涯(はて)の楽園

栗木 妙

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Ⅱ章.バーディッツ伯爵領 ─レイノルド・サイラーク─

【3】_4

 
 




 季節は移り、バーディッツにも春が訪れた。
 昼の日差しが緩やかに温もりを増していく毎に、人々の営みも徐々に忙しなく賑わいを増してゆく。
 眠っていた畑に種が蒔かれ、それが芽吹き、やがて地面が緑に覆われてゆく。
 目に映る場所すべてが作物の緑で彩られ、そろそろ初夏を迎えようかという時季に差し掛かってきた頃に、その報せはもたらされた。


 カンザリア要塞島、陥落―――。


 それを私は、自分の屋敷の執務室で受け取った。
「とうとう落ちたか……」
 それを聞いたところで、思いのほか何の感情も湧いてこなかった。
 ただ、当たり前だ、とだけ思う。
 現在の我が国の軍事力では、到底ユリサナには及ばない。
 そして、北側の前線も活発化していた昨今、南方だけに兵力を集中できなかったことも、その一因となったことだろう。
 時間をかければかけただけ、こちらの不利となることは、最初から目に見えていたことだった。
 ――それを正確に把握している者が、果たして王宮に、どれほど居ることだろうな。
 正しく状況を把握し、更には、的確な指示を出せる者など……私の知る限り、前王陛下しか居なかった。
 あの御方を喪った時点で、この国は、既に滅びへと向かい歩み始めていたのだ。


 今や、戦乱の影響が、国中あちこちに飛び火し始めている。
 前線近くでは徴兵令までが施行されており、村々から男手が消え、それがじわじわと該当地域を拡大していた。
 軍備増強のための費用は、民より納められる税により賄われようとされており、突然もたらされた増税命令が人々を苦しめ、国に対する不満を募らせていた。
 前線から遠く離れたここバーディッツには、兵糧とすべき穀物の供出命令が届いている。
 この地方にも増税の命が下るのは、もはや時間の問題だった。


「――陛下……あなたは取るべき道を誤りましたね……」
 誰もいない部屋の中、窓の向こうへと、それを呟く。
 前王陛下であれば、こんな事態となる前に、ユリサナへ降伏なり和睦の申し入れなり、していただろうはずなのに。
「陛下あなたは、自身の治めるべき国が、揺るぎなく盤石であるとでも、思っていたのですか……?」
 我が国が強国として名を馳せていられたのは、前王陛下の手腕があればこそ。
 そもそも前王陛下が御存命ならば、たとえどんな事情があったとしても、ユリサナも決して我が国との同盟を放棄する手段に及ぶことは無かっただろう。
「それも判らぬ愚王と、その国に、もはや未来など無い」


『――カンザリアで、ユリサナの動向を探って欲しいのだ』


 私を総督にと任命した口で、新王は命じた。
『先年、ユリサナで御代替わりが為されたことは、君も知っているだろう? 新しく帝位に就いたのは、前帝の末子である御方だが、お会いしたことはあるか?』
『一度だけ……かつてユリサナ大使として我が国にお住まいでいらっしゃった際、前陛下よりお引き合わせいただいたことがあります』
 ハサル皇子殿下――シャルハの父上である御方だった。
 シャルハに良く似た、意志の強そうな瞳を持つ御方であったことを覚えている。
『では当時、彼が皇太子ではなかったことも、知っているだろう?』
『存じております』
 王の言う通り、ユリサナも基本的には長子相続、末子であるハサル殿下は皇太子では有り得なかった。
『それが何故、新帝として即位されたか、その経緯は知っているか?』
『いいえ、残念ながら』
 まがりなりにも宰相の地位にあった私であれば、公的にユリサナから我が国にもたらされた文書ならば知っている。
 そこに書かれていたのは、端的に言うと、『現帝が病を患い引退することになったからハサル皇子に帝位を譲った』といった内容だった。
 なぜ新帝の座を譲られたのが皇太子ではなく末子の皇子だったのか、その理由までは書かれていなかった。
 だから、ハサル殿下が即位に至った経緯までは知らなかった。
 ――とはいえ、おそらくこういうことなのだろうな、という予想なら私の中にもあったが。
 それをこの場で語る必要はない、と判断して口を噤んだ私に、まさにからかうというに相応しい口調でもって、王が続ける。
『親しい仲のシャルハ殿も、それを君に教えてはくれなかったのか?』
『彼は、自分の国に関わることなど、あまり多くを語ってくれませんので』
『それもそうだろう』
 王の表情に満足げな笑みが浮かぶ。
『さすがに、自分の父がクーデターを起こして王位を簒奪したなどと、口が裂けても言えるはずがない』
『――なんですって……?』
 思わず耳を疑った。――この男、いま何と言った……?
 驚きに目を瞠った私の表情が、まさに期待通りだったのだろう、どこまでも楽しそうに王が言葉を継いでゆく。
『ハサル殿下は生粋の軍人だったからね。それゆえに、平和を望む前帝に遠ざけられ、我が国に大使として送られたのだと聞くよ。その積年の恨みも、帝位簒奪の充分な理由となっただろうね。とにかくハサル殿下は、軍部縮小を企てる穏健派の前帝に不満を持ち、軍事大国としてユリサナを作り変えるべく、自ら新帝として立った。そういうことだよ』
 開いた口が塞がらない。決して驚きなんかではない理由で。
 ――なにを言っているんだ、この馬鹿陛下は……。
 呆れて物が言えないとは、まさにこのこと。
 ――そんな馬鹿げたことを、あのハサル殿下が、なされるはずもないだろうに。


