未来で処刑さけれるはずだった令嬢は、氷の王子を選びました~ 巻き戻り令嬢の婚約から始まる逆転人生〜

あんこ

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傍にいるということ

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殿下から渡された本は、思っていた以上に読み応えがあった。

理論は簡潔で無駄がない。それでいて、ところどころに挟まれた書き込みが、思考の跡をそのまま残している。

「……ここ、面白いな」

余白に走る文字を追いながらページをめくる。
難しいところは飛ばして、気になった箇所に栞を挟む。

不思議と時間を忘れた。

――コンコン。

ノックの音に顔を上げる。

「リズ様」

エマの声だ。

「殿下がお呼びです」

「分かった」

本を閉じ、丁寧に机に置く。
胸の奥にほんの少しだけ嫌な予感がよぎった。


執務室に入ると、殿下は机に向かっていた。

そして、その机の上には一通の手紙。

見覚えのある封蝋。そして紋章。

「アーデルリヒから、ですか」

「そうだ」

殿下は短く答え、手紙をこちらへ差し出した。

「反第一王子派閥の首謀者が、捕らえられた」

淡々とした報告。

「関係者の大半も拘束済み。国内の治安はひとまず安定したと判断された」

私は手紙を受け取り、目を落とす。
文面は丁寧で、配慮に満ちていた。

事件についての謝罪。同盟国への感謝。
そして――

『安全は確保された。望むのであればいつでも帰還してほしい』

「帰れる、ってことですね」

「ああ」

殿下は否定しない。

「客人としてではなく、本来の身分へ戻る選択肢が正式に提示された」

しばし、沈黙。
机の上の手紙と、頭の中のいくつもの光景が重なっていく。

王宮での生活。人の輪。誕生日。
そして――今、部屋に置いてきた本。

「どうする?」

殿下の声は、静かだった。

誘導も圧もない。
ただ選択肢だけが差し出されている。

私はゆっくりと息を吸った。
――帰れる。けれど。

「少し、考えてもいいですか」

「もちろんだ。急かすつもりはない」

その言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。

「ありがとうございます」

そう答えて、私は手紙を握り直した。

これは、“帰れ”という命令じゃない。
選べ、という合図だ。
そしてその選択が、これからの私を決めるのだとはっきり分かっていた。


執務室から帰ったその後、特別なことは何もしなかった。いつも通り、王宮の中を歩き顔を知っている人たちとすれ違い、軽く言葉を交わす。

「おはようございます、リズ様」
「今日は庭の手入れ日なんですよ」
「この前の本、もう読み終わったんですか?」

昨日までと、何も変わらない。
なのに一つ一つの顔が、やけに心に残った。

エマの笑顔。
ルーカスの不器用な気遣い。
庭師の、土に汚れた手。
料理場で交わした、たわいない会話。

(……私、)

気づけば、ここでたくさんの人と関わっていた。

そして、まだ見ていない場所も、知らない人たちも、この国にはたくさんいる。

ヴァイスハイム王国。
魔法と軍事が並び立ち、強く、静かに、国として在る場所。守るべき国があるのなら、それを知らずに語れるはずがない。

何より。

(殿下の、そばにいるためには)

まだここを離れるわけにはいかなかった。
答えはもう出ていたのだ。


夜。

エマに促され、私は殿下の私室へ向かった。

執務室とは違う静かな回廊。
灯りは落とされ、足音がやけに響く。
扉の前で、少しだけ深呼吸してからノックする。

「入れ」

中は想像していたよりも簡素だった。
大きな机、本棚、最低限の調度品。
飾り気はないけれど、整然としている。

――殿下らしい部屋。

「来たか」

殿下は椅子から立ち上がり、こちらを見た。

「お時間、よろしいですか」

「ああ」

短い返事。けれど、今はそれで十分だった。
私は一歩部屋の中へ進む。

「決めました」

殿下の視線がこちらに向けられる。

「私は、まだ帰りません」

静かな声だったけれど、迷いはなかった。

「この国を、もっと知りたいです。ここに生きる人たちのことも」

一瞬、間があった。
殿下は何も言わず私を見ている。

「それに」

少しだけ、言葉を選ぶ。

「……殿下の、」

喉が、少しだけ詰まる。

「リヒト殿下の……そばで、学びたいです」

呼んだ。名前を。
心臓がうるさくて顔を上げられない。

「傍にいたい。あなたのそばで、学びたいんです」

言葉を探しながら、必死に続ける。

「そばにいられる婚約者でありたい……そうでなければ、意味がない」

指先が、ぎゅっと握り締められる。

ここで否定されたら。ここで断られたら。
私はあの国へ戻り、あの王子と結婚して、そして――処刑される未来へ。

思考がそこまで滑り落ちた、その瞬間。
すっと、近づく気配。

「……っ」

次の瞬間、視界が揺れた。

「え、殿下――?」

気づけば、抱き上げられていた。
腕はしっかりしていて、迷いがない。

「お前が何に追い立てられているかは気づかないふりをしておいてやるとして」

低い声がすぐ近くで響く。
顔を上げると、すぐそこにリヒト殿下の顔。

「俺は、そんなに薄情に見えるか?」

視線がまっすぐ射抜いてくる。

「婚約者が、ここまで必死に愛を囁いてくれているというのに」

「あ、愛?」

頭が、真っ白になる。

「ちがっ……!」

次の瞬間頬が、一気に熱くなった。

「そういう意味じゃ……!」

「ふむ」

リヒト殿下は、ほんのわずかに口角を上げた。

「分かりやすい反応だな」

「……っ」

「リンゴのようだ」

完全にからかわれている。

そして、ゆっくりと距離が詰まる。
額が、こつんと触れた。

「覚えておけ。結婚前の男の部屋で、あまりそう簡単に愛を囁くものではない」

心臓が跳ねる。そう言うと、ようやく腕が緩み地面にそっと下ろされた。足が、少しだけふらつく。

「……」

頭が、追いつかない。

顔は熱いし、心臓はうるさいし、何より――

「あの」

ようやく声を絞り出す。

「じゃあ……帰らなくて、いいんですか?」
「ここにいて、いいんですか?」

リヒト殿下は、私を見下ろしていた。
その表情は、いつも通り静かで、でも決定的だった。

「そうだ」

一歩、近づく。

「婚約者として」

そして、はっきりと告げる。

「ここにいろ。俺のそばに」

その言葉は、命令でも、許可でもなく。
居場所の宣言だった。

胸の奥が、じんわりと熱くなる。

……ああ。
私は自分で、ここを選べたのだ。



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