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末は博士か花嫁か ~七幕~
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黎華の風邪は長引き、なかなか熱や咳がおさまらない。
誠は早蕨の使いで、毎日のように薬や書簡を届けに桐生家を訪れている。
玄関先のやりとりだけで黎華とは顔を合わせないものの、値踏みするように睨む健之助の目をかすめて見舞いの花を贈り続けていた。
「お嬢様、今日は水仙ですよ」
フワリと甘い香りが室内に漂う。届けられる花はそのまま季節の進行を示しす。
「今夜の夕餉には先日いただいた菜の花のおひたしをお出ししますね。残さず召し上がって下さいよ」
水仙を活けた花器を机に置きながら、勢津子は力づけるように優しく言う。
貧相な銘柄ばかりだが、生命力に満ちた愛らしい花々と込められた彼の思いに、黎華は嬉しさを感じていた。
だが同時に、胸をしめつけるせつなさが堪らない。
「どうして、こんな事をするのかしら……」
「黎華お嬢様を心配してらっしゃるんですよ」
それはわかっているけれど、黎華は素直に喜べなかった。
このささやかな幸福は、今だけのもの。
完治したら、きっともう会えない。
そんな悲しみが胸に宿っていた所為か、一週間以上も寝込んでしまった。
それでも少しずつ回復に向かい、中庭を散歩できる程度には気力も体力も戻り始める。
だがそんな時、最悪の事態が起きようとしていた。
黒木中佐が黎華との縁談を進めるべく、直々に桐生家を訪れたのである。
黎華は久しぶりに寝床から起き、着物を着て身づくろいを整える。
「大丈夫ですか?お嬢様」
着替えを手伝った勢津子の心配そうな問いかけに、黎華は気丈に背筋を伸ばし笑顔を作った。
治りきらない風邪の咳が残っているし、少し痩せて顔色も良くないが会わないわけにはゆかないだろう。
そして黒木中佐の待つ客間へ向かうと、廊下で健之助と出くわした。
しかし。
「黎華、お前は来なくていい」
命令口調の叔父に、黎華は怪訝そうな顔を向ける。
「呼ぶまで隣室で待っていろ」
もしや暴言でも吐いて破談をもくろんでいるとでも思われたのだろうか?
叔父の意図は不明だが、そもそも会いたくない相手である。
黎華は素直に、勢津子と共に客間の隣の部屋に控えた。
「お待たせしましたな」
健之助は一人で座敷に入り、黒木中佐の対面に座る。
初めて間近で見た黒木中佐は噂通りの美丈夫だが、目つきは蛇のように酷薄で、それが性格の悪さの現れだと、健之助の歳になれば一目でわかる。
こんな男に可愛い姪をくれてやる気にはとてもなれない。
それでも、健之助は礼儀正しく頭を下げた。
「中佐殿には、わざわざのお運び、恐れ入ります」
「堅苦しい挨拶は抜きにしませんか?叔父上。いずれ身内になる仲でしょう」
黒木中佐は愛想よく言葉を返す。
まだ話を受けてもいないのに、決定事項のように言われるのが隣室の黎華の神経に障った。
「時に、姪御は?」
「あいにく体調を崩して伏せってまして、身繕いに時間がかかっているようです」
「おや、そうでしたか。では後で見舞いの品でも届けさせよう。紅屋の菓子はお好きかな?」
「お気遣いなく」
優し気に流れる中佐の声が、かえって不愉快である。
「とりあえず今日は結納の日取りだけでも決めますか、叔父上。次の大安吉日などいかがです?」
事務的な遣り取りの後、遂に本題が持ち出された。
「――― その件ですが」
しかし健之助は冷静な態度を崩さず、改めて中佐に向き合う。
「少々困った事態になりました」
「何か不都合でも?」
『断られるはずが無い』とでも言いたげな自信の塊のように中佐の声音は感情を含まない。
これも冷血と言われる由縁だろうか?
いずれにせよ返答は決まっており、健之助はおもむろに懐から書状を取り出す。
「姪がなかなか本復しないので伝手を辿って帝都医大学の医師に診てもらったのですが、今朝方連絡が来ましてね」
瞬間、黎華の胸がギクリと鳴る。
健之助は悠然と座卓の上に手紙を開き、そして言った。
「姪は、結核だそうです」
「!」
(!?)
