涯(はて)の楽園

栗木 妙

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Ⅰ章.カンザリア要塞島 ─トゥーリ・アクス─

【2】_1

 
 




 そこに居合わせたのは偶然だった。


「――ああもう、そんなところで寝てたら風邪ひくでしょうに……」
 もはや“定位置”といっても差し支えないだろう執務室の出窓の桟の上、うたた寝している総督を、忘れ物を取りに戻って俺は見つけてしまった。
「転げ落ちて怪我しても知らないですよ」
 言っても、目を覚ます気配は全くない。――とことん本気寝だな、これは。
 そうなると、無理に起こすのもしのびない。だが、そんな寝るには適さない場所で寝ていたら、いずれ転落するのは目に見えている。
 とりあえず近くの長椅子にでも場所を移して寝かせておくのが安全だと考え、俺は総督へと近寄った。
「総督、ちょっと失礼しますよ」
 近くからそう囁いてもピクリとも動かない、その身体を抱き上げるべく、隙間から手を差し入れる。
 そうして、まずは自分の方へ引き寄せると、そこで総督が「ん…」と小さく声を漏らした。
 頭部がカクリと力なく折れ、俺の胸板にぶつかる。
 その拍子に、一筋の涙が頬を伝った。
 と同時に聞こえてきたのは、切ないくらいに掠れた声。


「―――我が君……」


 その意味を……俺は未だ問うことができずにいる―――。







「――あ、アクスくん! いいところに!」
 そんな声に振り返ると、やや離れた場所から伍長が片手を大きく振りながら小走りでこちらへ近づいてくるのが、目に映った。
 俺はその場で立ち止まると、彼が自分の前まで辿り着くのを待ってから、「何ですか?」と尋ねる。
「これからカードやるんだけど、君も混ざらない? もうちょっとメンツが居てくれたら嬉しいんだよね」
 なにせコレが懸かってるからー、などと言ってニヤリと人の悪い笑みを浮かべながら、伍長が親指と人差し指で輪を作って掌を上に向ける。――またか、この人ホント博打好きだな。
 数少ない娯楽だから…というよりは、この人にかかれば何をしても賭け事にされてしまってる気がする。そりゃあ、メンツも欲しいに違いない。勝てば取り分も増えるしな。
 カードは得意な俺としても、ここはゼヒ話に乗って、ひと稼ぎしたい気持ちはあったのだが、
「せっかくのお誘いですが、申し訳ない」
 断った俺の返答を聞き、「おや?」と伍長は首を傾げる。
「なんだ、アクスくんならノリノリで乗ってくれると思ったのに」
「俺も乗っかりたいのはヤマヤマなんですが、今はちょっと……これから総督に呼ばれてるもんで」
「ああ、それじゃあ仕方ないね」
 その返答でアッサリと引いてくれた伍長だったが、やおら「ホントにねえ…」と、今度は何やら感慨深い表情となって、俺の腕をポンッと叩いた。
「すっかり板に付いてきたよね、総督の側近役」
「どーも、おかげさまで」
「なんだかんだ言って、今じゃ総督も、すっかりアクスくんに懐いてるし」
「『懐いてる』って、犬猫じゃないんだから。総督が聞いたら顔真っ赤にして怒りますよ」
「あはは、じゃあ言わないでね。――でも、そうやってアクスくんが総督との緩衝役に入ってくれるようになった、ってことが、やっぱ大きいよね。うん」
「そうですか? ああ見えて総督、わりと話しやすいですよ?」
「そんなのは君だけです」
 言いながら再びポンポンッと軽快に俺の腕を叩くと伍長は、「じゃあね、お勤め頑張って!」と、手を振って去っていった。
 それを見送って俺も踵を返す。
 そして、歩き出した。当初の目的地である総督執務室へと向かって。


 俺がカンザリアに来てから、あっという間に早や半年―――。
 ここでの生活にも、すっかり慣れた。
 上司であるサイラーク総督とも、まあまあ破綻なく上手いことやれているのではないだろうか。
 勤め始めた頃とは違い、今ではマトモな会話も成り立っているし、そこそこ俺への指示も出してくれるようにもなったし、どこへ行くにも従者として俺を連れて行ってくれるようにもなったし。
 当初と比べればエライ進歩だ。と、我ながらシミジミ思う。
 それに加えて、総督への用事がすべて俺経由で回るようにまでなってしまった。――というのも、そもそも総督を苦手とする輩が、俺が総督付きとなったのをこれ幸いと、仲介役を頼んでくるようになったことに端を発している。
 まあ…ああいう人相手だとね、と、頼みたくなる気持ちは分からないでもないので快く引き受けていたものだが。それが定着してくると、別に総督が苦手そうでもない他の輩までもが皆、右へ倣えとばかりにまず俺を通してくるようになり。
 結果、今や俺は、総督閣下の仲介人――と書いて『ご機嫌とり』と読む――のポジションまでもを、確固たるものにしてしまったのである。


