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Ⅱ章.バーディッツ伯爵領 ─レイノルド・サイラーク─
【3】_3
絵を描くことに没頭している時だけは、私は全てを忘れていられた。
だから、人前で自分の描く姿を見せないようにしている。
トゥーリには『気が散るから』という言い訳をしていたが、本当はそうじゃない。
描くことに没頭するあまり、話しかけられたことに気が回らなくなるからだ。
昔、よくこれで失敗した。聞いてもいないのに生返事を返しては相手を誤解させてしまったり、逆に、要らないことまで言い過ぎてしまったり。
それが原因で話がこじれ厄介事となってしまうたびに、ハルトには苦笑され、アレクには『少しくらい危機感を持て』と呆れられながら、幾度となく二人に収めて貰ってきた。
そこで、誰にも話しかけられることの無いよう、人前で絵を描くことを避けるようになったのだ。
隠れて一人で絵を描いていたところを見つけられ、図らずも逃げ場まで失ったうえで二人きりになってしまって、よほど私は動揺していたらしい。
彼の顔をまともに見られなくて、ただ描くことに没頭しようとした。
昨晩のことを言及されるのが怖くて、彼をモデルにさせてまで話をすること自体を避けようとした。
――しかし本音を言えば、ずっと描きたいという想いがあったのだ。その均整のとれた美しい身体を。
いつか描いてみたいと思い続けてきながら、それを言い出せずにいた。
その望みをせめて叶えたいと、動揺している心が咄嗟に求めてしまったのだろうか。
嬉しくて、浮かれて、厄介事を招き易い自分の癖などすっかり忘れて、すぐに描くことだけに没頭してしまって。
案の定、話しかけられるまま、つい本音で喋りすぎてしまった。
『その身体に、ずっと触れてみたいとも思っていた―――』
そこまで言葉に出してしまってから、ハッと気付いて誤魔化そうとしたが、もはや無駄だった。
それでも往生際悪く何だかんだと逃げ続けてはみたけれど。
結局、彼の腕に捕らわれた。
彼の目の前で、何も取り繕うことも出来ないままの、情けない自分の全てをさらけ出してしまった。
なのに、あまりにも性急に私を求めてきた彼の熱さに、ずっと考えていたあれやこれやが全て誤解だったのかとわかって安堵した。
それは紛れもなく、私が初めて知る歓びだった。
熱を帯びて私に触れるトゥーリは、少し意地悪ではあったけれど、とても優しかった。
こっちは、こんなにも色々なことに余裕がないというのに……どこか余裕を見せているうえに、どことなく慣れている風なところまでもうかがえて、それが少しだけ癪に障ったけれど。
すぐに私は、そんな彼の手によって、何を考えることも出来なくされてしまった。
息を整える暇さえ与えられず何度も繰り返しもたらされる愛撫に、あられもない声を上げて、無意識に身体をよじって応えてしまう。
思考の飛んだ頭のどこかで恥ずかしいとは思いながらも、それでも止められなかった。
私の全身が、ただ彼を欲していた。
喘ぐ声で、ひくつく身体で、もっと欲しい、もっと頂戴、と、恥ずかしげもなくねだっているのが、自分でもわかった。
マルナラでのシャルハとのそれを最後に、以来ずっと男を受け入れることのなかったそこが、久しぶりの圧迫に少しだけ苦しさを訴えてはきたけれど。
そんなことも気にかけていられないくらい、早く一つになりたかった。彼の全てを与えて欲しかった。
なるべく私に痛い想いをさせないように、傷付けたりもしないようにと、彼が気を遣ってくれていることもわかってはいたけれど、その優しさすらもどかしくて仕方なかった。
そこにもたらされる快感を、早く味わわせて欲しくて、どうしようもなくて……!
