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十二章

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 翌日、朝比奈と大神は駅前のビジネスホテルを後にして草壁編集長から教えてもらった田中絵梨の実家の住所を訪ねてみたが、予想していた通りに留守で仕方なく母親が入所した介護施設『すこやか荘』へ向かうことにした。市街地から少し離れている所ではあったが、駐車場も広くて4階建ての立派な施設であった。
「申し訳ありませんが、こちらに入所されている田中さんにお会いしたいのですが」
 大神が警察手帳を示して受付の女性に声を掛けた。
「田中さんですか・・・・・下の名前は分かりますか」
 女性は入所リストを取り出して尋ね返した。
「田中絵梨さんのお母さんです」
 朝比奈が横から口を出した。
「ああっ、それなら田中好子さんですね。女性は立ち上がってエレベーターを使い3階にある部屋へと案内した。
「今日は娘さんはいらしていないのですか」
 朝比奈は部屋に着く間に女性に尋ねた。
「昨日までは殆んど毎日来られていましたが、今日はまだお見かけしませんね。あの窓側の女性が好子さんです」
 女性は部屋に入り右手で示しすと、頭を下げて戻っていった。
「初めまして、愛知県警の大神と申します。申し訳ありませんが、娘さんについて少しお話を伺わさせてください」
 受付の女性にしたように警察手帳を示した。
「えっ、警察の方。娘が何かしたのでしょうか」
 突然警察と名乗り、手帳も見せられて動揺していた。
「事件に関してどおしても伺いたいことがありまして、携帯にも連絡させていただいたのですが繋がらなくて、先ぼど自宅にも行ってみたのですが、姿が見えなくてもしかしたらお母様の所ではないかとこうして伺わさせていただきました。毎日来られているとのことですが、電話などご連絡はなかったのでしょうか」
 大神は、先ずは差し障りの無いように話を切り出した。
「えっ、連絡が取れないのですか、娘に何かあったのですか」
 警察官が訪ねてきて娘と連絡が取れないと聞き不安になり声も震えがちであった。
「あっ、いえ、実は僕が絵梨さんとお付き合いをさせていただいているのですが、喧嘩をしてしまって僕からの電話には出てくれないのです。喧嘩をするのは今回が初めてだったし、電話に出てくれないなんてちょっと心配になって、旅行がてらに絵梨さんの実家やお母さんにもお会いしたくて、友達がたまたま警察官だったものですから付いてきてもらったのです」
 横から口を出した朝比奈の言葉に目をパチクリさせていた大神は、コイツは詐欺師の素質もあると感心していた。
「そうだったのですか、娘がいつもお世話になって申し訳ありませんね。娘が言っていた、気になる人とはあなたのことだったのですね」
 緊張か少し解れたのか穏やかな表情になっていた。
「こちらに来られていないのは僕のせいではないとは思いますが、絵梨さん今日は何か用事があったのでしょうか」
「いえ、何も聞いていませんが、普段なら朝から来てくれていたのですがね」
 事件というのが喧嘩によるものだと知り一安心したが、いつもなら顔を出す時間になっても来ないことに心配になってきた。
「そうですか・・・・・絵梨さんは、昔から小説家になる夢を持っていたと聞いたのですが、それはご両親の影響なのでしょうか」
 朝比奈は話を変えて尋ねた。
「いえ、私にはそんな才能はありません。ただ、亡くなった父親が国語の教師で、推理小説が大好きで自分でも書いていたことがありました。色々な賞にも応募したのですが、入選する事はありませんでした。そんな父親の姿を子供の頃から見ていて、父親の果たせなかった夢を叶えたいと思ったのかもしれませんね。それを知ってかどうか分かりませんが、参考になるかと思ってか沢山の小説を買い与えていましたね」
 その頃の情景を懐かしく思い出していた。
「その小説の中に、内川先生の作品もあったのですね」
「ええっ、主人は内川先生が大好きで、先生の作品は殆んど読んでいると思いますよ」
「絵梨さんはその内川先生の担当者だったのですが、お母様は内川先生とお会いしたことはあるのでしょうか」
