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第24話 「何だったら、練習見にこない?」
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「あ、日坂さんじゃない」
珍しい呼ばれ方にハルは振り向く。市内で最も大きいレコードショップのフロアの真ん中。
高い天井には飾りのファンが回り、四隅には大きなスピーカーが置かれ、かかっているのはUK・ヒットチャートでトップを取っていた曲だったような気がする。
「オレオレ、忘れちゃった?」
高くも低くもないありふれた声だが、妙に人なつっこい。にこにこと笑っている、その目元には見覚えがある。
「前よりも髪の毛明るい色になったんじゃない?」
「そうなのっ。もうじきコンテストが近いからさあ、なるべく目立つ恰好にしようってバンドの意見がまとまりまして」
「はあ」
どうやら改めてブリーチをしたばかりで御機嫌になっているようであった。
アカエミュージックの店員兼何処ぞのアマチュアバンドでギターを弾いているという彼はカラセと名乗った。
遣唐使の唐に「瀬をはやみ……」の瀬、と何やら意外な例えを出してくる。正直にハルはそう感想を述べると、
「やー、高校んとき、日本史だけ良かったのよ」
「珍しい」
「どおして?」
どうしてと聞かれても、とハルははたと困った。確かに日本史が良くてロックバンドをやってはいけないという法はない。
「で日坂さん、今日は一人?」
「いや、連れがいるけれど」
「あ、それじゃお邪魔だね」
そう言って立ち去ろうとするので、ちょっと待て、と彼女はカラセを止めた。どうやらこのなかなか髪の色と同じくらい明るい男は誤解したようだ。
「別に連れは野郎じゃないよ」
あ、なんだ、と彼は向けかけていた背を元に戻す。ほれ、とハルは彼の後ろから近付いてくるまほに手を挙げる。
「あれ」
「ハルさんお知り合い?」
「ちょっとね。ほら、うちのドラム買ったトコのひと」
「あ、楽器やってる人」
カラセはにこっとまほに向かって笑い、可愛いねえ、と言った。するとまほは、
「はい?」
とっさにそう聞き返した。そしてきょろきょろとあたりを見渡す。
特にまわりに「可愛い」に値するものが見あたらないことを確認すると、自分? と指さして彼に問い返した。カラセは不思議そうな顔になってうん、とうなづく。
まほは困ったような表情でハルの方を見る。
「どうしたの?」
「あんまりそおゆう冗談は好きじゃない」
「冗談? オレそーゆうことは冗談言わないのよ?」
「だってあたしが可愛いってのは冗談に決まってるじゃないの」
「こら」
ハルはぽん、とまほの頭を叩いた。
「言われたことない?」
「ある訳ないじゃない」
「うっそお」
カラセは肩をすくめてやや大げさに驚いた。その動きにはやや芝居がかったものをハルは感じたが、彼はどうやら行動全体がそういう傾向があるらしい。
「んじゃあ、よっぽど今まで会った奴って目ぇ悪かったんだ」
「……」
まほは困る。何が困ると言ったって、誉められた時の反応ほど困るものはない。学習不足という奴だ。
自分が努力して得られたものに対してなら、ある程度は判るような気がするのだが、ただ自分であるだけで誉められてしまうものに対しては、どういった反応を見せればいいのか判らないだ。
「見せればいいのか」という問いかけをする時点で何かずれているのだが。
「そのくらいにしといてよ、この子あまり野郎には免疫ないんだから」
「あ、そ」
「それより今日は何しに来ているの? 店は休み?」
「あ、今日は自主的に休み。久々に練習があるんで」
「この辺にスタジオってあったっけ」
正直言ってハルはそいう店関係にはそう詳しくはない。
「何言ってんの、ここの4階がリハスタになってるんだってば」
「4階なんてあったんだ」
「このビル、この店のものだから」
