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Ⅱ章.バーディッツ伯爵領 ─レイノルド・サイラーク─
【1】_8
父とハルトの遺体が屋敷に無言の帰宅を果たし、私が寄宿学校で訃報を受け取った頃。
真っ先に二人と対面した義母は、ハルトの遺体に縋り付き泣き喚き、そしてばったりと倒れ伏したのだという。
意識が戻っても目は虚ろで、目は開いているのに眠っているかのような様子で、起き上がることさえ出来ない有様だったそうだ。
突然すぎる二人の死は、それほどまでの心労を義母に与えていた。
それで私が帰宅した後もずっと、自室の寝台で過ごしていた。ゆえに、葬儀に出席することもできなかったのだ。
ハルトとの関係を、そこに隠された父への密かな想いをも、知っていたがゆえにその深すぎる悲しみを慮り、私はあえて義母のもとに赴くことはしなかった。
いま私が顔を見せても、何ら義母の慰めにもならないことは明白だったから。
ならば、少しでも悲しみが落ち付くまでは、私は居ないと思わせておいたほうがいい。
――『ああ見えて、実はとても弱い人だったんだね……』
ハルトの言葉が、耳の奥に甦る。
ああ、本当に……あなたの母親は、自分の息子の葬儀にさえ出られない、弱い人だよ―――。
哀れだな、と棺桶の中に横たわるハルトの抜け殻に、私は無言で語りかけた。
でも、たった一人のおまえの母親だ。
おまえに代わって、これからは私が面倒をみると約束するよ。弟として当然の義務だからな。それだけが気がかりだったんじゃないのか?
だから、安心して天国で眠ってくれ。
どうか安らかに―――。
涙で滲んだ景色の中で、眠るハルトの口許が、ほんの少しだけ、微笑んだように感じられた。
そんなことなど、あるはずもないと分かってはいたが……それでも、ほんの少しだけハルトの想いを分かち合えたような気がして、ささやかな救いに感じられた。
滞りなく葬儀の全てが済み、ハルトと父の埋葬も済んだ頃には、私はひどく疲れ果てていた。
無性にアレクの顔が見たいと思った。
愛しい人を失くした悲しみを、アレクとだったら分かち合えると思った。
しかしアレクは今、士官学校の研修で王都から遠く離れた場所にいる。もちろん既にジークが訃報を送っていたけれど、そうすぐに戻ってこれるはずもない。
屋敷に戻った私は一人、誰とも分かち合えない悲しみを抱えたまま、疲れて鉛のように重い身体を長椅子の上に横たえた。もう寝台へ行く気力も無い。
『ハルト……アレク……』
ここに居ない人の名を口に出して呼んだ途端、たとえようもない淋しさに襲われた。既に涸れ果てたと思っていた涙が、また溢れ出てくる。
『なぜ私を置いて逝ってしまうんだ……』
涙と共に、これまで堪えていた悲しみまでもが、堰を切ったように溢れ出す。
長椅子に突っ伏して、私は一人で泣き続けた。
そして、どれくらいの時間が経ったのだろうか―――。
泣き疲れて長椅子の上で眠ってしまっていたようだった。
ふと目を開くと、周囲が薄暗い。窓の向こうに広がる日の暮れかかった黄昏時の闇に、部屋全体がすっぽりと覆われていた。
目を覚ましたのは、一種の予兆だったのではないかと思う。
身体を起こすと、視線の先に義母が立っていた。
思わずぎょっとして硬直する。
その義母の姿は、普段とは全く異なっていたのだ。一見してそれが義母だとは全くわからないくらいに。
ずっと寝ていたことが一目でわかるくらい、結ってもない髪はボサボサで、身体には薄い夜着を纏っているだけ。こちらを眺めるだけのぼんやりとした視線には、およそ正気らしき光が感じられなかった。
狂ってる。――自然に、そんな言葉が頭に浮かんだ。
『――はは…うえ……?』
おそるおそる、呼びかける。
途端、その表情がぱあっと花開くように輝いた。
私には絶対に見せるはずもない満面の笑みで、こちらを見つめる。
『――ああ、よかった……!』
そして、即座に私に抱き付いた。
驚きのあまり固まるしかできない私の身体に腕を回し、あらん限りの力で身体を寄せてくる。
『ここに居たのね、ハルト―――』
その瞬間、ぶわっと全身に鳥肌が走った。
『みんな酷いのよ、あなたが死んだなんて言うの。わざわざそっくりな亡骸まで用意して、酷い悪戯だわ』
――このひとは私が分からないのか……?
あんなに疎んでいた、この私を。なぜそうやって簡単にハルトの身代わりに出来るのか。
――都合の悪い現実に目を背けることが、母の愛だとでも云うのか……?
