1 / 11
~空き部屋事件~
しおりを挟む
若き青年医師・ジョンソン・ハイミックス・ワトスンは、怒りのままにハイストリートを歩いていた。
従軍先で負傷し、故郷に帰国したは彼は、住居に窮していたところ、とあるパブで偶然再会した知人ウィル・カスターにベィカー街112Bの下宿を紹介された。
そこの大家はセレナ・ハドソン未亡人という女性で、建物の状態も良好、三階建てで部屋も広く、周辺の環境も良いし、何より日々の食事付きという点が気に入り、ジョンソンは即座に入居を決めた。
ところが荷物(といってもトランク一個だけであるが)を運び込んだ時、夫人は思わぬ一言を発したのである。
「先に入居されたルームメイトの方は、いつ頃お帰りかしら?」
「……ルームメイトォ!?」
ジョンソンは初耳だった。しかし夫人が言うには、この下宿は広さと家賃との兼ね合いもあり、二人一組で入居するシステムになっているとの事。
ウィルはジョンソンとは別にもう一人にも声をかけたのだろう。しかし当事者たちには一言も無い。
ジョンソンは文句を言うべくウィルの元へ向かったが、彼は急な仕事で既に旅立った後だった。
そこでやむなく、もう一人の入居者と話をつけるべく、相手を探して向かったのである。
歴史ある名門と名高いオックスソード大学。
目的の人物は書庫の中で何やら難しそうな本を読んでいた。
案内をしてくれた紳士に名を呼ばれ、振り向いた相手と、ジョンソンの視線が合う。
『同居人』は、見たところ16歳か17歳。まだ子供の域を脱したばかりのような、人形のように端正な顔立ちで、白いスーツに格子柄のインパネスコートを羽織り、肩にかかる金色の髪は薄暗い室内でもよく映えた。
そして質素な衣服をまとっていても、漂う高貴さは隠されない。
優雅な身のこなしや態度から、貴族階級出身である事は明白だった。
───上流のマダムたちがいかにもチヤホヤしそうな、凛とした美少年。
それが第一印象。
「…オレはジョンソン・H・ワトスンという者だ」
「帰還兵が私に何の用ですか?」
挨拶をした途端言い当てられた真実に、ジョンソンは目を丸くする。
「なんでそんな事知ってんだ!? ウィルに聞いたのか?」
瞬間、相手は眉をひそめた。
ジョンソンの紳士らしからぬ言葉使いに不快を感じたらしい。
「ウィルと言うのは、あの下宿を紹介した男だな。彼とはその日が初対面で、以降会っていない。君の話など聞いた事もありません」
元々貴族とは相性の良くないジョンソンだが、その居丈高な物言いにムッとした。
「私の名はS・ホームズ。君が帰還兵である事など一目でわかる」
そう言って言葉を続ける。
「まず住居を探している男ありき。そして一つ、君はこの国の気候とは不似合いに日焼けしてるし、長旅疲れの痕跡が見える。二つ、腕の動きが少し不自然だから負傷していたと察する。三つ、現在この国内において以上のような状況にあるのは、従軍していた以外の理由は有り得ない」
実に論理的で鮮やかな推理に、ジョンソンは唖然とした。しかしすぐに立ち直り、余裕の笑みを作って言い返す。
「残念だが一つ間違いがあるぜ。オレは帰還『兵』じゃなくて軍医だ」
ツンと横を向いていた相手は、彼の言葉に目を見開いた。
「軍医?──医者なのか?君が?」
「おう。文句あるか」
あからさまに意外そうな声は、ジョンソンのプライドをチクチクとつつく。
確かにジョンソンは医師よりも軍人に相応しい体格だし、身につけているコートもスーツも長旅仕様に実用性を追求した物だから、洗練された都会の紳士には見え難い。帽子やステッキも体裁を繕うだけの代物であろう。
しばし彼を凝視していた相手は、再びそっぽを向く。
「世の中には時々、私の理解の範疇を越えた実に不可解な現象が起きるものなのだな」
「…んだと、このガキ!」
まさに一触即発。そのままケンカになってもおかしくない雰囲気だったが、ふいに聞こえた失笑に阻まれる。
彼らの背後で、ジョンソンを案内して来た正真正銘の紳士がクスクスと笑っていた。
「いや失礼。それにしても驚きました。かの名探偵も推理をはずす事があるのですね」
「アーネスト教授。時には常識外のデータも存在するという証明ですよ」
「名探偵?」
シャーロットの失礼な発言より、ジョンソンは紳士の一言が気にかかって問い返す。
「Drは御存知ないのですか?こちらは警視庁のお歴々も頭を下げて頼るという当代きっての名探偵、シャーロット・ホームズ嬢ですよ」
「そういえば、なんかスゴ腕の探偵がいるって噂は…………え?」
瞬間、滑らかに流れた紳士の言葉の一部が、ジョンソンの頭の中でひっかかった。
……今、なんて言った?