「――遅かったな、アクス」
 総督執務室に入ると、そんな言葉と共に、開け放した出窓の前から総督が振り返る。
 と共に、ばさばさっとした羽ばたきが聞こえた。
 窓の外へと差し伸べられていた総督の手に、一羽の白い鳩が舞い降りる。
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたか」
「大丈夫だろう。もう食べるのに夢中だ」
 総督の手の中の餌をつつく白い鳩を眺めやりながら、「またいつもの連絡ですね?」と、俺は尋ねた。
「明日、晴れたら遠駆けに行く。準備をしておけ」
「わかりました」


 ――そして……半年を経た今では。
 ここカンザリアの誰もが知らない総督のことも、俺は知っている。


 総督が、迷い込んできた鳩を餌付けしている。――ということは、誰もが知っている周知の事実。
 だが、それが外部との連絡用の伝書鳩をカモフラージュしたものであると、知っているのは俺一人だけだろう。
 鳩は毎日、執務室の窓辺へとやってくる。だが、半月に一度ほどのペースで、その足に書簡を携えてくる。
 それを受けて総督は、翌日、遠駆けへと出かけるのだ。翌日が雨や曇りならばその翌日に、その翌日がやはり雨や曇りならそのまた翌日に、…つまり、書簡を受け取って以降、直近の晴れた日に。
 行き先は、いつも同じ。――東の森を抜けた崖の上。


 あの日に俺が目の当たりにした、崖の上で行われた取引――その意味は、総督本人が教えてくれた。
『あれは、連絡係だ』
 例の崖を素手で登ってきた、あの男のことだ。
 このカンザリアは、四方を崖で囲まれた天然の要害である。要塞を築くにあたり、内海に面した北側に唯一の玄関口が設けられた。そこを通る以外、この島への入出経路は他に無い。ゆえに、そこは検閲所も兼ねており、島に出入りする者は厳しく監視される。
 大っぴらに出来ない情報を持ち込むには、北側の検閲所を通るわけにはいかない。戦乱がなくなってから検閲内容もだいぶ形骸化されてきてはいるものの、それでも出入りの際の身体検査は至極当然のように行われているのだ。
 同様に、飛脚による郵送も不可だ。郵便物も、今では中身こそ見られることはまず無いが、到着したもの発送されるもの問わず全て、その検閲所で差出人と宛先を控えられてしまう。
 そうなると、後は他三方の崖をよじのぼるしか手段はない。
 だが、南の崖上には防塁と砲台が設置されており、常に誰かしら見張り番の者が詰めている。崖をよじのぼったりしようものなら、確実に誰かの目に止まってしまうだろう。
 残る二方――東西の崖には人目は無い。こちらは警備の必要なしとされ、見回りの巡回コースからも外されているほどの手薄ぶり。
 しかしこちらは、複雑な潮流のためだろうか、崖が急な逆斜面――いわゆる“鼠返し”になっており、到底、上から縄梯子でも垂らさぬ限り、人が易々とよじのぼれるようなものではなかった。もし東西の崖から島に侵入することが出来たのならば、この要塞は簡単に陥落してしまうに違いない。
 ――ゆえに総督は、そこに目を付けたのだ。
 絶対に誰にも知られることが無いよう、自分との連絡係に、その崖を素手で登り得る者を雇った。


