7 / 9
末は博士か花嫁か ~七幕~
しおりを挟む
黎華の風邪は長引き、なかなか熱や咳がおさまらない。
誠は早蕨の使いで、毎日のように薬や書簡を届けに桐生家を訪れている。
玄関先のやりとりだけで黎華とは顔を合わせないものの、値踏みするように睨む健之助の目をかすめて見舞いの花を贈り続けていた。
「お嬢様、今日は水仙ですよ」
フワリと甘い香りが室内に漂う。届けられる花はそのまま季節の進行を示しす。
「今夜の夕餉には先日いただいた菜の花のおひたしをお出ししますね。残さず召し上がって下さいよ」
水仙を活けた花器を机に置きながら、勢津子は力づけるように優しく言う。
貧相な銘柄ばかりだが、生命力に満ちた愛らしい花々と込められた彼の思いに、黎華は嬉しさを感じていた。
だが同時に、胸をしめつけるせつなさが堪らない。
「どうして、こんな事をするのかしら……」
「黎華お嬢様を心配してらっしゃるんですよ」
それはわかっているけれど、黎華は素直に喜べなかった。
このささやかな幸福は、今だけのもの。
完治したら、きっともう会えない。
そんな悲しみが胸に宿っていた所為か、一週間以上も寝込んでしまった。
それでも少しずつ回復に向かい、中庭を散歩できる程度には気力も体力も戻り始める。
だがそんな時、最悪の事態が起きようとしていた。
黒木中佐が黎華との縁談を進めるべく、直々に桐生家を訪れたのである。
黎華は久しぶりに寝床から起き、着物を着て身づくろいを整える。
「大丈夫ですか?お嬢様」
着替えを手伝った勢津子の心配そうな問いかけに、黎華は気丈に背筋を伸ばし笑顔を作った。
治りきらない風邪の咳が残っているし、少し痩せて顔色も良くないが会わないわけにはゆかないだろう。
そして黒木中佐の待つ客間へ向かうと、廊下で健之助と出くわした。
しかし。
「黎華、お前は来なくていい」
命令口調の叔父に、黎華は怪訝そうな顔を向ける。
「呼ぶまで隣室で待っていろ」
もしや暴言でも吐いて破談をもくろんでいるとでも思われたのだろうか?
叔父の意図は不明だが、そもそも会いたくない相手である。
黎華は素直に、勢津子と共に客間の隣の部屋に控えた。
「お待たせしましたな」
健之助は一人で座敷に入り、黒木中佐の対面に座る。
初めて間近で見た黒木中佐は噂通りの美丈夫だが、目つきは蛇のように酷薄で、それが性格の悪さの現れだと、健之助の歳になれば一目でわかる。
こんな男に可愛い姪をくれてやる気にはとてもなれない。
それでも、健之助は礼儀正しく頭を下げた。
「中佐殿には、わざわざのお運び、恐れ入ります」
「堅苦しい挨拶は抜きにしませんか?叔父上。いずれ身内になる仲でしょう」
黒木中佐は愛想よく言葉を返す。
まだ話を受けてもいないのに、決定事項のように言われるのが隣室の黎華の神経に障った。
「時に、姪御は?」
「あいにく体調を崩して伏せってまして、身繕いに時間がかかっているようです」
「おや、そうでしたか。では後で見舞いの品でも届けさせよう。紅屋の菓子はお好きかな?」
「お気遣いなく」
優し気に流れる中佐の声が、かえって不愉快である。
「とりあえず今日は結納の日取りだけでも決めますか、叔父上。次の大安吉日などいかがです?」
事務的な遣り取りの後、遂に本題が持ち出された。
「――― その件ですが」
しかし健之助は冷静な態度を崩さず、改めて中佐に向き合う。
「少々困った事態になりました」
「何か不都合でも?」
『断られるはずが無い』とでも言いたげな自信の塊のように中佐の声音は感情を含まない。
これも冷血と言われる由縁だろうか?
