮からは尚侍にこの様な文が付けられている。
「宮のお側に出産の時にいらっしゃった折にお目にかかりたく思いましたが、騒ぎばかりが続きましたので……
おいで頂いて大変嬉しく思いました。
あの折り、あなた様の御琴を耳にしましたこと、余命も短いと思ってあきらめておりましたのに、行先も延びる様な心地が致しました。
心にしみじみと感じ入るあの音、遙かに遠いと思っていた蓬莱という望ましい所も案外近かったのだと思いました。
この品は下々の方へ上げていただきたいと思いまして」
それを見た尚侍は、あの場で弾いたこともそう悪いことではなかったのだな、と改めて思った。
女一宮からは、后の宮から貰った衝重の中に入っていた物そのままと、また別に蒔絵の置口の衣箱を用意した。
その中には夏と冬の装束、それに夜の装束を二襲づつ入れる。
そしてまた、同じ様な蒔絵の置口の御髪箱を四つ用意し、それぞれに沈香、黄金、瑠璃の壺、合わせ薫き物を入れる。
もう一つ別の箱には、麝香が一つづつ入る黄金の壺が十。他に薬を入れたものもある。
それらは全て美しく包まれ、宮からの消息として陸奥紙に書かれた女御からの文が添えられた。
「母の代筆で申しわけございません。
私自身が直接書いた方がいいし、そうしたいのですが、今は手が震えて……
今まではずっとお傍においで下さり、たいへん頼りにお思い申し上げておりました。なのに今、お帰りになってしまわれたので、大変淋しゅうございます。
物も判らない程苦しかったあの時も、琴の音のおかげで嘘の様に落ち着きました。あの琴の音が忘れられません。今もお慕い申し上げております。
この品は、うちの子犬ちゃんのおしっこでお濡らしになったお召し物を、ぜひ脱ぎ換えていただきたいと―――」
さてその文が届いた時、仲忠もまだ見送りをしている所だった。
尚侍が女御の手になる一宮からの文を見ていると、彼はふとそれを見たくなった。
「僕もまだ見たことが無いんだ。母上、見せてもらえます?」
妻からのだからいいだろう、と彼女が渡すと、仲忠だけでなく、兼雅までがのぞきこんできた。
「女御さまの御手はさすがに素晴らしいな」
「昔から御手の見事なことは有名だったよ。藤壺の師にも劣らないんじゃないかな」
「藤壺の御方のもいつか見たことがあるけど、これよりも上手だったよ」
それを聞いた尚侍はそういうことか、とやや呆れた。
またずらりと並べられた献上品や馬を前に、兼雅がぽつりと言う。
「あんまりつきあいの無い間柄の人みたいだ、本当に面倒なほど手数をかけたものだな。ああ、勿体ないことに、后の宮からも頂いたのか。あのひとは仁寿殿女御とは決して仲が良い訳ではないのに、よくもまあ御祝いくださったものだな。まあ仲忠、そなたへの御祝いということなんだろうよ」
「ええまあ」
仲忠は苦笑しつつうなづく。
「僕の所には后の宮からは度々御消息があったし」
「全く面倒なことなのに、皆本当に色々な人々が祝ってくれて恐縮なことだ」
「本当に、たいそう鄭重に、儀式ばったことを色々としてくださったなあ。……そうそう、涼さんのところでも、来月あたりは同じ様におめでたいことがあるはずだから、また聞いてみなくてはね。あ、それはそうと父上」
「何だ?」
「今回はね、梨壺からもずいぶんと心が籠もった御祝いをしてもらったんだ。一体どうしたことかと思ったよ」
「ああ……」
兼雅はそうだったな、と贈り物の方を見る。東宮の梨壺の方は、彼自身の娘だった。ついそれを忘れそうになる。
「私もそれは見たよ。あちらではそなたのことは決して快くは思ってないだろうに、三宮は一体どういうおつもりで、ああも見事に指図をなさったのだろうな」
「僕は時々梨壺に行くことがあるけど、三宮さまは僕には決してその様な素振りはお見せにならないよ。とっても美しい態度でお迎えになって、お話もして下さる」
「まだ仕人は居るか? あのひとは私のことをどう思っているだろう」
「父上」
