涯(はて)の楽園

栗木 妙

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Ⅱ章.バーディッツ伯爵領 ─レイノルド・サイラーク─

【1】_7

 
 




 ハルトとアレクがそうなるのは、きっと自然なことだった。
 幼い頃から仲睦まじい二人の姿を見てきたから、そうなることに何ら不思議だとも感じなかった。
 ハルトがどんなにアレクを想っているか、そして、アレクがどんなにハルトを想っているか……互いに想い合う二人の気持ちは、傍で見ている私にも、ありありと伝わっていた。
 ただ自然の成り行きのままに、二人は恋人同士になったのだろうと、素直にそう思えたのだ。
 さすがに、自分一人だけが疎外されてしまったような気分も、少しくらいは覚えたけれど。
 それ以上に、二人が大好きな気持ちがまさったから。
 二人が幸せであると思えば、それだけで私も幸せな気分になれた。


 だから……それだけに、私はハルトを許せなかったのだろう―――。


 学校を卒業した後、ハルトは家を継ぐべく、父に付いて仕事を学んでいた。
 その時の父は、既に子爵を名乗っており、と同時に、男爵の爵位と所領も有していた。ハルトは近々、その男爵位を父から引き継ぐ予定だったのだ。
 そして父と二人、その日は視察のため王都から離れた領地まで出張していた。
 そこからの帰り道で、事故にあったらしい。
 馬車の転落事故だった。
 山道とはいえ、さほど危険でもない道ではあったが、降り続く雨に地盤が緩んでいたことと、折しも夜で視界も悪かったことが、事故に繋がってしまったのではないかと教えられた。


 訃報を受け、急いで帰宅した私を待ち構えていたのは、冷たくなったハルトと父の遺体だった。
 棺桶に敷き詰められた花に囲まれて、一見ハルトは眠っているようにも見えた。
 しかし、そこに生気が全く感じられなかった。それは、ただのハルトの“容れ物”だった。本来そこに入るべきハルトの魂が、もうどこにも感じられない。
 葬儀の手配は、既にジークが滞りなく済ませてくれていた。
 私は、喪主としてただ、その場に立ち尽くしているだけでよかった。
 父の妻、そしてハルトの生母である義母は、葬儀の間中、一度も姿を見せることはなかった。


 父と義母の仲がうまくいっていないようなことは、子供の目から見ても、すぐにわかった。
 不義の子である私がこの家に来たからか、と、一時は気に病んだこともあった。
 しかし、それを否定したのはハルトだった。
『レインが気にすることはないよ。君がくる前から、あんな感じだったんだから』
 確かに、私が引き取られた時から既に、父は不在がちだった。仕事が忙しいのかと思っていたが、そうでもなかったらしい。
『所詮は爵位欲しさの政略結婚だったんだろうからね、上手くいかないのも無理はないよ』
 ハルトが話してくれたことによると、もともと二人は、愛し合って結婚した夫婦ではなかったということだった。貴族同士の結婚ならば、それも当然ではあるのかもしれない。当人同士の意向など斟酌されることも無く、親同士の間だけで取り決められてしまう結婚。とはいえ、結婚してから家族としての愛を育むことならば、それであっても出来るだろう。だが父と義母は、それさえも出来なかったらしい。子まで生しているというのに。
 確かに、父の気持ちもわからないでもなかった。
 義母はとても美しい人ではあったが、さすがに良家出身の子女らしく、あまりにも気位が高かった。私に笑顔を向けてくれることなど無いのは当然だったが、久しぶりに会う父にさえ、微笑みすら見せることをしなかった。ほとんど会話らしい会話も無く、無言のまま向ける視線で、ただ屋敷に寄り付かぬ父を責めていた。
 そんな義母相手では、父も家庭に安らぎなど求められようはずもなかっただろう。
 私とハルトは、学校の長期休暇の時にしか屋敷に帰ることなどなかったが、帰るたび日に日に冷え切ってゆく夫婦の空気は、まさに突き刺さるかの如く肌で感じられていた。
『あそこまでの溝が出来たら、もう埋められないよ。後はもう、どこまでも深く拡がってゆくだけだね』
 そう皮肉るハルトの言葉通り、次第に父の足は屋敷から遠のき、ハルトが卒業する頃には既に別居状態までになっていた。
 父は寄り付かず、子供も学校にいて不在、そんな寒々とした広い屋敷の中で一人きり残された義母が何を考えていたのかは知るべくもない。
 しかし、その心の拠り所を、義母はハルトただ一人に求めたのだ。
 彼女が笑顔を見せるのは、実子であるハルトにだけ。
 また、ハルトの人並み外れた優秀さは、彼にかけた母ゆえの期待を、さらに盛り立てるには充分すぎた。
 いつしか義母の目には、ハルトしか映らなくなっていた。
 ハルトだけに、尋常ならぬ執着をみせた。――それはある種、病的なまでに。


