2つの糸

碧 春海

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十四章

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 朝比奈は、これからのスケジュールを頭に描きながらベットに横になると、直ぐに睡魔が襲ってきた。しかし、その睡眠を邪魔するように、枕元に置いていたスマホが『相棒』のメインテーマを奏で、その応対で姉の麗子を迎えにJR名古屋駅まで車を走らせることになった。
(いくら緊急事案だとしても、こんな夜遅くに出かけなきゃいいのに。俺と違って金はあるんだから、弟を使わなくてもタクシーで帰ってこればいいのに)
 自分自身に愚痴をいいながらも、日頃から姉には何かと世話になっているので、仕方がないと納得している自分も居た。しかし、真夜中の街に出るのは朝比奈にとっては気持ちの良いものではなかった。なぜなら、朝比奈は暗闇が苦手であった。その原因は、今から20年以上前、朝比奈がまだ幼稚園児の頃、今も昔も居たいじめられっ子で、あの性格から周りの子達と馴染めなくて、いつも1人で遊ぶことが多かった。
 ある時、幼稚園の運動場に土で作った小山があり、その小山には鉄道や高速道路などで山に掘られたトンネルのように土管が入っていて、その中を通って遊ぶ遊具になっていた。そして、朝比奈が1人でその土管の中を行ったり来たりして遊んでいたが、流石に飽きて外に出ようとしていた時、いじめっ子達に出口を塞がれその両方から砂を掛けられた。
 狭い土管の中で、1時間以上も閉じ込められて怖い思いをした為に、暗いところや狭いところに恐ろしさを感じてしまうようになった。まぁ、1種のPTSDなのかもしれない。
 特に今夜は厚い雲が天空を覆い、月も星も見えない本当に暗い夜なので、余計に心の中も暗くなっていた。いくら大都市名古屋の中心街とは言え、最近は冷え込みが続き電力の供給不足の為とか、政府の節電の依頼もあって店の看板やネオンに、街並みの照明や電灯などの灯りも消されるところが多くて暗く、歩いている人も本当に少なかった。
 それにしても、車を走らせる程に何か薄気味悪い景色が続き、車は暖房が入っているはずなのに何故か朝比奈は鳥肌が立っていた。
(何か嫌な予感がするな)
 子供の頃から悪いことが起きる前にはなぜか鳥肌が立っていたので、朝比奈は不安を感じながら慎重に運転していた。その為なのか、ふと気付くと今までどの道をどのように走っていたのか記憶がほとんどなかったが、何とか約束の名古屋駅まで来られたので『まぁ、いいか』と深く考えないで車を運転していると、姉の麗子が珍しく両手を挙げて左右に大きく振っている姿が見えた。
 そんな大袈裟に手を振らなくても分かりますよと姉を見ていた時、姉の後方から黒いコートを纏った男が現れ、懐から拳銃を取り出して姉にその銃口を向けた。
「姉さん、危ない」
 朝比奈は大きな声を発したが、当然車からでは届くはずもなく、相変わらず手を振っていた姉の後方に居た、黒ずくめの男の右手の人差し指に力が入り、拳銃の引き金をゆっくりと引いた。大きな銃声と共に、拳銃から弾き出された弾丸は姉の左胸を貫き、姉は衝撃を受けた左胸からは鮮血が飛び出し、何が起きたか分からない姉の顔は歪みながらも、後ろを振り向きながら倒れていった。それはまるで映画の場面でのスローモーションのようで、姉を襲った男はニヤリと笑うと駅に向かって走り出した。
 朝比奈は車を止めて走り寄ると、慌てて撃たれた左胸をハンカチで抑えると『救急車を呼んで下さい』と大きな声で叫びながらも、逃げてゆく男の背中を目で追った。
(なぜだ、なぜなんだ)
 事件に直接関与していない姉が何故襲われなければならないんだ。俺が、俺が悪いんだ。あれ程皆に何度も注意されたのに、自分の我を通した為に姉を傷付けてしまった。取り返しが付かないことを引き起こした自分を恨み、頬を伝う大粒の涙を拭こうともしないで、只々後悔していた。
