もう転生しませんから!

さかなの

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建国 編Ⅱ【L.A 2071】

せかいを にくまずに いられるよう

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「散髪屋がいてよかったぜ」

 もう日が傾きかけていた頃。赤い狼たちは馬車に乗り込んでいた奴隷たちが体を清め、新しい服を着て、眠るためにと城の中へベネットが連れていく様子を見送ってばったりと地面に寝そべっていた。
 本当なら、一番散髪した方がいいのは狼たちであろう。しかし自分たちは暑い季節がくれば勝手に毛が抜けるからとあまり身だしなみを気にしたことがない。
 散髪屋、と呼ばれた当の本人は机にめり込んでしまうのではないかと心配になるくらいにぐったりとして疲れ果てていた。

「日が落ちる前に、こんなあっという間に終わらせちまうなんてなぁ」

 見ろ、毛を絞れば汗が出てくるぞ、などと笑っている様子を少し離れたところで見ていたアラシは少し引いた。

「おぉぉ……赤ん坊だ、動いてる、動いてるぞぉ」

 ミルクを飲んでからの赤ん坊はもぞもぞと動くようになった。ほとんどの時間、じっと動かないまま眠っている。アオイが言うにはミルクを飲むときに手を掴もうとするぐらいには体力が回復したらしい。けれど泣き声をあげないのだという。
 馬車に居たものたちのほとんどは城の広間へと通された。しかし、ジェイコブの希望で妹と赤ん坊はアラシのそばに置いてほしいと言われたために少女たちはここにいる。

「静かにしろ」
「しゅいやしぇん」

 近づこうとする赤い狼をアラシの後ろからジェイコブがぎっと無言で睨みつける。それを察してかアラシは近付こうとしたボレアースたちを片手で近付かないようにと制した。
 アラシのすぐ横にはジェイコブの妹が静かに眠っている。身じろぎもしない妹の体をアラシは何度か体制を変えてやることで体への負担を減らしていた。

「いやぁ、前世の娘を思い出すなぁ。筆頭、この子はどっちですかい?」

 ボレアースは少し離れた位置でデレデレと鼻の下を伸ばしながら語る。ボレアースは転生者だ。赤い狼は大半が子供の頃に拾われこの群れに入って暮らしている。ゆえに赤ん坊というものを間近で見ることがあまりない。ボレアース以外の狼は彼の後ろからチラチラと覗きこむように出ては隠れを繰り返していた。

「女の子だ」
「だ、抱かせてくだせえ」
「まだだめだ」
「へぇい……」

 しゅん、としっぽをくるりと丸めて耳までぱたりと折りたたみボレアースはあからさまに落ち込む。後ろにいたタリアというボレアースと共に家造りを手伝っている狼は彼の頭を撫でて慰めていた。

「……随分、手慣れているんだな」

 ジェイコブは転生者としてアラシの様子が他の転生者と違うことを不思議に感じ始めていた。確かに、前世から転生者同士の付き合いはあった。
 掴みどころのないもの、他人を励まし周囲を気に掛けることの上手いもの、子供のように無邪気なもの。性格は様々だ。しかし、アラシはどこか違う、そんな気がして。

