涯(はて)の楽園

栗木 妙

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Ⅱ章.バーディッツ伯爵領 ─レイノルド・サイラーク─

【2】_13

 
 




「レイノルド・サイラーク。――君に、カンザリア要塞島総督の任を命ずる」


 屋敷に引き籠る私を、わざわざ王宮まで呼び出して何を言うかと思えば……ただの左遷命令だった。
 カンザリア要塞島。――その名は、武官でない私でさえ知っている。
 おそらくは、この国の誰もが知っているだろう。
 それは、大陸最南端の国境の要衝。島そのものが丸ごと一大軍事拠点として設えられた、最大級の規模を誇る要塞。
 対ユリサナの防衛拠点の最前線として、古くから難攻不落の名を恣にしてきた。
 しかし、我が国とユリサナとの間に国家間同盟が結ばれた現在、形ばかりの要塞となって過去の栄光を伝えているのみ。
 付いた呼び名が、『軍人の墓場』。
 戦乱の無い前線施設は、今や体のいい左遷先として使われていた。
 カンザリア要塞島総督の役職は特に、高官に用意された体の良い左遷先の代名詞だった。


 そんなもの、書面で伝えてくれば済むことなのに。
 その顔に貼り付けた笑顔を見れば、そうまでして傷心の私を甚振りたかったのだと、すぐにわかる。
 わざわざ王宮へ呼び出して、しかし公的な謁見の間ではなく、よりにもよって私室に通して、満面の笑みで馴れ馴れしく、それを告げる。
 ――性懲りも無く……まだ私に恋愛ごっこを仕掛けるつもりなのか?
 呆れて物が言えない表情は押し隠し、「行ってくれるだろう?」と続けられた言葉に対しては、私は曖昧な笑みだけを浮かべてみせる。
 そうして充分にタメを置いてから、おもむろにゆっくりと口を開いた。
「陛下の御命令ならば、喜んで」
「君なら、そう言ってくれると思っていたよ」
 いつか交わしたことのあるやりとり。
 ――だから、きっとこれにも裏がある。
 そこで、新王陛下がスッと片手を上げて合図を送る。と同時に、側に控えていた陛下の側近や侍従たち、全てが扉の向こうへと消えた。――どうやら人払いの合図だったらしい。
 その場に残ったのは、陛下と私、そしてアレクの三人のみだった。
 使者の役目を終えたアレクを、この場に留めたのは私である。私が『彼を側に付けておいてくれないなら帰る』とゴリ押しし、自分の側に付いていて貰ったのだ。――勿論、陛下は良い顔はしていなかったが、知ったことじゃない。
 三人きりになって、ようやく陛下が、「久しぶりだね、レイノルド」と言いながら、私の傍らまで歩み寄ってきた。
「君のことを考えない日は無かったよ」
 その手が、私の頬に伸ばされる。
「少し痩せたか? ――無理もない、お互い大切な人を亡くしたのだからな」
 ――そういうアナタは少しお太りになったんじゃないですか? お肌ツヤっツヤですよね!
 とは、あえて言わないでおく。
 その代わりに、黙って瞳を伏せてみせた。触れる掌に、頬をすり寄せるようにして。
「わたくしは、陛下を失望させてしまったことを、ずっと気に病んでおりました―――」


 そう……まだ新王陛下が王太子だった頃の、中庭での一件。
 アレクが私の護衛に付いたという噂に隠れてしまっていたが、このことも充分に、人の口から口へと伝わっていたらしい。
 この一件により、私と陛下の関係に徹底的な亀裂が入ったのを、聞いた誰もが知ったのだ。
『さようならサイラーク宰相、私が王位を引き継ぐまでの間、良い夢を見ているがいい』
 陛下の告げたこの言葉が、決定的だった。
 衆目の前で、宣言されたにも等しい。――自分が王となった暁には、サイラーク、おまえなぞクビだ、と。
 御代替わりに伴って失脚することがわかっている宰相になど、誰が媚を売っておこうと思うだろうか。
 それでも、まだ四十五歳という若さで頑健だった前王陛下がいたからこそ、アレクとの噂に紛れてしまえる程度だったのだ。誰も、こんなにもすぐ御代替わりが訪れることなど、考えてもいなかった。
 そして実際に移り変わった新王の御代で、私を気に掛ける者など居なくなった。
 だからこそ、私は誰からも忘れ去られてひっそりと消えてゆける、と思ったのだ。
 ああやって新王自身で、私を切り捨てたはずなのに―――。