 確かに、ハサル殿下が生粋の軍人であることに間違いはない。シャルハは父上のことを、『国一番の戦士』だと、よく自慢していたものだ。
 軍人でありながら、しかし、あの御方以上にユリサナという国と民を想う者など、他にいないのではなかろうか。
 宰相として殿下と相対し、語らい、その高潔な志が私にまで伝わってくるかのようだった。
 今のユリサナは腐っているんだ――と、かつて私にそう語ったのはシャルハだ。
 一つの大陸全土を制覇したユリサナ帝国は、唯一の敵対国であった我が国とも同盟を結び、長きにわたる平和を貪っていた。
 それゆえに、次第に皇帝は、国政を臣下に任せることが当然となり、政治に一切関わることのない、もはや帝権の象徴となり下がっていた。――それが、ユリサナ皇帝が“穏健派”などと称される所以である。
 特に、ハサル殿下の父、シャルハの祖父でもある前皇帝は、遊興に耽り奢侈に溺れること甚だしく、潤沢な国庫を私しては散財の限りを尽くしているような御方だった。
 当然ながら、いくら潤沢でも、ものには限りというものがある。
 その皺寄せは、もちろん増税という形で、国民へと振りかかることとなった。
 ただでさえ重い税に苦しみ、折しもの天候不良で作物も実らず、多くの地域で民が飢饉に見舞われている、という国内の現状。
 しかし皇帝は、それを見ようともしないばかりか、相変わらずの浪費を続けているだけだったという。
 ――前陛下が宰相の私をハサル殿下に引き合わせたのは、そんなユリサナへの食糧援助について相談をするためだった。
『今の皇太子なぞを帝位に就けたところで、また皇帝と同じことをするだけだ。根本こんぽんからユリサナを変えるためには、父が帝位に就く以外、道は無い』
 自分はその手伝いをしたいのだと、シャルハは学生時代から、よくそんな熱い想いを私に語っていたものだ。
 彼から語られるユリサナの現状、ハサル殿下より伝わる国と民へ向けられる愛、それに応える前陛下の友誼と温情。――それらを知る私であれば、何を信じるべきかは、もはやはっきりしているではないか。
 今ここで王からもたらされた言葉は、全くのデタラメだ。
 もし本当にクーデターによる帝位簒奪が行われたのだとしても、ハサル殿下が断腸の想いでもって為された決断だったのだろうと、また、それを望む声が大きかったからこそ成功なし得たに違いないと、そんなもの容易に想像がつくではないか。
 いかに他国の情勢まで臣下に伝わらないからといって……そんなことを方々で吹いているのなら、情報操作も甚だしい。


『この国の王として、私は心配でならないのだよ。レイノルド』
 無言のまま目を瞠る私の姿を、一体どのように捉えたのだろう、そこで王が馴れ馴れしく私の肩に腕を回す。
『今のままでは、ハサル新帝によって、我が国との同盟まで破棄されることとなるのではないか、と……』
 胸元へ引き寄せられながら、そんな心配は不要だと、私の眉が軽く寄る。
 だが、あえてそれを言葉に出すことは避けた。
 その言葉に、私をカンザリアに送り込む意図の一端が、見えたような気がしたから。
『今は、御代が移ったばかりで他国にまで目が向いていないだろう。しかし、時間の問題かもしれない。前帝が縮小した軍部も、いま着々と増強が進められていると聞く』
 もともと前帝だって、国のこと一切に興味が無かったのだ、軍部縮小なんざ手すら付けてもいなかったろうに……どこまでホラを吹けば気が済むのか。
 とはいえ、縮小はされずとも、弱体化はしていたかもしれない。しかし今や、あのハサル殿下が新帝となっているのだ、ユリサナの侮りがたい軍事力は昔と何ら変わってはいないはずだ。あの御方なら、それ以上の軍備を望むはずがない。軍が強大になればなるほど、国民の負担が増えてしまうのだから。
『その時のために、我々も備えはしておかなければならない。まずは、情報が必要だと思わないかい?』
『――それを私にやれ、と……?』
『いずれ破棄されるだろうものとはいえ、現状まだ国家間の同盟関係は成り立っている。ただの憶測で国が動くわけにはいかない。もしそんなことをしていると知られれば、みすみすユリサナに戦争の口実を与えてしまうことにもなりかねないからね。だが君ならば、例の噂で私に疎まれていると、皆には思われている。カンザリアへの赴任も、それで遠ざけられたとしか思われないだろう。誰も君が私の密命を帯びているなどと考えもしない。まさに打ってつけの人材なんだよ』
 そして、まるで口付けるような仕草で私を近い距離から覗き込むと、微笑む唇が、それを訊く。
『やってくれるか? ――君だけが頼りなんだ、レイノルド』