いずれにせよ返答は決まっており、健之助はおもむろに懐から書状を取り出す。
「姪がなかなか本復しないので伝手を辿って帝都医大学の医師に診てもらったのですが、今朝方連絡が来ましてね」
瞬間、黎華の胸がギクリと鳴る。
健之助は悠然と座卓の上に手紙を開き、そして言った。
「姪は、結核だそうです」
「!」
(!?)
客間のみならず、隣室の空気までが凍りつく。
この時代、結核は不治の病。死病と恐れられており、感染防止の為に療養所へ隔離されるのが常である。
黎華自身、己が耳を疑った。
驚愕のあまり、咽喉からせり上がった咳がコホコホと小さく漏れる。
隣室に病人の気配を察し、一瞬 黒木中佐の視線が向いた。
そんな中、健之助は淡々と言葉を続ける。
「これが診断書です。早急に診療所へ移送せよとの医師命令が出されました」
どこか大げさに息をつきながら、座卓に広げた書面を見つめる。
そこには早蕨医師の初見報告と共に、医学長・天道の署名もあった。
「中佐殿には申し訳ないが、婚姻は姪が完治するまで待っていただけますかな」
「――― いや、残念ながら」
黒木中佐は立ち上がり、従者に預けていた上着を取る。
「このお話は無かった事にしていただこう。失礼する」
言うや否や、足早に客間を後にした。
その態度は結核患者を出した家になど一分一秒も居たくないという嫌悪が露骨に見えている。
それほど忌み嫌われている病ではあるが、一度は嫁にと望んだ娘の家族に対して失礼きわまりない。
「姪御に、お大事にと伝えられよ」
とってつけたように言い残し、中佐は桐生家を出て行った。
※結核は、現代では早期発見・早期治療で完治する病です※
誠は早蕨の使いで、毎日のように薬や書簡を届けに桐生家を訪れている。
玄関先のやりとりだけで黎華とは顔を合わせないものの、値踏みするように睨む健之助の目をかすめて見舞いの花を贈り続けていた。
「お嬢様、今日は水仙ですよ」
フワリと甘い香りが室内に漂う。届けられる花はそのまま季節の進行を示しす。
「今夜の夕餉には先日いただいた菜の花のおひたしをお出ししますね。残さず召し上がって下さいよ」
水仙を活けた花器を机に置きながら、勢津子は力づけるように優しく言う。
貧相な銘柄ばかりだが、生命力に満ちた愛らしい花々と込められた彼の思いに、黎華は嬉しさを感じていた。
だが同時に、胸をしめつけるせつなさが堪らない。
「どうして、こんな事をするのかしら……」
「黎華お嬢様を心配してらっしゃるんですよ」
それはわかっているけれど、黎華は素直に喜べなかった。
このささやかな幸福は、今だけのもの。
完治したら、きっともう会えない。
そんな悲しみが胸に宿っていた所為か、一週間以上も寝込んでしまった。
それでも少しずつ回復に向かい、中庭を散歩できる程度には気力も体力も戻り始める。
だがそんな時、最悪の事態が起きようとしていた。
黒木中佐が黎華との縁談を進めるべく、直々に桐生家を訪れたのである。
黎華は久しぶりに寝床から起き、着物を着て身づくろいを整える。
「大丈夫ですか?お嬢様」
着替えを手伝った勢津子の心配そうな問いかけに、黎華は気丈に背筋を伸ばし笑顔を作った。
治りきらない風邪の咳が残っているし、少し痩せて顔色も良くないが会わないわけにはゆかないだろう。
そして黒木中佐の待つ客間へ向かうと、廊下で健之助と出くわした。
しかし。
「黎華、お前は来なくていい」
命令口調の叔父に、黎華は怪訝そうな顔を向ける。
「呼ぶまで隣室で待っていろ」
もしや暴言でも吐いて破談をもくろんでいるとでも思われたのだろうか?