それで有効利用しましょうって訳ね、とハルも了解する。確かカラセはギターをやっていたと聞いたことがある。あれは妹の話をした時のことだ。
「どういうのやるの?」
「何? 曲?」
「傾向」
「傾向ねえ。まあ歌ものだけど」
「Bとか好き?」
ハルはこのレコード屋でもチャート入りしている邦楽ビート系ロックバンドの大物の名を挙げた。好きは好きだけど、とカラセは言う。
「やっぱすげえよ。あそこはヴォーカルもギターも恰好いいし、ベースはもう不動の恰好良さってのがあるし、で、『楽しいドラム』でしょ?ちょーっと、あそこを越えるってのは難しいわ」
「抜きたい?」
「そりゃあバンドしてりゃあある程度目標だあね」
「へえ」
「何だったら、練習見にこない?」
「え」
カラセの視線が瞬間自分の方に向いたので、まほは思わず声を立てた。とっさの事には弱そうな彼女を見てハルは、彼に訊ねる。
「今日?」
「そお、今から」
「どうしようかな」
「うちの連中も、女の子見ていた方がはりきるし」
……
ハルは一瞬頭の中に火花が散ったような気がした。火が点く前に今は退散した方がいいな、と冷めている方の自分がつぶやく。まほの方を見ると、不安半分、期待半分、といった顔になっている。
「今日は止めとくわ。でも今度行ってもいいかな?」
「うん。どーせうち位じゃひっついてくる女の子なんていないから、とーっても安全だよ」
「? 何、ひっついてくる女の子のいるバンドもあるの?」
「そりゃあある程度は何処もねえ」
「ふーん。じゃあ次決まったら連絡くれる?」
「電話でいい?」
「あたしはいないかもしれないけれど、家には誰かしらいると思うから」
そう言ってハルはバッグから手帳を出すと、電話番号を書いて、そのページをピッと切った。
「じゃ、決まったらできるだけ早く電話するね。えーと」
まほの方を向いて、何ていうの? と名前を訊ねた。
「ハルさんはまほって呼ぶわよ」
「まほ?」
ハルはじゃあまたね、とまほの手を掴んで、カラセに背を向けた。
まほがカラセの表情に気付く前に、ここから立ち去りたかったのだ。何もそんなことしなくとも、この先彼に関わるようなことがあれば、彼は問うだろう。それは判ってはいたが。
珍しい呼ばれ方にハルは振り向く。市内で最も大きいレコードショップのフロアの真ん中。
高い天井には飾りのファンが回り、四隅には大きなスピーカーが置かれ、かかっているのはUK・ヒットチャートでトップを取っていた曲だったような気がする。
「オレオレ、忘れちゃった?」
高くも低くもないありふれた声だが、妙に人なつっこい。にこにこと笑っている、その目元には見覚えがある。
「前よりも髪の毛明るい色になったんじゃない?」
「そうなのっ。もうじきコンテストが近いからさあ、なるべく目立つ恰好にしようってバンドの意見がまとまりまして」
「はあ」
どうやら改めてブリーチをしたばかりで御機嫌になっているようであった。
アカエミュージックの店員兼何処ぞのアマチュアバンドでギターを弾いているという彼はカラセと名乗った。
遣唐使の唐に「瀬をはやみ……」の瀬、と何やら意外な例えを出してくる。正直にハルはそう感想を述べると、
「やー、高校んとき、日本史だけ良かったのよ」
「珍しい」
「どおして?」
どうしてと聞かれても、とハルははたと困った。確かに日本史が良くてロックバンドをやってはいけないという法はない。
「で日坂さん、今日は一人?」
「いや、連れがいるけれど」
「あ、それじゃお邪魔だね」
そう言って立ち去ろうとするので、ちょっと待て、と彼女はカラセを止めた。どうやらこのなかなか髪の色と同じくらい明るい男は誤解したようだ。
「別に連れは野郎じゃないよ」
あ、なんだ、と彼は向けかけていた背を元に戻す。ほれ、とハルは彼の後ろから近付いてくるまほに手を挙げる。
「あれ」
「ハルさんお知り合い?」
「ちょっとね。ほら、うちのドラム買ったトコのひと」
「あ、楽器やってる人」