「あの時の私の言葉を、ずっと気にしていたのか?」
 頬に触れる手がスッと肌を滑り、顎を軽く掴むような仕草で、私の視線を上に向ける。
「すまなかった。酷い言葉を言ってしまったと思っているよ。私も動揺していたんだ。君を信じていたから、余計にね」
「わたくしは……陛下の信用を裏切る真似は、決してしていないと誓えます」
「そうだろうとも。本当にすまなかった。君を傷付けた私を、どうか許してくれないだろうか」
「許すだなんて……そう仰っていただけただけで充分です」
「君は優しいねレイノルド。君はまだ、私を愛してくれているだろうか」
「ずっとお慕いしております、陛下」
「私も愛しているよ、レイノルド」
 ――なんて滑稽な。
 こんなにも言葉だけが勝手に上滑りしていくのに、なぜ何も気付かないんだろう。
「嬉しゅうございます……やっと、報われた想いがいたします」
 可笑しくて涙が止まらない。
 なんで涙が、こんなにも満面の笑顔に似合うのだろう。
「ああ、泣かないでおくれレイノルド」
 そして簡単に騙される。――本当にチョロイな。
 感極まったように見せるためか、慌てたような仕草で陛下が私の身体を抱き寄せる。
 もちろん私も、仕方なくその背中に腕を回した。
「本当は、君をずっと私の側に置いておきたい」
 ――嘘を吐け。とっとと目の届かないところにでも放り出したいくせに。
「だが、信頼している君にしか頼めないことがある」
 ――取ってつけたような口実だな。
「だから君自身に、カンザリアへ行って欲しいんだよ」
 ――そうまでして私に、今さら何を望む?
 ゆっくりと、新王陛下が私から身体を離した。
 すぐ近い位置から、まさに見据えるように陛下が私の視線を捕らえる。
 そうしてから、重々しく口を開いた。


「レイノルド、君は……私が父を殺したと思っているか……?」


 ――『せっかく忠告してあげたのに……』


 耳の奥、目の前に立つこの男から言われた言葉が、禍々しく甦る。
 前王陛下が亡くなった、あの日。
 擦れ違い様、誰に気付かれることもなく私にしか聞こえない声で、
 それを、この男から囁かれた。
 目の前に立つ、かつては王太子だった、この新王に―――。


『せっかく忠告してあげたのに……毒見はしなかったのか?』


 王宮の御典医により、前陛下の死因は心臓発作ではないかとの見解が伝えられた。
 部屋の状況等にも不審な点は無く、暗殺などによるものではない、あくまでも自然死と断定された。
 しかし、私は確信していた。
 王太子が私だけに告げた、あの言葉で。
 そして、去りながらに見せつけた、口角の上がった口許、そこに溢れた残虐な悦楽に満ち満ちた横顔で。


 ――この男が、陛下を殺した……!


 やはり、あの誕生祝いに贈られた酒に毒が入っていたのだ。
 きっと私は、直前に襲われた際、眠り薬と共に毒の中和薬でも一緒に飲まされていたのだろう。
 ああやって襲わせ薬を飲ませたことで、私に毒殺を示唆し、毒見をさせ、何も無いことを確認させたうえで、確実に陛下に毒入りの酒を飲ませるように仕向けたのだろう。
 死因なぞ、御典医を抱き込んでおけば、どうとでも捏造できる。
 自然死という見解が下されれば、誰も残った酒など調べない。念を入れるならば、部屋付きの下っ端の一人でも抱き込んで後始末をさせておけばいいことだ。
 だから、誰も他殺を疑わない。王太子を疑わない。
 気付いているのは私だけ―――。