「はい、私がまだ元気な頃、一度だけ私と娘を夕食に招待してくださったことがあります。有名な小説家と言われていましたので、別世界のちょっと小難しい人物かと勝手に想像していたのですが、とても温和な優しそうな人柄で楽しい時間を過ごさせていただきました」
「僕もお会いしたことがありますが、とても気さくで話しやすい人ですよね。先生も絵梨さんの書いた作品を高く評価していたのですが、残念なことに恥ずかしいからと1度も読ませてもらっていないのですよ。実家に置いてあると言っていたのですが、家に入ることは可能でしょうか」
「家の鍵は全て娘が持っていますので、私の手元には無いのですよ。でも、娘の作品でしたら、この施設に入所する時に挨拶替わりにファイルに入った作品を持ってきていますよ。受付に言って頂ければ借りれると思います」
「えっ、そうなんですか、諦めていたのでそれは助かります。借りられるかどうか、1度受付で確認してみます。今日は本当にありがとうございました。身体に気をつけ、無理をなさらずに健康でいてください」
 朝比奈は立ち上がると好子に頭を下げた。
「こちらこそ、遠くまでわざわざありがとうございました。娘の事よろしくお願いします」
 好子は微笑みで答えた。
「おいおい、あんなこと言って本当に良かったのか」
 大神は部屋を出ると早速突っ込んだ。
「昔から嘘も方便て言うだろ。警察の事情聴取なんて警戒されるよりは、親しくなって色々な情報を得た方が、彼女の為にもなるんだからな」
 当然だと言わんばかりで、全然悪びれていなかった。
「彼女の為って・・・・・次男のアリバイははっきりしている訳だし、他の兄妹のアリバイに因っては1番怪しい人物なんだよな」
 朝比奈の言葉の意味が分からなかった。
「多分、他の2人はしっかりしたアリバイがあると思うよ。次男のアリバイを崩すことから始める必要があるよな」
 何か他人事のように事件を楽しんでいる朝比奈に呆れていた。
「あの、すみません。こちらに、田中好子さんの娘さんが書かれた小説があると聞いたのですが」
 朝比奈は受付に寄り先程の女性に声を掛けた。
「はい、ファイルに入れられた推理小説を3冊預かっています。私もサスペンスドラマが大好きで、全て読まさせていただきました。作品の途中までに伏線が張ってあって、最後の解決時に『ああそうだったんだ』って思わせるのですよね。ですから、何度も読み直したりしました」
 思い出し、楽しそうに答えた。
「その面白そうな作品は借りることはできるのでしょうか」
「えーと、ちょっとお待ちください。人気がありますので、残念ながら3冊共借りられているようですね」
 女性は貸出リストを広げて確認した。
「そうですか・・・・・・・」
 残念そうに下を向いた。
「あっ、そうだ、何度読んでも面白いものですから、私が1冊借りていました。よろしければ、お貸ししましょうか」
「えっ、いいんですか。助かります、是非お願いします」
「あの、職員以外の館外への貸出は一応不可となっていますので、管理の方はよろしくお願いします」
 そう言うと、女性は暫くして1冊のファイルを持って戻って来た。
「ありがとうございます。大切に読まさせていただきます」
 ファイルを手にして頭を下げた。
「お願い序いでなのですが、多分田中絵梨さんから連絡があると思いますので、もし連絡が入りましたらこちらへ連絡いただけないでしょうか。そして、もう1つ、今は警察が来ていてお母さんと会うことはできないと伝えてください。そして、会えるようになったら連絡を入れますからと、連絡先の電話番号を聞いておいてください」
 朝比奈は耳元で小声で話すと、ポケットから朝比奈の電話番号と伝えて欲しい内容が書かれたメモ用紙をそっと出して女性に渡した。
「何口説いてんだよ。美紀さんに告げ口するぞ」
 親しく話していた朝比奈が戻ってくると嫌味を言った。
「さぁ、所轄で進展状況を聞きましょうか」
 完全に無視して玄関を出た。2人が訪れた下呂中央署では、貸し別荘撲殺事件捜査本部と書かれた部屋に案内され。上杉刑事が2人の姿に気がついて慌てて近寄ってきた。
「昨夜はお疲れ様でした。先ずは凶器のガラスの置物ですが、貸別荘で使われているものではありませんでした。割れた破片を修復している途中ですが、この置物ではないかとのことでした」
 上杉はカラープリントされた1枚の書類を差し出した。
「販売元や販売店などは分かっているのでしょうか」
 手に取った大神が尋ねた。
