女性バンドPH7③子供達に花束を/彼女と彼女が出会って話は動き始めた。

江戸川ばた散歩

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第30話 あそこはあたしの居るべき場所

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 ひどく天気のいい日だった。そして暑かった。……ので、黒い楽器のケースを抱えるバンドマンには大変な日になった。
 地区大会、だと言う。だが出場バンドの数は結構多い。

「関東だからねえ」

 カラセは言う。出場者控え室は、大部屋にいろいろなバンドがごったがえしている。
 そしてその大半が野郎のバンドだ、とハルはその日配られた紺色の印刷のチラシと見比べて確認した。そうでなかったら、女性ヴォーカル紅一点という奴。真っ赤なふわふわした衣装とリボンをつけた女がそれよりもっと赤い口紅を厚く塗っている。
 関東地区。神奈川千葉埼玉群馬茨城…… 東京だけない。

「東京は別大会があるのよ。バンド数多いから」
「そういうもの?」
「そういうものなのよ」

 カラセは苦笑いする。そしてギターをぴろぴろとかきならしながら、時計を見た。

「それにしても遅いなー」
「ユキタカ?」

 呼びに行ったからすぐ来るだろ、とエジマは言う。

「だけど奴はなー……」

 そう言い掛けたとき、ひどく重そうな足どりでドアを開ける者がいた。「呼びに行った」ヤナイは、足どり以上に重い声で告げた。

「……奴ぁ出れないよ」
「……は?」

 エジマは普段大して表情の変わらない奴だ、とカラセは認識していた。だが、今の彼は違っていた。明らかに動揺していた。何て言った? と問い返す。

「病院かつぎこまれたんだ」
「何で」
「神経性胃炎だってさ」

 あきれたようにヤナイが言う。

「極度の緊張でひどい腹痛起こして、オレが呼びに行った時にはアパートでのたうちまわってたんだ。……ったくあの精神虚弱児は」
「またかよーっ」

 どうやら前にもそういうことがあったらしい。

「ちょっと待てーっ…… じゃあどーすんだよ?今日は当日で、ここは会場だぜ?」
「うーむ……」
「出なかったら次は半年くらい後じゃねーの!」
「演奏だけでもしときたいよなあ……」

 何だなんだ、と騒ぎ始めた三人を外野の女二人は眺める。

「どうゆうこと?」
「つまり、メンバーが揃わないと、演奏…… 出場できないってことでしょ」
「全員いないと駄目……?」
「ここがフュージョン・バンドじゃあない限りはねえ」

 お手上げ、というジェスチャーをしながらハルは三人の方を見る。

「代理ってのは」
「ギターとかベースとかならともかく……」

 おっと失言、とハルは口を塞ぐふりをする。

「代理」

 その失言を耳にしたカラセはぽつんとつぶやく。

「そーだ代理! 代理立てりゃいーじゃん」
「ちょっと待てカラセ、誰が代理で居るってんだ?」
「この子」

 カラセはまほを指した。

「何だって?」
「この子今回の曲歌えるよ。そりゃ今回入賞しようなんて思わねけどさ、穴空けて審査員のウケ悪くするよっかマシじゃんか」
「だけど!」

 エジマはそうは思わない。彼にとっては、あの曲を歌うのは、ユキタカであるべきなのだ。上手い下手の問題ではなく。

「ね、まほちゃん、やってくれない?」
「は?」

 先ほどからの問答を聞きながら、何なんだ、と呆然としていたまほである。どうしよう、とハルとカラセを交互に見ながら、くらくらする頭をどうにか鎮めようとしていた。
 頼む、この通り、と手を合わせて懇願するカラセ。
 ハルはそれも悪くない、と思ったので、まほの言うとおりに、と言った。
 そしてまほは…… 断ることができなかった。
 どうせ何にもならないわ。そうまほも考えて、ごくごく気軽な…… やや期待と不安が入り交じった、曖昧な気分のままそうしたにすぎない。だが。



「それでは発表します」

 次々に賞が発表される。まず正規の賞が発表された。ぱちぱちとそのたびに拍手を送る。自分達のバンドの名はない。舞台袖でハルは嫌な予感がした。

「おめでとう! 次に部門賞。まずベスト・ヴォーカル賞に『NO-LIMIT』!」

 え、とまず反応したのはエジマだった。彼は反射的に斜め前に居たまほの方を見た。いや違う。ハルは彼の視線の正体がすぐに判った。「見た」のではない。「にらんだ」のだ。
 次々に部門賞が発表される。ギターもベースもドラムも、このバンド以外が取っている。まほは戸惑っていた。

