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第21話 雷と停電
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マリコさんが外出するようになった。
*
とは言え、それに気付いたのは彼女がそうするようになってから結構たってからである。「外出」というのは、「買い物」とか、「家の用事」以外で彼女が彼女だけのために、長時間家を空ける状態を示す―――
ハルはそういえばそうだったな、と気付いた。
マリコさんは決して大人しい人ではなかった筈である。だが、自分のために病院を辞めてからは「大人しい」人のような暮らしをしていた。それがあまりに自然だったので、忘れていたのだ。
そうするとハルは必然的に近くに居る子の方をかまいだす。彼女は暇は暇なのだ。
暇は決していいとは言えない。特にハルのような、物事に理由とか目的をつけたがる者にとっては、何もせずただぼーっとしている時間というのはなかなか苦痛なのである。
以前はその時間はピアノが埋めた。ここ最近はドラムで埋めていた。
そして今は妹でない方のまほと、ロックとドラムで埋めている。
雨の日は特にそうだった。天気がいいと、外へ出て何かしなくてはいけないような気がしてくる。
しかも初夏である。梅雨が近いらしく、天気は安定しないから、天気のいい日は貴重である。
マリコさんを手伝って布団を干したら、まほの手を引っ張って外へ繰り出す。買い物をする日もあるし、ただ街中をぶらつくだけの時も多い。
話は合った。
と、いうよりも、話す波長が合ったと言える。知識は合うとは言えない。ただでさえ高校生と大学生の知識の差はあるのだ。知識の差、と言うより、考えるものごとの広さという点だが。
それでもハルはハルで、自分がどういう分野について知らなかったのか、時々彼女に驚かされる。
彼女は彼女で、ハルがぴろぴろと弾くピアノに感心して手を叩く。これ知ってる、と聞き憶えた曲をハルが弾くと、曲に合わせて軽く歌うことさえある。あくまで軽く、であったが。
本気で歌ったら、どうなんだろう?
時々ハルはそうさせたくなる。もしかしたら、あの時の声が聞けるかもしれない。だが同時にそうさせるのが怖くもあった。
「よく降るね」
まほは雨が音を立てて窓に打ち付けるのに気付いて言った。
「梅雨にもうじき入るのよ。仕方ないわね」
「ふーん…… マリコさん大丈夫かなあ」
「そおねえ」
マリコさんは外出する時に行き先を言わない。別にハルも聞きもしなかったが。
そのうちに雨足はよけい激しくなってきて、とうとう雷まで鳴りだした。
雨戸を閉めても音は激しく響く。すきまから青とも紫ともつかない光が漏れる。ふと見ると、まほはどうも浮かない顔になっている。
もしかしたら、とハルは判らない程度に笑みを浮かべた。時計を見るともうじき夜である。
「これじゃマリコさんも帰るに帰れないわね?」
やや反応を求めるようにまほの方を向いて言う。そうね、と気が気でない様子で力無く彼女は答える。
「晩ごはんは仕方ない、ありあわせにしよう」
「うん」
自分が入ると台所が滅茶苦茶になる。それはよく判っているのでハルは無駄な努力はしない。だが腹は減る。同居人を飢えさせてはいけないので、何かあるかと台所へと歩きかけたところだった。
ばりばりばり、と音が響く。と、間髪入れず、あかりが消えた。
停電か。
ハルはこういう時には動じない。だいたいピアノの発表会なぞ出るまではこういう真っ暗なのだ。そして演奏中にいきなりアクシデントが起きるかもしれない。だが、それにいちいち動じていたら、何もできない。
ゆっくりと一点を見据えていると、だんだん目が慣れてきた。自分の家なのだ。ある程度は勘も働く。懐中電灯を探さなくては。そうしてゆっくりと動きだした時、後ろで気配がした。何事、と思いながら動きを止めると、腕を両手でしっかりと掴まれた。
「居た」
「まほちゃん?」
うなづく気配がする。
「どうしたの? これじゃ動けないってば。灯取りに行かなきゃ……」
「やだ」
嫌いやとかぶりを振る気配がする。髪の、リンスの香りがまとわりつく。
「ああ、雷駄目なんだ」
「悪い?」
ほんの少し、むっとしたような声になる。
「怖いものは怖いんだもの」
「ふーん」
そういうものなのかな、とぽんぽんと背中を叩く。
そしてまた一気に落ちる音がしたので、今度はしがみつかれてしまうのをハルは感じた。
身体が緊張しているせいか、コットンのシャツごしにも汗ばんでいるのが判る。暑いと言えば暑い。
だが別にそれは不快なものではなかった。
*
ようやく停電が治まったので、バタトーストにコーヒー、という簡単な食事を取っていると電話が鳴った。マリコさんからだった。
『ごめんなさいハルさん、電車止まってしまったから、今日はこっちに泊まりますよ』
「泊まる? うん。でも何処にいるのマリコさん?そっちの電話教えてよ」
『あ、ユーキ君のところですから、あなたそれなら知ってるでしょう?』