 そうまでして秘匿しなければならない情報――それは、ユリサナ帝国の軍事動向。


 その男は、総督とユリサナに潜ませた間諜との連絡係だった。
 定期的に我が国サンガルディアとユリサナを行き来する連絡係に、ユリサナで間諜は得た情報を渡す。それを受け取って、連絡係がカンザリアの総督へ渡す。
 崖上の取引は、その情報のやりとりの場だった。
 しかし、何故それをカンザリア総督が、よりにもよって秘密裏に調べさせなければならないのか。
 総督当人いわく……、
『畏れ多くも国王陛下の御下命だ』
 国王陛下――言わずもがな、我がサンガルディア現国王・ルディウス八世陛下に他ならないだろう。
『我が国よりも早かったが、ユリサナにも御代変わりがあったことを知っているか? 前帝は和を尊ぶ穏健派だったが、新帝は――前帝の末子にあたる御方なのだが、これが生粋の軍人でな。帝位継承も、ほとんどクーデター紛いに行われたそうだ。ゆえに陛下は、王位を引き継ぐに当たり、その点を懸念された。そのような新帝では、いずれ同盟も破棄されることになるのではないか、と……』
 さすがに強硬派のユリサナ新帝とはいえ、今は御代変わりのゴタゴタで外国にまで目が向いていないだろう。とはいえ、それも時間の問題かもしれない。
 それまでに、我が国もある程度の備えはしておかなければならない。
 ならば、まずカンザリア要塞島を何とかしておくべきだろう。そもそもカンザリアは、対ユリサナのために作られた要塞なのだから。
 だが、いずれ破棄されるだろうものとはいえ、現状まだ同盟関係は成り立っている。ただの憶測で国が公に動くわけにはいかなかった。もしそのようなことをしていると知られれば、みすみすユリサナに戦争の口実を与えてしまうことにもなりかねない。
『陛下は、畏れ多くも私に「やってくれるか」とおっしゃった。私は、それを承諾したまでだ』
 ゆえに総督は、カンザリアへ赴任させられることとなったのだ。王の密命を帯びながら、しかしそれを覚られぬよう、表向きは左遷として。宰相時代の噂は、それゆえに王に遠ざけられた、と周囲に思わせるには充分だった。
 しかもカンザリアに来てからは、殊更に仕事の出来ない風を装った。その結果、仕事が嫌いだから何かというと散歩や遠駆けに出かけてしまう、そんなイメージを皆に植え付けることに成功した。わざわざ晴れの日を選んで外出するのも、散歩にしろ遠駆けにしろ、それをしに出かけたとしても“ただの気晴らし”という印象しか与えないからだ。もちろん、皆が思っているところの、気難しい、人嫌い、といった総督の姿も、余計な人間を必要以上に近づけないために敢えて作られたものである。
 そういった裏では、極秘裏にユリサナに間諜を放ち、その情報を得、もちろん得た情報は定期的に王へ報告もし。のみならず、散歩や遠駆けに見せかけて隅々まで島内を見て回り、軍備の把握と、そして増強にも手を抜かなかった。


 ――それが本当の、カンザリア総督レイノルド・サイラークという人物だった。


『驚いたな……総督は、前王陛下のみならず、現王陛下にまで信頼されていたんですね』
 真実を知り、それを告げた俺を横目で見やり。
 なぜか総督は、まるで自嘲しているかのような、唇の片端を歪めただけの笑いを一つ、返してくれた。
『信頼、か……はたして、どうだろうな。真実は陛下のみぞ知る、といったところか』
『またまた、ご謙遜を。信頼してもいない人間に、そんな重要なこと任せるハズもないじゃないですか』
『そうだな……そういう考え方もあるか』
『そうですよ。――つか、せっかくの陛下からの御下命だというのに、あまり嬉しそうじゃないですね』
 何となくだが“陛下直々の御下命だから仕方なくやっている”とでも言わんばかりのその様子が、少しだけ気になった。
 だって、陛下直々の御下命、なんて、普通なら誇らしいものではないのか。上手いことやれば、今後また出世街道に返り咲くことができるかもしれないのだから。
『ひょっとして……陛下と、何かあったんですか?』
『「何か」とは……?』
『御下命に従わざるを得ない何らかの弱みを握られた、とか、そういう系の……』
『別に……そんなものは何も無い』
『なら、ただ単に陛下が嫌い、とか?』
『また貴様は……一介の臣下の分際で、好きだの嫌いだの言える相手ではないだろうに』
『じゃあ、何だっていうんですか。その総督の気乗りのしなさっぷりは』
『別に、気乗りしていないわけじゃない。もちろん、与えられた仕事にも手は抜いていない。私は、いたって真面目にこの仕事に取り組んでいるつもりだ。貴様にどう見えているかは知らんが、もともと私は熱くなり難い性分なんだ。悪かったな』
『………ふうん、そうなんですかー』
 その返答は、どことなく誤魔化した風にも感じられて、俺の中では、いまいち腑に落ちない想いばかりが強かった。
 そんな俺に気付いたのだろう、口許だけで軽く笑み、総督がそれを付け加える。
『まあ…好き嫌いというのではないが。極めて頭の切れる御方であるのには違いないからな、この人のために働いてもいいと思うくらいには、陛下を尊敬してはいるぞ』


