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【おまけ】
後日談『落暉の彼方』
『落暉の彼方』
――この世の果て、とは……まさに、ここに在るんじゃないだろうか。
見渡す限りの大海原の向こう、沈みゆく夕陽を眺めながら、ぼんやりとそんなことを思う。
潮騒と波濤の音、木々のざわめき、そんなものしか聞こえてこない切り立った崖の上には、いま自分一人しか居ないからだろうか。
アレクは、ここを私の『楽園』だと言った。これこそ私の求めていたものだろう、と。
きっと、そうなのかもしれない。
私の心が帰る場所は、いつもここカンザリアだった。
カンザリア島を終の棲家と決めて移り住んでから、そろそろ一年になる。
ここでの新しい暮らしにも、だいぶ慣れてはきたけれど。
楽園と呼ぶには、まだ足りない―――。
*
国王の死をもって戦争が終結してから――この国がユリサナ帝国の属国となってから、ようやく一年。
つい先頃、ようやく王都では、待ちに待った新王の戴冠式が盛大に執り行われたそうだ。
ルディウス九世の御名を受け継ぎ即位したのは、アレク――アレクセイ・ファランドルフ元近衛騎士団団長だった。
あれは――もう半年近くは前になるだろうか。
王都に居るはずのアレクが、わざわざカンザリアまで、私を訪ねてきてくれた。
『――俺の伴にアクスが居ないのが不満か?』
『不満じゃない、と言ったら嘘になるな』
とはいってもアレクが来てくれたことだけでも充分に嬉しいぞと、笑ってみせた私をあやすように頭を叩いてきた彼は、おもむろに苦笑を浮かべた。
『すまん……俺では到底、シャルハの嫌がらせは止められん』
『嫌がらせ……?』
『アクスも頑張ってはいるんだがな……』
なにせ片付けなければいけないことが王宮には山積みなんだと、同時に洩らされた深いタメ息。
『おそらく戴冠式が済むまでは、王宮から一歩も動けないだろう』
『――ああ、じゃあ次の王が決まったのか』
それなら王宮がゴタつくのも仕方ないことかもしれない。
なにせ、もうだいぶ空位の期間が続いている。国民を安心させるためにも、待望の王の即位は派手に打ち立てなければならないだろう。
近衛騎士団も、こういう時こそ儀仗騎士としての役目を果たさなければならないから、やはり色々と準備やら何やらで大変なのだろうな。
『しかし……そんな大変な時期に、よりにもよって団長が、こんなところまでフラフラ出てきて大丈夫なのか?』
『さすがに大丈夫ではないが……とはいえ、戴冠式が終われば、そう簡単に王宮から出ることが出来なくなるからな。シャルハのくれたお情けだ』
『そうなのか……大変だな、近衛の団長も』
言いながら、目の前に置かれたお茶を口に運ぶ。
『まったく、他人事だと思って……』
アレクのボヤきは、立ち上るお茶の香りと湯気の向こう側に、とりあえず置いておいた。
だって他人事だもん、とは言わないでおく。
私にも、人並み程度の罪悪感くらいあるのだ。
――私こそ……ひょっとしたら、その慌ただしい王宮に居なければいけないかもしれない立場だったのだから。
私を王宮に、再び宰相の地位にと、再三に及ぶシャルハからの招聘を拒み続けてきた罪悪感。
しかし、どんなに罪悪感に苛まれようとも、私はもう表舞台に返り咲くことなどしてはならないのだと、そう己を律した。
――この国を滅ぼしたのは、戦争を招いて多数の死者を出したのは……この私、なのだから。
それは、私の罪だ。
それをした私が、こうしてのうのうと生き存えていることすら、おこがましいというのに。
更には、のうのうと表舞台に立ち返るなど、絶対に許されることではない。
それこそ、犠牲になった者たちへの冒涜にしかならないではないか。
誰に断罪されずとも、罪を犯したというその事実を、私は生涯この身に背負っていくことを決めた。
もう二度とこの国の行く末には関わらず、私の所為で命を落とした者たちの冥福を祈りながら、ひっそりと息をひそめて生きていくこと。――それが己に課した、せめてもの贖罪だった。
だから、ユリサナからもたらされる恩賞についても、すべて要らないと断った。
自分がまだ伯爵位にあることすら許されることではないだろうに……当然、爵位と所領の返還も申し出てはいたが、しかしシャルハは、それだけは決して頷いてくれなかった。
彼は、きっとまだ私を諦めてくれてはいないのだ。
――『私の良き片腕となってくれ、レイノルド』
いつか言われた彼の言葉が脳裏を過る。
彼は、自分の片腕たり得る私を、信じて待っていてくれているのだろう。