叔父の意図は不明だが、そもそも会いたくない相手である。
黎華は素直に、勢津子と共に客間の隣の部屋に控えた。
「お待たせしましたな」
健之助は一人で座敷に入り、黒木中佐の対面に座る。
初めて間近で見た黒木中佐は噂通りの美丈夫だが、目つきは蛇のように酷薄で、それが性格の悪さの現れだと、健之助の歳になれば一目でわかる。
こんな男に可愛い姪をくれてやる気にはとてもなれない。
それでも、健之助は礼儀正しく頭を下げた。
「中佐殿には、わざわざのお運び、恐れ入ります」
「堅苦しい挨拶は抜きにしませんか?叔父上。いずれ身内になる仲でしょう」
黒木中佐は愛想よく言葉を返す。
まだ話を受けてもいないのに、決定事項のように言われるのが隣室の黎華の神経に障った。
「時に、姪御は?」
「あいにく体調を崩して伏せってまして、身繕いに時間がかかっているようです」
「おや、そうでしたか。では後で見舞いの品でも届けさせよう。紅屋の菓子はお好きかな?」
「お気遣いなく」
優し気に流れる中佐の声が、かえって不愉快である。
「とりあえず今日は結納の日取りだけでも決めますか、叔父上。次の大安吉日などいかがです?」
事務的な遣り取りの後、遂に本題が持ち出された。
「――― その件ですが」
しかし健之助は冷静な態度を崩さず、改めて中佐に向き合う。
「少々困った事態になりました」
「何か不都合でも?」
『断られるはずが無い』とでも言いたげな自信の塊のように中佐の声音は感情を含まない。
これも冷血と言われる由縁だろうか?
いずれにせよ返答は決まっており、健之助はおもむろに懐から書状を取り出す。
「姪がなかなか本復しないので伝手を辿って帝都医大学の医師に診てもらったのですが、今朝方連絡が来ましてね」
瞬間、黎華の胸がギクリと鳴る。
健之助は悠然と座卓の上に手紙を開き、そして言った。
「姪は、結核だそうです」
「!」
(!?)
客間のみならず、隣室の空気までが凍りつく。
この時代、結核は不治の病。死病と恐れられており、感染防止の為に療養所へ隔離されるのが常である。
黎華自身、己が耳を疑った。
驚愕のあまり、咽喉からせり上がった咳がコホコホと小さく漏れる。
隣室に病人の気配を察し、一瞬 黒木中佐の視線が向いた。
そんな中、健之助は淡々と言葉を続ける。
「これが診断書です。早急に診療所へ移送せよとの医師命令が出されました」
どこか大げさに息をつきながら、座卓に広げた書面を見つめる。
そこには早蕨医師の初見報告と共に、医学長・天道の署名もあった。
「中佐殿には申し訳ないが、婚姻は姪が完治するまで待っていただけますかな」
「――― いや、残念ながら」
黒木中佐は立ち上がり、従者に預けていた上着を取る。
「このお話は無かった事にしていただこう。失礼する」
言うや否や、足早に客間を後にした。
その態度は結核患者を出した家になど一分一秒も居たくないという嫌悪が露骨に見えている。
それほど忌み嫌われている病ではあるが、一度は嫁にと望んだ娘の家族に対して失礼きわまりない。
「姪御に、お大事にと伝えられよ」
とってつけたように言い残し、中佐は桐生家を出て行った。
※結核は、現代では早期発見・早期治療で完治する病です※
0
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
離婚した彼女は死ぬことにした
はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。
もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。
今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、
「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」
返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。
それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。
神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。
大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
『影の夫人とガラスの花嫁』
柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、
結婚初日から気づいていた。
夫は優しい。
礼儀正しく、決して冷たくはない。
けれど──どこか遠い。
夜会で向けられる微笑みの奥には、
亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。
社交界は囁く。
「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」
「後妻は所詮、影の夫人よ」
その言葉に胸が痛む。
けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。
──これは政略婚。
愛を求めてはいけない、と。
そんなある日、彼女はカルロスの書斎で
“あり得ない手紙”を見つけてしまう。
『愛しいカルロスへ。
私は必ずあなたのもとへ戻るわ。
エリザベラ』
……前妻は、本当に死んだのだろうか?
噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。
揺れ動く心のまま、シャルロットは
“ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。
しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、
カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。
「影なんて、最初からいない。
見ていたのは……ずっと君だけだった」
消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫──
すべての謎が解けたとき、
影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。
切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。
愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる