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月明かりと罰則
しおりを挟む目を覚ましたとき、窓の向こうはすでに夜だった。
薄いカーテン越しに月明かりが静かに差し込んでいる。
「……ここ……?」
柔らかな寝台。医務室とは違う、落ち着いた空気。
「俺の部屋だ」
すぐそばから低い声が返ってくる。
視線を向けると、椅子に腰掛けたリヒトが静かにこちらを見ていた。
「……殿下?」
「魔力の安定に、俺の側にいた方がいいらしい」
淡々とした説明。けれどその距離は近い。
状況を思い出そうとして頭の奥がじん、と鈍く痛んだ。
中央魔導回廊。結界。魔鉱石。
「殿下が来られたあと、どうなったんですか?」
「封印は完了した。被害も出ていない」
その言葉に胸の奥がほどける。
「よかった」
そう呟くとリヒトは小さく頷いた。
そしてしばらく、沈黙。
夜の静けさだけが部屋を満たす。
「殿下?」
呼びかけると、リヒトは視線を落としたままぽつりと口を開いた。
「失うかと思った」
思いがけない言葉に息をのむ。
「……え?」
「生まれて初めてだ」
ゆっくりと言葉を選ぶように。
「失うことに、これほどの恐怖を覚えたのは」
月明かりに照らされた横顔は、いつもの冷静さを帯びながらもどこか脆い。
「いつの間にか俺の心の中を、リズが占める割合が随分と大きくなっていたらしい」
静かな告白だった。
リヒトの指先がそっと頬に触れる。
「本当に、無事でよかった」
その温度に胸が熱くなる。
「殿下」
呼ぶと、彼は首を横に振った。
「?」
「名前で呼んでくれ」
突然の要求に言葉に詰まる。
「えっと、その……それは……つまり……」
もごもごしていると、リヒトの口元がわずかに緩んだ。
「未来の旦那様に、そんな他人行儀ではだめじゃないか?」
「意地悪がすぎますよ!」
「お前の反応が可愛いのが悪い」
「か、かわ?! もう!からかわないでください!」
思わず声を上げるとリヒトは小さく笑った。
本当に、楽しそうに。
しばらくして笑いが落ち着いた頃。
「リズ」
名前を呼ばれて心臓が跳ねる。
「な、なんですか」
一瞬ためらってから。
「……リヒト」
そう呼ぶと、彼は満足そうに目を細めた。
月明かりを背にしたその姿は、思わず息を呑むほど静かで神々しい。
「私、みんなを守れましたかね」
不安が、少しだけ混じる。
「ああ」
迷いのない声。
「リズの判断は、的確で、正しかった」
そして、はっきりと。
「この国の第一王子として礼を言う。ありがとう」
「いえ、そんな感謝なんて」
小さく首を振る。
「ただ私は殿下や、みんなと過ごすこの場所を守りたかっただけです」
それだけです、と微笑む。
その瞬間リヒトの胸に込み上げた感情は、言葉にするには、まだ早すぎた。だから、代わりに。
「リズは本当に俺を振り回すのが上手いな」
「え、どういうことですか?!」
その慌てた声に彼はまた、静かに笑った。
夜は深く、月は高く。
まだ語られない想いを、そっと包み込むように照らしていた。
事が事だけに、翌日二人はそろって謁見の場へ向かうことになった。
玉座へ続く回廊を歩きながらリヒトが小さく呟く。
「俺への罰則も決まるだろうな」
「ば、罰則……?」
その小さな呟きを拾ってしまい、思わず足を止めかけてリヒトを見る。
「殿下、何か悪いことしたんですか?」
「した」
即答だった。
それ以上を聞く前に、扉が開かれる。
謁見の間。
玉座に座る王――穏やかな眼差しの中に、鋭さを秘めた男はすでにすべてを把握している様子だった。
「状況は聞いている」
重々しい声のはずなのに、どこか楽しげだ。
「中央魔導回廊の暴走を未然に防ぎ、被害はゼロ。実に見事だった」
視線がリズへ向けられる。
「よくやったな」
「ありがとうございます」
緊張しながらも頭を下げると、王は満足そうに頷いた。
「しかし。どうやって異変に気づいたのか、どう対処したのか。そしてなぜあの判断に至ったのか。それを聞いても?」
矢継ぎ早な有無を言わさぬ問いに、緊張しながらも、リズは一つ一つ、もちろん前世のことは伏せながら、違和感、判断、行動を丁寧に説明していく。
すべてを聞き終えた王は、ふっと肩を揺らした。
「はは……やりおる」
そして、にやりと笑う。
「いい嫁をもらったな、リヒト」
「……恐れ入ります」
淡々と答えるが、わずかに表情が柔らかい。
王は満足そうに頷いたあと、わざとらしく咳払いをした。
「さて、リヒト」
空気が、少し引き締まる。
「お前への罰則だが――」
「え……」
思わず、リズの声が漏れる。