 ――後にして思う。
 これは、私に対するあの男の執着ではないのだろうか、と。
 王宮で“前王陛下の愛人”などという評判しか無い私のことなど、ただ放っておけばいいものを。
 噂も何も、自分でそうなるよう仕向けたくせに。
 そうやって自分で私を切り捨てておいて、そのくせ、こんな馬鹿げた命令まで下して私をカンザリアへ左遷させる自分を正当化しようとする。
 あたかも、“鞭”の後に、甘い“飴”を与えて、こちらの機嫌を取ろうとしているかのようではないか。
 まるでわけがわからない。切れ者の陛下らしからぬ、その行動。
 何故そうまでして私を自分に留め置こうとするのか。
 行き着いた答えが、それだった。
 突き放したかと思えば引き戻し、切り捨てたかと思えばまた繋ぎ止めようとする。――そうやって私を甚振り楽しんでいる、ということか。


 ――陛下……どこまでもあなたは、自分の玩具として生きる以外の私など認めない、と言いたいのですね。


 そこに思うところが無いわけではなかったが、それならそれでこちらの思惑にとっては好都合かもしれないと、私は素直に、その命令を引き受けた。
 ただし、密偵の人選や情報の入手方法は、こちらに任せて欲しいという条件を付けた。
 その費用の負担と、王宮への伝達手段についてのみ、陛下の手配に任せた。


 そして、カンザリアに赴任した私が通じたのは、シャルハ本人とだった。
 彼の用意してくれた連絡係を通して、シャルハからユリサナの情報を流してもらっていた。
 そして当然、カンザリアの情報も、私から流していた。
 ――それは当時トゥーリにも教えてはいなかったことだ。彼には、ユリサナに忍び込ませた密偵と連絡を取っているのだと告げていたから。
 連絡係との取引中、彼の目に止まらぬよう、折にふれてこちらの情報を渡していた。
 それを受け取っていたシャルハの差配によってカンザリアが落とされるのも、至極当然というものだった。
 落とそうと思えば、すぐにでも落とせたはずなのに……ここまで時間をかけたのは、彼のことだ、王の出方を窺い、それに対する民の不満が満ちる時を、虎視眈々と狙っていたからだろう。


『せっかく君の身体を味わえたのに……これで最後だなんて、堪えられないな』
 マルナラでの別れ際。
 私の額に口付けながら、名残を惜しむようにシャルハがそんな呟きを洩らした。
『これを最後にするか否かは、おまえ次第だな』
 その彼を見上げて、口許だけでニヤリと笑んでみせながら返してやる。
『私のもとに来られるのなら、幾らでも相手になるが?』
『レイ……それは遠まわしに断っているだろう』
『さあ、どうかな』
 そんな言葉でかわしながら、しかしシャルハの言う通りだった。
 いかにシャルハといえど、あのカンザリア要塞島に侵入するのは、まず不可能―――。
『ならば、囚われの姫君を塔から出して差し上げなくてはならないな』
 だが、それを逆手に取ったかのような彼の言葉に、思わず私は目を丸くした。
『私がカンザリアを落とせば、レイ、君を手に入れられる』
『そうだな……頑張って落としてくれ』
『おい、なんだ、そのヤル気なさげな応援は』
『言っておくがシャルハ。私も総督としての責任があるんだ、いくら自分のためとはいえ、無駄に兵士を殺すことになるのは忍びない。立場上、全面降伏も出来ないしな、攻め入られるからには全力で抵抗はするぞ。こちらも、まだ陛下の不興を買うわけにはいかないんだ』
『まったく……扱い辛いお姫様だ』
 では約束しよう、と、おもむろにシャルハが唇にキスを落とす。
『ならば最初は、君が失脚する程度の攻撃にとどめることにしておこう。徹底的に陥落させるのは、囚われの君を解放した後にするよ』
 そういう問題じゃない、と言いかけたが……咄嗟に言葉を飲み込んで口を噤んでいた。
 戦争になる以上、必ず人が死ぬ。――そうでなければ、私の望みも叶わない。
 ちくりと、細い針で心臓を刺し貫かれたような痛みを覚えた。
『私は……きっと死んだら地獄行きだな』
『そんなもの、お互い様だ』
 自嘲するように呟いた私に、再びシャルハが唇を寄せる。
『とりあえず三年だ。三年以内には必ず、軍備を整えて君を助け出しにゆく。それを信じて待っていてくれ』
『シャルハ……』
『たとえ行き着く先が地獄の果てであろうとも……どこまでも私は、君と共に行くよ』


 ユリサナ軍が、カンザリア要塞島を足場にして本土へ上陸することとなるのは、その陥落から僅か三日目のことだった。
 破竹の如き勢いで王都へ向けて北上する進軍を、もはや阻むことなど敵わなかった。
 そして、カンザリア陥落から実に半月後という短期間で、ユリサナ軍は王都へと到達することになる―――。





《【Ⅱ章】完、【終章】に続く。》
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