「あのひとには済まないとは思っているんだ。だからこそ、昨日はずいぶんと心打たれた」
ふう、と兼雅はそう言うと軽く肩を落とした。
*
やがて大宮の所へ、尚侍からの返事が届いた。
「御文をありがとうございました。畏まって受け取りました。
もう暫くお傍に居てお世話申し上げたいと思うのですが、うちの気難しい人、私をすぐにでも退出させようとする夫、兼雅が急がせましたので、どうしようもなく。
まあそれでも、私達の可愛い可愛い子犬ちゃんを見ずには居られないでしょうから、そのうちまた参ります。きっとそちらのご迷惑になるくらいお訪ねすることでしょう。
さて、こんなに色々頂いては、宿守を望む者が増えることでしょう。
本当に、『山近く』と仰られたのは、鹿の音なのでしょう」
「あらあらまあ、最後は綺麗にかわされたわね」
大宮はそう言って快活に笑う。
「私への御返りも見事なものでしたわ」
母への文を見た女御はそう感想を述べた。
*
また別の日のことである。
女御は梨壺から貰った黄金の甕の中身と、帝の召し上がり物とを入れ替え、そこに鯉、小鳥、ひぼしを餌袋に入れ、更に藤壺から貰った雉を添える。
帝宛に、と考えてのものだが、彼女はまず靱負の乳母という人のところへ文を出す。
「この頃は忙しくてご無沙汰したけど、どうしてそちらから訪ねてくれないの。
ところでこの品は、うちで最近お産をしたひとの召し上がった残り物だけど、これでも摂って風邪など引かない様にして下さいね。
ああ、この雉とかは帝へ差し上げて欲しいの。
交野の雉とどちらが美味しいのか比べて頂きたい、申し上げてね」
その様に書き、銀の小さな壺に黒方を、黄金の貝五個に蜜を、それに沈で鰹節の様に作ったものを青い紙に包み、五葉の松の枝にぶらさげて贈らせた。
受け取ったのは、ちょうど乳母達が台盤所に居た時だった。
靱負の乳母が受け取ると、ちょうどそこに集まっていた乳母達がそれを見て騒ぎ立てる。
「何なに、何処から来たの?」
「ずいぶんと素敵なものの様だけど」
「仁寿殿の女御さまの女一宮さまの御産屋の残り物だということで下さったんだけど」
へえ、と興味津々の眼差しのもと、包みを開け、またそこでうわ、と驚く。
「やっぱり素敵だわ」
「でもそれも当然よね。仲忠さまのところの産養ですもの。どうして立派でないことがありましょう!」
などと皆で言い合う。
靱負の乳母はその中から乾物を取り出した。
「あなた方、この鰹節を一切れづつ割って分けて頂戴な」
「後のものは?」
「他のものは風邪薬にしましょう」
なあんだ、という周囲の視線の中、彼女はそう言ってとっておく。
やがて彼女は帝のもとへ、仁寿殿女御から言付かったものと文を持ってお目にかける。
「ほぉ、念を入れて立派にした贈り物だな。そう言えばそなた達、先程ずいぶん騒がしかった様だが、何だったのだ?」
「あの方はまた、一つのことでも色々楽しめる様にお考えになる方ですかから。贈り物の中の鰹作りを頂かせて、小さく切って皆に分けたのでございます」
「成る程な、本当に色々と面白い贈り物だ」
そう言うと帝は、餌袋は后の宮に、鯉や雉は、先頃帝の御子を産んで寵愛されている更衣のところへと送った。
そして女御への返事は自分が書く、ということで。
「こちらからお便りしようとしているうちに、靱負のところへ来てしまったね。
もうそろそろ参内なさいな。
この頃世の中が何となく頼りなく淋しいと思うのも、御子達を度々見ないからです。参内する時には、皆を連れていらっしゃい。
そうそう、女一宮にもずいぶん会っていない。大人になったということが不思議で仕方がないよ。
ああ全くあなたというひとは、私を蒲生/かまうの鳥の様に辛い思いをさせるのですね。
―――中途で停滞した淀川に余所ながら鯉/恋を一つ見つけて嬉しく思っています―――
本当に、早く参内なさいよ」
一方乳母の方では。
「つつしんでお受け取り致しました。