『――早くっ……!』
こんなにも切羽詰まって自分からねだってしまったのなんて、初めてだった。
すかさず一気に奥深くまで貫かれて、身体と心が同時に悲鳴をあげる。――少しの苦しさと痛みと……そして、たとえようもない官能の疼きに。
やがて引き上げられた絶頂は、当然のことながら、これまでに感じたことのないものだった。
同じようなことは今まで何度となくされてきて、次第に慣れてもきて、たとえ望んだ行為ではなくても、すればそれなりに気持ちよくなれることはわかっていた。頭と下半身は別モノ、とはよく云ったものだ。その時ばかりは嫌悪の感情など一旦よそに置いておいて、それなりに気持ちがいい行為として受け入れれば、ちゃんとモノは勃つし、射精だって出来る。
しかし、トゥーリとのそれは、今までとは全く違っていた。
気持ちいい、なんてひとことだけでは片付けられない、まさに感情の奔流にでも押し流されてしまうかのような。ただ、溺れてしまえ、とばかりに押し寄せるそれには、決して抗うことなど出来やしない。
恍惚、とは、まさにこういうことを云うのではないだろうか。
はっきりしない意識の中、何も考えることなど出来ないままに、ただ大きすぎる余韻に身体を隅々まで支配されて、しばらくは動くことさえ儘ならなかった。
――どうしよう、もっと欲しい……もっと、この感覚を味わってみたい。
初めてなのに、早々と中毒にすらなりそうだった。
想い合って身体を繋げるということが、その歓びが、こんなにも麻薬のように私を侵してしまうものだとは知らなかった。
『俺は、総督のことが好きです。あなたなしでは、もう生きていけない。――愛してます、心から』
ようやく彼の口から聞くことが出来た、その告白にも舞い上がり、求められるままに何度も身体を繋ぎ、自分からも彼を求めた。一晩中、互いが互いを求め合い、飽きることなく身体を交わし続けた。
――まさか、自分が立てなくなるまでとは思わなかったけれど。
それだけ私が彼に溺れ切っていたという証明、でもあるのだろう。
ぶつけられる激しさに悲鳴を上げている身体のことになんて気にもかけず、つい我を忘れてしまった。
ただ彼に求められることが嬉しくて、自分もただ彼が欲しい一心で、終いには気を失うまで、彼を受け入れては飽くなき快感を貪欲なまでに貪り続けた。
それでも足りないくらいだと思っていたのに……なのに、こんなにも心は満たされている、それだけが不思議で、恥ずかしいくらいにくすぐったい気持ちで一杯だった。
そんな初めて尽くしの夜に舞い上がっていた気持ちも、時間が経って頭も冷えてくれば、少しずつ醒めてもくる。
己の曝した醜態を思い返すだに、のたうち回るほどの恥ずかしさに襲われて居た堪れなくなった。トゥーリを前にしたら、どきどきと動悸が激しくなって、気持ちまで落ち付かなくなり、うろたえるしか出来なくて、その顔を真正面から見つめるだけのことさえ苦しい。
私がそんな風では、ただでさえ恥ずべき噂になってしまっているというのに、また良からぬ噂で恥の上塗りをされてしまう。――他人の噂に何だかんだ左右される生活なぞ、もう二度と御免こうむりたい。
ならば、普段以上に毅然としていなくては! と、こちらが無理矢理のように己を律しているというのに。
対するトゥーリが、常にヤル気全開で私に迫ってくるものだから、もうたまったものじゃなかった。
ただでさえ、私の薄っぺらい化けの皮なんて、吹けば飛ぶくらいのものでしかないのに。触れようとする彼の手を一度でも許してしまったら、そのまま最後まで流されてしまうのが目に見えている。
だから、盤戯の勝負にかこつけてまで、その手を拒み続けていたというのに……しかし結局、彼が欲しいという自身の欲求には、私ごとき意志の弱さでは到底、最後まで逆らい続けることなど出来なかった。
翌日は休みだから、なんていう理由をこじつけて、酒の勢いまで借りて再び彼に抱かれてしまえば、もう後は流されるままだった。
普段の日常の中で隙あらばとばかりに触れてくる彼の手を、口付けてくる唇を、頑として押し止めることさえも、もはや出来なくなっていた。
初めての時のような激情は無くても、穏やかに彼に愛されながら流れゆく日々は、本当に、とても幸せで、それ以外には言い様がなくて……。
そうやって緩やかに流れる二人だけの時間は、ひとときの間ではあったけれど、全てを忘れさせてくれた。
自分が抱えている秘密、その望み、――これから起こるだろう嵐を。