 それは、ハルトが卒業し、私が最上級生となった年の、初めて迎えた長期休暇の時のことだった。
 毎年の常で屋敷に帰宅していた私は、どうしても寝付けなくて、ハルトが起きていたら盤戯の相手にでもなってもらおうと、深夜一人で廊下を歩いていた。
 今や父に付いて学ぶハルトだが、相変わらず屋敷に帰らない父とは違い、『母さんが淋しがるから』と、毎日この屋敷から父のもとへと通っていた。
 角を曲がったところで、ふいに足が止まる。
 曲がった廊下の向こうにはハルトの部屋がある。自分の居る反対側から、同じ場所に向かっていると思しき白い人影を、そこに見つけた。
 それは義母だった。
 白い簡素な夜着に身を包んだだけの姿で、ふらふらとこちらへ向かって歩いてくる。廊下の端に居る私の姿など気付いてもいないかのように。
 そして、ハルトの部屋の前で足を止めると、迷いも無く扉を開き、部屋に入った。
 母親が息子の部屋を訪れることに、何ら不自然なことはない。――ただし、こんな時間でないならば。
 こんな夜も更けてから一体何の用事があるのかと、そう真っ先に訝しんだ。
 しかし、それ以上に、言いようのない恐ろしさが背筋を伝った。
 あの廊下を歩いてきた義母の足取りが、およそ常人のものに感じられなかったのだ。こちらの姿が見えていなかったことといい、夜着の上に何も羽織ってすらいなかったことといい、まるで夢遊病患者を目の当たりにしたかのような。
 あれは、明らかに普段の毅然とした義母ではなかった。
 その尋常ではない様子を思い出して、思わず不安にかられた。
 しばらくの間その場で立ち尽くし、何度も逡巡し躊躇った挙句、ようやく私もハルトの部屋まで忍び寄る。音を立てないよう細心の注意を払って、そっとその扉を押し開いた。
 無人の真っ暗な部屋の中、寝室に通じる扉が少しだけ開いていて、その向こうから微かな灯りが洩れているのが見える。
 その光に誘われるようにして、私は室内に足を踏み入れ、その扉の隙間へと近付いていった。
 近付くにつれ、扉の向こうの声が耳に届いてくる。
『――ハルト……ああ、ハルト、お願い、もっと……』
 隙間から覗いた、扉の向こうに繰り広げられていた光景に、私は思わず息を飲んだ。
 寝台の上、ハルトが義母と交わっていた―――。


 その後、自分がどうやって自室まで戻ったのかなど、全く憶えていない。
 気が付けば自分の部屋にいて、寝台の上で頭から毛布をかぶり蹲っていた。
 ただただ頭の中で、これは裏切りだと、呟き続ける。
 ――アレクに対する、そして父に対しても、これは酷い裏切りではないのか。
 そして、ただひたすらにおぞましかった。細かい震えが止まらないほどの悪寒を覚えた。吐き気すら催した。
 そうやって眠れぬまま朝を迎えて。
 初めて私は、自分が涙を流していたことに気が付いた。
 ああ一番裏切られたと思っているのは自分じゃないかと、その時ようやく、気が付いた。