「子供の世話は好きだ、愛情を与えれば全て受け入れてくれる……いとおしい存在だ」
「……他人の、子供でもか」

 仮面越しにアラシはずっと赤ん坊と妹ばかりを見ている。仮面がまっすぐ、自分の方向を向いた。

「お前は、この赤ん坊を抱いたことがあるか」
「っ、それが、なんだよ」
「ここに座れ」

 妹が眠っている反対側へ座るように促される。ぽん、と厚手の敷布を叩かれそこへ座るようにという無言の圧力にジェイコブは顔をひきつらせた。

「やだ」
「やだじゃない」
「……それ以上、進めない……男が、こわい」

 単なるわがままじゃない。勝手に体が強張って、足が竦んでしまうのだ。ただでさえここは赤い狼という男たちに囲まれている。城の広間で眠ることより妹たちをアラシの傍に置いて、自分も共にいることを選んだ。けれど、後から分かったがこのアラシという子供は見た目よりずっと長く生きていて、赤い狼たちを率いている筆頭らしい。
 アラシは、やさしい。自分たちより早くからいる住民にも、狼たちにも。まるで、無償の愛のように。ベネットとは違う慈愛という形を持っている。
 誰にも甘えたりしない、頼ったりなんかしない。最初はそう思っていたのに。そんな思いすら包み込んでしまうようなやさしさ。

 だから何かを指示されても、いやだと言えば聞き入れてくれるんじゃないかと。

「お前たちは少し下がっててくれ、植え付けられた恐怖はそう簡単に無くなるものじゃないからな」
「へーい」
「んじゃ筆頭、俺らはメシができたら持ってきやす」
「なんかあったら呼んでくだせぇ! すっ飛んできやすぜ!」

 ジェイコブははっと顔を上げて彼らの背中を見る。彼らは自分たちになんの危害も加えていない、傷付けることも、触れてさえもいない。
 傷つけようとしたのは、むしろ自分だ。
 なにか、何か言葉をかけなければ。そう思ってはいても、たった一歩が重い。たった一言を口に出すことが苦しい。

 彼らもやさしいのだ。赤い狼という噂でどれほど残虐で卑劣な性格をしているかを勝手に決めつけていた。
 アラシが育てたという彼らもまた、アラシのようにやさしかったじゃないか。
 きゅっと口の端を引き結んで、黙ったままアラシの隣に座る。ぐっと両腕が突然つかまれた。

「うぇっ!?」

 腕を掴まれたまま、その重さに思わずよろめく。

「ひっ……ぅあっ……や、やわこい……軽い」

 最初に感じた重さよりも、ずっとずっとその体は軽かった。もぞもぞと動き始めるものだから、どうすれば落ちないかと一人であたふたしてしまう。
 赤ん坊の体はやわらかく、どう抱けば落ち着いてくれるか分からない。軽すぎるからしっかり抱いてなければいけない。本能と呼べるものか、過去に経験したことがあるからなのか、自分の体はいつの間にかアラシのように赤ん坊をしっかり抱けるようになっていた。

「お前の妹が大事に守ってきた命だ、お前が救った命だ、今は軽くても……いずれもっと重くなる」
「そりゃあ……成長すれば、体も大きくなるし……」

「体も、存在もだ」

 自分は転生者だ。置いて行く苦しみも、置いて行かれる悲しみも知っている。我が子たちの墓を何度見たか、孫たちの墓をいくつ見たか。愛する存在は増えていくばかりなのに、自分を愛してくれる存在は必ずいなくなってしまう。
 だったら、大事なものを増やさなければいいのだ。もう誰も愛さなければいい、家族を作らなければいい、自分から離れてしまえばいい。だから、前世は孤独を選んだ。
 孤独は楽で、そして、とても寂しかった。独りで生きて、独りで死んで……次に転生してもきっと同じだろうと思っていたのに。

「……妹の、子供だったから、ボクは必死になれた。でも、自分だったらって……自分の子供だったら、諦めたのかな。ボクも、あいつらと根っこは変わらないんだ」

 魔族として転生したことに気付いたとき思ったことは、かつての仲間たちに自分が殺される可能性だった。けれど産まれた地はすでに焼き払われた土地で。食べ物もない、家もない、きっと他のゴブリンたちもそう長くはない。自分自身も、妹も。
 だから死の訪れを待つだけで良かった。

 けれど、そんな短く幕を閉じる転生ではなかったのだ。
 奴隷狩りにつかまって、どこの国かも分からない土地で働かされ。妹がいつの間にか身ごもり、赤ん坊が生まれた。
 妹はやさしく、愛らしく、まっすぐだった。これ以上、生き延びるなどと、そんな酷なさだめはあんまりじゃないか。

