末は博士か花嫁か

高端麻羽

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末は博士か花嫁か ~終幕~

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出立の日は、春の陽射しが降り注ぐ快晴。
蒸気機関車の並ぶ駅のホームで、黎華は健之助にもう一度お辞儀する。
「叔父上。今までいろいろ、ありがとうございました」
「気をつけて行けよ。ほとぼりが冷めたら連絡する」
当座の荷物と勢津子を伴い、黎華は車両に乗り込んだ。
その時、けたたましい足音をたてて、何者かが疾走して来る。
車両の窓の中を確認しながら、それでも一直線に、ただひとりを目指して。
「お嬢さん!!」
息を切らして現れたのは、誠だった。
あの雨の日の翌日、桐生家の前で別れて以来の再会である。
「誠さん……!」
黎華は窓から身を乗り出し、堪えきれない笑みをこぼした。
思わず伸ばした手を、誠がしっかりと握り締める。
この期に及んで止めはしないが、別離の寂しさは否めない。

「―――元気でな」
「…はい」
「これ、持っててくれ」
誠が差し出したのは、親友の形見の古い手拭い。
「でも、これは」
「あずかっててくれ。オレ、卒業したら取りに行くから」
それは実質的な求婚だった。
黎華の目が丸くなる。そして、花が咲くような笑顔に変わった。
「…はい、喜んで」
承諾したのは、手拭いの受け取りのみならず。
「必ず迎えに行くからな」
「はい」
「絶対行くから、待っててくれよ」
「はい、待ってます」
「約束だぞ」
「約束します」
鉄の窓枠に阻まれて抱擁できないのがもどかしく、二人は互いの両手を握り合う。
周囲の目など気にはならない。ただ、相手だけを瞳に映す。

「───愛してる」
「…私もです」
その言葉は出発の汽笛にかき消されたが、二人の耳にだけは届いていた。
走り出す機関車と共に、繋いだ手が離される。
後を追うように、誠は駆け出した。
黎華の名を呼びながら、ホームの端まで走ってゆく。
途中で一度転んだけれど、それでも起き上がって手を振り続けた。


「ガキか、お前は」
機関車が見えなくなった頃、誠の背に辛辣な声が投げつけられる。
姪との感動の別れを果たせなかった健之助は、不愉快そうな目で誠を睨んだ。
「活動写真の主役にでもなったつもりか?恥ずかしい奴だな」
「……スンマセン」
思い返せば、かなり恥ずかしい行動だったと気づき 誠は赤くなって頭を掻く。
フンと鼻先で息を吐き、健之助は更に続けた。
「黎華は結核患者の烙印を押されたんだぞ。帰って来ても、いい家には嫁に行けんだろう」
こうなってしまった以上、不本意だが仕方ない。
「責任は、きっちり取ってもらうからな」
「はいっ」
誠は背筋をピンと伸ばし、直立して即答した。
その真摯な目に曇りは無い。
健之助は、なぜ姪がこの男に惚れたのかまだわからなかったが、将来性に賭けるくらいはしても良いかと考えた。
早蕨教授、ひいては天道学長のお墨付きもある男だから多少は期待できるはずだろう。
「落第でもしてみろ。二度と黎華には近づかせんぞ」
「はいっ、がんばります!」
そっけなく背を向ける健之助に、誠は奮起を宣言した。


「……危ない真似をして…怪我でもしたらどうするのかしら…」
線路を走る機関車の中で、黎華は言うともなしに呟く。
大きな図体で、子供のように手をブンブン振っていた姿が脳裏に焼きついていた。
「でも素敵な方ですね」
「――― ……」
渡された手拭いを見つめながら、黎華は同意を示すように優しく微笑む。

誠は必ず約束を守るだろう。
ただ待つだけなのは性分ではない。ならばその間に黎華もしておく事がある。
「ばあや」
「はい?」
「島に着いたら、私に料理を教えてね」

一年間修行を積めば、苦手な事でも少しは上達するはずだ。
せめて人並みの妻として、恥ずかしくない女にならねば。
一度しか目を通さなかった「婦道訓」も、隅々まで読み返そう。
そう決意した。

「裁縫と、上手な洗濯の仕方も習いたいわ」
「はい、喜んで」
頬を赤くして頼む黎華に、勢津子は笑いながら承諾する。

明るい未来への希望を乗せて、機関車は軽快に線路の上を走って行った。


  劇終
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