「――いいえ、陛下」
 そして私は嘘を吐く。こちらを見据える視線を、正面から真っ直ぐに受け止めて。
「前陛下の死には、御典医が自然死という判断を下しています。そうである以上、陛下が殺したなどということは、ありえません」
 言って、唐突に私は膝を折った。
 跪き、新王へと礼を取る。
「申し訳ありません。最初は、畏れ多くも陛下の下されたお言葉で、それを疑ってしまいました。しかし今では、そんな己を恥じております」
 落とした頭を、ゆっくりと持ち上げる。
「陛下は……ああ仰ることで、わたくしの忠誠を、お試しになられたのですね……?」
 告げた途端、こちらを見下ろすその表情に、満足げな色が広がる。
 その笑みには、まさに獲物を手中にした喜びが、感じられた。
 ――どうやら私の読みも、間違ってはいなかったらしい。
「少しでも陛下を疑ってしまったわたくしを、どうかお許しください」
 縋るような視線で、言い募る。
「わたくしの忠誠は陛下のために。――わたくしを愛してくださる陛下のためだけに、捧げたく存じます」
「ああ、本当に……君は賢いね、レイノルド」
 わざわざ跪くと、言いながら新王陛下が私の髪を撫でる。
「やはり私の願いを叶えてくれるのは、君でしかありえない」
 おもむろに口付けられる。
 ひとしきり口内を嬲られるのを、適当に応えながら、ただ私は黙って堪えた。
 背後から見ているだけのアレクも、きっと腹立たしい想いを堪えてくれていることだろう。それでも何も言わないのは、予め私から言い含めていたからだ。『何があっても絶対に、口も手も挟むなよ』と。
 そもそも、この場でアレクを自分の側にと望んだのは、また身体を求められるのを避けたかったからだ。
 私は、もうこの男に自分の身体を開いてやるつもりなぞ無かった。
 たとえ強硬手段に及ばれるようなことがあっても、アレクが近くに居てくれさえしたら、彼が助けてくれる。
 さぞかし新王陛下からしてみたら面白くなかったに違いない。ようやく、私を好きに甚振れる絶好の機会が巡ってきた、というところだったろうに。
 更に、私がこの場に同席させるほど彼においた全幅の信頼も、陛下の意に染まぬところであったようだ。
 だから、この口付けも、アレクに対する一種の意趣返しのようなもの、でもあったらしい。
 後になってから、呆れたようにアレクが教えてくれた。――ああしながら『ずっとこちらに見せつけていた』、と。
 ――本当に、やることが、どこまでも器の小さいことだ。
 身体ごと差し出さなくて済むのなら、たかが口付けくらい、幾らでも我慢してやろう。
 そう考えて甘んじて口付けを受ける私の姿は、この男の目には、一体どのように映っているのだろう。
 どう思われようが一向に構わないが、それでも与し易しと考えてくれたなら、これ幸いというもの。
「――陛下」
 唇の離れた隙に、私は無理矢理その言葉を差し挟んだ。
「わたくしは、これまで前陛下にお仕えすることで、この国の行く末を想い、宰相としての職務を果たすべく必死に努めてまいりました」
「ああ、君の働きは存分にわかっているよ」
「それも全て、次代の国の――あなた様が引き継ぐべき、この国のためにこそです。そのために、人材の育成にも心を砕いてまいりました。特に、わたくしの補佐であった秘書官たちは皆、有能な者ばかりでございます。お側に仕えることの叶わぬわたくしの代わりに、是非とも新たな宰相のために使わせてあげてくださいませ。きっとお役に立てることと存じます」
 心配だった、かつての部下たちの処遇。私付きだった所為で、あのように有能な者たちが閑職に追いやられていたら忍びないと、隠棲生活の中でも、それだけは気がかりであったのだ。放っておいても勝手に出世できるだろうアレクとは違って、彼らは何の後ろ盾も持たない平民出身者ばかりなのだから。
 こう言っておくことで、彼らの職が奪われることを防げるならいいが……今の私には、これ以上のことは出来そうもない。
 その胸の上に、しなだれかかるように凭れながら、再度の口付けから逃れるべく視線を外した。
「わたくしの全ては、新たな王と新たな国のためにこそ、役立てていただきたいのです―――」
 だからお聞かせください、と、そのままの姿勢から、呟くように私は続けた。


「陛下は……カンザリアで何をせよと、わたくしに御望みでいらっしゃるのでしょうか……?」



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