『あの男を捕まえてくれ』
 大声を発しても誰も反応してくれない。誰も拳銃を持っている男に向かっていく訳はない、当たり前のことではあった。
『姉さん御免。頼む、死なないでくれ』
 そう叫ぶと、今度ば朝比奈の肩に痛みを感じた。
(今度は俺の番か・・・・・・)
 朝比奈はもうどうでもよかった。
「優作、優作、もう起きないとデートの時間に遅れるわよ」
 麗子は朝比奈の部屋に入り、布団をはがして両肩を揺すった。
「えっ、姉さん、生きているんですね。良かった」
 朝比奈はベットから飛び起きて麗子に抱きついた。
「何寝ぼけてるのよ。抱きつく相手は違うでしょ」
 麗子は朝比奈の両肩を掴んで体から引き離した。
「えっ、姉さん、拳銃で撃たれたんじゃ」
 麗子の左胸を見詰めた。
「変な夢を見てたんだろうけど、でも夢の中とはいえ私を殺すなんていい根性してるわね。夢には普段の願望が現れるって言うからね」
 余り関わりたくない、さっさと部屋を出ようとした。
「そっ、そんなことは一度たりとも考えたことはないですよ」
 顔の表情が分かっているのか、慌てて弁明を背中に浴びせた。
「まぁ、今回は許してあげるわ。それより、時間は大丈夫なのかな」
 笑顔で振り返ると壁の時計を指差した。
「あっ、いけない。タイマーをセットしてたのに」
 朝比奈は部屋を出ると慌てて階段を駆け下りた。朝比奈がそんな夢を見て、タイマーの音声にも気づかなかったのは、それなりの原因があった。式場から依頼されている締切が迫っているのに、良いアイデアは全く浮かばない。自分の才能の無さに呆れ、父親からのきちんと就職しろよとの無言の圧力、今回の事件解決の為の決定的な証拠が無い事など、色々な原因が重なって眠りについたのは、ほんの数時間前。タイマーの音声にも気付かないのも仕方なかった。
 朝比奈は階段を降りると、直ぐに浴室に向かった。先程の悪夢の為なのか、いつもの目覚めとは違って汗をたっぷりとかいていた。
(さっき姉さんに抱きついた時に、汗臭かったんだろうな。だから、あんなに怒っていたんだな)
 そう思いながら、シャワーの湯で嫌な汗と想いを洗い流した。朝比奈は、浴室から出ると素早く着替えて、姉が珍しく準備していた朝食に申し訳ないと告げ、車で友紀の自宅へと向かうことにした。天気は、夢の時とは違い快晴ではあったが、気温は放射冷却の為最低気温は氷点下1度、日中も温度は上がらず最高気温も8度程度と、FMラジオが告げていた。しかし、朝比奈は、何か良い事が起きそうな気分であった。それに、友紀と会う目的はデートではなく、ある場所に付き添って貰う為である。道はそんなに混んではいなくて思ったより早くは着けそうだったが、友紀は既に家の前で待っていた。
「あーあ寒い、朝比奈さん15分も遅刻ですよ。寒さで凍え死んじゃうかと思いましたよ」
 朝比奈が慌てて駆け寄った友紀にはおはようの前に文句を言われてしまった。
「申し訳ありません。ちょっと考え事をしていたら眠れなくて」
 助手席のドアを開けて車に招き入れた。
「朝比奈さん、今日誘っていただいたのは嬉しいのですが、事件の方は大丈夫なんですか」
 運転席に戻った朝比奈に尋ねた。
「1つは友紀さんの気晴らしになればという気持ちと、もう1つは事件に関係していることなのですよ」
 エンジンを掛けて目的地へと車を向かわせた。
「えっ、私がですか」
 デートの誘いだとばかり思って早起きして、化粧やオシャレに気を使ったのに少しがっかりした。
「はい、友紀さんでなければダメなんです。ちょっと待っていてください」
 少し走ったところで、朝比奈は探す看板を見付けて車を止めた。
「えっ、私にですか」
 一軒の花屋に入った朝比奈は、小さな花束を持って戻ってくると友紀に渡した。
「あっ、誤解させてすみません。その花は友紀さんの為のものではありません」