名探偵。こんなガキが?
いや、そうじゃなくて。
聞き間違いでなきゃあ、確か『嬢(レディ)』……
「…レディい!? 女なのか!? コレがぁ!?」
仰天するジョンソンに指差され『コレ』呼ばわりされたシャーロット・ホームズは一瞬で不機嫌度MAXになる。
「なんという無礼な男だ。Drなどといっても、品性までは取得していないとみえる」
「そんな格好してりゃ誰だって間違うだろ。第一、女がなんで探偵なんかやってんだよ!!」
ジョンソンの言葉は暴言に聞こえるが、当時としては当然の意見だ。
女性の社会進出がめざましい時代とはいえ、ファッションは裾の長いドレスが主流だし、探偵という職業自体、男性ですら珍しい。
しかしシャーロットは即座に反論する。
「容姿に惑わされて性別を見誤ったのは君の判断力不足だろう!第一、女王陛下が統治するこの先進国で女性を蔑視するなど不敬罪にも等しい!!」
無論、その言葉も一理ある。互いにプライドを刺激され、この後、大ゲンカをする事 小一時間。
そして、そもそもの発端である部屋の所有権は意地もあってか二人は共に譲らず、ハドソン夫人の提案でジョンソンは3階に、シャーロットは2階に、不本意ながら同居する羽目になってしまった。
「君のような野卑で下品な男が一つ屋根の下に住むなどゾッとするが、屋根裏の鼠と思って耐えよう。忠告しておくが、妙な考えを起こすなよ。テレムズ河に浮かびたくなければな!」
シャーロットは剣技の達人である事を前置きしてからそう述べた。
対して、ジョンソンも黙ってはいない。
「誰がお前みたいなヤセカギに手なんか出すかよ。オレの方こそ橋の下で寝る事思えば、口うるせぇ猫の一匹くらい、見逃してやるぜ!」
二人は火花を散らしつつ、二階と三階に別れた。
かくして、男装の少女探偵シャーロット・ホームズと、若き医師ジョンソン・ワトスンは、一つ屋根の下に暮らす事と相成ったのである。
続く
従軍先で負傷し、故郷に帰国したは彼は、住居に窮していたところ、とあるパブで偶然再会した知人ウィル・カスターにベィカー街112Bの下宿を紹介された。
そこの大家はセレナ・ハドソン未亡人という女性で、建物の状態も良好、三階建てで部屋も広く、周辺の環境も良いし、何より日々の食事付きという点が気に入り、ジョンソンは即座に入居を決めた。
ところが荷物(といってもトランク一個だけであるが)を運び込んだ時、夫人は思わぬ一言を発したのである。
「先に入居されたルームメイトの方は、いつ頃お帰りかしら?」
「……ルームメイトォ!?」
ジョンソンは初耳だった。しかし夫人が言うには、この下宿は広さと家賃との兼ね合いもあり、二人一組で入居するシステムになっているとの事。
ウィルはジョンソンとは別にもう一人にも声をかけたのだろう。しかし当事者たちには一言も無い。
ジョンソンは文句を言うべくウィルの元へ向かったが、彼は急な仕事で既に旅立った後だった。
そこでやむなく、もう一人の入居者と話をつけるべく、相手を探して向かったのである。
歴史ある名門と名高いオックスソード大学。
目的の人物は書庫の中で何やら難しそうな本を読んでいた。
案内をしてくれた紳士に名を呼ばれ、振り向いた相手と、ジョンソンの視線が合う。
『同居人』は、見たところ16歳か17歳。まだ子供の域を脱したばかりのような、人形のように端正な顔立ちで、白いスーツに格子柄のインパネスコートを羽織り、肩にかかる金色の髪は薄暗い室内でもよく映えた。
そして質素な衣服をまとっていても、漂う高貴さは隠されない。
優雅な身のこなしや態度から、貴族階級出身である事は明白だった。
───上流のマダムたちがいかにもチヤホヤしそうな、凛とした美少年。
それが第一印象。
「…オレはジョンソン・H・ワトスンという者だ」
「帰還兵が私に何の用ですか?」
挨拶をした途端言い当てられた真実に、ジョンソンは目を丸くする。
「なんでそんな事知ってんだ!? ウィルに聞いたのか?」
瞬間、相手は眉をひそめた。
ジョンソンの紳士らしからぬ言葉使いに不快を感じたらしい。
「ウィルと言うのは、あの下宿を紹介した男だな。彼とはその日が初対面で、以降会っていない。君の話など聞いた事もありません」