私自身参上してご祝辞を申し上げたいと存じましたが、私自身の忌々しいことにあやかる様なことがありましては、とその折を過ごしましたのでご無沙汰致しました。
頂いた風邪薬はちょうど欲しいと思っていたところです。
帝に御文のことを申し上げましたところ、折良く御覧になって、御返事の御文もございます。
全てはお目もじの上で」
*
女御はそれを見ると、ふむと少し考えた上で娘の所へと行く。
「帝がこう仰せですのよ」
そう言って文を一宮に渡す。
それを仲忠も一緒に見る。
「そうですね、どうにかしてそれはできる様にしましょう。一宮も、気分が良くなったらぜひ参内なさいな」
「でも父上は、何でもない時にも私のこと、じっと見てらっしゃるんですもの。こうして子持ちになった今では恥ずかしくて」
「それは別に宮が悪い訳じゃないもの。そう恥ずかしがるのも、ちょっと子供っぽいよ。帝は僕のことも、近くに行くとじっと御覧になるよ。何をお考えかは判らないし、ただにこにこと微笑まれていることが多いんだけど」
「まあ」
「ともかく僕は、平気でお相手することにしているよ」
「あなたは男ですもの。私は違うわ」
「でもその前に、宮は帝の可愛い女一宮なんだから」
一宮はそうかしら、とやや首を傾げながらも、参内ね、と次第にその気になる様だった。
ところでこの二人が居る御座所だが、産屋から戻り、美しく設えられたそこは、周囲を含めて照り輝いて見えるかの様である。
調度は無論。
一方、それまで使っていた産屋にしつらえていた一切のものは、皆仕人に下ろされた。
寝所の帷子や、一宮がその折にまとっていた衣類の中でも、良いものは典侍に、さほどでもないものは他の手助けをした仕人達に一品づつ下された。
ちなみにこの典侍は嵯峨院の大后に仕えている女房で、若い時から身分の高貴な方のお産に立ち会うひとだった。歳は六十くらいだろうか。
ちなみに仲忠はその頃、内裏にも滅多に参内せず、出歩きもせず、ただただ女一宮と犬宮と一緒に居る様な暮らしぶりである。
典侍はそんな彼らの前に居て、あらあらと思いつつ。
「いやもう、普通でしたら、この幼さでは有り難いとも何ともお思いになさらない様な稚いひとなのに、あなた様ときたら、お生まれになるとすぐに懐にお入れなさって、まるでお離しにならず、それこそお小水にお濡れになっても平気なお顔で、万事に立ったり座ったりして甲斐甲斐しくお世話申し上げていらっしゃるんですから。そんなあなた様を拝顔いたしますと、この赤さまを取り上げた私すら誠に身にしみる程有り難くお見上げ申します」
そんなことは無いよ、と言いながらも嬉しそうに笑う仲忠に、典侍は尚も続ける。
「私は長いこと御湯殿のことをばかりして、こういう所の宮仕えを致して参りました。御迎湯に参り、御湯殿の一切の儀式に立ち会って参りましたが、何と言っても今までで一番素晴らしかったのは、あの藤壺の御方がお生まれになった時に、ここの大殿が『今まで大勢女の子は生まれてきたが、これほど可愛い子は居なかった』と仰ったことでしょうかねえ。そのご縁で、御方のお産の時にも御産湯お仕えすることができました。そして今、この宮さまにも御迎湯のお勤めをさせていただきました」
それを聞くと仲忠は喜んだ。
「それなら御方や宮にしてくれた様に、これからうちの犬宮にもして欲しいな。女の子の可愛さは、湯浴みのさせよう一つだとも言われているよ」
「まあ殿、そんなことまで」
ほほほ、と典侍は笑う。
「いや本気だって。美しくなる様にお湯を使わせてくれたら、御祝いもお礼もするからね。あんまりこの子を多くの人の手にはかけたくないんだ」
とか言っているうちに、仲忠の着ているものがじんわりと熱くなる。
「あらあら」
「宮、ちょっと子犬ちゃんを抱いていて」
そう仲忠が犬宮を差し出すと。
「嫌ぁよ、おしっこだらけで汚いわ」
押し返して向こうをむいてしまう。やれやれ、と仲忠は苦笑すると、典侍に渡しながら「頼もしくない母君だね」とつぶやく。
「だって臭いんですもの。それは仕方ないわ」