「特注品ではなく、数多く流通している物のようで、購入者については確認は無理のようです。それから、防犯カメラの画像ですが、午後7時47分に暗くて顔ははっきり写ってはいませんが、女性らしい人物が貸別荘に入り2分程で出てきている映像が残されていました。犯行時刻とは少し誤差はありますが、事件には関わっている可能性が高いと、その女性に関して足取りなどを捜査しているところです」
「近隣の貸別荘は何処も借りられていなかったのですから、目撃者等も無いでしょうね」
 確認の意味で大神が尋ねた。
「今のところは派出所の警官だけです」
「あの、念の為に、防犯カメラの映像をコピーしていただけないでしょうか。できれば、2日位前の分もお願いできますか」
 朝比奈が横から口を出した。
「分かりました。一応事件のあった数日前の分も提出してもらっていますので、コピーしてもらってきます」
 上杉は慌てて部屋を出て行った。
「えっ、どうして何日も前の分が必要なんだ。余り所轄に迷惑を掛けないでくれよ。唯でさえ色々指示を出しまくって迷惑を掛けてるんだから、少しは気を使ってくれよな」
 上杉刑事の迷惑そうな表情が頭に浮かんだ。防犯カメラのデータをもらった後、2人は1度愛知県警へ向かうことにした。車の中では朝比奈は、後部座席に座りずっとファイルに収められている田中絵梨の作品をずっと読んでいた。そして、見慣れた風景に戻った川瀬と高橋の両刑事が2人を待っていた。
「班長、内川先生の長男と長女のアリバイは証明されました。昨夜は、長男夫婦と長女の婚約者は、名古屋クラウンホテルで午後7時から4人で会食をしています。これはホテルのスタッフ何人かに確認して間違いはありません。一応、本人2人に内川先生について聞いたのですが、中々思うような作品が書けないと悩んでいたそうで、中田署から自殺の可能性があると聞かされても驚かなかったそうです」
 ホワイトボードに長男と長女の写真を貼り付けて川瀬が説明した。
「見事なまでの完璧なアリバイだね。まぁ、それは置いといて、これまでの事件について説明したいと思います。と言っても、殆んど僕の推測なので、そのつもりで聞いてください。事の発端は、日本でも有名な推理作家である内川康晃先生が名古屋クラウンホテルで深夜に亡くなったことにあります。中田署の初動捜査では、持病もあり病死であると推測されました。しかし、遺体の第一発見者が異論を唱えて、残りの薬瓶の中身を調べることを主張し、その結果薬のいくつかにエチレングリコールが仕込まれていた。その為に、一旦は事件性も考えられたが、残された内川先生のパソコンから遺書らしき文面が残されていたことから、自殺の可能性について現在捜索中だそうだ。とは言いながら、おそらく自殺として処理されるだろうな」
 朝比奈は、ホワイトボードに貼られた写真などを示したり書き加えたりして説明した。
「でも、朝比奈さんは、自殺ではなく他殺と考えているのですよね。遺書も出てきたのに、朝比奈さんが他殺と疑う理由は何なのですか」
 代表する形で川瀬が尋ねた。
「刑事の感なんて言ったらまた誰かさんに叱られそうだけど、1つは中田署が自殺と結び付けた、先生の次回作の連載が実は嘘だったとの石田の証言こそが嘘だったって事。どうして石田がそんな嘘を付かなければならなかったのか。先生の自殺の動機を消さなければならなかったってことですよ。自殺の動機が無くなれば、必然的に他殺しか考えられないでしょ」
 ホワイトボードに赤ペンで他殺と書いて丸で囲んだ。
「でも、そうなると、内川先生を誰が殺害したのか、犯人探しになりますね。まずは、薬に細工をできる人間であり、そして1番得をする人物が動機としても犯人の可能性が高いわけですよね」
 川瀬が内川の3人の子供名前を書き込んだ。
「子供3人は父親である内川先生の持病のことも薬を飲んでいる事も知っていて、薬をすり替えるチャンスもあった」
「しかし、3人以外にも病気のことを知っている人間が居たはずで、何よりも3人は内川先生の相続人なんですよね」
 今度は高橋刑事が尋ねた。
「そうですね、近い未来には内川先生の莫大な財産を引き継ぐ事になるのですからね。ところが、よく調べてみると、3人にはそれぞれその近い将来を待てない理由があったのです。長男は独立して新しい法律事務所を設立するための資金。次男には、結婚相手の多額の借金に新築購入の費用。長女の結婚相手の父親が経営する総合病院は、新型ウイルスなどの影響で廃業の危機に貧している。つまり、3人それぞれに今直ぐにでもお金が必要な状態だったのです」