 ――そこでドキッと、俺の心臓が大きく鳴いた。


 あの時の掠れた呟きが、耳の奥で甦る。
『―――我が君……』
 あの時、総督が夢の中で呼んでいた人――総督が『我が君』とまで呼んでお仕えする人。
 そんなもの、考えずとも一人しかいないではないか。
 国王陛下、ただお一人しか―――。


 ――『この人のために働いてもいいと思うくらいには、陛下を尊敬している』


 そんなヒネクレた物言いが、どこまでも素直じゃない総督の気持ちを正直に表していたとしたら……?
 思い当たった途端、ずきりとした痛みとも重みともつかない何かが、ふいに鳩尾あたりを圧迫してきたかのように感じられた。
 ――何だっていうんだ、一体?
 何か悪いものでも食べたのかな? と、その時はそれでムリヤリ自分を納得させて、考えることをやめた。
 しかし、今は……今ならば……、


「――おい、アクス! 聞いているのか?」
 ハッと我に返ると、目の前で総督が、出窓に腰かけた姿勢から俺を覗き込むように見上げていた。
 見るともなしに総督の姿を眺めていたら、いつの間にかボンヤリしすぎてしまったようだ。
「何をボケッとしているんだ」
「あ、すみません、えっと……明日の遠駆けの準備について、ですよね?」
「その話は、もう済んだ」
「うわ、すみません……あの、何の話だったでしょうか?」
「――もういい、大した話でもないしな」
 いつの間にか鳩も去ってしまっていたらしい。一~二度、掌をぱんぱんと打ち合わせながら手に付いていた餌屑を払うと、総督は座っていた出窓の桟の上で膝立ちになった。そのまま窓の向こうへと身を乗り出そうとする。
 途端、慌てて俺も身を乗り出した。こちらへ背を向けた総督へ飛び付かんばかりに。
「だからっ……! 何度言ったら分かるんですか!」
 反射的に伸ばしていた片手で総督の服を掴んで引っ張り寄せると、もう片方の手で、背後に倒れかかってくる総督を抱きかかえる。
「窓を閉める時は身を乗り出したらダメだと、何度も言ってるでしょうっ! いつか落っこちますよ、本当に!」
「――だから……おまえは過保護すぎると、何度言えば分かるんだ」
 抱き寄せた俺の腕の中、タメ息とともに聞こえてきた、そんなセリフ。
「このくらいのこと心配するには及ばないと、もう何度も言っているだろう」
「総督に自覚は無いんでしょうけど、端から見てると、必要以上に心配せざるを得ない身の乗り出しっぷりなんですよ!」
 ああもう毎回毎回…ホント肝が冷えるったら! そう呟きながらも、とりあえず何事も無く済んだことに安堵する。
 深く息を吐き出した俺の腕の中で、ふいに総督が顔を上げた。
「おい、アクス……」
 これでもかというくらいの至近距離で互いの視線が交わり、途端ドキッとして俺は、総督を押しやるようにして自分の身体を離していた。
 間近に映る総督の顔は心臓に悪い。綺麗すぎるから気持ちが落ち着かなくなる。
 自分の耳に大きく響いてくる心臓の高鳴りを誤魔化すかのように、俺は「次こそは注意してくださいね!」と、慌てて言葉を引きずりだしてくると、その場を取り繕った。――とはいえ、総督の目は真っ直ぐ見られなかったけど。
「えっと、もう他に用がなければ、俺はこれで……」
「――ああ、下がっていいぞ。時間外に呼び立ててすまなかった」
「いえ、こっちは別に大した用事もないですから。いつでも呼んでください」
 そして何とかムリヤリのように笑顔を作ると、「じゃ、失礼します」と一礼し、俺はその場から踵を返した。
 執務室の扉が閉まる音を背後に聞いてから、ようやく俺は息を吐く。深々と一つ。


 ――動悸は、まだ静まらない。


 サイラーク総督の側で仕えるようになって、ようやく半年。
 半年前では分からなかった自分の気持ちにも、今はもう名前が付けられている。



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