 本当に空気の読めない朝比奈の言葉に(そうなんだ)と頷き、友紀は寂しそうに後部座席に置いた。そして、しばらく気まずい沈黙が続くと、東区にある公園の駐車場に車を止めた。朝比奈は車を降りると反対側に回って、助手席のドアを開けた。
「その花束を持って出てきてください」
 友紀は朝比奈の指示に従って車を出た。
「あの、何処にいくのですか」
 朝比奈の後について行きながら背中に問い掛けた。
「友紀さん、お父さんはこの辺りで亡くなっていました。花を供えてあげてください」
 朝比奈は父親が亡くなっていたと思われる場所を右手で示した。
「この花は、父の為だったのですね。でも・・・・・」
 警察の言葉が頭に蘇って躊躇した。
「理由はどう有れ、お父さんが亡くなったことには間違いありません。それに、警察が考えているように、お父さんが友美さんを殺害したなんて思ってもいませんよ」
 朝比奈は友紀の手を掴んで一緒に花を供えて、1度頷いた友紀と共に両手を合わせた。
「朝比奈さん、ありがとうございました」
 涙目になった瞳で朝比奈を見た。
「もっと早く友紀さんを連れてくるつもりではいたのですが、事件の捜査などで忙しく中々時間が取れなくてすみませんでした。それと、昨夜でも良かったのですが、友紀さんに渡さなければいけないものがあったのです」
 朝比奈はジャンパーの内ポケットから一通の通帳とキャッシュカードを取り出して、友紀の目の前に差し出した。
「えっ、私名義の通帳とキャッシュカードですか、朝比奈さんこれどうしたのですか」
 通帳とキャッシュカードに印字された名前を確認して答えた。
「沖田刑事にお父さんの住んでいた部屋を調べてもらいました。都心から少し離れたアパートに1人で住んでいたようで、部屋は住むのに最低限度の家具はあったけれど、とても優雅な暮らしをしていたとは思えなかったそうです。そして、机の中からその友紀さん名義の通帳とキャッシュカードが出てきました。今は本人でなければ通帳などは作ることができませんから、多分お父さんが家を出た時に友紀さんとお姉さんの通帳を持ち出したと思います。そして、色々な仕事で稼いだお金の中から、生活に必要な最低限度の金額を除いた金額を2人の為に貯金していたと考えられます。そして、2人が新しい旅立ちを迎える時に渡そうと、一生懸命貯めていてその日を迎えたと思います」
 左の顳かみを叩いた。
「あっ、挙式の時に姉さんに渡す為に、教会の予備室に呼び出したということですか」
 その時の場面を想像して涙が零れそうになった。
「事情もあったから、お姉さんだけに会って祝いの言葉とその通帳を渡すつもりだったと思う。まぁ、犯人に持ち去られてしまったのでしょうが、そんな気持ちの籠った品を渡そうとしていたお父さんが、友美さんを殺害する訳は絶対にありません」
 語尾を強めて言い放った。
「お父さんが私たちの為にこんなことまでしていてくれたんですか」
 刻み込まれた名前を手でなぞってみた。
「そうです、親子ですからね。さぁ、そのお父さんの無実を証明し、友美さんを殺害した本当の犯人を突き止める為に、証拠を集めに行きましょうか」
 朝比奈は車へと向きを変え、友紀がその後を追った。そして、少し東へと向かい緑川神経クリニックの駐車場に車を止めた。
「すいません、院長先生にお会いしたいのですが」
 朝比奈は、受付の女性に姉の事務所の名刺を出して声を掛けた。
「少々お待ちください」
 女性は内線電話で院長と連絡を取ってくれて、奥の部屋へと案内してくれた。
「弁護士さんがどのようなご用件なのでしょう」
 年配の女性の医師が先程朝比奈が渡した名刺を持って現れた。
「先生も新聞やテレビなどで報道されていましたので御存知だとは思いますが、先日ここのクリニックに通院していた内田友美さんが亡くなられました。その内田さんについて少しお尋ねしたいことがありまして伺わさせていただきました」
 2人は、座っていた椅子から立ち上がって頭を下げた。