 朝比奈は3人の写真を指差した。
「でも、そもそも、内川先生は超有名な推理作家なんですから、子供たちに貸すお金は有ったんじゃないですか」
 頭を掻きながら川瀬が尋ねた。
「それができればこんな事件は起きなかったのですが、内川先生と3人のお子さんの関係は、先生が会社を辞めて作家になった時から険悪なものとなり、先生の奥さんが亡くなってからは特に酷くなって、先生は遺産を3人には残したくないと考えていたようで、遺言状を作成していた可能性もある程です」
 どうしてお前が仕切るんだとの、大神の視線が少し気になった。
「しかし、朝比奈さん。確か、遺言状を残しても、相続人が居る場合は譲れるのは財産の半分。3人の子供には遺留分として財産を引き継ぐ権利があるはずですよね。リスクを犯してまで殺人をするものなのでしょうか」
 川瀬は動機については納得していないようだった。
「リスクとは感じていなかったのではないでしょうか。実際に中田署は、初動捜査では病死と判断していたし、僕が残りの薬を確認することを助言しても、遺書の発見もあって自殺としか判断できなかった訳で、それ程犯人には自信があった。最悪、殺害事件となっていても証拠がなければ逮捕されませんからね」
 それに関しては、証拠を見付け出せない朝比奈自身に腹が立っていた。
「朝比奈さんの言われるように殺人だとすると、現時点では遺産を相続する3人の子供が最も怪しくなる訳ですよね。3人の内の誰かが内川先生を殺害したと考えているのですか」
 3人の写真を長男から順に指差した。
「3人の関係は良好だったようで、単独ではなく僕は3人の共犯である可能性が高いと思っています」
「3人の共犯ですか。まぁ、内川先生の事件に関してはその可能性は否定できませんが、それならば今回の亜久井弁護士の殺人事件とどう繋がるのでしょう。一応、内川先生のスマホのデータを取り寄せましたが、亜久井弁護士と連絡を取っていたという形跡は無かったようなのですよ」
 川瀬は内川のスマホの着発信記録が記された用紙を差し出した。
「内川先生は遺産を子供達には渡したくなかった。それを親しい友人に相談していたようで、その内の1人が石田さんで、彼を介して亜久井弁護士と繋がっていたのでしょう。確か、石田さんのスマホの記録には、内川先生と亜久井弁護士の発着信記録が残されていましたからね」
 その用紙をじっと見ながら答えた。
「内川先生が石田を介して遺産の相談をして、子供達に少しでも遺産を渡さなくても済む方法、遺言書の速成を相談していたという訳ですね。でも、動機を考えると、もし仮に朝比奈さんが言われたように、亜久井先生に依頼して遺言状を作っていたとしても、内川先生の遺産は相当なものでしょう。遺留分が入れば十分な金額となるはずですから、亜久井弁護士を殺害する必要は無いですよね」
 川瀬は、亜久井弁護士の殺害動機に関して異論を唱えた。
「人間の欲とは分かりませんからね。6億が3億、4億が2億になるのですから、お金に困っていれば少しでも多く欲しいと思うのは人間の性ではないでしょうかね」
「驚いた、お前にも欲があるんだ」
 大神が口を挟んだ。
「欲の次元が違うけどな。まぁ、遺言書が出てきて困ることは間違いないだろう。亜久井弁護士が亡くなった時は内川先生の通夜だったのですが、喪主の長男には無理だったけれど、次男や長女にはその場を抜けられるので、はっきりとしたアリバイはありませんから、殺害は十分に可能だった訳です」
「朝比奈さんの言われるように、内川先生の事件や亜久井弁護士の事件は薬が使われていて、新薬の開発に携わっている次男や長女の知識や、実際に手に入れる環境は整っていますが、もし下呂で撲殺された石田まで同一犯に因るものだとすると、下呂の殺人には3人にはアリバイがありますよね。最後だけは違うとは考えられませんよ」
 川瀬は下呂での事件の資料を見ながら尋ねた。
「それは・・・・・・」
 そう話し始めると、朝比奈のスマホが着信音を奏でた。
(はい、朝比奈です・・・・・・そうでしたか、それで連絡先は・・・・そうですか、ではもう一度連絡があったら、予定通りお願いします・・・ご連絡ありがとうございました)
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