だからこそ、何かというと私を引き立てようとしてくれる。爵位の件にしたって、いずれ表舞台に帰ってきた時に必要になるのだからそのまま持っていろと、そう言わんばかりではないか。
――本当に彼は、昔から何も変わらない。
しかし、だからといって、彼のもたらしてくれる言葉に甘えてばかりではならなかった。
だから一つだけ、我が儘を言った。
サンガルディア監督官として王宮を離れられない彼の代わりに寄越されてきた、頑として『恩賞を受け取っていただくまでは帰れません』と言い張る使者に、仕方なくそれを告げたのだ。
『では、カンザリア島を』
『は……?』
『南端のカンザリア要塞島だ。戦争が終わった後、武装解除されて島自体が破棄されたと聞いた。それをいただきたい』
あまりにも意外な申し出だったのだろう、目を瞠ったまま絶句しているだけの使者に、改めて私は繰り返した。
『カンザリア島を私有地としていただけるのなら、それ以外は何も要らない。こちらも爵位の返還を諦める。――だからシャルハ殿下に伝えてくれ、もう私を王宮に呼び戻すことはするなと』
その条件が飲めないのであれば、他の恩賞も受け取らないし、爵位と所領の返還要求も出し続ける。
暗に告げたそれを、余すことなく使者はシャルハに伝えてくれたようだった。
やがて私の望みは受け入れられ、カンザリア島を私有地とする旨の書状と、証明書や権利書といった類の書類が届けられた。
そして、それを境に、シャルハからの召喚要請も絶えたのだ。
もともと、爵位と所領を返還したら、どこかの田舎にでも隠居して、自給自足でもしながら慎ましく暮らしていければいいと思っていた。
戦争が終わったらカンザリアが要塞ではなくなるなんて、そもそも知らなかったし。
知っていたとしても、島ごと買おうとか、そこに住もうなんてことは、絶対に考えなかったと思う。
だが、いかに苦し紛れだったからとはいえ、思いのほかスンナリ口から飛び出してきた『カンザリア島をくれ』という要求に、一番驚いていたのは私自身だった。
――ああ、そうか……きっと私は、帰りたかったのかもしれない……。
カンザリアで過ごした日々に。
思い出の中で安らぎたかったのかもしれない。
あの場所には、いつもトゥーリが一緒に居たから―――。
爵位を返還することも、どこかの田舎で隠居することも、心づもりは全てジークには打ち明け、相談していた。
だからなのか、爵位を持ったままカンザリアに隠居すると告げても、彼はとりたてて何も言わなかった。反対もしなかった。
ただし、バーディッツを任せたいと頼んだ時だけは、珍しく露骨に面倒くさそうな顔をされたが。
でも、それだけだった。
『…当面の間は、所領の管理は、わたくしと息子とで何とかいたしましょう』
伯爵領を得る前まで有していた子爵領は、私が受け継いで以来、ずっと彼の息子が現地で管理をしてくれていた。
『そろそろ長男を一人立ちさせたいと、息子から相談されていたところでもありましたしね。ちょうど手も足りなくなることですし、しばらくこちらで教育するといたしましょう』
『ありがとう、ジーク。――本当に、私はおまえに世話をかけてばかりだな』
『今さらではございませんか』
そう言って、彼は笑った。
初めて会った時から、だいぶ顔に皺は増えたが……それでも、初めて会った時と何ら変わらない、どこまでも優しい笑顔だった。
どことなく不貞腐れたようなアレクを前にして、とりあえず私はお茶を勧める。
『ジークには及ばないが、なかなかのものだぞ』
渋々ながら茶を口にしたアレクが、それでも少し驚いたように『確かに』と褒める。
淹れてくれたのは、見習い執事のニールだ。――ジークの孫で、バーディッツに残る彼の代わりに、コルトと共に付いてきてくれた。
コルトよりもニールの方が、お茶を淹れてくれるのだけは上手かったので、今や専ら彼の仕事になってしまった。さすがジーク仕込みといったところか。…とはいえ、まだまだ彼には遠く及ばないが。
もとよりニールには、完璧な執事としての働きは期待していない。何よりまだ子供だしな。
一人立ちさせるべくジークが教育しているのは、彼の兄だ。
ニールはそもそも執事教育を受けるために我が家に来たわけではなく、コルトの遊び相手になれるような歳の近い者が欲しいな、と洩らした際、『そういえばウチの末の孫がその年頃だったはず』と思い出したジークによって白羽の矢が立てられた、というだけだ。
バーディッツに居た頃から、コルトと二人でジークの手伝いをしていた影響でか、カンザリアに来てもなお、何かれと二人して私の世話を焼いてくれている。ありがたい限りだ。