「はい、その患者さんなら私が担当しましたので良く覚えています。でも、亡くなった患者さんの何を調べていらっしゃるのですか」
 席に着くように勧めて自分も腰を下ろしたが、弁護士の来院目的が想像できなかった。
「実は、内田さんは家族には秘密にしていたようですが、親友には自分がPTSDであったことをほのめかしていました。その件について、是非お話を伺わせていただきたいとこうして訪ねて参りました。お願いできますか」
 渡された『緑川クリニック医院長緑川百合子』の名刺をテーブルに置いてもう一度頭を下げた。
「申し訳ありませんが、亡くなっているとは言え患者さんの治療等については、お教えできないことになっています」
 ゆっくりと丁寧な口調であった。
「個人情報を開示しないという情報の漏洩、つまり職務上知った秘密を守る守秘義務に因るものですよね。そう言われると思いましたので、ご家族の方に付いて来ていただきました。内田友美さんの妹さんです」
 右に座る友紀を手で示した。
「あっ、内田友紀です」
 友紀は慌ててカバンの中の財布から運転免許書を取り出して緑川に見せた。
「ご家族の方ですか・・・・・・」
 暫く考えてから立ち上がり部屋を出ていった。
「朝比奈さん、私を連れてきたのはこれが目的だったのですね」
 残念そうに呟くように言った。
「沖田刑事にお姉さんが残していた持ち物を調べてもらって、このクリニックの診察券があったのでもしかしたらと思ってね。でも、誰でも聴きたくはないことはあるから、前もって話せば付いて来てくれない可能性だってゼロではなかったから。後でお礼はするから」
 そう話しているあいだに緑川が戻ってきた。
「本人が亡くなり、家族の方であるとのことですので、特別に病状についての質問にお答えすることにします」
 友美のカルテを手にした緑川は、再度友紀の住所を確認してから話し始めた。
「ありがとうございます。早速ですが、友美さんがこちらのクリニックに通院されるようになったのはいつのことでしょう」
 軽く頭を下げてから尋ねた。
「4年程前からで、週に1度土曜日に来院していただいたのですが、今年に入ってからはほとんど通われていなくて、病状的には良くなったのだと思っていました」
 通院記録を確認しながら答えた。
「その、友美さんがPTSDになった原因を先生はお聞きになっていらっしゃいましたか」
 友紀のことを考えながらもどうしても聞かなくてはならない質問であった。
「夜道で男性に襲われたのが原因だと思われます」
 緑川も友紀のことは気になったがしっかりと答えた。
「やはりそうでしたか。家族が知らないということは、警察にも届けていないということなのですが、友美さんは暴行した犯人のことを知っていたのでしょうか」
「はっきりと聞いた訳ではありませんが、彼女なら相手のことを知っていれば警察に被害届を提出したと思いますし、病状のことを考えれば私もそれを勧めていました。ただ、顔だけは覚えていたようで、夢にも出てきたようです」
 友美との会話を思い出していた。
「そうですね、大変参考になりました。友美さんが通院しなくても良くなったのは、素晴らしいパートナーに巡り合えたことと、先生の適切な治療のお陰だと思っています。本当にありがとうございました」
 朝比奈と友紀は立ち上って頭を下げると部屋を後にした。
「姉さんにそんなことがあったなんて全然知らなかった。私たちに気を使っていたのだと思うけど、でもやっぱり話して欲しかったな。多分、何も力にはならなかったかもしれないけど、少しは心の傷を癒すことはできたんじゃないかな」
 友美の変化に気付けなかったことを後悔していた。
「信頼している家族だからこそ、言えないこともあるからね」
 朝比奈は姉や父親のことを考えていた。
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