「は?」
思いがけないことは、起こるときには立て続けに起こるものである。
*
とは言え、それに気付いたのは彼女がそうするようになってから結構たってからである。「外出」というのは、「買い物」とか、「家の用事」以外で彼女が彼女だけのために、長時間家を空ける状態を示す―――
ハルはそういえばそうだったな、と気付いた。
マリコさんは決して大人しい人ではなかった筈である。だが、自分のために病院を辞めてからは「大人しい」人のような暮らしをしていた。それがあまりに自然だったので、忘れていたのだ。
そうするとハルは必然的に近くに居る子の方をかまいだす。彼女は暇は暇なのだ。
暇は決していいとは言えない。特にハルのような、物事に理由とか目的をつけたがる者にとっては、何もせずただぼーっとしている時間というのはなかなか苦痛なのである。
以前はその時間はピアノが埋めた。ここ最近はドラムで埋めていた。
そして今は妹でない方のまほと、ロックとドラムで埋めている。
雨の日は特にそうだった。天気がいいと、外へ出て何かしなくてはいけないような気がしてくる。
しかも初夏である。梅雨が近いらしく、天気は安定しないから、天気のいい日は貴重である。
マリコさんを手伝って布団を干したら、まほの手を引っ張って外へ繰り出す。買い物をする日もあるし、ただ街中をぶらつくだけの時も多い。
話は合った。
と、いうよりも、話す波長が合ったと言える。知識は合うとは言えない。ただでさえ高校生と大学生の知識の差はあるのだ。知識の差、と言うより、考えるものごとの広さという点だが。
それでもハルはハルで、自分がどういう分野について知らなかったのか、時々彼女に驚かされる。
彼女は彼女で、ハルがぴろぴろと弾くピアノに感心して手を叩く。これ知ってる、と聞き憶えた曲をハルが弾くと、曲に合わせて軽く歌うことさえある。あくまで軽く、であったが。
本気で歌ったら、どうなんだろう?
時々ハルはそうさせたくなる。もしかしたら、あの時の声が聞けるかもしれない。だが同時にそうさせるのが怖くもあった。
「よく降るね」
まほは雨が音を立てて窓に打ち付けるのに気付いて言った。
「梅雨にもうじき入るのよ。仕方ないわね」
「ふーん…… マリコさん大丈夫かなあ」
「そおねえ」
マリコさんは外出する時に行き先を言わない。別にハルも聞きもしなかったが。
そのうちに雨足はよけい激しくなってきて、とうとう雷まで鳴りだした。
雨戸を閉めても音は激しく響く。すきまから青とも紫ともつかない光が漏れる。ふと見ると、まほはどうも浮かない顔になっている。
もしかしたら、とハルは判らない程度に笑みを浮かべた。時計を見るともうじき夜である。
「これじゃマリコさんも帰るに帰れないわね?」
やや反応を求めるようにまほの方を向いて言う。そうね、と気が気でない様子で力無く彼女は答える。
「晩ごはんは仕方ない、ありあわせにしよう」
「うん」
自分が入ると台所が滅茶苦茶になる。それはよく判っているのでハルは無駄な努力はしない。だが腹は減る。同居人を飢えさせてはいけないので、何かあるかと台所へと歩きかけたところだった。
ばりばりばり、と音が響く。と、間髪入れず、あかりが消えた。
停電か。
ハルはこういう時には動じない。だいたいピアノの発表会なぞ出るまではこういう真っ暗なのだ。そして演奏中にいきなりアクシデントが起きるかもしれない。だが、それにいちいち動じていたら、何もできない。
ゆっくりと一点を見据えていると、だんだん目が慣れてきた。自分の家なのだ。ある程度は勘も働く。懐中電灯を探さなくては。そうしてゆっくりと動きだした時、後ろで気配がした。何事、と思いながら動きを止めると、腕を両手でしっかりと掴まれた。
「居た」
「まほちゃん?」
うなづく気配がする。
「どうしたの? これじゃ動けないってば。灯取りに行かなきゃ……」
「やだ」
嫌いやとかぶりを振る気配がする。髪の、リンスの香りがまとわりつく。
「ああ、雷駄目なんだ」
「悪い?」
ほんの少し、むっとしたような声になる。
「怖いものは怖いんだもの」
「ふーん」
そういうものなのかな、とぽんぽんと背中を叩く。
そしてまた一気に落ちる音がしたので、今度はしがみつかれてしまうのをハルは感じた。
身体が緊張しているせいか、コットンのシャツごしにも汗ばんでいるのが判る。暑いと言えば暑い。
だが別にそれは不快なものではなかった。
*
ようやく停電が治まったので、バタトーストにコーヒー、という簡単な食事を取っていると電話が鳴った。マリコさんからだった。
『ごめんなさいハルさん、電車止まってしまったから、今日はこっちに泊まりますよ』
「泊まる? うん。でも何処にいるのマリコさん?そっちの電話教えてよ」
『あ、ユーキ君のところですから、あなたそれなら知ってるでしょう?』
「は?」
思いがけないことは、起こるときには立て続けに起こるものである。
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