『――それで……?』
コルトから茶受けの菓子を受け取りつつニールに茶のお代わりをねだり、そうしながら何気なく、私は尋ねた。
『結局、次の王には誰が立つことになったんだ?』
気になるのは、そこのところだ。
憶えている限りでは、あの陛下にはまだ王子がいなかったはずだ。こんなにも空位の期間が長かったということは、よっぽど適当な人物がおらず、誰を王位に就けるべきかで王宮もだいぶ決めあぐねていたと思われる。
それが、戴冠式の話まで出たということは、ようやく決まったということなのだろう。そんなもの気にならない方がおかしい。
『アレクは知っているんだろう?』
『ああ、まあ……』
『なんだ、はっきりしないな。――ひょっとして、まだ秘密にしておかなければいけないことだったか?』
『いや、そういうことではないんだが……』
『じゃあ、なんだ?』
『…………』
途端に眉をしかめ口を噤んでしまったアレクの様子に、そんなにも認めるのさえ不本意な人間が即位するのか? と、思わず気を遣ってこちらも黙る。
再びニールに差し出された淹れ立てのお茶に口を付けながら、黙って彼の言葉を待った。
『――いずれ分かってしまうことだから言うが……』
『ああ』
『俺だ』
『は……?』
『俺が、次の王として即位することになった』
『…………なんだって?』
訊き返したと同時、傍らからガションという陶器の触れ合うけたたましい音が聞こえてきた。――どうやらニールが茶器を取り落としたらしい。
私もよく茶碗を取り落とさなかったものだと、自分で自分を褒めてやりたいくらいだ。
それくらいの衝撃だった。その言葉は、まさに。
『シャルハのことだから、てっきり王家の血統しらみつぶしに調べては適切な人間を探してくるだろうと思っていたのだが……』
『そのつもりだったらしいがな、ヤツも』
そこに該当した者を篩に掛けて選別していた最中で、自分が亡き前陛下の養子であったことが発覚し、渡りに船とばかりに押し付けられたのだと、アレクは語った。
『おまえにも話してはいなかったが……前国王――ルディウス七世陛下の遺書を、俺は受け取っていたんだ』
コルトとニールを下がらせて、二人きりになってから、アレクの差し出してくれたもの。
前陛下が彼へと宛てて遺した手紙を、私は震える手でゆっくりと開いた。
そして……涙が溢れて止まらなくなった。
陛下のくれた想いが、やわらかく胸に突き刺さる。
――私は、ちゃんと陛下に愛されていた……。
そのことが、言葉などでは言い表せないほど嬉しいと思った。
また、こうやって死してなお私を想って気持ちを遺してくださった、その優しさと深い愛情があたたかく、また同時に、胸が締め付けられるように切なくなった。
『おまえは……陛下がいなくても、もう一人で立って生きていけるだろう、レイン』
アクスも居るしな、と微笑んだアレクに、そうだなと、私も笑顔を返した。
『この陛下のお言葉をいただいて、ようやく解放されたような気がする』
――過去に。
真正面から向き合うことすら出来なかった過去の自分に、ようやく今、微笑んであげられるような気がする。
『ありがとう、アレク。――この命ある限り、陛下の御心と共に、私は胸を張って生きていける』
そして、ようやく私は、アレクに『おめでとう』の言葉を告げた。
『陛下の遺志を受け継ぐのが、おまえで良かった。陛下のお言葉の通りだ、アレク以外に相応しい者なんて他にいない』
新王の戴冠式は、それはそれは盛大に執り行われたと……噂に聞いた。
国民を安心させるため、ということは当然ながら、また、今や実質的なサンガルディア王国の支配者たるユリサナ帝国が、その威信をかけて、周辺諸国に我が国を従えるべき国力を見せ付ける絶好の機会でもあっただろう。シャルハなら考えそうなことだ。新王に戴冠すべくユリサナ皇帝がわざわざ我が国に赴いたという事実が、その証明でもあるのではないか。
――その分、アレクの意志など聞き入れても貰えなかっただろうけど。
きっと王宮でどっぷり疲れ果てているだろうアレクを思い、少しだけ苦笑が洩れ、同時に、傍にいてやれない申し訳なさも覚える。
勿論、今や伯爵である私のところへ招待状が来ないはずも無かったが、謹んで出席は辞退したのだ。
――この国の晴れの門出となるべき良き日に、私ごとき罪人が参加してしまったら、それこそ幸先が悪いだろう。
だから、予めアレクにはそれを伝え、謝っておいた。
『どうしても来ては貰えないのか』
『どうしても、だ』
『そうか……わかった』