『――どういうことだ……?』
 昨晩のあれを見ていたのだと、告げた途端。
 一瞬だけハルトは驚きに目を瞠り、そしてすぐ、諦めたような笑みを見せた。
 そして、私の問いには、あまりにも普段どおりの口調で『君が見た通りだよ』と答える。
 その姿は、もはや私に隠すことさえも諦めた、と言わんばかりだった。
『なんで、あんな……』
『母さんは、もう壊れてるから』
『なんだ、それ……』
『ああ見えて、実はとても弱い人だったんだね……父さんが居ないことに、あの人は、もう耐えられなくなってるんだよ』
 言ってハルトは、困ったような表情で微笑んだ。
『最初は、夢遊病のようなものだったんだと思う。起きてる時は押し込めていたものが、眠ったら押し込めきれなくなって出てしまったんだろうね。あのひとが帰ってこないの、どうしたらいいのハルト、って……そう泣き付いてきた。それが次第にエスカレートしてきて、だんだん父さんと僕を混同するようになって……とうとう、身体まで求められた』
『でも昨夜は、「ハルト」って、ちゃんと呼んで……』
『うん、そう……僕の名前を呼びながら、きっとあの人は、父さんに抱かれているんだよ。夢の中で』
『なんで……? なんでハルトは拒まないんだ! そんなの変だ、おかしいだろう!』
『レインの言う通りだね……僕だって変だと思う。おかしいことだと思ってるよ』
『だったら……!』
『でも、拒んだら母さんが壊れる。今度こそ、完膚なきまでに粉々にね。そうなったら、もう直せない』
 あまりにも静かに淡々とそれを語る、そのハルトの姿に、私は思わず言葉を飲み込んでしまった。
 変だ、おかしい。――それを言うのは簡単だ。
 しかし、ではどうすればいいのかと問われれば、返せる答えなど無い。
 良いか悪いかの判断も下せないまま、ハルトの受け入れるだけの行為を肯定する以外、道は無いように思われた。
『――アレクは……知ってるの、このこと?』
 ただひとつ、それだけは質さずにいられなかった。
 アレクの名前を出した途端、ふと瞳が陰ったように感じられた。
 しかし次の瞬間には、ハルトはにっこり微笑んで、こちらを真っ直ぐに見つめていた。
『言わないでいてくれると、ありがたいな』
 ――もとより言えるはずもない、こんなこと。
 黙って歯を食い縛った私に、『ごめんね、レイン』と、どこまでも柔らかく微笑んだハルトは言った。
『あんな人でも……それでも僕にとっては、ただ一人の母親なんだ』


 ――それは、どこまでも残酷な殺し文句だ。


 私には、産まれた時から実の母がいなかった。そして、義母にも疎まれていた。
 母親というものを、私は全く知らないのだ。
 だから、母を想う気持ちなど、私が理解できるはずもない。
 そう言われてしまったら、もう私は黙るしか出来ないではないか。


 溢れてきそうになる涙を隠すように、私はその場で踵を返した。
 あんなにも近くにいたハルトが……その時から、私の知らないどこか遠い場所へ行ってしまったような気がした。
 ただ、ひたすらに悲しかった。淋しかった。
 そして、そのことを知らないアレクを想った。
 寄り添う二人のことが、その幸せそうな姿が大好きであっただけに……私は、もうどうしたらいいのかわからなかった。
 裏切られたとしか、思えなかった。
 ハルトの言葉は、酷い裏切りとして、私の心に爪を立ててしまった。


 そして最期まで、分かり合うことは出来なかったのだ―――。


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