仲忠と典侍はそれを聞いて仕方ないね、と顔を見合わせる。
育ちが違うのだ。汚れ一つつけまいと育てられてきた彼女が、最初の子だからと言って、すぐに平気になる訳ではない。臭いものは臭いのだ。
一方、典侍は犬宮を受け取ると、ついつい言葉が滑り出してしまう様だった。
「まあまあ、それにしても綺麗な赤さまですこと。そうそう、藤壺の御方の生まれた時のお顔によく似てらっしゃります。ただあの方はもう少しお小さくあられたのですが、いやまあ、この犬宮さまは、こんなに大きく。丈夫にお育ちになりますよ」
「そうかなあ」
「そうですよ。帝や東宮さまにお仕えする様になる方というものは、生い育つうちに自然に美しさなども現れていらっしゃるものですが、藤壺さまの場合は、それこそ生まれた時から決まっていたかの様です。非常に珍しいことです」
けど、と少し典侍は声を低める。
「そういう格別に優れた方であるから、ついつい大勢の方を迷わせておしまいになったのですね。年を追う毎に素晴らしくおなりで、今はもう、指で突きでもしたら倒れておしまいになりそうなか弱いご様子で、それこそ手折った花の可憐さとでも言いましょうか。そういうものが勝ってきてらっしゃいます」
「気を持たせるねえ」
仲忠は止めどもなく続く典侍の言葉を興味深く聞く。
「こう言っては何ですが、東宮さまが藤壺さまとお並びになると、花の傍らの常磐木の様に感じてしまいます」
「それはまた失礼な」
「仕方が無いことですよ。その位あの方のご様子は見事なものでした。そうそう、先日参内致しましたところ、お二人のご様子は非常にお宜しく、宮仕えというよりは、まるで普通のご夫婦の間柄の様でございましたよ」
「それは良かった」
「……まあその分、周りが怖いと言えば怖いのですが…… 藤壺さまの所へ東宮さまがおいでになりまして、何かしらお話になったのでございます。すると何やら御方さまはご機嫌が悪くなられて、御自分の御髪を前の方へ差し出して、御座の側にお置きになりました」
「それは一体どういうことだろう」
「存じ上げません。しかし、その髪の見事なことときたら! 磨いた様につやつやとして、髪の筋も見えない程隙間なく一面に広がって波打っているご様子に、私などもう、あまりの美しさに何もかも忘れて、寿命が伸びる思いでしたよ」
「しかし何をまた」
「おそらくまたご懐妊中だからでしょう。あの方でもさすがにその間は心穏やかにはいられないのではないでしょうか」
ふうん、と仲忠は首を傾げる。
と、ふと思いついた様に一宮の髪を取る。
「ねえ典侍、御方のそれと、宮のとはどっちが長い? どっちが素敵?」
「同じくらいでございましょう」
典侍は即座に答える。
「そんなことは無いわ」
一宮も即座に反対する。
「あて宮のは全然違ったわよ。金の漆の様だったもの。一緒に暮らしていた時、良く比べてみたけど、あのひとの髪は色と筋が全然私のものとは違ったわ」
「宮さまも御方さまと同じくらいでございますよ」
典侍は笑う。
「私は嘘など申し上げません。まあ強いて申し上げるなら、あの方が恐ろしくお美しく見えるのは、お隣に居る方の違いでしょう」
「隣?」
一宮は訝しげに典侍を見る。
「ええ。こう申しては何ですが、藤壺さまが恐ろしい程美しく感じるのは、東宮さまとご一緒だからと私は思います。宮さまも同じくらいお美しいのですが、何と言ってもこの仲忠さまご自身が美しいので、宮さまが際だって見えなくなってしまうのでしょう」
「……さりげなく東宮のお兄さまにも、私にも失礼ねえ」
一宮は聞こえない程度の声でつぶやく。仲忠はそれを耳にし、くく、と笑う。
「まあでも、仲忠さまが幾らお美しいと言っても、藤壺さまにはさすがに」
「勿体ない。勿論向こうの方が素晴らしいに決まってるさ」
「いいえ、そこまでとは。―――そうですね、当代最もお美しいのは、殿の母君、尚侍さまでございましょう。藤壺さまがその次、そしてその次が宮さまではないかと。そして男君では、あなた様」