客間のみならず、隣室の空気までが凍りつく。
この時代、結核は不治の病。死病と恐れられており、感染防止の為に療養所へ隔離されるのが常である。
黎華自身、己が耳を疑った。
驚愕のあまり、咽喉からせり上がった咳がコホコホと小さく漏れる。
隣室に病人の気配を察し、一瞬 黒木中佐の視線が向いた。
そんな中、健之助は淡々と言葉を続ける。
「これが診断書です。早急に診療所へ移送せよとの医師命令が出されました」
どこか大げさに息をつきながら、座卓に広げた書面を見つめる。
そこには早蕨医師の初見報告と共に、医学長・天道の署名もあった。
「中佐殿には申し訳ないが、婚姻は姪が完治するまで待っていただけますかな」
「――― いや、残念ながら」
黒木中佐は立ち上がり、従者に預けていた上着を取る。
「このお話は無かった事にしていただこう。失礼する」
言うや否や、足早に客間を後にした。
その態度は結核患者を出した家になど一分一秒も居たくないという嫌悪が露骨に見えている。
それほど忌み嫌われている病ではあるが、一度は嫁にと望んだ娘の家族に対して失礼きわまりない。
「姪御に、お大事にと伝えられよ」
とってつけたように言い残し、中佐は桐生家を出て行った。
※結核は、現代では早期発見・早期治療で完治する病です※
誠は早蕨の使いで、毎日のように薬や書簡を届けに桐生家を訪れている。
玄関先のやりとりだけで黎華とは顔を合わせないものの、値踏みするように睨む健之助の目をかすめて見舞いの花を贈り続けていた。
「お嬢様、今日は水仙ですよ」
フワリと甘い香りが室内に漂う。届けられる花はそのまま季節の進行を示しす。
「今夜の夕餉には先日いただいた菜の花のおひたしをお出ししますね。残さず召し上がって下さいよ」
水仙を活けた花器を机に置きながら、勢津子は力づけるように優しく言う。
貧相な銘柄ばかりだが、生命力に満ちた愛らしい花々と込められた彼の思いに、黎華は嬉しさを感じていた。
だが同時に、胸をしめつけるせつなさが堪らない。
「どうして、こんな事をするのかしら……」
「黎華お嬢様を心配してらっしゃるんですよ」
それはわかっているけれど、黎華は素直に喜べなかった。
このささやかな幸福は、今だけのもの。
完治したら、きっともう会えない。
そんな悲しみが胸に宿っていた所為か、一週間以上も寝込んでしまった。
それでも少しずつ回復に向かい、中庭を散歩できる程度には気力も体力も戻り始める。
だがそんな時、最悪の事態が起きようとしていた。
黒木中佐が黎華との縁談を進めるべく、直々に桐生家を訪れたのである。
黎華は久しぶりに寝床から起き、着物を着て身づくろいを整える。
「大丈夫ですか?お嬢様」
着替えを手伝った勢津子の心配そうな問いかけに、黎華は気丈に背筋を伸ばし笑顔を作った。
治りきらない風邪の咳が残っているし、少し痩せて顔色も良くないが会わないわけにはゆかないだろう。
そして黒木中佐の待つ客間へ向かうと、廊下で健之助と出くわした。
しかし。
「黎華、お前は来なくていい」
命令口調の叔父に、黎華は怪訝そうな顔を向ける。
「呼ぶまで隣室で待っていろ」
もしや暴言でも吐いて破談をもくろんでいるとでも思われたのだろうか?
叔父の意図は不明だが、そもそも会いたくない相手である。
黎華は素直に、勢津子と共に客間の隣の部屋に控えた。
「お待たせしましたな」
健之助は一人で座敷に入り、黒木中佐の対面に座る。
初めて間近で見た黒木中佐は噂通りの美丈夫だが、目つきは蛇のように酷薄で、それが性格の悪さの現れだと、健之助の歳になれば一目でわかる。
こんな男に可愛い姪をくれてやる気にはとてもなれない。
それでも、健之助は礼儀正しく頭を下げた。
「中佐殿には、わざわざのお運び、恐れ入ります」
「堅苦しい挨拶は抜きにしませんか?叔父上。いずれ身内になる仲でしょう」
黒木中佐は愛想よく言葉を返す。
まだ話を受けてもいないのに、決定事項のように言われるのが隣室の黎華の神経に障った。
「時に、姪御は?」
「あいにく体調を崩して伏せってまして、身繕いに時間がかかっているようです」
「おや、そうでしたか。では後で見舞いの品でも届けさせよう。紅屋の菓子はお好きかな?」
「お気遣いなく」
優し気に流れる中佐の声が、かえって不愉快である。
「とりあえず今日は結納の日取りだけでも決めますか、叔父上。次の大安吉日などいかがです?」
事務的な遣り取りの後、遂に本題が持ち出された。
「――― その件ですが」
しかし健之助は冷静な態度を崩さず、改めて中佐に向き合う。
「少々困った事態になりました」
「何か不都合でも?」
『断られるはずが無い』とでも言いたげな自信の塊のように中佐の声音は感情を含まない。
これも冷血と言われる由縁だろうか?
いずれにせよ返答は決まっており、健之助はおもむろに懐から書状を取り出す。
「姪がなかなか本復しないので伝手を辿って帝都医大学の医師に診てもらったのですが、今朝方連絡が来ましてね」
瞬間、黎華の胸がギクリと鳴る。
健之助は悠然と座卓の上に手紙を開き、そして言った。
「姪は、結核だそうです」
「!」
(!?)
客間のみならず、隣室の空気までが凍りつく。
この時代、結核は不治の病。死病と恐れられており、感染防止の為に療養所へ隔離されるのが常である。
黎華自身、己が耳を疑った。
驚愕のあまり、咽喉からせり上がった咳がコホコホと小さく漏れる。
隣室に病人の気配を察し、一瞬 黒木中佐の視線が向いた。
そんな中、健之助は淡々と言葉を続ける。
「これが診断書です。早急に診療所へ移送せよとの医師命令が出されました」
どこか大げさに息をつきながら、座卓に広げた書面を見つめる。
そこには早蕨医師の初見報告と共に、医学長・天道の署名もあった。
「中佐殿には申し訳ないが、婚姻は姪が完治するまで待っていただけますかな」
「――― いや、残念ながら」
黒木中佐は立ち上がり、従者に預けていた上着を取る。
「このお話は無かった事にしていただこう。失礼する」
言うや否や、足早に客間を後にした。
その態度は結核患者を出した家になど一分一秒も居たくないという嫌悪が露骨に見えている。
それほど忌み嫌われている病ではあるが、一度は嫁にと望んだ娘の家族に対して失礼きわまりない。
「姪御に、お大事にと伝えられよ」
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