「あの先程もお聞きしましたが、罰則……とは……?」
不安そうにリヒトを見る。
「説明していなかったのか」
王が呆れたように言う。
「こやつはな、現場に駆けつけるため王宮内で禁止されている転移魔法を使用したんだ」
一瞬、言葉を失う。
「……っ」
王宮内転移。重罪ではないが、軽くもない。
「殿下……」
思わず見つめると、彼は少しだけ視線を逸らした。
「いいんだ。それより、早く罰則内容を」
どこか照れたように、しかし急かすように言う。
「さて、どうするかと思ったが」
王は、楽しそうに言った。
「今回は特別だ」
「……?」
「リズ」
突然、名を呼ばれる。
「はい」
「お主が決めてくれ」
一瞬、理解が追いつかない。
「え……わ、私が……?」
「そうだ」
王はうなずく。
「今回の立役者であり、リヒトの婚約者だ。お前が決めた罰則なら、こやつも、周囲も受け入れやすいだろう」
そう言って愉快そうに笑った。
「さあ、どうするリズ?」
玉座から穏やかながら逃げ場のない視線。
場に、静寂が落ちた。
罰則。
それも――リヒトへの。
視線の先では、本人が何も言わずただこちらを見ている。逃げも弁解もない。判断を完全に委ねる眼差し。
(ずるい)
そう思って、でも胸の奥に広がるのは怒りではなかった。
――思い出す。
駆けつけてくれたこと。焦りを隠さなかった表情。
そして「失うことに、これほどの恐怖を覚えたのは」という言葉。
リズは少しだけ困ったように視線を落とすと、ぽつりと呟いた。
「罰則のこと、殿下は私に言ってくれませんでしたよね」
責める声音ではない。ただ事実を確かめるように。
「だから今度からは、ちゃんと私も巻き込んでほしいです」
ゆっくりと顔を上げ、リヒトを見る。
「私だって、殿下が無茶をしたときは支えたいし」
小さくでもはっきりと言葉を続ける。
「規律を破ったなら、一緒に罰を受ける私でありたいです」
場が、静まり返る。
「お互い、独りだったからできてしまうことって、あると思うんです」
少しだけ、苦笑して。
「独りだと無理も、覚悟も、抱え込めてしまうから」
ぎゅっと、拳を握る。
「それを、縛ることができたらきっと、もっと強くなれると思います」
言い切る。
「だから、それを罰にしてください」
それが、リズが差し出した“罰”だった。
沈黙の中で、リヒトはしばらく言葉を失っていた。
やがて、低く息を吐く。
「……随分と、重い罰を考える」
その声は責めるものではない。
むしろ覚悟を受け取った者の声だった。
王はその様子を見てゆっくりと頷く。
「なるほど。罰としてこれ以上に厄介なものはない」
そう言って少し笑った。
「リヒトには、少々厳しいくらいがちょうどいい」
やがて、ゆっくりと口を開く。
「つまり、こういうことだな。第一王子リヒトは、今後無茶をする自由を失う。独りで判断し、独りで責任を負い、独りで罰を受けることを――禁じられる」
「規律を破るなら、その責任は婚約者と共有せよ」
「覚悟を決めるなら、その覚悟もまた共有せよ」
王は、少しだけ口元を緩めた。
「これは罰だ。リヒトにとって、最も都合の悪い――孤独を許されない罰だ」
そう締めくくり、静かに頷く。
「よかろう。この罰則を正式に採用する」
そう言うと王は、先ほどまでの公的な声音をそっと解き、少しだけ柔らかな表情を浮かべた。
「……ここからは、私個人の話だ」
そう前置きして、リヒトを見る。
「お前は昔からその容姿と振る舞いのせいで随分と人に距離を置かれてきた」
苦笑まじりに、続ける。
「近寄りがたい、冷たい、怖い――そう言われることにも慣れてしまっただろう」
リヒトは何も言わない。否定もしない。
「だからこそ。お前は、人を頼るのが下手になったな。独りで決め、独りで背負い、独りで立つことが“強さ”だと、思い込んできた節が。だがな」
王は、今度はリズを見る。
「同じように、独りで立とうとしてきた人間に出会った」
ビクリと肩が揺れる。見透かされている。
「それだけで、人は“独りをやめる理由”を得られる」
視線を戻し、リヒトへ。
「頼ってほしいと思える相手ができたこと。そして、頼られたいと願う相手ができたこと」
王は、静かに微笑んだ。
「それを見届けられたことを、父として私は、心から嬉しく思う」
場に、温かな沈黙が落ちる。
「……以上だ」
そう言って、王は軽く手を振った。
「堅苦しい話は終わりにしよう、休みなさい」
王のその言葉を最後に、殿下と一緒に礼をすると私たちは謁見の間を後にした。
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