「またまた良く言うね。言い過ぎだよ」
「いえいえそんなことはございません。ともかく色々見てきてしまうので、ついつい比べてしまうのでしょう。ああお気に触りなさったなら申しわけございません。媼の口が滑っただけだとお思い下さいませ」
一宮は軽く肩をすくめる。
「おお、そう言えばもうこんな時分。そろそろ退出させて頂きましょう。もう暫く居りましたら、また言い過ぎを致しまして、おとがめを受けそうでございますから」
そう言って典侍は犬宮を抱いてその場から立ち去った。
残された二人は、典侍の言葉のすさまじさにしばらくは何と言ったらいいのか判らない程に呆然としていた。
やがて仲忠が口を開く。
「……何ってお喋りなひとだ。ともかく僕や母上を褒めちぎるっていうのは贔屓目に過ぎるよ」
「でも尚侍さまがお美しいのは確かよ。私もこの目で見ているもの」
「うーん。ねえ一宮、藤壺の御方が退出してきたら、ぜひ僕にそっと姿を見させてよ」
「……典侍が言ったのは本当よ」
一宮は軽くふくれる。
「本当。あのひとは見れば見る程美しくなって。私ときたら、どんどん醜くなって行くわ」
「そんなこと言ったら、宮を好きな僕はどうしたらいいの。藤壺の御方がどうあれ、僕はあなたの顔は大好きだよ」
「じゃあどうしてそういうこと言うのよ」
「だって綺麗なものは見てみたい、って思うのは当然だろ。しかも宮が誉めるほどの」
「……意地悪」
「何とでも」
くすくす、と仲忠は笑う。
「あなたね、昔と違うんだから。もしそんなことして、変な噂でも立ったらどうするの」
「何を今更。それこそ今更だよ。昔でさえ何も起こらなかったじゃない。あの頃、あて宮を見たり何なりしていたら、公にも罰が加えられただろうし、そうそう、ここの大殿も怒って僕を殺してしまっていたかも」
「何言ってるの」
「それでも僕が琴の琴一つ弾けば、許してくれてしまったんじゃないかと、ちょっとは自惚れているんだけどね。そんな時にだって何もしなかったんだもの。今更、だよ」
「今更ねえ」
「まあそういう日頃の行いが良かったから、帝も愛娘を下さったのだし」
「それは私が大した子じゃないからよ。自分の子だと思いもせずに、そのまま捨ててしまうつもりだったんじゃないかしら? 昔は鬼にだって娘をやったって話よ」
「おやおや帝はそういうおつもりだったの? でも帝の御愛情はとっても深いものだと思うよ。そして宮のおかげで、僕の方にも目をかけてくれている。ありがたいなあ」
そう言いつつ、彼は妻の側に寄る。
そしてやや声を低める。
「実は、本当に怖いのは弾正宮なんだ」
「お兄様が? どうして」
一宮は間近に迫る夫に小さな、だが鋭い声で問いかける。
「あの方は無口で、決まった妻も居ない。年月を追う毎に、何を考えているのか判らなくなってきている。……そのうち何かを引き起こすかも」
「嫌なこと! 私からしたら、この東の対に居る東宮の若宮達が恐ろしいわ」
「若宮達?」
「どんな風にお育ちになるのかしら。将来帝におなりになるはずよ」
「……そう言えば、犬宮が生まれた折りに、宮の母君をお見かけしたよ。あなたととっても良く似てらした。それなのに典侍が無視するのがちょっとね」
そう言いつつ、だんだん仲忠は奥に一宮を引き入れる。
「際だって目立っていた訳ではないのだけど、何と言うか、こんな風にしたくなる―――」
きゅ、と。
仲忠は宮を抱きしめる。
「もう、何してるの」
「つまりまあ、あなたの母君に魅力があるから、帝は仁寿殿にばかり行かれるのではないかと思うんだ。……それで后宮は実はご機嫌が悪い、と」
「珍しいことではないとは思うけど。涼さまのところに居る今宮だってそういう感じだってことよ」
「でもそれは普通の家ならばのことで、内裏だとどうかな…… 悪いことが起こらなければいいけど……」
などと言いながら、そのまま帳が閉ざされた。
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