それ以上、食い下がられることは無かった。
彼も――兄である彼だからこそ、今の私の気持ちをも充分に理解してくれているのだろう。
『傍に居られなくても……ここから、祝福を送るから』
なにせカンザリアは元要塞島、信心深い兵士のために、ちゃんと神に祈る祭壇も用意されているのだ。
『いかにも、贖罪をしろとばかりのお膳立てだろう? だから、ここに来て以来、祭壇に向かって死者の菩提を弔うのが日課になったが……今となっては、それも都合がいいかもしれない。だって、おまえの前途を祈ることも出来るんだから』
なまじの神官よりも真剣に祈ってるから効果は確かだぞと、笑ってみせた私の鼻を、やはり笑顔でアレクが摘まんで捻り上げる。
思わず『痛い』と呻いて、摘まんだ手をはたいたら、すぐに放してはくれたけど。
『何なんだよ、せっかく人が好意で……』
『うるさい。おまえに祈って貰わなきゃならないほど、俺は何も出来ないワケじゃないぞ!』
『そんなこと、わかってるけど……』
『じゃあ、何も気にするな』
そしてアレクは、やはり笑顔のままで、私の頭を軽く叩く。
『おまえは、何も考えずに、好きに生きていればいい。――ここは、ようやく手に入れたおまえの楽園だろう、レイン?』
*
カンザリアでは、時間の流れがとても緩やかだ。
緩やかに穏やかに一日が始まり終わる。その繰り返し。
何だかんだとやらなければならないこともあるが、慣れてくれば、だいたいいつも日暮れ前には終えることが出来る。
だから最近は、夕暮れ時になると、西の森を抜けた崖上へ一人、海の彼方へ沈みゆく夕陽を眺めに行くようになっていた。
一人でいるこの時間が、私には何よりも大事に思えたのだ。
夕陽の美しさは、“終わり”を予感させてくれると共に、また新たな“始まり”をも期待させてくれる。
そうやって私は夕陽に、今日一日のさよならを告げ、また明日一日を生きる活力を貰っているのかもしれない。
トゥーリの傍に居ない生を、一人で生きてゆくために。
一人で立ち上がる力を、養うために。
夕陽が海の向こうへ姿を隠し、夜の訪れと混じり合った空が紫色へと染められる頃、ようやく私は腰を上げる。
――あまり遅くなると、コルトとニールが心配するからな。
一度うっかり崖の上でうたた寝をしてしまい、とっぷり夜も更けてから戻ったところ、帰ってきた私を見るなりコルトには泣き付かれ、ニールにはさんざん怒られた。――こういう、主人に容赦の無いところはジーク譲りだなと、しみじみ思う。とても思う。
以来、夕陽が沈みきったら戻ると決めて、彼らを心配させ過ぎることも無くやっている。
だから今日も、さて帰ろうと、立ち上がって服の汚れを払い、そして踵を返した。
すると……、
「やっと見つけた。――総督閣下」
聞こえてきたのは、私を呼ぶ懐かしい声。
そして目の前、森を背にし馬を引いて立っていたのは、懐かしい――夢にまで見て待ち望んでいた、会いたかった人の姿。
「懐かしいね。前にもあなたを探して西の森を駆けずり回ったっけ」
そんなに俺から逃げるのが好き? と、からかうように言ったその笑顔に向けて、思わず私は飛び付いていた。
「――トゥーリ……!」
これは夢かもしれないと、まだそんなことを考えていた私の身体を、逞しい腕がぎゅっと抱きしめてくれる。
その力強さが、そのぬくもりが、これは現実なのだと確信させてくれた。
嬉しくて嬉しくて、自然に涙が溢れてくる。
何も言えなくて、ただただその胸にしがみついて、何度も何度も彼の名前を呼び続けた。
「トゥーリ……! ああ、本当にトゥーリだ……!」
「うん、本物。遅くなったけど、ようやく色々カタが付いたから」
「おかえり、トゥーリ。――私の傍に戻ってきてくれて、ありがとう」
見上げた私の目元に指を這わせ、涙を拭ってくれた彼が、やがて「ただいま」と呟いた。
「俺の方こそ……待っていてくれて、ありがとう。――会いたかった、レイノルド」
そして落とされたキスに身を委ねて、そっと私は瞼を閉じた。
――ああ、本当に……ここは、私の求めていたものなのだな……。
彼の熱を感じながら、心からそれを思う。
トゥーリが傍に居てくれる、こうして私を抱きしめてくれる。――それこそが私の求めていたもの。
ならば、傍らに彼が居てくれる場所、それがどこであろうと私の安らげる場所になる。
それこそ、楽園と呼ぶに相応しい。
いま私はこのカンザリアで、新しい楽園の日々を手に入れたのだ。
<終>
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