おぞましさのあまり言葉が出せない。唇が戦慄く。身体が震えて止められない。
『死んだなんて、どこまで性質の悪い冗談なの。あなたは、ずっと私の傍に居てくれるのよね。そうでしょう、ハルト?』
怖気づく身体から何とか力を振り絞って、その身体を乱暴に引き剥がした。
『ハルト……?』
『いい加減にしてください、母上!』
真正面から、こちらを見つめるその瞳を覗き込む。
『私が分からないのですか! 私はハルトじゃない、レイノルドです!』
『レイノルド……? いやねハルト、何を言っているの……?』
『ハルトは、もう居ない! 父上と一緒に死んだんです!』
『やだわ、あなたまでそんな……』
『目を覚ましてください、母上! ハルトは居ない! 父上も居ない! 二人とも死んでしまった! 残されたのは私たちだけなんです!』
『死んだ……? ハルトが……? あのひとも……?』
『そうです、早く正気に戻ってください! お願いですから……!』
ゆっくりと、義母の顔が歪んでゆくのを、目の当たりに私は見た。
ものを見ていなかった瞳が、徐々に私へと焦点を当てて、正常な光を取り戻してゆく。
『――レイノルド……?』
『そうです、わかりますか?』
途端、一瞬にしてその表情が一変した。――心の中に抱え込んでいた全ての憎しみを表に出したようなそれに。
『――なぜ、あなたが生きているの……?』
おもむろにその手が伸ばされ、私の喉元を掴み上げた。
そのまま両手に力が籠り、呼吸が出来なくなるほど締め上げられる。
『なぜ、ハルトが死んだのに、あなたが生きているの……?』
『は、はう、えっ……!』
『あなたが死ねばよかったのよ! ええ、そうよ死になさい! そしてハルトを返して! 私の愛するハルトを、今すぐに、返してちょうだいっ……!』
息の出来ない苦しさに堪え切れなくなって、思わず私は渾身の力で義母の身体を突き飛ばしていた。
だだんと大きな音を立てて、義母の身体が床に叩き付けられる。と同時に、ガシャンと何かが割れるような音が響き渡った。突き飛ばした衝撃に花瓶でも落ちたのかもしれない。
その音を聞き付けたか、誰かがこちらへと向かってくる足音が聞こえた。そして間もなく、音も荒く部屋の扉が開かれる。
姿を現したのはジークだった。
『レイノルド様、何か―――』
部屋の有様に驚いたのか、言いかけた言葉が途中で途切れる。
『これは、一体……』
立ち竦んだジークと長椅子に座る私の間で、倒れ伏していた義母が、ゆっくりと身体を起こした。
そして、前触れもなく突然、けたたましく笑い出したのだ。
その笑い声はもはや、常人のものでは有り得なかった。
――『拒んだら母さんが壊れる。今度こそ、完膚なきまでに粉々にね。そうなったら、もう直せない』
義母の笑い声を聞きながら、耳の奥でハルトの言葉がこだまする。
いま初めて、ハルトの気持ちが理解できた。まさしくこのような事態となることを、ハルトは恐れていたのに違いない。
どこまでも優しすぎるハルトは、だから母の手を拒めなかったのだ。受け入れるしかできなかったのだ。
それを私は、拒絶してしまった―――。
ハルトの予言した通り、この時から義母は壊れたまま、もう決して元に戻ることはなかった。
もはや私のとるべき道は一つしか残されていなかった。
サイラーク家を継ぐこと。
そうすることで、正気を失った哀れな義母を養っていかなければならない―――。
『――おまえは、それでいいのかレイン……?』
葬儀の翌日、ようやく駆け付けてきたアレクが、それを訊いた。
短く『ああ』と応えて、一つ頷く。
『もうこの家には私しか居ないのだから仕方ない。私が継げば、家は守れる。もう王宮へその旨を奏上する書状を出した』
『そうか……』
『学校にも……もう、戻れないな……』
気がかりなのはシャルハのことだ。あまりにも突然で、何の挨拶もなく去ってきてしまったから。
――彼はこれを、それこそ私の裏切りだと、思うだろうか……。
彼の誘いに応えることもなく、気持ちを受け取ることもなく、ただ黙って消えてしまった私を恨むだろうか。
『それでも、こうするしか他になかったんだ―――』
呟くように言った私を、アレクは黙って抱き寄せてくれた。
だから思う存分、その胸を借りて、私は泣いた。
きっと、アレクも泣いていたはずだ。見えなくても、それが分かった。
かけがえのないものを失ってしまった大きすぎる喪失感に押し潰されてしまわないよう、私たちは二人、この時はただ身を寄せ合うしか出来なかった。
幸せだった日々は、こうして突然の終焉を迎えた。
そのとき私は、ようやく十八歳になったばかりだった―――。
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