『あんなに男嫌いを公言して憚らない総督が、それでも許しちゃう相手、だったんだなーとか考えたら……やっぱ幾ら過去でも、ちょっと妬けるなー……』
初めて身体を繋げた時。
私が男を受け入れたのは初めてでないと、見抜いた彼の、言ったその言葉に。
咄嗟に私は、『知りたいか?』と尋ねていた。
『聞いたところで、決して愉快な話でもないと思うが……おまえが知りたいのなら、話してもいい』
彼になら――私が信頼する彼であるなら、話してもいいかと、その時は思ったのだ。聞いてもらった上で、私にはおまえだけなのだと、それをわかってくれたらいいと思った。
だが結局は、こちらの気持ちを慮ってくれたのだろう、『今はいいです。総督が話したくなった時にでも聞かせてください』と言ってくれた彼の優しさに甘えて、話すことはしなかった。
しかし……こうやって幸せな日々を過ごしているうちに、もう話せる自信などなくなっていた。
彼のことは信頼している。それは変わらない。
そして、彼だけをこのうえもなく愛していることにも、何ら変わりはない。
だからこそ……怖くなってしまったのだ。
彼に出会うまでの私がしてきたこと、胸に秘めた望み、それを彼が知ったらどう思うだろうか、と……考えてしまったら、それを知られることが怖くなった。
知られて、それを軽蔑されて、私の傍から彼が居なくなってしまったら、と思うと……それからの日々を一人で生きていける自信さえなかった。
ただひたすらに怖い。私の隠している秘密を知られることが。彼を失ってしまうことが。
――何も言わなければ……ただ今の私だけを、トゥーリは愛していてくれる。
ゆえに私は、そこに逃げ込んでしまったのだ。
定期的にもたらされる情報から、もう嵐の訪れが近いことを覚っていたから。
束の間の幸せを、自ら壊すことなどはしたくなかった。
トゥーリが愛してくれている、それさえあれば自分は何でも乗り越えられるはずだから、と。
そんな根拠のない自信で、自身の小心さに蓋をした。
だけど結局は、色々な不安に堪え切れなくなって、彼の手を自分から放してしまったのだけれど―――。
なあトゥーリ、――と。
記憶の中の面影へと語りかける。
――あのとき……私がどんなに嬉しかったか、おまえにはわかるか?
アレクに連れられて、彼が私の屋敷まで会いにきてくれた時。
自身の小心さゆえに彼を手放してしまった、そんな私の身勝手さを許してくれた、その言葉。
『総督を軽蔑しようが何をしようが、それでも俺は、あなたを愛することはやめられないと思う。たとえ袂を分かつようなことになったとしても、それでも俺は、あなたを理解したいと願うことをやめないと思う』
その言葉で、私の中に重く凝り固まっていた恐怖が、途端にスッと軽くなってくれたような気がしたのだ。
何があっても自分はあなたを想っているから、安心して。――そう言ってもらえたような気がした。
トゥーリになら、私の汚れた部分の全てを開いてみせても大丈夫かもしれないと思えて、自然に心が軽くなった。
なぜ私は、たかがこんなことを、そんなにも怖がっていたのだろう、と、自分が愚かにさえ思えた。
――なんて単純な。
あんなにも悩んで考えて苦しんでいたのが嘘のように、気持ちが晴れやかになっている。
ただトゥーリが、それを言ってくれただけのことで。
なんで、こんなにも自分に自信がなかったんだろうか。
こんなにも私は、彼に愛されていたのに。
こんなにも私は、揺るぎなく彼を愛しているのに。
それがわかったから、だから私も、笑顔でそれを返せたのだ。
『トゥーリになら、もう何も隠さずに言えると思う。もう怖がらない』
――だから、トゥーリ。おまえも安心していいんだぞ。
夢の中、彼の面影へ向かって、それを囁く。
私は、何があっても、おまえのことを想っているから――愛しているから。
だから、かつての私のように、失うことを怖がらなくていい。
いつでも私のところに帰ってきてくれ。
いつまでも待っているから―――。
きっと“終わり”は、もう間もなく訪れる。
そこに彼を巻き込んでしまったことを、少しだけ後悔したこともあったけれど。
もう振り返ることはしない。――後戻りの出来ないところまで、もう来てしまっているのだから。
私は、ただ祈るだけだ。
どうか彼が無事でありますように、と。
私の望みが叶っても……トゥーリがいてくれなければ、私はもう、生きていけないから―――。
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