 だから、自分の手で。せめて、ほんの少しだけ君を愛したボクの手で終わらせようと枝のように細い首に手を添えた。

『ねぇ、みて。わたしの、あかちゃん』

 妹は、父親が誰かも分からない赤ん坊をやさしく撫でた。とても、とてもやさしい微笑みを向けていた。
 --これが自分の罪だ。
 自分もユリウスたちのように、魔族である妹を、その赤ん坊を自らの手で殺そうとした。彼らと自分はなにも、変わらないじゃないか。

「お前がどう思おうと、事実は変わらないだろう。魔族に生まれたお前が、妹を救い、今お前の腕の中で生きている赤子も救った。それが事実だ。それを受け入れたって……罪にはならない」

 知らないからそう言えるのだ。だって、今この赤ん坊を抱いている手が妹を殺そうとしたことをアラシは知らない。産まれた赤ん坊に産まれた意味などなかったと手にかけようとしたことなど、あなたは知らない。
 だから、そう言えるのだ。

 知らないからこそ言える、その言葉が何より重く、心を満たしていった。罪悪感から妹と赤ん坊を助けようと思った。だから、いま赤ん坊はこの腕にいる。妹はアラシの隣で眠っている。

「う……うぅっ、うえ、っ、ひぐっ」

 自分自身が一番憎かった。ユリウスを止めきれなかった自分を、自分だけの価値観で妹の命を奪おうとした自分を、許せなかった。
 けれど、けれども。

「……よかった……生きてて、よかった……生きてて、くれて……っ」

 腕の中のあたたかさは、小さな鼓動は、自分が繋げた命。それを認めるのがつらかった。生かそうとしていることが妹と赤ん坊を苦しめているのだと何度も自分を呪った。

 それを、アラシは許していいと言ってくれたのだ。


 すっかり空は暗くなり、雲一つない夜空は数えきれない星々が地平線まで広がっていた。
 見張りである数人しか起きていない中、暗がりに溶け込むような漆黒が音もなく風のように揺蕩う。

 アラシたちから少し離れたところで眠る狼たちでさえその存在に気付くことはなかった。漆黒はゆったりとアラシとジェイコブの枕元までそよ風のように移動し、止まる。

「……今夜は俺と一緒に寝てくれないんだ」

 真っ黒な外套から浮き出る頭蓋の骨。アラシは湯浴みのときも、寝るときでさえ仮面を外すことはない。ゆえに、アラシが眠っているかどうかを判断できるものは少なかった。

「お前は寝ないだろうが……」

 その声色は微睡みから無理やり起こされて、不機嫌の色が浮かんでいた。眠りに入る直前であったことは間違いない。それをアオイは分かっていて話しかけたのだ。わざと起こしたと言ってもいい。
 ただの意地悪をするためだけに。

 アラシとジェイコブの妹の間にいる赤ん坊をアオイはひょいと抱き上げる。自分の腕を揺りかごのように揺らし、声を上げられないけれどぐずるように顔をしわくちゃにしていた赤ん坊はすやすやと眠ってしまった。

が……恋しいね」

「……あぁ」

 それが二人の『探しもの』。アオイとアラシの両方に不可欠な存在。いとしい、かわいい、『あの子』。

「まだ、あの子の……『  』の名前は呼べない……

 呼んでも、呼んでも、消されてしまう『あの子』の名前。
 穴を埋めるように多くの子供を愛しても、育てても、その心が潤うことはない。けれど、子らを愛さずにはいられない。

 そうしなければ、アラシもまたアオイのように憎しみで多くを殺さなければならないと分かっている。
 多くの子供を愛そう、多くの子供を育てよう。
 それが自分に課されたさだめなのだから。

 子供たちを愛した分だけ、世界を憎まずにいられる。
 『あの子』が産まれる前に、この世界を壊してしまわないように。
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