 何であたしが。あたしはただの代役なのに。

 ハルには判っていた。審査員の判断は正しい。どう考えたって、あの曲の出来具合はユキタカが歌うよりまほが歌った方が良い。おそらくは、ユキタカびいきのエジマでも、それは認めるくらいに。
 まほはカラセに背を押されて表彰を受けた。良かったね、といいつつ彼の表情は複雑なものがあった。それはヤナイも同様だった。ハルは胸騒ぎがした。頭の中で不安な、形にならないヴィジョンが時々すっと通り過ぎる。捕まえて、正体を知らなくてはならない不安。

「ハルさあん」

 メダルと賞状を小脇に抱えて、泣き出しそうな――― 決して泣こうという意識はなかっただろうが――― 表情をしてまほが小走りでやってくる。ハルはすぐに手を掴むと自分の方へ引き寄せる。

「どうしよう、こんな……」
「いいよ、もらっといて」
「うん。一応これでうちも名が少しは知られただろうし」

 だけど目が笑ってないじゃないの、とハルはそう言うカラセとヤナイを見据える。そしてもう一人の、本来のヴォーカルびいきのエジマは……何も言わない。さっさと楽屋へと向かう。まほの方は見向きもしない。

「帰ってもいいんでしょ」

 ハルはまほを抱え込むようにしてカラセに訊ねる。カラセはうなづく。彼は彼で、判ってはいたが、複雑な気分であったことは変わり無いのだから。

「また用があったら電話して」
「ああ」

 ハルはそのまま、まほを引きずるようにしてその場を離れた。
 途中、他のバンドのメンバーが、彼女を見かけて、凄かったね、とか気にいっちゃったぜあんた、とか声を掛けていく。
 それに対してまほは、言う言葉が見つからなかった。少なくとも、自分がその瞬間属していたバンドのメンバーは、そうは言わなかったのだから。あははは、と軽く、力の無い笑いを返すぐらいしか出来なかった。
 ややいつもより濃いめのメイクを、落とす間もなくバスに乗った。
 まほは顔が落ち着かない気がして仕方がない。髪だってそうだ。別にカラセの様に色を抜いている訳でもない。多少逆立てているくらいだ。
 だがそんなことすら滅多にしたことがなかったから、自分が別の人間になったみたいで、どうにもむずむずする。
 そのむずむずがあったから、いつもより大胆に歌うことができたのだろう、とは思う。
 ハルとカラセに交互にこうしてああして、といじられた結果、鏡を見た瞬間、何かがはじけた。あ、これならどうやったっていーや、と、頭の中に光が爆発した。

 ひどく、気持ちが良かったのだ。

 ステージの、昼間の光よりももしかしたら明るいのじゃないか、と思えるくらいの光、スタジオよりずっと広いステージ、真正面の薄闇の中の、人の顔。少なくとも自分には関係ない、自分を知らない人々の顔。最初の礼儀としての拍手。だがそれはまほの身体をざわつく感触となってくるむ。
 これだけの人が見てる。少なくとも会場の半分は。視線がこちらを向いている。そして聞き覚えのあるヤナイのリズムが足の裏から伝わった瞬間、それを思いきり踏みならした。
 瞬間、こちらを向いていない客に対して、無性に怒りが湧いた。

 こちらを向きなさい!

 目を大きく見開き、リハーサルの時に見つけておいた、マイクの一番響く部分に向かって、声を投げつけた。そしてその声は観客を捉えた。捉えたことが、薄闇のざわめきの動きで判る。捉えた客という生き物の頭をわしづかみにして真っ向から歌を投げつける。コトバをはっきりと。
 まほは自分が緊張も何もせずに自分がこんなことをしたのか、バスに揺られながら、今になってひどく不思議だった。きっとメイクのせいだ。そうは思うのだが、それだけでもないとも思う。

 あそこはあたしの居るべき場所なんだ。

 ほとんど理由のない確信が彼女の中にはあった。ホール一杯に自分の声が響いた時には全身総鳥肌ものだった。そのまま頭の後ろから突き抜けるような、くすぐったいような感触が走り、天上まで飛ばしてちょうだい、と叫びたいような気分。
 それだけに、あの後の「メンバー」の視線は痛かった。

「ハルさん」

 横に座っている彼女に訊ねてみる。

「どうだった?」
「良かった」
「どういう風に?」
「どう言っていいのかな」

 ハルはハルで言葉が見つからなかったのだ。
 双方とも気付いてはいなかったが、おそらくその時まほが感じていた快感は、ハルにもあったのだ。それはあの時の「声」の触感だった。始めてまほの声を聞いた時の触感だったのだ。

「気持ち良かった」
「気持ち良かった?」
「うん。今まで聞いた中で一番」

 一瞬腰が抜けた、とハルは付け足した。嘘ぉ、とまほはくすくすと笑った。
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