カラセはにこっとまほに向かって笑い、可愛いねえ、と言った。するとまほは、
「はい?」
とっさにそう聞き返した。そしてきょろきょろとあたりを見渡す。
特にまわりに「可愛い」に値するものが見あたらないことを確認すると、自分? と指さして彼に問い返した。カラセは不思議そうな顔になってうん、とうなづく。
まほは困ったような表情でハルの方を見る。
「どうしたの?」
「あんまりそおゆう冗談は好きじゃない」
「冗談? オレそーゆうことは冗談言わないのよ?」
「だってあたしが可愛いってのは冗談に決まってるじゃないの」
「こら」
ハルはぽん、とまほの頭を叩いた。
「言われたことない?」
「ある訳ないじゃない」
「うっそお」
カラセは肩をすくめてやや大げさに驚いた。その動きにはやや芝居がかったものをハルは感じたが、彼はどうやら行動全体がそういう傾向があるらしい。
「んじゃあ、よっぽど今まで会った奴って目ぇ悪かったんだ」
「……」
まほは困る。何が困ると言ったって、誉められた時の反応ほど困るものはない。学習不足という奴だ。
自分が努力して得られたものに対してなら、ある程度は判るような気がするのだが、ただ自分であるだけで誉められてしまうものに対しては、どういった反応を見せればいいのか判らないだ。
「見せればいいのか」という問いかけをする時点で何かずれているのだが。
「そのくらいにしといてよ、この子あまり野郎には免疫ないんだから」
「あ、そ」
「それより今日は何しに来ているの? 店は休み?」
「あ、今日は自主的に休み。久々に練習があるんで」
「この辺にスタジオってあったっけ」
正直言ってハルはそいう店関係にはそう詳しくはない。
「何言ってんの、ここの4階がリハスタになってるんだってば」
「4階なんてあったんだ」
「このビル、この店のものだから」
それで有効利用しましょうって訳ね、とハルも了解する。確かカラセはギターをやっていたと聞いたことがある。あれは妹の話をした時のことだ。
「どういうのやるの?」
「何? 曲?」
「傾向」
「傾向ねえ。まあ歌ものだけど」
「Bとか好き?」
ハルはこのレコード屋でもチャート入りしている邦楽ビート系ロックバンドの大物の名を挙げた。好きは好きだけど、とカラセは言う。
「やっぱすげえよ。あそこはヴォーカルもギターも恰好いいし、ベースはもう不動の恰好良さってのがあるし、で、『楽しいドラム』でしょ?ちょーっと、あそこを越えるってのは難しいわ」
「抜きたい?」
「そりゃあバンドしてりゃあある程度目標だあね」
「へえ」
「何だったら、練習見にこない?」
「え」
カラセの視線が瞬間自分の方に向いたので、まほは思わず声を立てた。とっさの事には弱そうな彼女を見てハルは、彼に訊ねる。
「今日?」
「そお、今から」
「どうしようかな」
「うちの連中も、女の子見ていた方がはりきるし」
……
ハルは一瞬頭の中に火花が散ったような気がした。火が点く前に今は退散した方がいいな、と冷めている方の自分がつぶやく。まほの方を見ると、不安半分、期待半分、といった顔になっている。
「今日は止めとくわ。でも今度行ってもいいかな?」
「うん。どーせうち位じゃひっついてくる女の子なんていないから、とーっても安全だよ」
「? 何、ひっついてくる女の子のいるバンドもあるの?」
「そりゃあある程度は何処もねえ」
「ふーん。じゃあ次決まったら連絡くれる?」
「電話でいい?」
「あたしはいないかもしれないけれど、家には誰かしらいると思うから」
そう言ってハルはバッグから手帳を出すと、電話番号を書いて、そのページをピッと切った。
「じゃ、決まったらできるだけ早く電話するね。えーと」
まほの方を向いて、何ていうの? と名前を訊ねた。
「ハルさんはまほって呼ぶわよ」
「まほ?」
ハルはじゃあまたね、とまほの手を掴んで、カラセに背を向けた。
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