元々貴族とは相性の良くないジョンソンだが、その居丈高な物言いにムッとした。
「私の名はS・ホームズ。君が帰還兵である事など一目でわかる」
そう言って言葉を続ける。
「まず住居を探している男ありき。そして一つ、君はこの国の気候とは不似合いに日焼けしてるし、長旅疲れの痕跡が見える。二つ、腕の動きが少し不自然だから負傷していたと察する。三つ、現在この国内において以上のような状況にあるのは、従軍していた以外の理由は有り得ない」
実に論理的で鮮やかな推理に、ジョンソンは唖然とした。しかしすぐに立ち直り、余裕の笑みを作って言い返す。
「残念だが一つ間違いがあるぜ。オレは帰還『兵』じゃなくて軍医だ」
ツンと横を向いていた相手は、彼の言葉に目を見開いた。
「軍医?──医者なのか?君が?」
「おう。文句あるか」
あからさまに意外そうな声は、ジョンソンのプライドをチクチクとつつく。
確かにジョンソンは医師よりも軍人に相応しい体格だし、身につけているコートもスーツも長旅仕様に実用性を追求した物だから、洗練された都会の紳士には見え難い。帽子やステッキも体裁を繕うだけの代物であろう。
しばし彼を凝視していた相手は、再びそっぽを向く。
「世の中には時々、私の理解の範疇を越えた実に不可解な現象が起きるものなのだな」
「…んだと、このガキ!」
まさに一触即発。そのままケンカになってもおかしくない雰囲気だったが、ふいに聞こえた失笑に阻まれる。
彼らの背後で、ジョンソンを案内して来た正真正銘の紳士がクスクスと笑っていた。
「いや失礼。それにしても驚きました。かの名探偵も推理をはずす事があるのですね」
「アーネスト教授。時には常識外のデータも存在するという証明ですよ」
「名探偵?」
シャーロットの失礼な発言より、ジョンソンは紳士の一言が気にかかって問い返す。
「Drは御存知ないのですか?こちらは警視庁のお歴々も頭を下げて頼るという当代きっての名探偵、シャーロット・ホームズ嬢ですよ」
「そういえば、なんかスゴ腕の探偵がいるって噂は…………え?」
瞬間、滑らかに流れた紳士の言葉の一部が、ジョンソンの頭の中でひっかかった。
……今、なんて言った?
名探偵。こんなガキが?
いや、そうじゃなくて。
聞き間違いでなきゃあ、確か『嬢(レディ)』……
「…レディい!? 女なのか!? コレがぁ!?」
仰天するジョンソンに指差され『コレ』呼ばわりされたシャーロット・ホームズは一瞬で不機嫌度MAXになる。
「なんという無礼な男だ。Drなどといっても、品性までは取得していないとみえる」
「そんな格好してりゃ誰だって間違うだろ。第一、女がなんで探偵なんかやってんだよ!!」
ジョンソンの言葉は暴言に聞こえるが、当時としては当然の意見だ。
女性の社会進出がめざましい時代とはいえ、ファッションは裾の長いドレスが主流だし、探偵という職業自体、男性ですら珍しい。
しかしシャーロットは即座に反論する。
「容姿に惑わされて性別を見誤ったのは君の判断力不足だろう!第一、女王陛下が統治するこの先進国で女性を蔑視するなど不敬罪にも等しい!!」
無論、その言葉も一理ある。互いにプライドを刺激され、この後、大ゲンカをする事 小一時間。
そして、そもそもの発端である部屋の所有権は意地もあってか二人は共に譲らず、ハドソン夫人の提案でジョンソンは3階に、シャーロットは2階に、不本意ながら同居する羽目になってしまった。
「君のような野卑で下品な男が一つ屋根の下に住むなどゾッとするが、屋根裏の鼠と思って耐えよう。忠告しておくが、妙な考えを起こすなよ。テレムズ河に浮かびたくなければな!」
シャーロットは剣技の達人である事を前置きしてからそう述べた。
対して、ジョンソンも黙ってはいない。
「誰がお前みたいなヤセカギに手なんか出すかよ。オレの方こそ橋の下で寝る事思えば、口うるせぇ猫の一匹くらい、見逃してやるぜ!」
二人は火花を散らしつつ、二階と三階に別れた。
かくして、男装の少女探偵シャーロット・ホームズと、若き医師ジョンソン・ワトスンは、一つ屋根の下に暮らす事と相成ったのである。
続く
0
あなたにおすすめの小説
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる