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Ⅱ章.バーディッツ伯爵領 ─レイノルド・サイラーク─
【1】_3
*
ここバーディッツと呼ばれる地域は、内陸の広大な平野地帯だ。その地の利を生かして、昔から麦など穀物の産地として名高い。どこへ行っても穀倉地が広がり、収穫の秋には、どこもかしこも、それはそれは美しい黄金色の平原が広がることとなる。
まさに、この地方全体で一丸となって農業が営まれている、といっても過言ではないかもしれない。
そんなバーディッツ地方でも有数の都市――ティルケル。
その街並みを南に見下ろすように在る郊外の小高い丘陵地、その上に、私の住む屋敷は建てられていた。
ここは、街からもだいぶ距離があり、また他三方を防風林に囲まれているため、余計な騒音など一切聞こえてこない。夜にもなれば、それこそ風と木々のざわめく音しか聞こえない。
その静けさが気に入って、屋敷の使用人を相変わらず少ないままにしている。
王都から連れてきた僅かばかりの人数に加えて、もともと屋敷の管理のために常駐していた者と、さらに、ここに来てから雇った通いの者が数名。――という、あくまでも最低限。
その所為なのか、はたまた、赴任してきた当初あちこちから挨拶にやってきた者たちにニコリともせず応対していたことも影響したものか、まだ赴任して三月ばかりだというにもかかわらず、もう『新しい領主様は人嫌い』という噂が飛び交っているらしい。
――まあ、あながち間違ってもいないが。
私は決して、人間ならば誰も彼もを嫌いだというわけではない。初対面で媚を売ってくるような人間が嫌いなだけだ。
とはいえ、近付いてくる人間のことごとくが媚を売ってくるような者ばかりだから、誰も彼もを嫌い、と言っても差し支えはないのだろう。
本当に……“媚を売る”を“礼を尽くす”と同義だと捉えている人間の、何て多いことか。虫唾が走るくらいウンザリする。
それは王宮に居る人間特有のものかと思っていたが、こんな地方でも、それは変わらないらしい。
――まったく、なぜ“地元の名士”などという肩書のある者ほど、そう自分の利しか考えない者ばかりなのだろうな。
着任にあたり挨拶に来たと見せかけて、その実、あわよくば新しい領主と懇ろになって利便を図ってもらおう、などという考えが見え透いているのだ。そんな人間に愛想をもって接したところで、つけあがるだけではないか。
ならば、最初から余計な人間など寄せ付けないでいた方がいい。そのためなら私は、どんな“柵”でも自分の周りに巡らせる。
王宮勤めの経験が、私にそれを悟らせた。
だが、彼は――トゥーリだけは、
その“柵”を簡単に飛び越えてきて、私の奥深くまで入り込んでしまった。
『――俺は、近衛騎士団へ行きます』
あの日、王都の私の屋敷で。
決意と共に告げられたその言葉が、まだ耳の奥に残る。
私のすべてを彼に明かそうと決めた、あの日。
そのうえで『私と共に来るも、軍に残るも、おまえの好きな方を選べばいい』と告げた言葉に対する、それは答えだった。
『本当は、今すぐ軍なんて辞めて、あなたに付いていきたいけど……そうなると俺、ただのヒモだし』
『ヒモって、何もそんな風に言わなくても……』
『だって、そうじゃないですか。俺は、一応は騎士の肩書きを持ってるけど、まだ何の実績も無い新米なんですよ。到底、今や伯爵にまでなったあなたと肩を並べることも出来ない。そんな人間を傍に置いていたら、あなたが悪く言われるだけだ。ただの情夫だから傍に置いているんだろう、って。そんなふうにあなたを言わせたくはない』
思わず否定の言葉を差し挟むべく口を開いたが、それは一呼吸早く塞がれる。
『あなたの言いたいことはわかってる。あなたは優しいから、きっと「そんなことはない」って言ってくれる。――でも、これは俺の矜持の問題でもあるから』
『トゥーリ……』
『今度こそ俺は、近衛騎士としての役目を立派に務めてみせます。そして、近衛騎士団内で出世する。そうなって初めて、伯爵であるあなたに雇って貰うに相応しい立場になれる。だから、しばらく待っていてください。――それに……』
言いながら、彼は私の手をとった。
そして、すぐ近くから覗き込むように見つめた。
『あなたの思惑どおりに事を進めるのには……俺が王宮にいる方が、きっと都合はいいよね?』
――確かに、その通りだった。
だからこそ私は、その問いに何も応えられなかった。
唇を噛んで俯いた私に、『そんな不安そうなカオしないでよ』と、なおもトゥーリが言葉を繋ぐ。
『安心してください。俺は、あなたのためなら何でもやるつもりでいるけど、自分に出来ないことまでやろうとはしませんから。あくまでも副団長の手助けとなれるよう努めます』
『そうだな……そうしてくれれば、私も安心だ』
『それに、幸いバーディッツなら前線も遠いしね。当面、あなたが戦乱に巻き込まれるようなことも無いだろうと思うから……俺も安心して、手を放せる』
『ああ、私のことは心配するに及ばない』
『それでも、もし万が一のことが――少しでもあなたに危害の及ぶ可能性がある時は、俺は全てを投げ出してでも、すぐにあなたのもとに駆け付けますから。それだけは憶えておいてください』
そうまでも私を想ってくれる熱い想いが、そして強い決意が、こちらを覗き込むその瞳からありありと感じられた。
その瞳を前にして、私は到底、本当は傍に居て欲しい、とは言い出せなかった。
『本当に……おまえは過保護すぎる』
軽口を叩くようにそれを言い、精一杯の笑みを浮かべてみせる。
『おまえなぞ居なくても、私は大抵のことは一人で何とか出来るのだからな』
『うん、それもちゃんとわかってるよ』
でも…と、そこでトゥーリは、ひととき意味ありげに言葉を止める。
そして、おもむろに私の身体を抱きしめた。
『あなたの世話を焼けなくなるのは、俺が、淋しい。ものすごく』
『トゥーリ……』
『こうやって、好きな時にあなたを抱きしめることが出来なくなるのは、想いが通じ合ってるってわかってても、やっぱり淋しいよね』
落とされる優しいキスが、次第に深くなってゆく。まるで名残を惜しむかのように。
『離れても、手紙を書くよ』
『でも、私は……』
『わかってる、返事は要らない。ただ俺の手紙を読んで、いつも俺のことを思い出してくれればいい。――俺のことを、いつも感じていて』
――トゥーリ……おまえは、手紙を書きながら私を思い出してくれているか? 私を感じてくれているか?
吹きわたる風に、何度そう語りかけただろう。
私は、自分のしたことに後悔はしない。
たとえ過去へと戻ることができたとしても、それでも私は、きっと同じことをするだろう。
けれど……トゥーリのことだけが、私の意志をこんなにも脆くする。
彼は、私のために王宮に留まる道を選んでくれたのに。
――私は、いつもおまえを思い出してるぞ。おまえの存在を感じてる。だから……、
早く、と願わずにはいられない。
――早く…一刻でも早く、全ての“終わり”が来てしまえばいい。
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